| 花咲ける騎士道 | ||
日の出前。 井戸で水を汲み、それを頭から被りながら、ツァイスは必死で昨夜のことに思いを巡らせた。 (何がどうなってああいうことになったんだ‥‥) 先ほど目が覚めたら、自分はシンの部屋のシンの寝台に裸で横になっていて、その傍らでシンがやはり裸体のまま、深い寝息を立てていた。 仰天して、その場を慌てて飛び出し、転がるようにして水場へ至った次第だ。 幾度思い返しても、酒精の霧に遮られてはっきりとした状況が掴めない。 自分がシンの寝所に行ったことは覚えている。 深夜に戸を開いてツァイスを認めた彼は、あの男特有の無愛想さと口の重さで、むっつりと自分を眺めた。 「‥‥そういうことだとは思わなかった」 とか何とか呟いたのを、かすかに聞いた気がする。 ツァイスは、サカ侵攻を前にして、サカの兵法を教わりにシンの部屋の扉を叩いたのだった。竜騎士の最も苦手とする弓をよくするサカ人の戦い方を多少なりと知っておきたかった。部屋に入ってシンにそう伝えたのに、シンはそれを耳に留める素振りも見せなかった。 「まず飲め」 そう云って、部屋に置いてあるサカ酒を勧めてきた。断る理由もなく、ツァイスはそれを飲んだ。 今までに飲んだことのない味だった。酸味と苦味が強く、臭いもきつい。だが喉はよく潤い、胃に感じる熱は心地よかった。 つい調子に乗って、何杯も空けてしまったのだ。 そしてそのあたりから、記憶は切れ切れになる。 覚えているのは‥‥自分がシンの上に乗っかって‥‥ 「まさか!」 思わず声を上げた。口の中に水が入る。ツァイスはそれにも気づかなかった。水桶を取り落とし、手で顎を覆う。 下半身は妙にスッキリしている。それは間違いない。 そういえば何となく記憶に残っている。シンの硬い腕や伸びた脚に触れた感触。乾いた唇の奥の整った歯、それを自分の舌が割り込んで‥‥。 ツァイスは一気に青ざめた。動悸が激しくなるのは動揺だけが理由ではなかったが、そのことを自覚する余裕もない。 (まさか、やっちゃったのか?男相手に?) しかも相手は「あの」シンときている。 「こ、殺される‥‥」 シンはエトルリア軍の戦士の中で一、二を争う名うての強者である。弓だけでなく剣までも使いこなし、東土の勇士と怖れられている。そんな男が、酔った勢いとは云え情交を強要した自分を黙って許すはずがなかった。 男と交わってしまった自分もショックだが、命の危険に対する強い不安はそれを上回った。ツァイスはその場に佇んで、必死で逃げる算段を巡らせようとした。 そこへ、 「何をしている」 「わぁ!」 当のシンの声が、背後からかかった。ツァイスは思わず飛び上がってへたり込む。 震えながら振り返ると、シンが腕組みをして自分を見下ろしている。下半身にズボンを履いただけの簡素な姿。表情は普段どおりの鉄面皮に隠されて計れない。何よりそのことが、ツァイスには恐ろしかった。 「シ‥‥シン‥‥」 シンの眉根がほんの少し寄せられた。ツァイスは文字通り震え上がった。 「来い」 低い声で云うなりツァイスの襟首を掴んで引きずり出した。 ツァイスは硬直したまま、再度シンの部屋へ引っ張り込まれた。 「昨夜のことは覚えているな?」 寝台に座らされたツァイスに、シンの視線と声とが降り注ぐ。 「ハイ・・・・ええと・・・あの」 正直に答えるのは怖いが、嘘をつくのも怖い。自然ツァイスの返事は歯切れが悪くなる。 「どっちだ」 シンがツァイスの顔を覗き込んだ。黒瑪瑙の瞳の奥の深い闇。ツァイスは顔が火照るのを感じた。 「さ、酒が入ってたから・・・・・は、半分くらいしか・・・・・覚えてません」 しどろもどろに、それでもどうにか正直な答えを返す。 「昨夜、きさまと俺で何をしたか覚えているか」 ツァイスは心臓が潰れるかと思うほど動揺した。 「・・・・・そ・・・・れは・・・」 「覚えてないのか?」 シンの瞳が険を増した。シンが射る矢のように、シンの視線がツァイスに突き刺さる。 正直に言えば覚えている。シンの体を割って入ったあの感触を。 ああ。こいつ、俺を殺すんだな。 シンがツァイスの顎を利き腕で捕らえたのを、ツァイスは恐怖に痺れた脳でそう理解した。 次の瞬間、ツァイスの口にシンの唇が押し当てられた。 「んんっ・・・・!」 面食らったツァイスが抗う間もなく、強い意志を持った舌がツァイスの歯を割って口腔に侵入してきた。突き放そうとする両手は既にシンの片腕に搦め取られ、上体に体重をかけられて寝台の上に押し倒される。 シンの舌が手慣れたように、ツァイスの口中を蹂躙する。ツァイスの若い体はその熱と動きに触発されて、呼応するように熱さを増してきた。シンの舌が音を立ててツァイスを舐り、それは舌や口腔だけでなく、頬や唇や瞼にまで及んだ。 「・・・・・・・っシン・・・・」 早くも喘ぐ息の下から絞り出すように声を発したツァイスを、しかしシンは離そうとはしなかった。その黒い瞳がちらりとツァイスを見、薄い唇が笑みを穿く。 「仕方のない奴だ。忘れたなら、思い出させてやる」 怜悧な刃を思わせる男らしい貌の中に、ツァイスが今まで目にしたこともないような艶が加わった。ツァイスは恐怖に青ざめることと、劣情に頬を染めることを同時にしてのけた。体の内奥が熱い。シンが手と舌でツァイスの胸に触れる、その感触を味わう余裕もなくツァイスはシンを跳ね退けて起き上がると、今度は逆にシンを押し倒した。サカ製の短弓を引くその逞しい二の腕、昨夜確かにこの手で触れた。引き締まった胸筋にも、馬の胴を締め付ける太腿にも、そしてさらにその奥にも。 熱と恐怖に痺れた思考の中で、ただ一つ残された情動。ツァイスがそれに若者らしい性急さで従う間、組み伏せられたシンは黙って彼を導いた。荒い息と共にシンを貫き、共に声を漏らし、果てるまでの短い時間、ツァイスの意識は時折、朧にシンの目線を感じた。 視線に込められた感情は憎悪ではなかった。 それに安堵した途端、体の緊張はひといきに解けた。シンの体から自分自身を抜くや否や、ツァイスはすとんと眠りに落ちた。 「何で俺に抱かせたんだよ?」 ようように明け切ろうとする空の色を、二人横になって眺めながら、ツァイスは聞かずにはいられなかった。 シンはつまらなそうにツァイスに目を向けた。 「抱こうとしたらおまえが痛がったからだ」 「い、痛がる?」 シンが怪訝な顔をする。 「覚えてないのか」 「うん。・・・・そこらへんは」 「普通は年下が先に受け役に回るんだが。儀式は儀式だからな。仕方ない」 「ぎ、儀式?」 年下?受け役? 狐につままれたような表情をしたツァイスに、シンは不審を感じたようだ。 「おまえ。サカの風習は知った上で昨夜やって来たんだろうな」 「風習?どんな?」 シンが絶句し、その表情が固まった。ツァイスが初めて見る、無防備なシンの姿だった。 「シン?」 我に返ったシンは溜息を吐き、天井を見上げた。 「・・・・・信じられん・・・・」 その左手が顔を覆う。しなやかなその動きさえ艶を帯びて見えるのは、昨日までのシンとは違って見えるからに違いない。 「サカでは、男は男の部屋を訪ねん。特に深夜はな」 「そうなの?」 「夜中に男が男の部屋にやってきたら。それは寝たいと云ってるのと同じだ」 「・・・・・・・」 「訪ねられた相手は返答をする。酒を振る舞えば諾、水を振る舞えば否。もちろん直前になって、酒を出された男が飲まずに帰ることもある。出された酒をやってきた男が飲んで、そこで交渉成立だ」 ツァイスは胃の当たりがずっしりと重くなってきた。 「おまえが俺の回りをちょろちょろしているのは知っていた。だがまさか男色が目的とは思わなかったから、昨夜『そう云うこととは思わなかった』と云ったのだが、それにもおまえは反応しなかった。酒を振る舞った後は水を向けたら簡単に誘いに乗って来た」 「・・・・・・!それは・・・・・!俺、酔っぱらって・・・・!」 シンの手がツァイスの腕を力強く握った。 「痛てっ・・・・・」 「今更事実は変えられん。不本意だが、儀式を続けるしかあるまい」 「な、何だよ、儀式って!」 「サカでは男色は別に法度ではないが、決まった相手としか寝られんようになっている。義兄弟制だ」 「ぎ、ぎきょうだい・・・・」 「儀式は三日続く。三日続いて初めて契約完了だ。二人は生涯を通じ友となり兄弟となり、強い結束を誓うことになる。そしてここが重要だが」 シンの黒い目がきらりと光った。 「本来は年下が受け役だ。昨夜やさっきは変わってやったが、事情がわかったからには譲歩する気はない。今夜は俺がおまえを穿ってやる」 ツァイスは言葉もなくシンを見つめた。頭の中では目まぐるしく計算を働かせながら。どうにか取り繕ってこの場を逃れたら、自分の騎竜に鞍をかけて旅装を整えて、ベルンでもエトルリアでも、とにかくシンの目の届かないところへ一目散に・・・・・・ 「云って置くが」 シンの言葉がツァイスの心に冷水を浴びせた。 「逃げたりしたら短弓を抱えてどこまでもきさまを追い回す。サカは裏切りに対しては厳しい報復を為すぞ」 そう云ってシンはゆっくりと手を離した。 「夜までによくほぐしておけ。泣こうが喚こうが儀式は儀式だ。今日だけでなく明日もあるからな。傷を負うと後が辛いぞ」 シンの整った顔立ちに意地の悪い笑みが広がった。 部屋から追い出されて、廊下にひとり立ち尽くしながら、ツァイスは異文化交流の難しさをつくづくと思い知った。 ベルン正史に名を残した竜騎士の中に、「稲妻」と呼ばれた男がいる。 サカ人の男と義兄弟の契りを結び、その男にサカの兵法を師事し、ベルン軍の再編に大いに力を発揮したと云われている。 ベルン人とサカ人、年来の敵同士でありながらどうして義兄弟の契りを結ぶまでに至ったか。史書には何も記されていない。 |
| (了) |
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