| 沈黙の闇 |
| 757年 初夏 女性向/18禁 |
バーハラ王宮の廊下を、クロードが滑るように歩く。月夜に僧服と金髪が白く浮かびあがっている。 クロードはヴェルトマーの章旗を掲げた一角へ進んだ。話が通っているのだろう、衛兵達が奥へ行く彼を黙礼して見送る。 最奥部近くの執務室に目指す者は居た。明かり取りの窓から漏れる月光の下で、酒の入ったグラスを手にしている。 「来たか」 意識せずして威圧的なその声に、クロードは嵐の前兆を感じ取った。 「アルヴィス卿」 儀式的に礼をする。同輩とはいえ、目の前に立つ男は、グランベル王宮儀仗兵の長と近衛隊の長を務め、副宰相となることが決定した人物である。礼を終えてまっすぐにアルヴィスを見つめたクロードに、相手は暗い視線を向けた。 「ブラギの塔に向かわれると聞いたが」 クロードの予期していた問いだった。 「お聞き及びの通りです」 伸びのあるクロードの声が二人の周囲に響く。 「バイロン卿と、その息シグルド公子がほんとうにクルト王子殺害に関わっていたのかどうか、神の塔にて確かめて参ります。誰もが大事に慌ただしいこの時期に、王宮を離れるのは心苦しいのですが」 アルヴィスの顔は蔭になって見えない。口の端で笑ったようだ。クロードは気配からそれと察した。 「真実の答えはすでにわかっているのではないかな」 クロードは目を伏せた。 「証拠もなく、憶測でものを云うことはできません」 今度ははっきりと、アルヴィスの喉から笑声が漏れた。 「我ら貴族の世界では、憶測と噂こそが真実となるのだ。それを知らぬあなたでもあるまい」 それは確かにそうだった。ある意図を持って創られる噂、捻じ曲げられる情報。証拠など、後からいくらでも捏造することができる。 「バイロンの一党に未来はない。彼奴らは謀略を巡らし、本来王のみが持つべき権力を恣にせんとクルト王子を殺害した。私もランゴバルトもレプトールもそう思っておるし、何より陛下がそう信じておられる」 クロードは胸が悪くなった。このような貴族どうしの謀略や政治は、全く己の望むところではない。感じ取る能力とそれを使用する能力とはまるで別のものだ。今の自分の居心地の悪さをアルヴィスに見透かされている、それさえクロードにはわかった。 「陛下に、お考えを改めていただくきっかけがあれば」 自分がそのきっかけになれれば。ブラギの塔で真実を知り、それを告げることができれば。 ふいに、アルヴィスがはっきりした声で告げた。 「エッダの長、クロード卿は、シグルド公子に取り込まれ、ブラギの託宣と偽って嘘を告げた」 がんと頭を殴られたような衝撃に、クロードは硬直した。 「まだあるぞ。じつはクロード卿はもとよりバイロン一派と共謀しており、劣勢の彼らを救うべくバーハラを出たのだ」 アルヴィスがグラスを置き、ゆっくりとクロードに歩み寄ってくる。クロードは言葉も出ない。 「世界に散らばるエッダ教団の長が協力者となり、バイロン一派のために情報と資金を与えてきた。その見返りは何か。バイロン卿またはシグルド公子がグランベルの政権を掌握したときには、エッダのクロード卿には宰相の地位が与えられる。現在クロード卿はランゴバルト、レプトールの両権勢家とは距離を置いており、この両名が政治的台頭を許さない。これがクロード卿叛意の動機だ」 息のかかる距離に、アルヴィスが近づいた。 「稚拙だがもっともらしい、いいシナリオだと思わんか」 あまりの動揺に、呼吸さえまともにできない気がする。クロードは鳩尾のあたりを押さえ、必死に息を吐いた。 「私はっ・・・・・」 アルヴィスが自分を覗き込み、次の言葉を窺っている。 「私には政治的野心などありません!ただ政治的謀略のためだけに、聖戦士の一門が罪に負われ滅ぼされるなど、どう考えても間違っています。ですから、神に真実を問い、それを正そうというだけです!」 アルヴィスが暗がりの中で笑った。 「残念だが無駄なことだ。あなたがブラギの塔に向かったらどうなるかおわかりか?先ほど私の云ったことが新たな事実となる。そして滅ぼされるのがもう一門増えるだけだ」 クロードはここから逃げ出したかった。自分の希望をことごとく打ち砕き、追いつめるこの男の前から去りたかった。この男は冷徹で残酷で、クロードの心の奥の奥まで踏み込んでくる。 だがクロードの両腕は、今やアルヴィスの両手に強く捕らえられていた。 「グランベルを出たところであなたが役に立てることは何もない。自滅するだけだ」 アルヴィスの目が近づく。闇の中で強い意志を滾らせる黄色い光。 「あなたと私はほぼ同い年だったな。だからよけいにあなたのことが心配なのだが、ご同輩、無謀とわかっていて、なぜ王宮を離れるのだ?」 クロードは強く目を閉じた。アルヴィスが告げたことは皆、クロードの心の中で、意識的にせよ無意識的にせよ感じ取っていたことだった。わななく唇から、精一杯言葉を絞り出す。 「だって、このままここにはいられない・・・・!」 その一言を吐いたことで、クロードの全身から力が抜けた。立っていることもできず、床に倒れ込む。アルヴィスはクロードの両腕を掴んだままだ。 「こんな謀略が進行する場所で、指をくわえたままで、間違いを正すこともせず、見過ごすことなど私にはできません!無駄でも何でも、自分にできる何かをしなくては・・・・・とても・・・・」 クロードの語尾は嗚咽に消えた。アルヴィスに敗北した悔しさからなのか、頬を伝う涙が絨毯を濡らす。 アルヴィスがクロードの眼前にしゃがみこんだ。笑みが残酷な気配を帯びる。嘲笑めいた笑声に続いて、アルヴィスの声が追い打ちをかけた。 「潔癖なことだ。成程たしかにあなたには、政治の世界は向いていないな。良心に正直すぎる。今夜も、呼び出されたくらいで私の元に来るべきではなかったのだ。心を見透かされるとは思っていなかったようだな。考えが甘すぎる」 クロードはうつむいて打ちひしがれた。すべてがアルヴィスに指摘されたとおりだった。 クロードを捕らえたまま、アルヴィスの探るような声が続く。 「だが選りに選ってブラギの塔へ向かうとは。バーハラの政治謀略を暴くと云われるが」 そこでアルヴィスの声色が変わった。 「塔への用事とは本当にそれだけかな?」 ざわりと、クロードの背筋を這うものがあった。クロードは咄嗟にアルヴィスの顔を見た。 男らしい美貌と落ちかかる長い緋髪。長い睫毛の奥で、黄色い瞳が刺すようにクロードを凝視している。 「なぜ今時期にそこへ向かうのだ?」 アルヴィスがゆっくりと、クロードにのしかかってくる。 「憶測でなく事実でものを云うためだけに、あんな辺鄙な場所まで遠出をすると?なかば予期された答を聞くためだけに?グランベルを出たこともない、生粋の温室育ちが」 嘲笑と威圧は紛れもなく、クロードに恐怖を与えるためのものだった。蛇に睨まれた蛙のように、恐怖に痺れた思考と身体で、クロードはなす術もなくアルヴィスを見上げる。 アルヴィスの顔は蔭になっていて見ることができない。 アルヴィスの右手がゆっくりと、クロードの襟首に指をかけた。そのまま服の留め金を外していく。 「云え」 その声はクロードがよく知るアルヴィスの声とはまるで違うもののように聞こえた。平板な胸が半ばまで露わになった。アルヴィスは顔をクロードの肌に埋めて、舌で乳首を転がす。クロードの背に戦慄が走る。その反応を感じ取ったか、アルヴィスがその乳首に食いついて歯を立てた。 悲鳴と共にクロードの半身が跳ね上がった。 「云わねばこのまま辱めるぞ」 「な・・・・」 ブラギの塔に行くのに他意などない。アルヴィスの追及の意図がまるでわからない。自分の口から、どんな情報を引き出したいというのか。 アルヴィス卿、と静止を促すその言葉が口から出ない。 痛みは感じる。身体を這うアルヴィスの手指から伝わってくる不快さと、それとは裏腹な屈辱的な快感も感じる。だが肝心の、抵抗しようとする言葉と動作が、まるで体の面に現れない。ろくに身動きもできず、クロードはアルヴィスのなすがままに服を剥がれていった。アルヴィスの手がクロードの下半身に及ぶ。服を下ろし切り、両膝を開かせると、その格好を見てアルヴィスが鼻で笑った。クロードのものを握って口で舐りだす。 望まずしてその部位が硬くなる。自分自身の変化にクロードは怯えた。 「口を割るまで、ブラギの末裔を犯すのも悪くはない」 クロードのものを手と舌でもてあそび、屹立しかかったそれを嬲って楽しんでいる。自分の置かれた状況と、相手が互いによく知っているアルヴィスであることがどうしても信じられず、クロードは恐慌に陥った。言葉と体の自由が利かぬという事実が、恐怖と惑乱ををいっそう募らせる。利かない体で仰向けのまま、なんとかして後ろ手に這って逃げようとした。アルヴィスが長い髪を乱暴に絡め取り、腕に巻きつけると、その動きさえ封じられてしまう。 「云いたくないのか?それとも進んで犯されたいのか?どっちだ、云ってみろ」 口をあえがせ、必死に言葉を吐こうとする。何かの魔法にかかったように体が重い。 魔法。クロードの頭に警戒の灯がちらついた。 開いたままの口にアルヴィスの唇が押し当てられる。口を閉ざして抵抗することもできない。 歯と歯がかちりとぶつかり、口腔内にアルヴィスの舌が侵入してきた。舌を捕らえ、歯の裏を舐められるうちに、唾液が口の奥に溜まる。息苦しさに、クロードは喉を鳴らしてそれを飲んだ。 アルヴィスの歯が唇に立てられ、顎を捕らえ、舌でも触れながら首筋に降りていく。 その行為に、なぜだかクロードは怖気を感じた。今まで味わった恐怖よりも掘り起こされた快感よりもさらに深く、生理の最奥部に訴えかける暗い感覚。 それが何かを探る間もなく、突如クロードは快感の波に思考を奪われて、喘ぎながら弓なりに体を反らせた。 アルヴィスが本格的にクロードを嬲りだしていた。唾で浸したクロード自身の、もっとも敏感な部位を掴み、舌先を駆使してくる。背を走る戦慄をそう長くは抑えこむことはできない、それがクロードにはわかった。 「最高位の神官も快楽には悶えるか。なかなか良い格好だな」 クロードを舐りながらアルヴィスが発した、クロードを辱める為のその言葉は最大限の効果があった。恥辱に震え、強く閉じた瞼から見る間に涙が溢れ出す。その顔を見られたくなくて、クロードは顔をそむけた。 「もっと良い格好をさせてやる」 アルヴィスがクロードを俯けにさせ、腰を抱え上げる。尻をアルヴィスの眼前に突き出す格好を取らされた。その口に、アルヴィスの舌が触れる。唾を送り込み、入り口を両手指で押し広げながら、舌が侵入してきた。 「ひっ・・・・!」 アルヴィスの舌がクロードの内部を舐っていく。 喉から迸る声を止めることもできない。だらしなく開いたままの口から熱い息と共に溢れる唾液が、絨毯を汚していく。快感とそれを上回る羞恥がクロードの背を駆け上がり、肢体から完全に力が抜けていた。こんな行為をされて、興奮を覚える自分が信じられない。クロードの体を支えるのはアルヴィスの腕だけだ。アルヴィスの唾が、クロードの下半身を伝って床に滴る。 舌がようやくに抜かれたと思うと、アルヴィスの指が侵入してきた。唾に充分に湿された場所を指が滑らかに通り、自分を貫いてはまた引いていく。クロードの喉からは深い喘鳴が立て続けに漏れた。アルヴィスは明らかにその声を楽しみながら、クロードの腸をぐいぐいと押し広げていく。クロードの尻を抱え、時折クロードの首筋や耳に後ろから噛みついて、舌や歯で嬲りながら。 クロードを守っていた最後の力が頽れて、幾度かの身震いの後、クロードは果てた。 白い液が絨毯を汚していく。それでもアルヴィスの指は止まらない。放出した筈なのに、快感が再び凝集させられてくる。 「ついに云わないままか。おまえが楽しみ逃げで、こちらが損だな」 上でアルヴィスの笑声が漏れた。床の濁る液の上に余る手を置き、その手でクロードの顔に触れてくる。 屈辱に泣きながら、クロードはついにある言葉を自分の中に発見した。アルヴィスが望んでいるのはこの言葉かも知れない。とにかくアルヴィスには、自分の体から指を抜き、手を離して欲しかった。この言葉さえ云えば、それがアルヴィスの求める言葉でさえあれば、アルヴィスは陵辱をやめてくれるかも知れない。当たっているかどうかはともかく、すぐにでもアルヴィスに対しその言葉を試したかった。彼にこれ以上体をまさぐられ、もてあそばれ続けるのは一秒たりとて堪えられない。 王宮ニ良クナイ気配ヲ感ジル。 喉元まで出かかるその言葉を、意味もよく咀嚼せぬまま、声を上げてアルヴィスに伝えようとして、クロードは、再び体に負荷を感じた。 舌が切り取られたかのように麻痺して、まるで動かない。言葉を発しようとしても、単語は喉に絡んでしまい、意味の通らない奇声が口から漏れるだけだ。喉から出ることを許された声と言えば、アルヴィスに押し上げられる喘ぎと悲鳴だけで、ほかの言葉はいっさい口の端にのぼせることができなかった。 王宮に良くない気配を感じる。 この情報が自分の口から出ることを阻害する何者かが、自分に圧力をかけている。呪術か、魔法か、自分に取りついて妨害しているのか。アルヴィスに無理矢理引き出された快感と共に、クロードはそのことに新たな恐怖を感じた。それをアルヴィスに伝えることを妨げることで、なんの益があるのか。 王宮の廊下を通りかかるときのわずかな残り香や、夜の闇に溶け込んだ風に、言いしれぬ不気味なものの気配を感じたときがある。数年前には王宮には影も見えなかったもの。人か魔かは知れぬ。だがおそらくは、人より神に近いもの、人でありながら神に似たもの。そんな気配だった。 ブラギの塔に昇ったら、この事についてブラギ神に問うてみよう。クロードはそう、漠然と考えていた。無意識のさらに奥底で。今までこの欲求を、クロードは意識の端にさえのぼせたことがなかった。 これをアルヴィスに隠して、何の得があるのだ?またアルヴィスがそれを知ったところで、どんな益があるのか。理解できず、クロードはアルヴィスを探る目で見あげた。 アルヴィスの顔は蔭になっていて見えない。だがクロードの、ブラギから受け継いだ目はアルヴィスの表情の奥を見通し、彼の奥に何が居るかを探り当てた。 王宮に漂うよくない空気と同一のものがそこに潜んでいた。 すべての聖戦士、すべての神々といがみ合い敵対するもの。 暗黒神ロプトウス。 実体ではない、影のようなもの。アルヴィスに内在するのはそのようなものだった。ロプトウスは封じられ、表層に現れることができない。しかしその幻影が、アルヴィスの体を借りて、クロードに影響を及ぼそうとしている。より正確には、アルヴィスの体ではなく精神に働きかけて、クロードがどこまで己について気づいているかを引き出そうとしている。 アルヴィスが頭を傾けた。蔭になっていた顔が、月光に露わになる。 口に薄い笑みを貼り付けたまま、アルヴィスの眼光がクロードを射抜いた。 見抜かれた。 クロードはそれを確信した。 アルヴィスが唐突に指を抜いた。クロードがびくりと体を震わせ声を上げる。情欲の波に再度飲まれ、思考の糸を手放しかけたクロードは、再びアルヴィスに捕らえられ、腰を抱え上げられた。さきほどと同じ場所に、別の硬い物体が当てられる。その正体に気づいてクロードの鳩尾は急速に冷えた。 「いやだ・・・!」 恐怖に駆られた言葉が突如としてクロードの口から溢れた。それを自覚する間もなくアルヴィスに貫かれて、クロードの声は悲鳴に変わった。 クロードの体を激痛が走る。口から迸る声は喘ぎなどではなく、本物の悲鳴だ。アルヴィスは頓着する様子もなく、ぐいぐいと突き上げてくる。アルヴィスに突かれる都度、クロードの口から悲鳴が上がる。自分の耳でそれを聞くことに耐えられず、クロードは拳に歯を立てて必死に悲鳴を押さえようとした。それでも喉の奥からの呻きと体奥からの激痛は止めようもなく、クロードの口からはくぐもった声が定期的に上がり続けた。苦痛に耐えるのに夢中で、自分自身が膨張していることにも気づかない。足の間に滴っていくのは自分の血ではないのか、一度思いついたその発想が頭から抜けず、クロードは恐怖と屈辱にすすり泣いた。 アルヴィスの口からも声が漏れている。クロードの背にかかる、アルヴィスの吐く息はひどく熱い。不意に、アルヴィスが体を強く押しつけてきた。自分の体内に熱が放射されたのをクロードは感じた。アルヴィスが余韻に体を数度反らせる間、激痛をこらえ、息を殺してクロードは待った。この痛みも屈辱ももうすぐ終わる、その期待感だけがクロードを支えた。 ついにアルヴィスが息を吐いて身を引いた。苦痛が弱まり、クロードは計らずして安堵の息を深くついた。 「顔を見せろ」 荒い息の下でアルヴィスが云い、乱暴にクロードを転がした。仰向けになった状態で反抗する気力もなく、熱い息を吐きながらアルヴィスを見上げる。 アルヴィスが残酷な笑みをはいた。 「女に生まれたほうがよかったな、クロード卿。男に組み敷かれて声を上げているのが似合いだ」 目尻に滲んだ涙が、悔しさに溢れて頬を伝っていく。 黄色い瞳の酷薄さが光を増す。 「これで終わりだと思うか?」 アルヴィスのものは、一度射精を果たしたとは思えないほどいきり立っていた。 恐怖に掠れた悲鳴がクロードの口から上がった。。 アルヴィスの両手がクロードの膝裏を押さえる。抗う間もなく、血と精液で汚された場所が、アルヴィスによって、再度力ずくで押し広げられていく。 クロードは恥辱と激痛に気が狂いそうだった。視線のすぐ先でアルヴィスのものが自分を貫き、そこから押し出されて溢れ出てくる白濁した液体がクロードの腹を汚していく。悲鳴を押さえることもできずに、クロードは悶えた。信じがたいことに、そんなクロードを見ながらアルヴィスは笑っていた。 クロードがよく知っているアルヴィスは、そんな表情をする男ではない。陵辱される自分自身以上にそんな彼を見ておられず、クロードは顔を背けた。乱れきった長い髪の合間に白い喉が露わになる。そこにアルヴィスが食らいついてきた。歯でクロードの首を捕らえ、そのまま力を込めてくる。その痛みは下半身のそれとは違ってひどく鈍い。そう思っているうちに、アルヴィスの歯がクロードを捕らえ直した。ふいに、下半身の激痛よりももっと深い恐怖がクロードを襲った。最前も感じた生理的な怯え。首を振って、アルヴィスの歯から必死で逃れようとする。アルヴィスの喉の奥から声が漏れた。クロードの恐怖を感じ取って笑っている。アルヴィスはクロードを離さず、強く歯を立てた。クロードの絶叫と、ついで激痛が喉から溢れ出す。アルヴィスの歯が、クロードの喉元を深く抉っていく。首筋を伝うのは紛れもないクロードの血だ。 この者に喰われる。 その言葉が、クロードの脳裏に浮かんだ。 「アルヴィス卿!」 呪縛の解けた口で、のしかかる男の名を必死に呼んだ。 クロードの首に歯を立てていたアルヴィスが急に体を起こした。 アルヴィスに声が届いたのか。 クロードの体内から身を引いた瞬間にアルヴィス自身が痙攣した、クロードには触感でそれがわかった。クロードの上半身に、白く熱い液体が立て続けにかかってくる。腹はおろか顔も髪も、血で濡れた首も、精液に汚されていく。 反射的に手を挙げながら、クロードは必死でアルヴィスの顔を覗こうとした。目の端に映った彼の顔が、ひどく呆然として見えたからだった。 「アルヴィス卿?」 白濁した液の飛沫に汚れた指と指の間に、赤い髪の同僚の顔が見えた。 クロードは体を気遣いながら、ゆっくりと上体を起こした。 アルヴィスは動かない。クロードは息を詰めて彼を見つめた。 虚空を漂っていた視線がようやくクロードを見た。 「クロード卿・・・・?」 その声に、先ほどまでの嘲弄の気配はない。 アルヴィスがそろそろと、クロードに手を伸ばす。 「これは、私がやったのか・・・・・?」 クロードの首元を覆う白と緋の液体に、アルヴィスは怪訝そうに触れた。 「・・・覚えておられないのですか?」 クロードが荒い息をつきながら尋ねる。 「いや。覚えている」 そうは答えながら、アルヴィスは自分のした行為が信じられないようだ。 正気に戻られた。クロードはそう、判断した。 アルヴィスの奥にあった不気味な存在が、今はその影を消している。 ロプトウスは去った。 終わった。安堵と共に緊張の糸が切れ、沸き上がる疲労と痛みが新たにクロードを飲み込んで、彼の意識は遠のいた。 夢の中で、自分の喘ぎ声が聞こえる。 荒い息の合間に上がるその声は例えようもなく淫らで、アルヴィスが出し入れする指に合わせて漏れてくる。クロードは羞恥に耐えられず、夢の中で思わず耳を覆った。だが声と水を含んだ音は、手のひらを素通りしていつまでも聞こえ続ける。 「云わねばこのまま辱めるぞ」 アルヴィスの声が脳裏に甦る。 月明かりに映しだされたアルヴィスの顔。自分を射抜く黄色い光。 ロプトは結局は、クロードから求める情報を引き出したのか。言葉によらず、態度で。 (ロプトは気づかなかった) ふいに声がした。 (ロプトの圧力によく耐えた。アルヴィスは気づかぬままロプトが彼の体から去った) その声の主を知っていた。 クロードの中に内在する神。 ブラギ。 クロードが秘密を漏らさぬように、体の内側から彼を拘束した神。アルヴィスに陵辱させてまで、秘密を護り通させた。 (塔へ行け) クロードは心の中で従順に頭を垂れた。神の仕打ちを恨んだりはしなかった。神は人間の感情や痛みになど頓着しない。残酷なほど理知的なのは彼らの特性だ。 脅しを用いようとしたロプトのほうが人間のことをよく知っている。ふいにクロードはそう感じた。 (塔へ) 声は消えた。愉楽に喘ぐクロード自身の姿も。 夢は終わった。 目を開けると、アルヴィスと目が合った。 彼はクロードを寝台に運び、クロードの体を湯に浸した布で拭っているところだった。その手の動きに、先ほどの淫猥な征服欲は感じない。クロードはアルヴィスの手が動くに任せ、されるがままになった。 布が精液と血を吸っていく様を、ぼんやりと眺める。 アルヴィスが傷を杖で回復し、首に包帯を巻いていく。その間ひとことも喋らず、クロードもまた一言も言葉を発しなかった。 包帯を巻き終わったアルヴィスが席を立った。再び戻ってきたときには、葡萄酒のグラスをクロードに差し出した。クロードは黙ってそれを受け取り、口に含む。 「弟を知っているか」 唐突にアルヴィスが尋ねてきた。 「アゼル公子のことですか」 宮廷で幾度か顔を合わせてはいるが、親しく話したことはない。 「シグルド公子の軍の中にいる」 「ご心配なのですね」 「いや」 その答えはクロードには意外だった。 「あいつはもう戻るまい」 アルヴィスの横顔に浮かぶのは自嘲だろうか。 「私を怖れてヴェルトマーを去った。シグルドの傍で居場所を得て、妻を娶った。バーハラには戻らぬだろう」 「なぜあなたを怖れるのです」 アルヴィスの目がクロードの目を捕らえた。 「わかっているはずだ。私は抑制が利かない」 ロプトが内在するという自覚がないのか。クロードは悟った。 「アゼル公子に何をなさったのです」 クロードは問うた。 「何をしてもしなくても同じだ。私の中の暗い部分をあいつは幼いときから怖れていた。優しく導いても、厳しくしつけても、弟は私を怖がった。父と同じように」 暗い笑み。自嘲の波がアルヴィスを取り巻く。 「時折人が変わったように見えるときがあるのだそうだ。自分では自覚が持てぬが、往々にして記憶は残っている。どうしてそんな行動を取ったのか、自分でも理解できん」 アルヴィスがクロードの顎にかすかに触れた。 「あなたに劣情を抱いたことなど今までなかったのだがな」 「それは・・・・・」 クロードは言い淀んだ。アルヴィスの欲求ではなくロプトの欲求であると、彼に告げることはできない。 アルヴィスの手が首の包帯に伸びる。 「相当痛めつけたようだな。すまなかった」 答えに窮して、クロードはアルヴィスを見つめた。 「あなたのせいではありませんよ」 そう云いたかったが、ブラギが内側から抑止した。 神に逆らうことはできない。クロードはため息をついた。 「気にしません。私の身に起こるすべてのことは神が定めたもうたことですので」 アルヴィスが笑った。嘲りを含んではいたが、羨望もそこにはあった。 「ブラギの長らしい、抹香臭い云いようだな。それですべてが片づくとでも云うのか?」 傷ついているのは目の前の男も同じだ。クロードはそのことに気づいた。 「私より、あなたのほうがより深い傷を負っているように見えますが」 そのまなざしに込めた憐憫はあまりに強く、アルヴィスの硬い殻をゆっくりと溶かした。 「私は誰も傷つけたくはない」 アルヴィスの語尾がわずかに震えた。 クロードは黙って先を促す。 「なぜこんなことになった?」 アルヴィスが片手で頭を抱えた。 「私は道を誤りたくはない。政治を執るからには正義を行い、国を強く豊かにしたい。だがそれができるかどうか、時折不安になるのだ」 クロードは手を伸ばし、アルヴィスの髪に触れた。触れられることに慣れていない子供に対してするように、そっと。 「あなたならできます」 それは嘘だ。ブラギが云わずとも、クロードにはその予感があった。 「ランゴバルト公もレプトール公もできない。ですが、あなたならきっと」 この言葉はアルヴィスを追いつめる。 それがクロードにはわかっていた。 アルヴィスの首に手を回し、彼の頭を両腕で包んだ。アルヴィスは大人しくされるままになっている。子供をあやす要領で、アルヴィスの広い背中を抱きかかえた。この者は許されることを望んでいる、そして自分にできるのは、彼を許してやることだけだ。クロードの頬を、涙の筋が伝った。自分のためとこの男のために、クロードは涙を流した。未来が決して明るく終わらぬ事を、彼はすでに知っていた。アルヴィスがそろそろとクロードの首に手を回す。弱々しい触感が、やがてしっかりとした抱擁に変わっていく。彼が顔を埋める右肩は熱く、湿っぽい。彼が泣いているのだとわかった。 ふたりは長いことそうしていた。声を殺して泣くアルヴィスの背中をさすりながら、クロードは彼の孤独を思った。アルヴィスの態度は明らかに、慰められることに慣れていなかった。いったいどうやって、その過酷な人生を今まで乗り切ってきたのか。父は自殺し、母は淫奔の汚名を残して姿を消し、弟は去った。誰もが彼を置き去りにしていく。こうして彼を腕に抱いている自分も、また。 あるいは本当は、自分がこの人を手助けする道があったのかもしれない。もっと積極的に自分が政治に関わっていれば。今となっては遅すぎる選択だが。アルヴィスは政治謀略にすでに手を染め、権力者への道を駆け上がっていく。自分はそこから離れてブラギの塔へ行き、間に合わぬ犠牲者に肩入れをするのだ。 すべては神の思い描く通りに。 アルヴィスが身動きした。クロードはゆっくり彼から手を離す。自分を見つめる黄色い瞳を黙って凝視した。アルヴィスがクロードの顎に手をかける。クロードが唇を半ば開いたのは、アルヴィスの接吻に答えるためだった。 舌と舌が絡み合う。長く執拗な、それでいて優しい接吻。 アルヴィスの謝罪とクロードの赦しは、それで終わった。 白み始めた空を眺めながら、クロードが僧服を手に取った。杖で癒された体に手早く服を纏う。振り返ると、アルヴィスがこちらを見ていた。 「決心は変わらんか」 「私はブラギの塔へ行き、真実を手にします」 「みすみす死にに行くのか」 「死ぬ為ではありません」 アルヴィスの目をまっすぐに見つめる。 「私が私らしい人生を送る為に行くのです」 さきほど漂った甘やかな気配も、狂気じみた空気も、すべて朝日が払拭していく。 アルヴィスは冷徹な政治家に戻り、クロードは政治嫌いの貴族神官に戻る。 クロードは儀式的な一礼をして、アルヴィスのもとを歩み去った。 クロードの出立の日、アルヴィスは見送りには来なかった。 彼らが再会するのは三年後。 シグルド軍がメテオに追いつめられて壊滅する、あの悲劇の日の夕刻になる。 |
| (了) |
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