萌芽
758年 初夏

 






 シルベール軍との戦で兄エルトシャン王を失ったラケシスは、表面上は平静に見えた。
 ノディオンから引き連れてきたお飾りみたいな近衛騎士三人に囲まれて、オーガヒルの海賊と積極的に剣を交えようとする。
 今日もラケシス姫は厳しい表情を崩さずに、マントの裾を翻してベオウルフの騎馬の下を通り抜け、前へ出ようとした。
「こらこらこらこら」
 自分は前線の最後衛にいることをベオウルフは知っている。煙草を咥えたまま、ベオウルフは剣の柄を器用に操って、ラケシスの襟首に引っ掛けた。首根っこを押さえられて、ラケシスは先に進めなくなってしまった。
「何するのよ!」
「そっちは戦の真っ只中だぞ」
「知ってるわよ。そこに行きたいの!」
 ベオウルフの剣を振り払って、ラケシスは前に踏み出す。ベオウルフは舌打ちをして馬から跳び降りると、今度は彼女の腕を掴んだ。
「やめとけ」
「何ですって?」
「前にも言ったろう。戦なんて、姫さんのすることじゃねぇんだよ」
「よけいなお世話だってそのとき言ったはずよ。離してったら!」
 ラケシスの大声を聞きつけて、ノディオンの三騎士が駆け寄ってきた。何とかいう、三人揃ってよく似た顔と名前のこいつらは、ラケシスの命令に唯々諾々と従うだけだ。エルトシャン王の縁故ということでノディオン陣営に迎えられた形になっているベオウルフは、同陣営に属しつつもこの三人とどうにも馴染めなかった。
「姫、大丈夫ですか」
 声を抑えてラケシスに呼びかける態度には、ベオウルフに対してのあからさまな警戒がこもっている。ベオウルフは馬鹿馬鹿しくなって手を離した。
「平気よ、イーヴ。ありがとう」
 ラケシスがわざとらしく襟を正す。その動作もベオウルフの気に入らなかった。
「姫・・・」
「平気よ。あっちへ行ってて」
 言い募ろうとしたイーヴをラケシスがとどめ、三騎士は不服そうに、それでも黙って姿を消した。まったく、金魚の糞じゃあるまいし。
「あなたは私に干渉しすぎるのよ」
 ラケシスが、ベオウルフを屹と見据えた。彼女は決して小柄ではないが、それでもベオウルフの顔を睨みつけるには、顎を相当上げなくてはいけなかった。
「あなたは私の何のつもりなの?部下?友人?親類縁者?」
「どれも違う」
「そうよね。あなたは私と直接的には何の繋がりもないはずよ、そうでしょう?どうしていちいち私の行動を制限してああだこうだと文句を言うの?」
 この小娘は嫌になるほど舌が回る。頭の回転が速いのはよく似ているが、むしろ口下手とも言えたエルトシャンと、この部分だけはまったく似ていない。
「俺だって別に言いたかねえさ。それが役目なんだから仕方ねぇ」
 あの三兄弟は、どうしてこの王女に今までと違う気遣いがしてやれないのか。ベオウルフは不思議でしようがなかった。
「役目?私に対するどんな役目?」
「死んだエルトシャンの代わりにあんたを護る役目だ」
 ラケシスの表情が固まった。ほんの一瞬だけ。
「・・・護ってくれと頼んだ覚えはないわ」
 言い捨てて、ラケシスはベオウルフに背を向けた。振り返りもせずに歩き出す。
「・・・ちっ」
 根元まで吸い切ってしまった煙草を指で弾き飛ばして、ベオウルフはくさった。
「ったく、やってらんねェよな・・・」

 日が高くなって暫くしても、ベオウルフは後衛でぐうたらしていた。
 朝にラケシスとあんなやり取りをしたものの、オーガヒルの海賊狩りに関しては、ベオウルフは大して心配していない。
「料金分働くって言ったくせに・・・」
 目をやると、盗賊上がりのデューが白い目でこちらを見ている。マクベスの下からシグルド軍に寝返る時に、ベオウルフが無理矢理契約金を分捕った相手だ。
「黙っとれ、クソガキ。傭兵ってのは、目先の損得でしか働かねぇもんなんだ」
 煙草をふかしながら、ベオウルフが嘘吹く。
「海賊を相手に戦って、何の得になる?働くときはハッキリしてる。敵の大将が貴族でこっちの勝ちが確実なときと、城門を破って戦利品を分捕るときだけだ」
 デューがうろんげにベオウルフを見る。
「だって、ラケシスさんが前線で戦ってるのに?」
 ベオウルフはじろりとデューを睨みつけた。
「何だと」
 その声音に不穏なものを感じてデューが後ずさる。ベオウルフは彼に逃げ出す隙を与えなかった。
「言え、小僧。どういうつもりだ!」
 ラケシスにしたような遠慮はデューにはまったく必要ない。襟首を無造作に掴んで、デューを吊るし上げてしまった。
「ちょ、ちょっと!言うって!言うから降ろせよ!」
 足をじたばたさせて暴れても、デューには打つ手がない。
「今言え!」
「シグルドさんたちがさ、海賊をとりあえず破ったんだ。名前は知らないけど、海賊の女首領を味方に引き入れたらしくて」
「それで?」
「逃げてる盗賊をみんなで追ってるんだけど、その女首領の話では、海賊の根城にまだ結構多く兵が残ってるらしいんだ」
 何てこった!
「ラケシスはどこにいる!」
 ベオウルフはデューを揺さぶった。
「わわわ、よせよ!前線の、一番前。要するに、海賊の城の超近く・・・」
「畜生!」
 デューをぶら下げていた手を唐突に離す。デューは危なっかしく着地して、それでもどうにか持ちこたえて一息ついた。
 ベオウルフは騎馬に跳び乗る。
「助けに、行くわけ?何の得にもなんないのに」
 ベオウルフは馬首を廻らして、デューの揶揄を含んだ視線とぶつかった。いたずらっぽい光が目の中で輝いている。
「・・・このマセガキ!余計なこと企んでねェで、帰って糞して寝てろ!」
「オレ、見かけほど子供なワケじゃないぜ?あんただって、見た目ほど悪どい訳じゃないだろ。今日のは、いつかの意趣返し」
 その言い方が、ベオウルフの何かを刺激した。ベオウルフの口の端ににやりと笑みが浮かぶ。「今度会ったら、有り金巻き上げてケツの毛まで抜いてやるからな!」
 言うなり馬腹を蹴って走り出した。捨てぜりふでしかないことは、お互い承知の上だった。
「返り討ちにしてやらぁ!」
 背後から追いかけてくる声は、あるいは単なる錯覚だったかもしれない。

 午前中ずっと休息していたベオウルフの馬は速かった。
 ベオウルフはシグルド軍の正規兵扱いではないので、彼が戦場のどこにいても誰も彼に注意を払わない。彼は見る間にシグルド軍の最前衛に踊り出た。
 シグルド軍の前衛は、ちょうどオーガヒル城の援軍を迎え撃ったところだった。
「ちくしょう、間に合わなかったか!」
 すでに混戦状態に陥っていた。舞い上がる砂塵が視界を覆い、その中からラケシスを見つけ出すのは不可能と言っても良かったが、偶然と幸運はベオウルフに味方した。
 敵の斧戦士を六人ほど倒したところで、見覚えのある娘の姿を発見したのだ。
「ラケシス!」
 その声はラケシスには届かなかった。たとえ聞こえていても悠長に返事をすることはできなかったに違いない。
 今しも海賊の一人が、彼女に襲いかかるところだったのだ。三騎士とはすでにどこかではぐれてしまったのだろう、彼女を護るものは誰もいなかった。歩兵で鎧を着込んだラケシスの動きは鈍く、一方オーガヒル兵の動きは敏捷だった。海賊の繰り出した斧をかわすことが出来ず、ラケシスは盾で受けたものの、体勢を崩して地に倒れこんだ。
 ベオウルフは猛然と騎馬で突っ込んだ。ラケシスは立ち上がれない。海賊はラケシスしか見えておらず、彼女目掛けて斧を振り上げて、そこで初めて、ベオウルフに気づいた。
 ベオウルフは相手に構える隙さえ与えなかった。馬の勢いを緩めず、斧兵士に突進する。
 馬蹄が斧兵士の体を踏み潰した。ベオウルフが剣を抜くまでもない。二度、三度と騎馬を廻らせ、完全な肉隗と化すまで蹂躙を続けた。骨が砕け、血と肉片が飛び散り、その飛沫はラケシスをも汚した。海賊は息絶えるまで悲鳴を上げていたに違いないが、その声はベオウルフの耳には入らなかった。おそらくはラケシスにも。
 ラケシスは目の前の殺戮の様相に、眼を瞠ったまま硬直してしまったようだった。ショックを受けているのはわかったが、それに頓着している暇がないこともベオウルフは知っていた。ぐずぐずしていると敵兵はどんどんやってくる。ラケシスを強引に自分の騎馬に引きずり上げて、すぐに後衛へと引き返す。ラケシスは抵抗しなかった。二人を乗せた馬は前線を走り抜けてゆく。
 乱戦状態は相変わらずだが、少しずつシグルド軍が揺り返してきているのが見て取れた。当然だ。戦い慣れたグランベルの精兵に、田舎の食いつめ者が寄り集まったような、烏合の集団がかなう訳がない。ベオウルフはこの戦で戦功を立てるつもりはまったくなかった。とりあえずはエルトシャンの遺言が守れればそれでよい。無謀な王女を戦場から連れ出すことができれば充分だった。
 道々ラケシスの体をあらためて、右腿に怪我があることを知った。敵に対し防御の反応が鈍かったのはそのせいだ。出血は激しいが、血が足りなくなるほどではない。傷もそう深くはなさそうだ。ベオウルフは安堵の息を漏らした。
 道中、治癒能力を持つ僧侶か魔導師を探しつつ退却したが、それらしい者には行き逢わなかった。仕方なく止血をするために、戦線から充分離れてからベオウルフは馬を下りた。もちろん、目につきにくい茂みの中に入ることは忘れなかった。
 藪の中にラケシスを座らせ、自分の服を裂いて包帯を作り、ラケシスの足を開かせて、その太腿に手を回す。ラケシスの体がぴくりと動いた。触れられることで茫然自失の状態から立ち直ってきたようだった。
「手当てしてやってんだから、誤解して騒ぐんじゃねぇぞ」
 そう言われて、ラケシスは自分がどんな状況かをはじめて理解したようだった。それまで茫洋としていた彼女の目に少しずつ生気が戻る。ラケシスは抵抗もせず、べつだん恥らう様子さえ見せずに、ベオウルフの動作を見守った。彼女の関心はベオウルフの手や行動ではなく、どこか別のところにあるようだった。
「・・・して?」
 形の良い唇が小さく動く。
「どうして私を放っておいてくれないの?」
 ベオウルフは手を止めず、間接的な形で答えた。
「放っておいて欲しいなら危険な場所に出るな」
「どうして?」
「戦場がどんなとこだかわかったろう。あんたがシグルド軍に加わるのもアグストリアの他の領主を敵に回すもあんたの勝手だ。俺は何も言わねぇ。政争でも謀略でも好きにやるがいいさ。・・・だが前線に出るとなると話は別だ」
「・・・・・・」
「あんたは一人じゃ戦えねぇ。今まで戦ったことがないからな。あんたが戦場に出ると皆の足を引っ張るんだ。あんたは弱い。弱い奴はすぐ死ぬし、そのうえあんたは騎士なんて身分じゃなくて、一国の王女だ。あんたが戦場で命を落としたりしたらシグルド公子の沽券にかかわる。あの腰巾着三匹はあんたを護り通すつもりでいるだろうが、あいつらだって戦場経験はあんたと似たり寄ったりのはずだ。今日の体たらくはどうだ?奴らはあんたとはぐれた。守役は失格だ。奴らはあんたを守りきれねぇんだ」
「・・・だったらどうだというの。頼むから私を放っておいて。私には、あなたの助けは必要ないわ」
「ああ、そうだな。あんたは誰の助けも借りたくないんだ。あの三兄弟だって実は邪魔なんだろ」
「・・・・どういう意味よ」
「そのまんまさ」
 ラケシスの顔が次第に上気する。
「言わなくたってわかるだろうが。・・・・・・あんたが危険の及ぶようなところに行く限り、あんたが何を望んでようが、俺はあんたに引っ付いてまわるからな」
 ベオウルフが手を止めて、ラケシスの顔を見据えた。ラケシスの若草色の瞳が怒りに燃えあがった。
「私が何をしようと私の勝手よ!私には私の考えがあるわ!何の関係もないくせに、私の邪魔をしないでよ!」
「死にに行くのがエルトシャンの為か!」  
 ベオウルフには、ラケシスが息を呑む音が聞こえた。ベオウルフの剣幕ではなく、その言葉の内容に反応したのだ。
「あんたが死にたがってるってことは、ちょっと見てりゃあ誰にでもわかる!わからねぇのは坊ちゃま育ちのあの三兄弟くらいのもんだ。あんたはエルトシャン王の死を悔やんでる。なのにそれを表に出さず封じ込めて、あんた自身ごと殺しちまおうとしてるんだ。弱いくせに戦場に立ちたがるのはそのせいだ。自殺より確実だ、敵の攻撃を避けさえしなきゃいいんだからな。だがそんなことがエルトシャンの為になるのか?なるわけがねぇだろうが!」
 ラケシスの右手が飛んだ。ベオウルフの反応は速かった。彼には自分の頬を叩かせてやる気は毛頭なく、左手で軽々とラケシスの腕を制し、その動きを封じてしまった。
「あなたなんかにわかんないわよ!」
 手首を掴まれたまま、ラケシスが喚いた。
「あなたなんかに何がわかるの!わ、私が・・・」
 ラケシスがしゃくりあげた。声に悲痛な響きがこもる。
「私がエルト兄様を殺したのよ!」
 言うなりラケシスは泣き出した。
─────そうだったのか。
 ラケシスを苦しめていたのが何であったか、ベオウルフは苦い痛みと共に理解した。
 兄を亡くした喪失感だけではない。兄を死なせたという罪悪感が、彼女を死にたいと願わせていたのだ。
「・・・あれはあんたのせいじゃねぇ」
「・・・あんなこと言わなければ良かった・・・・!エルト兄様を説得できるなんて。思うんじゃなかった!まさかシャガール王のもとに還るなんて・・・シャガールが死んだ後でもよかったのよ!それから言えばよかったのよ。どうして私はそうしなかったの?どうして?どんな手を使ってでもあのとき引き止めておかなきゃいけなかったのに!どうして!」
 ラケシスの顔から滂沱の涙がこぼれる。顔を覆うこともせず、ラケシスは泣き続けた。
「あんなことさえなければ、兄様は死ななかったかもしれない。兄様に死ぬ覚悟をさせたのは私よ・・・!兄様の替わりに、私が死ねばよかったんだわ!」
「よせ、ラケシス」
 ベオウルフはラケシスの肩に手を置いた。
「エルトシャンは俺たちと会う前にすでに死ぬ覚悟をしてたんだ・・・あんたやシグルド公子と戦って敵として死ぬか、友として死ぬか、それを自分で選べただけ、エルトシャンは満足してたはずだぞ。あんたが責任を感じる必要はない」
 ラケシスは肩を震わせて押し黙っている。
「あんたはノディオンを再興するんだろ。グランベルに楯突いて身を滅ぼしたアグストリアを見限って、シグルド軍にくっついてるのは、エルトシャンがそうしろと言ったからだろ。エルトシャンはあんたに生きていて欲しかったんだ。だから奴自身じゃなくてあんたをシグルドと行かせた。あんたの立場にはエルトシャンの意思が生きている。あんたがそれを自分の思惑で潰しちまおうとするのは、孝行にならねぇんじゃねぇのか」
 ラケシスがゆっくりと顔を上げた。泣き腫らした目が、探るようにベオウルフを見る。
「そう思ったからこそ、奴は俺にもあんたのことを頼んだんだ。宮廷のことしか知らないあの近衛の三騎士にだけじゃなくて、俺にもな。戦場を生き延びるのは俺のほうが上手だ。騎士同士のきれいな戦いじゃない、醜い戦の方が世の中には多い。きれいごとじゃやって行けねぇんだ。そういうことを知ってる奴が、箱入り育ちのあんたの周りにはいそうもないからな」
 エルトシャンも、世の中の醜さを知らなかった者の一人ではある。あの清々しい若い王の死は、ベオウルフにとっても辛いのだ。
「あんたは悪くない。俺だけじゃねぇ、エルトシャンだってそのことは知ってる。あいつは死に場所を自分で選んだ。王としてのプライドってやつだろ。やりたいようにやって死んだんだから、あんたが自分を責める必要はどこにもねぇ」
 ラケシスは黙ってうつむいた。あるいはそれは、ベオウルフの言葉に対しての肯定の頷きとも取れた。
 視界が暗い。いつのまにか日がだいぶ傾いているのを、ベオウルフは知った。
「日が暮れちまう。そろそろ本陣に戻んねぇと、また大騒ぎする奴らが出るぞ」
 雰囲気を変えるために、ラケシスに向かって口の端を曲げて、笑って見せた。冗談には、ラケシスは反応しなかった。憎まれ口も叩かずに、しおらしく立ち上がろうとしただけだった。
「待ってろ。手伝ってやるよ」
 足の怪我のせいで難儀しているのを見かねて、ベオウルフが彼女の腰と足を抱えて抱き上げた。
「きゃ・・・」
 悲鳴はすぐに喉に飲み込まれた。ラケシスは居心地悪そうに身動きして顔を赤らめたものの、抗うことはしなかった。

 ラケシスを自分の前に横座りに座らせて、ベオウルフの騎馬がシグルドの居城に到着したときには、日はとっぷりと暮れていた。
 二人して身なりはぼろぼろ、血を浴びた後に草やら土やらがこびりつき、服はところどころ裂けており、ラケシスは泣き腫らした目をしている。若い娘を引っ攫って不埒を働いた山賊みたいだとベオウルフ自身でも思ったのだから、ノディオン三騎士が二人を見て色めきたったのは無理もないと言えた。
「貴様、ラケシス様に何をした!」
 ラケシスが戦場からいつのまにか姿を消していたことも、イーヴたちのベオウルフに対する猜疑を強めていたようだった。
 そんなことで恐れ入るベオウルフではない。
「ちっとばかり手遅れだったな。ラケシスの体はもう堪能させてもらった後だぜ。地団太でも踏みな」
 口の端を皮肉げにひん曲げて、誤解を与えるようなことをしゃあしゃあと言ってのけた。
「な、き、貴様っ!」
 青ざめたり赤くなったりして怒る三騎士に対し、ラケシスが冷静に言った。
「悪い冗談よ。彼は私の傷の手当てをしてくれただけ」
 その言葉にベオウルフの言葉を咎める響きはない。ラケシスの明らかな変化に気づいて、三人はうろたえた。
「お、お怪我ということでしたら、早急に僧侶たちを呼びませぬと・・・」
「そうね。お願いするわ」
 三騎士の一人がばたばたと回廊を走っていく。他の二人は不安げに、ベオウルフとラケシスを交互に見ている。
「んじゃ、俺はこれでな」
 煙草に火をつけて、ベオウルフが去りかけると、
「待って」
 ラケシスが足を引きずりつつ近づこうとする。彼女を歩かせたくなかったので、ベオウルフの方がラケシスに歩み寄った。
「何だ?また抱っこして欲しいのか?」
「いいえ。お礼が言いたくて」
 ベオウルフは冗談のつもりだったが、ラケシスは真面目そのものだ。
「ありがとう、ございます。おかげで気が楽になったわ」
 それは真実ではあるまい。後悔や罪悪感が払拭されるには長い長い時間がかかる。ラケシスはやっと、悲嘆を少しずつ回復する糸口を見つけただけだ。それでも、ラケシスは自分が立ち直れることを知った。それは彼女にとって、大きな意味のあることだ。
「そうか、そりゃ良かったな。俺も嬉しいぜ」
 その答え方に、ラケシスは少し戸惑ったようだった。
「俺もエルトシャンが好きだった。あいつが死んで俺も淋しいんだ。だから、エルトシャンに繋がってるあんたをちょっと元気にできるのは、俺にとっても結構な慰めになるのさ」
「そう・・・」
 それだけ言って、ラケシスは黙った。何か言いたいことがあるのに、言葉が見つからないときのように。
 ベオウルフは煙草を投げ捨てた。
「しゃあねぇなぁ」
 少し頭を掻いて、
「一緒にいて欲しきゃ、そう言やいいんだよ」
 躊躇いもなく、ラケシスの体を抱えあげた。
 イーヴとエヴァの顔が引きつる。ラケシスは真っ赤になってうろたえた。
「あ、あの・・・・・!」
「心配すんな。取って食ったりはしねぇよ、いくら何でもいきなりはな」
 ラケシスの柔らかな髪がベオウルフの頬に触れる。
 ラケシスは一国の王女、ベオウルフは一介のしがない傭兵だ。
 ラケシスが求めるのは慰めとなる人であって、恋人ではない。彼女が自分に惚れることなど、到底ありそうには思えないが。
───こういう関係も悪くはない。
 ベオウルフはそう、思った。
(了)
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