血の連環
761年 晩春

 






 剣先を一閃させて敵の首筋に叩き込む。
「血の連環」。
 叔母アイラからしつこいほどに言われたその言葉。
 私はためらう暇もなくその環のうちに入った。
 三年を経てイザークに帰郷したその日の夜。
 それは遠い少年の日。私が人を斬った、初めての夜であった。

 駆けつけたオイフェは言葉を失って私を凝視した。
 囮となって、集団の殿(しんがり)をつとめていた私を案じて駆け戻ってきたのだろう。彼の騎馬は汗だくになって荒い息を吐いている。エーディン公女や子供たちを安全な場所に避難させて来たに違いなかった。
「シャナン」
 馬上からオイフェが気遣わしげに声をかける。私の剣は柄まで血に染まり、皮製の胸甲もその下の衣服も、同じく血でぐっしょり濡れている。どこまでが私の血なのか、彼は測りかねているようだった。
 足元に四人の敵が倒れている。いずれもイザークを占領するドズルの兵士たちだ。山中に関所を作り、逃亡者や密偵を警戒していた。私たちを見咎め、後を追ってきたが、私に怪我を負わせる間もなく死んでいった男たちだった。
「血の連環が・・・・」
 私は茫然と呟いた。
「何?何だって?」
 オイフェが聞き返す。イザークの戦士にとっては常識とも言える格言だが、シアルフィ出身の彼にとっては馴染みのない言葉であるらしかった。
「シャナン・・・」
 突っ立っているばかりの私に、オイフェは気が急いたようだった。
「関所のやつらはこれで全部じゃない」
 オイフェが囁くように告げる。
「急がないと追っ手が来るぞ。動けるか?」
「平気だ」
 自分の言葉がどこか遠くで聞こえる。平気などではなかった。ひどく気分が悪くて、先ほど吐き戻したばかりだった。
 手の中に、まだ感触が残っている。
 肉を切り裂いて、骨を砕く手ごたえ。頭蓋を潰し、歯を指を飛び散らせ、臓物を抉り出す。
 人に対して剣を振るったことなど今まで無かったのに、私の腕は恐るべき効率のよさで敵を屠っていった。身のうちに神が降り立ち、自分ではない何かが自分の体を動かしているような気さえした。
「それが選ばれた者の証拠だ」
 そう言ったとき、叔母の表情がなぜ苦味を帯びていたのか、今なら私には理解できた。

 オイフェは放心状態の私を乗せて夜道を急いだ。
 木立はまばらで、月は煌々と明るい。
 おかげでオイフェは容易に道を探すことが出来たが、それは敵も同じだった。
 左後方から誰何の声が上がる。馬の嘶きも。
 オイフェは急に方向を変えた。今まで山の峰に向かって登りつつ歩いていたものを、一転谷に向けて疾りだした。
 理由は私にも察せられた。エーディン公女たちのいるほうに向かって逃げれば、彼女たちをも危険にさらすことになる。グランベル・ユングヴィ家の公女と、シグルド軍の一党が形見に遺し、私たちに託した子供たち。彼らを死なせるわけには行かない。
 谷へ下るにつれて山影が月を隠し、闇が濃くなった。これもオイフェの狙いであるに違いない。そして谷には沢がある。水の音が、馬の足音をうまくかき消してくれる。
 敵が放った矢が一本、二本、私たちの脇を通り抜けていった。二騎の敵兵が下生えを踏みしだいて追ってくる。私を乗せて、夜に見知らぬ土地を逃げるオイフェは圧倒的に不利だった。
 焦りが不注意を呼んだのか。オイフェの馬が木の根に前脚を引っ掛けた。私たち二人は揃って投げ出された。
 体を反転させて跳び起きると、目前に敵の馬脚が迫っていた。
 私の右手にはイザーク独特の片刃の剣が握られている。叔母アイラが別れに際して託してくれたものだ。
 横跳びに退きつつ刃を返し、すれ違いざま兵士の足の辺りに斬りつけた。馬上から悲鳴が上がる。敵手が速度を緩め、馬首を返す前に後ろから走り寄って、馬の後脚の腱を叩き切った。
 苦しげな嘶きと共に馬体が倒れこんでくる。敵兵は馬を挟んで向こう側に振り落とされたが、潅木の茂みに落ち込んだため大した打撃は与えられなかった。相手はすぐさま立ち上がり、意味不明の叫び声を上げて槍を突き出してきた。
 穂先が私の左肩を掠めた。少し遅れて強い痛みがそこから湧き上がり、私の心は恐怖より怒りでいっぱいになった。
 喚声が上がった。
 それが自分の喉から発せられていることを、私はどこか遠いところで自覚していた。
 繰り出された穂先を剣で力強く払って、相手の懐に滑り込む。敵の胸甲を砕く自信は無かったので、顔面に刃を叩きつけた。大量の血が飛散して私の顔に当たる。敵の歯のひとつが、私の右頬にぶつかって落ちた。
 眼前の敵が苦痛に戦意を喪失して倒れこむ。同時に私は剣の血を払って首を後ろに向けた。残る一人の敵が徒歩で私に迫っていた。戦斧を振り上げ、今にも振り下ろそうとしている。
 剣で受けるのは無謀だと、知ってはいても避けようが無かった。
 私の剣は斧の一撃で刃の部分が真っ二つに折れた。それでも斧の威力をある程度は減殺し、私の体の上に刃がまともに落ちかかるのだけは防いでくれた。斧は私の左足から指二本ほど離れた地面に食い込み、私自身は機を逃さず走り逃れて敵の武器の届かぬところまで離れた。先ほどの敵の騎馬に剣がくくりつけてあるのを見つけ、そちらに走った。敵が追いつくより速く、剣をどうにか鞘から引き抜いた。
 見れば敵はふたたび振りかぶっている。
 二度まで斧を振り下ろさせる気は、私には無かった。
 渾身の力をこめて剣を切り上げる。胸甲と肩当の継ぎ目の、脇の下を狙って剣を叩き込んだ。
 ドズルの職人の手になる剣は重く、それでも切っ先は敵の体の中に飲み込まれた。
 敵が絶叫を放ち、手から斧を落とした。自分の負わせた傷が浅いのは私が一番良く知っている。剣を引き抜くと、間髪をおかず振りかぶり、首筋めがけて振り下ろした。血の色の私の服の上にまた血がほとばしって、緩やかにやんだ。
「シャナン!」
 オイフェの声がようやく耳に届く。生きてはいるようだ。
「シャナン!」
 暗がりの中で目を凝らし、その姿を認めた。彼がこちらの顔を心配げにのぞきこんでいる。
「オイフェ・・・・」
 笑うつもりで口を動かしたが、奇妙な形に歪んだだけだった。オイフェはあちこち血を流してはいたが、見たところ刃による傷ではなさそうだった。
「投げ出されたのが斜面の急なところで、そのまま谷のほうへ滑り落ちてしまったんだ」
 オイフェの声は面目なさそうだった。
「君ひとりで相手をさせて、すまなかった。大丈夫か?」
 オイフェの声には、私を安心させる何かがある。五歳以上も年上の彼には、シグルド公子の軍に拾われて以来、何くれとなく世話を焼いてもらってきたのだ。友と呼び、兄と思い、ある意味では保護者でさえあった。彼は十八の歳に、シレジアで初陣を済ませていた。
 返事をしようとしたが、声が出せなかった。喉のつかえが次第に大きくなり、やがてそれはどうにもとどめようがなくなって、ついに私は泣き出した。
 オイフェは優しく私の肩を抱いた。
 敵兵を相変わらず抜け目なく警戒して、谷への道を取りながら、そうしている間じゅう、私の体に触れていてくれた。

 その夜、私たちは、とうとうエーディン公女たちのもとへは帰らなかった。朱に染まった体と衣服を沢の水で洗い、気配を消すため沢鳴りのする谷に留まって、オイフェの外套に二人でくるまり夜明けを待った。オイフェの馬は脚を折っていて、とうてい私たちを運ぶことは出来なかった。シグルド公子から賜った馬でなかったら、オイフェも即座に見捨てていたことだろう。私が叔母アイラに特別な思い入れがあるように、オイフェもシグルド公子に特別な感情がある。そしてそれは私も同様だった。
 オイフェの腕に抱かれながら、私の涙は止まらなかった。人に殺されそうになり、生まれて初めて人を殺したという衝撃によって、シグルドやアイラの死を聞いたときにも我慢して来た涙がついに堰を切って溢れ出したかのようだった。オイフェは私の髪や頬に触れ、時折そっと接吻をした。私を慰めるつもりでいたのは無論だが、オイフェもまた私に縋って泣いていることがわかった。私たちは今までの庇護者を一時に失って、重い責任を押し付けられたシグルド軍の後継なのだ。私たちの決断と行動に、遺児たちの未来がかかっている。それは成年に達してもいない私たちにはあまりに大きな負担で、ゆえに強い不安が私たちを押し潰そうとしていた。
 そうした心理状態が私たちをおかしくさせていたのだろう。偶然に唇と唇が触れ合ったとたん、私たちは抑制が効かなくなってしまった。服を洗ったため私は素裸だったし、オイフェはその道の経験が全くないわけではないようだった。谷川の轟きが私たちの声と音をかき消して、鳥の声が山間に響き始めるころには、私たちは疲れきって眠りに就いていた。

 その夜、夢を見た。
 バーハラ平原で死んだ叔母、アイラの夢だ。
「おまえの父や、私の死を恨みに思うな」
 長い黒髪が風に翻る。
「私たちは戦士だ。殺されることは必然の運命にある」
 私は納得できなかった。叔母に向かって何かを叫んだが、声は出ず、叔母にも自分にも、言いたいことが伝わらなかった。
「イザークから落ち延びるとき、私は初めて人を殺した。戦い、殺し合い、生き延び、そしていつか殺される。それが血の連環だ。人の命を奪って生きる者は、いつか命を奪われることを常に覚悟しておかねばならない」
 アイラの顔が見えない。周囲は暗転し、叔母の声だけがあたりに響く。
「だからおまえも覚えておけ」
 その声さえもが次第に遠くなる。
「血の連環を」

 目覚めた時、既に日は高く昇っていた。
 傍らにあったはずのオイフェの姿がない。オイフェのことを考えるなり夕べの出来事を思い出して、気恥ずかしい思いにとらわれた。胸元はじめ各所についた印は消えようがなく、尻もひりひりする。体のあちこちが痛いのはオイフェと寝たせいだけでもなくて、その以前に無理な力を使って敵兵と渡り合ったためもあった。
 痛みこわばった体を労わりつつゆっくりと立ち上がる。朝靄もほとんど晴れて、穏やかな陽光が木々の間から差し込んでいる。顔を洗ってから、岩場に干された私の服を手に取った。湿っていると言うことさえ憚られるほど水気を含んではいたが、手早くそれを身につけた。血の色はほとんど薄れていたが、血の臭いは消しようがない。いつかこの臭いに慣れてしまう日がくるのだろう。血の連環の中に深く深く組み込まれ、抜け出しようがなくなるのだ。
 オイフェを探しに行こうかどうしようか迷っているうちに、本人が沢に姿を現した。
「君が寝ている間に、道を見つけておいたよ」
 彼の顔が赤らんでいるのは、私と同じく昨夜のことを思い返しているからに違いない。私となるべく目線を合わせないようにして、オイフェは続けた。
「関所のやつらはあまり本腰を入れていないようだ。たぶん私たちを旧イザーク軍の下っ端の残党か、夜盗か何かだと思っているんだろう。ドズル軍はランゴバルト公の死で指揮系統が混乱してる。指揮官たちが目を光らせるゆとりがないので、士気もそう高くないし、軍紀も乱れてる。山狩りなんかを始める様子はなかったな。むしろ関所の中に引っ込んで、怠けてるようだ。夕方には、エーディン公女のところにたどり着けると思うよ」
「そうか・・・」
「エーディンさまには、昨日の地点から絶対に動かないようにお伝えしてある。少なくとも明日の昼までは、あの場所にいてくださるはずだ。僕らがたどり着けなかった時のことを考えて、期限をつけた」
「わかってる」
 戦場で役に立つのは、実際に起こりうるあらゆる出来事を想定し、それに対処していくことだ。恥ずかしさは消えなかったが、いつまでも目をそらすわけにも行かない。思い切ってオイフェの顔を見た。一晩泣きはらしたオイフェの目は赤く充血している。私の目もおそらくそうなっているだろう。
 オイフェは黙りこくって下を向いている。昨夜のことにどう決着をつけようか、とまどっているのは容易にわかった。
「オイフェ、行こうよ」
 私は短く言った。
「・・・・・そうだね」
 私たちは沈黙のうちにエーディン公女のもとへ戻った。オイフェは使い物にならなくなった馬を引き、私は刀身の折れた剣を抱いて、黙々と谷を登った。私たちを愛してくれた大人は去り、もはや私たちを護ってはくれない。彼らの血の連環は完結した。これからは、私たちの歴史が始まるのだ。
 爾来、オイフェも私も、あの夜のことの一切について、ついに触れることなく今に至っている。


 イード砂漠の砦でバルムンクが見つかった。
 イザーク各地に放った斥候から、つい最近、そう連絡が入った。
「行くのか」
 口髭を蓄え、重々しさを増したオイフェがやや不満げに私を見る。
「行くよりほかはあるまい。バルムンクが扱えねば、イザークの後継たる資格がない」
 旅装に身を整えて、あとは城門を出るばかりとなった私は、わざと素っ気なく答えた。
「また間違いかもしれん」
 貴重な神器についての曖昧な情報がもたらされるのは、これが初めてではない。
「あてにもならん噂で、おまえに抜けられるのは痛いな」
 本心では私を心配しているのだが、彼はそれを直接口に出さずに、こういった言い方をする。
 私は彼に笑って見せた。遠い日、常に見上げる位置にあった彼の顔は、いまでは私の視線の真横にある。
「だがバルムンクは必要だ。おまえも言っていただろう。イザークの権力の象徴だと。セリスの出陣前にどうしても、あの剣を手に入れねばならん」
 幼い私たちが必死で護り、耐え抜いてきた日々。その確実な結果が今にも、一人の少年に具現されようとしている。
「シグルド公子に預けっぱなしだった借りが、ようやく返せる。長い長い道のりだったな」
 オイフェの顔が、ようようにほころんだ。
「そうだな。セリス公子も他の子供達も、よく育ってくれた」
 オイフェの語尾は湿りがちだった。出陣の時は近い。私たちが必死に保ってきた聖戦の命脈は、今ようやく開花しようとしていた。
「オイフェ」
「ん?」
「おまえが好きだ。この先どんなことが起こるかわからんから、今のうちに言っておく」
 オイフェはたじろいだが、驚いたのは言葉の内容ではなく、私があまりにも唐突に、その真実を告げたからだった。
「知っている。これまでもこれからも、おまえは私の友人だ」
 私は笑った。
「身分は騎士と王だがな」
「そうだな。中央の開けた国の騎士と、辺境の蛮土の王だ。さぞかし釣り合いが取れることだろう」
 笑いながら、オイフェがまだ泣いているのを私は見逃さなかった。私は彼の首に右腕を回して、強く引き寄せた。
「グランベルへ行こう。シグルド公子の無念を晴らし、それぞれの故国を取り戻し、何が正しくて、なにが間違っていたかをもういちど問いただすのだ。今の私たちにならできる。戦争が始まっても」
「・・・・・・私たちの血の連環は閉じさせてはならない」
 オイフェが私に続けた。イザークの地に雌伏すること十五年。今では彼も、この格言の意味を正確に把握している。
 私たちはお互いに笑みを交わし合い、
「では、行って来る」
「ああ」
 そして私はイードに向かった。


 そこから先は、誰もが知るとおりだ。

    
(了)
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