聖女の射手

 リキアのロイ将軍のもとにいる、ベルンのギネヴィア王女に確認をとったことで、ファイアーエムブレムの所在は明らかになった。エリミーヌ教団の僧侶サウルとその護衛ドロシーの二人は、教団に課された任務の一つを果たしたことになる。
「さて、これからですが・・・・」
 オルン公の館で、サウル神父がドロシーを見てにっこりと笑った。神父は中背だがドロシーは女性としては大柄なほうで、二人の身長はいくらも変わらない。
「ファイアーエムブレムがギネヴィア王女からロイ公子に渡ったということはわかりました。これからは、ロイ公子の率いるこの軍隊にくっついて、エムブレムが失われたり盗られたりしないように見張っていればいいわけです」
 ドロシーは身構えた。サウル神父が笑いかけるときにはろくなことが起こらない。
「ですから、ドロシー。私たちはここでお別れですね」
 あまりにもさらりと切り出されたので、ドロシーは神父の言葉の意味を把握できなかった。
「は?」
 思わず神父の顔をまじまじと見つめる。「黙っていれば美男子」というのは衆目の一致するところだ。「喋り出したら道化」と続く部分も。
 ドロシーの反応を見て、サウルが顔をしかめる振りをした。
「わかりませんか?あなたが私と一緒に来たのは、私の護衛のためですね。あなたは教団の期待通り、行く先々で、私を夜盗やはぐれ兵士達から護ってくださいました。期待以上、と申してもよろしいでしょう。私の布教も頻繁に妨げてくださいましたが、それもこれもあなたが私を心配してくださったからだと理解しています」
「・・・・私が心配だったのは」
 ドロシーは声を低くして呻った。
「神父さまにナンパされる相手の方々です」
 神父はドロシーの怨嗟を黙殺した。
「ですが私たちはロイ軍に到達し、これからはロイ軍の客分として軍内に腰を落ち着けることになります。つまりですね、もう夜盗や兵隊くずれのやくざに出会う心配はないんです。リキア軍は一大勢力ですからね」
 神父は笑顔のままだ。
「ですから、私はあなたに護衛していただく必要はもうないということです」
 ドロシーの首がほんの少し後ろへぐらついた。
「ドロシー、ご苦労ですが、ヨーデル司祭さまのもとに戻って、経過を報告していただけませんか?それで今回のお役目は御免となり、新たな任務に就くなり、生まれ故郷の孤児院の世話に戻るなり指示が与えられると思いますので。私はここに残らなければなりませんが」
 神父の笑みが深くなる。
 ドロシーは呆然と護衛相手を見つめた。


 翌朝もすっきりとしないまま、ドロシーは目を覚ました。
 神父の意図がわからない。なぜ自分をヨーデル司祭のもとに返そうというのか。
「やっぱり、ナンパの邪魔だからかな・・・・・」
 井戸の傍で顔を洗いながら、ドロシーは悶々と考え続ける。
 サウル神父がファイアーエムブレムの行方を追い、ギネヴィア王女の動向を追跡する。ドロシーはそれに従って、神父を護衛するように。ファイアーエムブレムを見つけたら、監視を続けなさい。
 それがヨーデルから与えられた指示だった。
「私の役目が終わったことに、なるの・・・・?」
 ドロシーは目を閉じて考え込んだ。
 ファイアーエムブレムが見つかったら、護衛の役目は終わり。ファイアーエムブレムが見つかっても、サウルの護衛は続ける。
「うーん。どっちでもあってる気がする」
 だいたいヨーデルさま、そんな後のことまで考えて私に指示出してたかな?
 神父さまには確かに指示が降りてたけど。私には、何も云わなかった気がする。
「自分で考えて決めなさいって事なのかなあ」
 首を振り振り井戸の端で考えていると、クラリーネが姿を現した。
「あら、ドロシー。おはようございます。何をなさっておいでなの?首の体操?」
「えっ?」
 クラリーネは言葉遣いは丁寧なのだが、思考が直截かつ大胆なので言葉にもそれがあらわれる。少し考えて、ドロシーは、クラリーネが指摘したとおり、自分の首が揺れていたことに気がついた。
「あ、おはようございますクラリーネさん。いいえ、違うんです、これはその、考え事をしてまして・・・・」
 赤面してしどろもどろに説明しようとするドロシーに対し、
「あらそうですの?」
 クラリーネの返答は邪気がない。
「お顔が水浸しのままですわよ」
「あっ、いけない。拭くの忘れてました」
 ドロシーは慌てて布で顔をこする。
「何を考えてらしたの?」
「え?えーと、これで神父さまの護衛はもう終わりなのか、それともまだ続くのか、それがわからなくて」
「おわかりになりまして?」
「いえ、えーと・・・・。考えたけれどわからないんですよね」
「そうですの。困りましたわね」
 クラリーネはドロシーの脇にちょこんと腰を下ろした。その動作は貴族の娘らしく、洗練されて見える。
「あなたはどうしたいんですの?」
「え?私?」
 ドロシーはきょとんとクラリーネを見た。
「ご自分がどうすべきなのか、どなたにも指示をいただいてないんでしょう?でしたらドロシーがなさりたいようにするのが一番だと思いますけれど」
「どなたにもってわけじゃ・・・・。神父さまにはこれで終わりだって云われたから」
 クラリーネが柳眉をひそめた。
「あの神父に指示を受けましたの?」
『あの』ってどういう意味だろう。
「神父に指示をいただく以前は、あなたはどう考えてらしたの?」
「・・・・え?ええと、神父さまがこの軍と一緒に行くんなら、私もそうするんだなって・・・・私は神父さまの護衛だから・・・・」
「それが答えですわ」
 クラリーネが得意げに顎を上げた。
「私、あなたの考えが正しいと思います。あの神父からは目を離すべきではありませんわ」
 クラリーネが顔をドロシーに近づける。長い睫毛の奥で、藤色の瞳が意味ありげに輝いた。
「あの神父、ロイ将軍の部隊についてから、女性兵士の間で早くも噂になってますわ。誰彼かまわずお茶に誘ったり、夜の説教について語ったり。誰かが監視していてくださらないと、どなたも迷惑でしかたありませんもの」
 ドロシーは仰天して真っ赤になった。
「ええっ、もうそんなに?ご、ごめんなさい!あんな神父さまで本当にすいません!」
「あら、あなたが謝ることはありませんわ。だって、彼を止めるための護衛でしょう」
「すいません、そのつもりではいるんですけど、神父さまがふらふらしてるもんだから、たまに止めきれず・・・・って、え?」
 そこでドロシーは妙なことに気づいた。
「神父さまを止めるため?・・・・あのー、クラリーネさん、私のことを何の為の護衛っておっしゃいました?」
 クラリーネの目がきつくなった。
「何を聞いてらしたの?もう何度も云いましたわ!あの神父の口説きから女性陣を護るための、女性のための護衛でしょう、あなたは!」
 ドロシーはあっけにとられて年下の僚友を見た。
「え・・・・・そうだったんですか?」
「もう!存じませんわ!あとはご自分で考えて、何でも存分になさればいかがですの?」
 クラリーネはぷりぷりしながら席を立った。
 怒りながらでさえ優雅な歩き方をするその後ろ姿を見送りながら、ドロシーの思考はますます混迷を深めていった。


「クラリーネさんの云うことにも一理あるんだよね・・・・」
 廊下を戻りながら、ドロシーはさらに考える。
 自分がいなくなったら、サウル神父はナンパのしたい放題になるだろう。その為にも、自分は神父の傍で目を光らせていた方がいい。
 そもそもこれから先、サウルの云うように、本当に彼は自分の護衛を必要としなくなるのだろうか?
 まずはそれを確かめるべきだろう。
 ドロシーは廊下を引き返して、サウル神父にあてがわれた部屋の前に立った。
 幾度かノックを繰り返すが、返事がない。
 教会か、医療所にいるんだろうか。
 ドロシーは足を城の中庭に向けた。教会も医療所もそこにある。

 神父は医療所にいた。
 長年使われていなかったらしく、医療所の中は埃がたまっている。
 その埃の中心にサウル神父はいて、積み重なった木箱や素焼きの土瓶などに囲まれてなにやら熱心に作業していた。
「おや、ドロシー。おはようございます」
 医療所から出てきたサウルは挨拶をした。
「医療所へ来るなんて珍しいですね。どうしました?」
 にこやかな笑顔は、心なし上気しているように見える。
「神父さまこそ、どうしてこんなところにいるんです?」
「使える薬草がないか、調べていました。ここは放置されてかなり日が経っているようですが、何かあれば儲けものかと思いまして。まもなく戦が始まりますので」
「戦?」
「ドロシー」
 その声には、ドロシーを緊張させる何かがあった。
「戦場に立ったことはありますか」
 神父の目は、もう笑ってはいなかった。
「ない、です」
「自分の村が戦場になったことは?」
「私が生まれた村であったそうですけれど。・・・・小さかったので、覚えていません」
「ああ、そうでした。あなたは戦争孤児で、教会で育ったのでしたね」
 神父が空を仰いだ。暫くそうして立ち尽くしていたが、おもむろに顔をドロシーに向ける。
「人を殺したことはありますか」
 ドロシーはぎょっとして神父を見た。
「まさか」
「殺すことができますか?」
「わ、私に?」
 ドロシーは動揺を隠せない。サウルはその様子を見て、溜息をついた。
「質問の仕方が悪かったですかね。聞き方を変えましょう。今までに人を殺したいと思ったことは?」
「いいえ」
「しかしその弓は人を射殺す為のものなのでは?」
「そんなこと、あり得ません。私の弓は神父さまを護るための物であって、人を傷つけるための物じゃありません!」
「・・・そうでしょうね。今までのおまえを見ていればわかります」
 サウルの口の端が、少しだけ上がった。
「おまえは戦には向きません。心が優しすぎる。戦場に立てば死ぬだけです。人々を導く僧職の身として、たとえ私の護衛としてであれ、おまえが戦場に立つことを私は禁じます」
 サウルの、そんな厳しい声を聞くのは初めてだった。
「神父さま」
 ドロシーはうろたえて何か云おうとした。だが言葉は形にならず、胸の奥で靄のまま消えてしまった。
「理解に苦しみます。ヨーデルさまは、なぜおまえを私の護衛などにしたのか・・・・」
 整った眉の根を寄せて、サウルはドロシーを見つめる。その視線が弾劾の眼差しに見えて、ドロシーは動揺を強めた。右手が鳩尾の前で服を強く絞る。
 たくまずして言葉が漏れた。
「それは、私が役立たずだってことですか」
 サウルは答えない。
「私の護衛なんか、迷惑だくらいにしか思ってなかったんですか?」
 なぜこんなに自分がショックを受けているのかわからないまま、ドロシーは叫んだ。サウルが一瞬目を伏せて、また上げた。
「おまえがそう思うのなら、それが正解なのでしょうね。好きに取ればいい」
 目を精一杯開けていないと、涙が零れ出そうな気がする。ドロシーは歯を食いしばった。
「ともかくこれから先は、私の護衛は不要です。あなたはヨーデルさまのもとに帰りなさい」
 言い捨てて、サウルはくるりと背を向け、診療所の敷居をまたいだ。
「サウルさま!」
 ドロシーの呼びかけに反応することもなく。
 サウルは後ろ手に戸を閉めた。
 ドロシーはもう我慢できなかった。医療所に背を向けて、その場から走り去った。
 できる限りの早さで、回廊を自分の部屋に向かう。誰にも会いたくなかった。涙がきれいなのはクラリーネのような、かわいい女の子だけだ。
 神父さまのナンパの邪魔ばっかりしてきてたから、鬱陶しく思われてるかもとは疑ってたけど。
 部屋に飛びこんでドアを叩きつけるように閉めると、そのまま寝台の上に倒れ込んだ。
 護衛としても役に立たないなんて、あんまりだ。しかもそれをあんなに残酷な形で態度に出された。
 寝台に顔を埋めて、ドロシーは泣きじゃくった。弓兵としての自分の技倆に自信がないのは本当のことだ。だからサウルはそれを指摘したんだろう。
 でも涙の訳は違う。
 サウルにあんなに冷たい態度を取られたことがショックだった。飄々として掴み所がなくて、目を離すと女を口説いてばかりで、怒ってもなじっても冗談ばかりではぐらかして。
 なんでかなんて全然わかんないけど。
 私、あのひとが好きだったんだ。
 そのことに遂に思い至って、ドロシーはひときわ大きい声を上げて泣いた。


 夕食はまるで喉を通らなかった。目の前に出された野菜のスープやパンをフォークでつつくだけで、ドロシーはいっこうに口にそれを持っていく気になれなかった。食堂のだいぶ離れたところで、サウルがベルンのギネヴィア王女の脇に貼りつくようにして座っている。普段だったらドロシーは迷わず席を立って、サウルの襟首を掴んでいただろう。だが今晩だけは彼と顔を合わせるのはどうしても嫌で、ドロシーはサウルの横顔を遠くから眺めているだけだった。
 自分が見ていることに気がついているのかどうか。サウルは上機嫌で、ギネヴィア王女の儀礼的な笑顔に向かって何か語りかけている。王女の向こう隣にはフェレの公子ロイが座って、時折相づちを打っていた。
 好きになってたことに気がついたって、もともと住む世界が違うわけだし。
 ドロシーはスプーンで、スープの中のじゃが芋を転がす。
 あっちは貴族階級の中級神父で、私は平民出身の教団自警団の一兵士。かなうはずないもんね。そのうえ護衛としても期待されてないんだったら、あのひとの傍にいる意味ってあるのかな?
 サウルがギネヴィアとロイの耳に何か耳打ちしている。
 ドロシーは目を落として、スプーンの腹でじゃが芋を皿に押しつけた。じゃが芋はスープの中でぐしゃりと潰れる。
 ヨーデルさまのもとに帰ったほうがいいかも。帰って、何があったかを報告するのも大事なことだと思うし。何より、もう神父さまの傍にはいたくない気もする。
 すっかり冷え切ったスープを、ドロシーはスプーンでこねくりまわした。じゃが芋は原型もとどめず、ぐずぐずに潰れている。深い息を吐いて、夕食の載った盆を手にすると、それを残飯用の桶の中に流し込む。
 そうだ。そうしよう・・・・。
 ドロシーは肩を落として食堂を去りかけた。
「ドロシー。お待ちなさい」
 聞き慣れた声が背後からかかる。ドロシーは立ちすくんだ。
 絶対会いたくない。顔も会わせたくないけど。
 体を固くしたまま、ドロシーはゆっくりと上半身を回転させる。
「・・・・・何か」
 サウルが物言いたげに、こちらを見つめていた。
「・・・目が赤いですね」
「今まで寝てましたので」
 ドロシーは嘘をついた。
「・・・・ところで、今朝の話ですが」
 また蒸し返すつもりか。
「聞きたくありません」
 視線が恨めしげなものになるのは止めようがない。
「これから荷物をまとめます。明日の朝になったら出発します。ヨーデルさまのもとに報告にあがりますから。これでいいですか」
「あなたがここから去るのは賛成です。ですが明日はいけません」
 ドロシーの眉が跳ね上がる。
「どういう意味です」
 サウルが息を吐いてドロシーを見つめた。その目線に何か労るような、痛々しくも優しいものを感じた気がしたが、もちろん錯覚に決まっている。
「もうワグナーの軍に、館の外側を包囲されてしまいました。向こうが油断しているうちに奇襲をかけ、包囲を突破します。ロイ将軍が準備が出来次第、戦が始まります。あなたも私も戦うよりほかに仕方ありません」
「奇襲?」
「これは戦争です。脅し合いではない。殺さねばこちらが死にます」
 サウルの言葉の、意味がまだ分からない。
「今朝、あなたに人を殺せるかと聞きましたね。もういちど聞きます。できますか」
 サウルの緊張がようやくドロシーにも浸透していく。
「必要とあれば、やります」
 サウルは軽く頷く。その藍色の目は真剣さを失わなかった。
「もう少し強い言葉が欲しいところですが、まあ上出来です。私たちは客分ですので積極的に戦闘には参加しません。余裕があれば後方で友軍の回復に務める程度です。あなたは何があっても私の傍にいること。私の護衛ですからね。目の前に敵が現れても動揺しないように。敵を討たなければ」
 サウルの言葉が重く響く。
「あなたが死にます」


 自分の部屋で弦を張り直し、矢立に矢を詰めていく。それを肩に背負って、ドロシーは廊下に出た。指示された集合場所に三々五々、武装の終わった兵士達が集まってくる。
「きみ、この弦もっときつく張ったほうがいいよ」
 背後から声をかけられる。振り返ると、自分より年下の少年弓兵がドロシーの弓を掴んでいた。
「この張り具合だと皮鎧を貫通させるのは難しいよ」
 少年は弦を張り直すのを手伝ってくれた。二人がかりで弦を絞りながら、少年が聞いてくる。
「戦は初めて?」
「そうです」
「今まで何人か倒したことある?」
 ドロシーはとまどった。
「ええと、一人も」
 少年がこちらを見た。
「きみ、神父さまの護衛だったんだろう。相手に傷を負わせたこととか、ないの?」
「それは、さすがにあるけど。射るときは、腿とか腕とかを狙うから」
「じゃあ、脅したことしかないんだね。弓を引くときに気をつけてね」
 同僚の姿を見つけて、少年が去りかける。何を?と聞こうとしたドロシーに、
「逆上して味方を討たないことと、敵を狙うときは胴体を的にすること。効率よく殺すには、まずは動きを止めないと」
 あどけない顔で平然と云って、少年は遠ざかった。
 ドロシーは不安げに弓を握って、彼を見送った。
「ドロシー、こちらにいましたか」
 脇から声がかかる。
「神父さま・・・・」
 図らずも安堵の響きが声に混じった。
「こちらにいらっしゃい」
 サウルが優しくドロシーの手を引く。
「城内の地図はなんとか入手したようですが、それでもロイ公子のほうが不利です。奇襲の計画が漏れていたら勝ち目はありません。戦闘が始まったら、城内の中庭を抜けて一気に北上し、敵指令部がある奥の間へなだれこみます。その際、館の門までは、危険度の高い庭側を兵士達が護ります。私たちは壁に張りつくようにして、彼らを楯にすること」
「神父さま!」
 ドロシーが思わず非難の声をあげた。
 サウルは首を振る。
「護身が第一です。戦うのはロイ公子の軍に任せます。エリミーヌの僕たる私たちの目的はファイアーエムブレムを見届けること。戦って勝つことではありません」
 安心させるかのように、ドロシーに笑ってみせる。
「この戦いを生き延びられたら、ヨーデルさまのもとに帰れますよ。ですから、がんばって」
 ドロシーはじっとサウルを見た。
「できますね?」
 サウルがドロシーを見つめる。
 サウルの問いに、ドロシーは黙って頷いた。


 物見塔の敵兵を射落とすことから、戦闘は始まった。
 沈黙と闇に紛れて城から逃げ出すことが最上だったが、むろんそう簡単に行くはずはない。 誰何の声、警戒を叫ぶ声、呼び笛、そして矢が闇を貫く音、剣戟、怒号などが沸き立って、周囲はたちまち音と怒りに満ちた。
「ドロシー、走って!」
 サウルのかけ声で、ドロシーは走り出した。サウルの少し前を、先導するように。振り返ると、サウルの僧衣が夜闇に白く浮き上がり、風に翻っている。ドロシーは顔を前に向けた。いつでも射られるように、矢をつがえながら回廊を走り抜ける。
 中庭から敵の火矢が射かけられた。油と火が地の上で一体になって、暗闇を部分的に照らし出す。庭側の兵士達が数人、矢を討たれて頽れた。
 サウルとドロシーは走り続ける。矢に続いて、やはり中庭から敵兵が斬りかかってくる。ロイ軍の兵士が迎え討ち、切り結ぶ。周囲で展開される斬り合いに、サウルとドロシーの足取りは嫌でも鈍った。
 切り結ぶ一組が、ドロシーの眼前に立ちふさがった。
「ドロシー、下がりなさい!」
 背後でサウルが叫ぶ。ドロシーはつがえた矢を敵兵に向けたまま、動けない。
 敵がリキア兵士を切り伏せた。最前まで組み合っていた敵を突き飛ばし、血塗れた剣を構えてドロシーに走り寄ってくる。
 ドロシーが射た。
 敵兵の左肘に矢が刺さる。利き腕ではない。敵は呻いて歩調を緩めたが、相変わらずドロシーを標的にしていた。ドロシーが素早く二本目の矢をつがえ、胴を狙う。
 ドロシーは見た。兵士の顔を。まだ若い。自分と同じくらい。兜から落ちる癖っ毛。黒い瞳。丸い鼻と、その頭にわずかに残る吹き出物。
「射抜きなさい!」
 サウルが怒鳴った。ドロシーはそれに応えて、目も腕も狙いをつけて放った、筈だった。だが矢は右手に残るままだ。引き絞った腕がわずかに緩む。矢を握る指先を離すことが、どうしてもできない。先ほどより近づいた兵士が剣を振りかぶる。遠心力で、兵士の体についた血と汗がドロシーに降りかかった。灯火に煌めく剣を、なす術もなく見守る。
 突然世界が回転した。
「ぐうっ!」
 斬られた、と思ったが痛みは背中から来た。目の前にサウルが見える。自分の後ろにいたはずなのに。サウルに引き倒されて地面に落ちたのだとわかったときには、サウルの体が自分にのしかかってきていた。
 この人を護らなくちゃ。ドロシーは突然自分の役目を思い出した。
「神父さま、どいて!」
 必死で怒鳴ったがサウルは反応しない。転がすようにサウルを押しのけて立ち上がろうとして、ドロシーの腕に温かいものが落ちかかった。血だ。誰の。闇に浮かびあがっていたはずの白い僧衣が暗く沈んでいる。
「神父さま!」
 絶叫にサウルは応えない。起き上がろうと躍起になるドロシーの視界に、先ほどの兵士が剣を構えなおし、体勢を整えているのが見えた。サウルが体当たりしてバランスを崩したのだ。兵士は後方に倒れかかりながらも神父に斬りつけ、神父は倒れた。
「神父さま、サウルさま!」
 声を上げ続けながら、ドロシーは必死でサウルの体の下から自分の腕を抜こうとした。矢を絡めたままの右手が外気に触れる。自由になった右手でサウルの体を押して、左手を引っ張り出そうとする。二の腕が、肘が、次第に露わになる。なんて時間がかかるんだろう。あの兵士が斬りつけてきたら、二人とも死ぬしかない。ついに手が現れた。握っている弓も、少しずつ。自分はこの武器を絶対手離さない。弓弦が外れたり切れたりしていなければいいが!
 左手が唐突に自由になった。弓がすべて引き抜けた。弓を立て、素早く矢をつがえて狙いもつけずに敵兵に向けて放った。一射目は威嚇だ。相手が怯む間にさらに半身を起こし、腰の矢立から弓を引き抜く。
 敵兵をドロシーはまっすぐに見つめた。兜の奥の癖毛。幼さを残した表情。露わになった首筋の、薄くて大きい黒子。古びた鎧に走る、亀裂のひとつひとつ。
 ドロシーの膝がじんわりと温かい。サウルの血だ。自分の頬を伝う涙の理由は怒りか、悲しみか、ドロシーにはわからない。
 ドロシーは息を吐いた。さらに弦を引き絞る。
 兵士を睨みつけ、躊躇いもなく矢を手放した。迷わずに飛んだ矢は相手の胸に吸い込まれ、皮鎧を貫いて心臓の上に突き立った。


 ドロシーはこの戦闘でその後二人を射殺し、ほかにも多くの敵兵を射た。少年兵に教わった通りことごとく胴を狙い、効率よく当てていった。矢立から矢がなくなれば周囲に落ちていたものを使い、果ては遺体から引き抜いてまで射まくった。
 敵兵が戦意を失い後退していくタイミングを逃さず、昏倒したサウルを引きずって回廊の北門まで到達した。リキアの紋章をつけた騎士がドロシーに気づき、敵兵から二人をかばう形で駆け寄ってくれた。
「よくやってくれた。後は我々に任せるといい」
 沈着な声でそう言って槍を掲げて見せた。煌めく槍先の向こうに敵兵が遠巻きにこちらを見ている。安心感からドロシーは微笑んだが、それは笑みと云うより筋肉の痙攣に近かった。傍に先ほどの少年弓兵がいて、サウルを運ぶのを手伝ってくれた。
「見てたよ。すごかったね」
「・・・・・ありがとう」
 ほかに云いようもなくて、ドロシーはそう答えるにとどめた。
 弓で人を殺した。それはドロシーにとって大きな衝撃だったが、サウルの容態のほうがより大きな懸念となって精神を支えていた。
 ロイ率いるリキア軍は敵の城主に取って代わっていた魔道師を殺し、城郭をほぼ制圧していた。脱出をもくろむ敵兵との斬り合いが散発的に続いていたが、城門の一つを故意に敵に奪わせることで戦意を失わせ、逃げることに敵の意識を集中させた。戦は終息しつつあった。
 急拵えの救護所に詰めていたクラリーネが、サウルを抱えたドロシーの姿を見て駆け寄ってくる。
「よかった、ご無事でしたのね!お姿が見えないので心配していましたわ!」
 ドロシーに抱きつこうとして、青ざめる。
「まあ、すごい血!どこでお怪我なさいましたの?」
 ドロシーの服はサウルの血を吸ってべったりと濡れていた。
「私の血じゃないんです、神父さまが私をかばって」
 半泣きになりながらクラリーネに訴える。クラリーネはころりと表情を変えた。
「あら、そうですの。あの神父なら多少怪我したくらいでは死なないと思いますけど」
「そんなこと云わずに、早く手当てをお願いします」
 ドロシーの頬を伝う涙をクラリーネはじっと見つめて、
「必死になる気持ちもわかりますけれど。殿方の峻別はもっと厳然となさるべきですわね」
とぽつりと呟いた。喧噪に紛れて、サウルのことで手一杯のドロシーの耳には届かない。
 クラリーネは頭を振り立てて、サウルに意識を向けた。杖をかざして血を止める。サウルをじっと見て、優雅に鼻を鳴らすという離れ業をしてのけた。
「当たり所というか、斬られどころがよほど悪くていらしたのね。あと半刻遅ければ本当に命の危機でしたわ」
「ええっ!」
 真っ青になってふらりと倒れかかるドロシーを支えて、クラリーネはドロシーを近くの椅子に座らせた。その手を握って、珍しく優しく慰める。
「まあ、現実には間に合ったことですから、よろしいではありませんの。万事だいじょうぶですわよ。怪我をしたのがあなたでなくてよかったと思いますわ、心の底から。この神父の為にもね」
 動転したドロシーには意味がわからない。
「あの、それはどういうことですか」
 たちまちクラリーネの目がつり上がった。
「申し上げたとおりですわ!本当に、ドロシーったら!後の手当はお任せしてよろしいですわね?私、ほかの方たちを見て参ります」
 一つにまとめた髪を軽やかに揺らしてクラリーネは去った。
 リキア軍で得た友人の思考法は、わけがわからない。
 ドロシーはそう思った。
 救護所の寝台に寝かせたサウルの呼吸は落ち着いている。血塗れの服を剥いで清潔な布を湯に浸し、ゆっくりと血を拭っていく。血が拭われた後の傷は生々しいが出血は止まっていて、ドロシーを一安心させた。
 病人と怪我人の看護は慣れている。故郷の教会でもやってきたことだ。傷口を洗い、薬を塗り、その上から包帯を巻いていく。自分にも杖が使えればもっと手際も良くなるし、より多くの人を救えるようになるだろうが。そう思いながら処理を終え、サウルの上に毛布をかけようとして、ドロシーはサウルに手を掴まれた。
「あ・・・」
 サウルの細い指が、ドロシーの、まめやたこで骨張った右手を握っている。長い睫毛に縁取られた瞼が開いて、藍色の瞳がドロシーを見た。
「・・・・無事でしたか」
 その声に宿るのは安堵だろうか。
「怪我をしませんでしたか」
 柔らかい声がドロシーをいたわる。
「平気です。あの、ありがとうございました。それと、お守りできなくてすみませんでした」
 どんな言葉をかけたらいいかもわからずに、ドロシーは混乱した頭で必死に云った。握られたままのサウルの手から、熱が伝わってくる。
「あなたが無事ならそれでいいですよ」
 サウルは力なく笑った。
「申し訳ありませんでした」
「えっ?」
 ドロシーは神父の言葉を聞き間違えたかと思った。
 サウルがドロシーの手を口元に近づけて、優しく口づける。
「あ、あ、あの」
 真っ赤になったドロシーがうろたえるのも構わず、
「辛い体験をさせてしまいましたね」
「神父さま?」
「弓で、人を射たでしょう」
 じっとドロシーを見つめる。
「私を護る為に」
 ドロシーは胸を突かれてサウルを見た。
 夜色の目に宿る光は痛々しいもので満ちている。
「おまえの手を汚させたくはなかった。戦が始まる前に私のもとを去ってほしいと思っていたのですが。戦が始まれば私は戦場に赴かねばなりませんが、おまえにはその必要はありません。弓を背負って戦場に立つなど。ヨーデルさまとて、兵士の真似事をさせたくておまえを護衛に任じたわけではないでしょう。まして戦場ともなれば、狙われるのは杖使いの私ではなくて武器を持ったおまえです」
 ドロシーの中に何かが溢れてくる。ゆっくりと。
「もうひとつ、謝ることがあります。今朝はおまえに辛く当たりました。あの物言いではおまえを傷つける、それはわかってはいたのですが。おまえに一刻も早くこの城を離れてほしくて。私と共に戦場に立てばおまえはもっと傷つくから、と」
「・・・・でしたら、そう云ってくれればよかったのに」
 ドロシーはかろうじて声を絞り出した。
「・・・・そうですね。ええ。反省しています」
 サウルが目を閉じて、また開けた。
「・・・軍隊が落ち着いたら、ヨーデルさまのもとに帰りなさい。私の護衛はもういいですから」
「いやです」
 ドロシーは即答した。サウルが非難の眼差しでドロシーを見上げる。
「先ほど、戦の前に、荷物をまとめると自分で云ったはずです」
「気が変わりました」
 短い言葉しか吐けない自分がもどかしい。
「私がいないと、神父さまが調子に乗りますから。お茶だの、説教だの」
 サウルがため息をついた。
「ドロシー。私が云いたいのは」
「殺します」
 ドロシーの声がサウルを遮った。
「兵士として戦場に立ちます。神父さまを護るためなら」
 強い口調で、ドロシーは云った。
「私は神父さまの護衛ですから、自分の仕事を果たします」
 挑むようにドロシーはサウルを見つめた。
 恋をしている者にだけできる、視野の狭いしかし真摯な眼差し。
 その意志的な表情が美しいとさえ呼べるものであることには、ついぞ気づかぬまま。
「私が護ります。絶対」
 サウルは目を見開いたまま、声もなくドロシーを凝視した。
 ドロシーの汚れた頬を、涙の筋が伝っていく。
「ドロシー、もうよろしくて?」
 ふいに救護所入り口の垂れ幕を上げて、再度クラリーネが顔を出した。ドロシーの顔を見るなり眉をつり上げて、サウルの寝台まで歩み寄る。
「ドロシーを泣かせましたわね!」
 その口調に剣呑なものを感じ取ってドロシーは怯えた。先ほどまでの表情が一変する。
「クラリーネさん、あの・・・・」
「ドロシーは黙ってらして!レディを泣かせる殿方なんて最低ですわ!」
 クラリーネがサウルに顔を近づけた。
「今後ドロシーを泣かせたら承知いたしませんわ。聞いておりますの?承・知・い・た・し・ま・せ・ん・わ・よ!」
 紫の瞳に怒りと、同時に妙に大人びた光が煌めく。さらに顔を近づけて、
「ドロシーはあなたなどには勿体ないほどのレディなんですからね!」
 ドロシーの耳に入らぬよう小声で脅してから、クラリーネは顔を上げてサウルを睨め付けた。云われたサウルは苦笑した。
「全く同感ですよ、小さな姫」
 小声で答えを返す。
 クラリーネに向かってにっこりと笑いかけて、ドロシーにも聞こえる声で、
「意見が一致するとは嬉しい限りですね、姫君。そのことについて、星でも見ながら語り合いませんか?きっと有意義な時間が過ごせると思いますが」
「云う傍から、この・・・・」
 手袋をはめたクラリーネの手が宙に翻る。寝台の上に横になっているサウルには避けようがない。
「ああっ、クラリーネさん、怪我人に・・・・」
 ドロシーが声を上げたときには甲高い音がして、サウルの頬に鮮やかな手形が残っていた。
「フン!」
 クラリーネが勝ち誇ってサウルを見下ろす。さらに新たな報復を考えついたらしく、
「そうだわドロシー、救護所以外にも怪我人が続出しておりますの。手当を手伝ってくださる?」
 云うなりサウルの手からドロシーをもぎ離し、出口に強引に引っ張っていく。
「クラリーネさん、あの・・・」
 引きずられる形でドロシーはサウルから遠ざかる。サウルが心配でクラリーネの肩の向こうを覗き込むと、頬に赤い跡を残した神父がにこやかに、ひらひらと手を振っていた。
「ドロシー、私の分まで手伝って差し上げなさい」
 言葉を返そうとするドロシーを、クラリーネの言葉が制した。
「強がりも大概になさるとよろしいですわ!様をごらんあそばせ!」
 クラリーネに引きずられながら、ドロシーは、この二人はじつは馬があっているのかもと思った。何が話題になっているのかはついに掴めないままだったけれども。
 もっと弓の腕を磨こう。そうドロシーは決意した。
 神父さまを護るために、もっと練習に打ち込もう。
 自分が危険な目に遭わないように。神父さまを危険に晒さないように。
 自分のためを思って、自分を戦場から遠ざけようとした神父さまを、自分を命に替えても護ってくれようとした神父さまを、私は命に替えても護り通す。
 その為には殺人者になってもいい。
 明るいクラリーネに腕を掴まれながら、そんな暗い決心をドロシーはしていた。


 二人が去ってめっきり静かになった救護所で、サウルは静かに息を吐いた。
「まったく、あのお転婆姫は・・・」
 ドロシーの手を握っていた己の手のひらにそっと口づける。
 先ほどのドロシーの泣き顔が思い浮かんだ。
 あの娘がどこか遠くで幸福でありさえすれば、それ以上は何も望まないつもりだったのだが。
「却って良くない決意をさせてしまいました。・・・・かばう度に死にかかるのでは、非効率にもほどがありますね。こうなると、私も強くならざるを得ないようです」
 あの娘を護る為に。
「・・・光魔法の使い手になる気など、まるでなかったのですが」
 サウルは低く苦笑した。
 それは幸福そうではあったが、どこか影を帯びた、複雑な笑みだった。
 ドロシーとクラリーネが去っていった救護所の垂れ幕の奥から、斜めに日が射し込んでくる。
「やれやれ・・・・やっと朝ですか」
 サウルはそう呟いて、目を閉じた。
(了)
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