早春の花
778年 春
女性向

 






 アミッドは花のような青年だった。
 北方のシレジアで、雪まだ深い早春の頃、陽だまりの中に芽を出し、細い茎を高く伸ばして凛とした紫の花弁を開く、そんな花を連想させた。
 ホークがアミッドを知ったのは、故郷シレジアではなく、長い道のりを遠く隔てたトラキアの地でではあったけれど。
 とにかくその姿を始めて見たとき、ホークの体がなにか温かなもので満たされたことは疑いようがなかった。
 細く長い手足。小作りの顔。高貴の出自を思わせる柔らかな物腰。シレジア人特有の、淡い緑の髪。端正で女性的な面立ちと、瞳に宿る優しい光。
 妹のフェミナに友人だと紹介されてからも、暫く口が聞けなかった。
「・・・どうしました?」
 怪訝な顔でアミッドがこちらを覗き込む。その眼差しに、ホークは文字通り眩惑されてしまった。
「あ・・・」
 緊張で顔が火照る。こんな経験は今までかつてしたことがなかった。
 何なのだろう、これは?
 勿忘草(わすれなぐさ)色の瞳が穏やかにこちらを見つめる。
 その印象は、いつまでもホークの心に残った。

 すべての戦が終わり、セリス皇子がグランベル王としての即位式を済ませて三日ほど経ったある日。
 ホークは久しぶりにアミッドの姿を見かけた。
 王都バーハラ城の庭の中で、午後の柔らかな日差しを浴びつつ、アミッドがかがみこんで熱心に何かしている。ホークは誘われるように彼の傍に足を運んだ。
「あ・・・・ホーク様」
 アミッドが気づいて、彼の名を呼んだ。匂い立つような微笑がホークを圧倒する。
ホークは自分の首が、火を噴くほど熱くなっていくのを自覚した。
「・・・何をしているんだ?」
 ホークは無愛想にそれだけ言って、アミッドの傍に腰を落とした。自分の感情に手一杯で、とてもアミッドに対し笑みを返すことなどできそうになかった。
「花を、摘んでいるんです」
 アミッドはそう言って視線を落とした。微笑が疚しげなものに変わる。
「本当は誰にも見られないようにしようと思ってたんですが」
 確かに、アミッドの手には無数の花々が摘まれている。
「何の・・・誰のために?」
 恋人にでも贈るんだろうか。あるいは妹のリンダにでも。 
「僕の、親族達にです」
 それだけ言って、アミッドは立ち上がった。薄布で作られたマントの裾を軽やかに翻して、滑るように歩き出す。
 追おうかどうしようか迷ったあげく、結局ホークも彼について歩き出した。

 王都城壁の内壁を北に抜けると、そこには貴族専用の墓地がある。
 ホークがそこに足を踏み入れるのは初めてだった。アミッドのほうはもうすでに何度か訪れているのだろう、慣れた足取りで躊躇いもせず奥へ奥へと進んでいく。
 葬られているのは主にバーハラ王家の者達だった。名も生没年ももはや判読できない、古い古い歴史時代の人々の墓。苔と共に林立する墓石群を抜けてしばらく歩くと、新しく整備されたばかりの一角に辿り着いた。切り倒されて間もない木の切り株が生々しく残り、盛り土は黒く、墓石はどれも皆、一様に新しい。
「ここは・・・」
 どの墓石も、今までの墓群とは比べ物にならぬほどの簡素な切り出し方をされている。それでも石自体は上質だし、仕上げや手入れは丁寧になされていた。どの墓石を見ても祈りの文句や弔いの言葉は献辞されておらず、名と生没年と出身だけが、墓石の前面に刻まれていた。
《 Alvis of Veltmer   732-777 》
 墓石の一つに目をやって、ホークはたじろぐ。
 セリス王が、敵対勢力の主だった貴族達のために墓を建てたという話は小耳に挟んだことがあった。聖戦士の一族の多くが敵と味方に別れて戦い、親族を自らの手で倒した者も多かった。アミッドやその妹のリンダも、従兄妹や伯父伯母と戦って死なせている。セリスが実行した敵の死者の為に墓を作るという方法は、味方の親族の心情と、敵の遺族の心情双方を思いやった上での良策だった。
 アミッドは振り向きもせずに、目指す墓群の前に辿り着いた。
《 Bloom of Freege   728-777 》
《 Hildegard of Veltmer  the wife of Bloom of Freege  736-777 》
《 Ishtor  the son of Bloom of Freege  754-777 》
《 Ishtar  the daughter of Bloom of Freege  759-777 》
 フリージの一族。没年はいずれも七七七年で統一されている。
「君の伯父さんたちの墓か・・・・」
「セリス王が、このような形で葬ることを赦してくださいましたので」
 ブルーム、ヒルダ、イシュトー、イシュタル。「解放軍」セリスの敵として、「帝国軍」を指揮し、死んでいった人々。
「僕はシレジアで育ったんです」
 アミッドがゆっくりと語りだした。
「僕の母さんが実はフリージ家の人間だったことは、妹探しの旅に出て初めて知りました。妹が生きていることさえ、ほんの一年前まで知らなかった」
 ホークは黙って耳を傾けた。
「彼らの存在と名を知ってからは、憎んでいることの方が多かった。彼らは母を蔑み、リンダを支配していた。彼らからリンダを取り戻すには、彼らと戦うしかないと、そう思っていました。リンダがフリージで不幸だったことはすぐにわかったので」
 アミッドの白い手が、花を一本一本墓石の前に並べてゆく。
「でも僕はフリージ一族なんです」
 ホークは、かがみこんだ背から見えるアミッドのうなじを凝と見入った。
「セリス様から打診を受けて、初めて気づきました。いいや、本当はもっとずっと前からわかっていたのかも。僕はこの人たちとは先祖を同じくする聖戦士の末裔で、トードの一族なんです。彼らが死んだ今、僕は見たこともないフリージの地を治めていかなくてはいけない」
 ホークの心臓が重く沈んだ。それがどうしてだか彼はわからず、戸惑った。
 アミッドがゆっくりと立ち上がる。ホークの方を振り向いた。
 その瞳は、心なしか潤んで見えた。
「彼らが背負ってきたものを、今度は僕が背負うんです。それは彼らの財産であり、血であり、罪であり、功績である。そのことに気づいて、僕は彼らが恋しいと思うようになりました」
 アミッドは視線を落とし、笑って見せた。苦く重い笑み。
「だから花を摘んだんです。リンダは思い出すのは辛いって、ここには滅多にやってきません。当然だと思います。彼らと過ごした時間はリンダのほうがずっと長い」
 ホークは身じろぎした。
 心が痛い。
「彼らの罪をあなたが背負うことはあるまい」
「でもリンダに負わせるわけには行きませんから。セリス王にも、ユリア皇女にも、他の誰にも」
 穏やかで明るく、そして断乎とした決心に満ちたアミッドの声。
 何が自分をこんなにも沈ませているのか、ホークはついに理解した。
「私はシレジアに帰る。シレジアは政治的にはセリス王の直轄地に組み込まれるが、現地でできるだけのことをしていくつもりだ」
 われ知らず、語尾が震えた。
 アミッドはシレジアに帰るのだろうと思っていた。
 ホークの妹、フェミナと共に。
「それでは、もうすぐお別れなんですね」
 アミッドはフリージの領主としてグランベルに残る。
 ホークはアミッドに歩み寄った。
「ホーク様・・・・?」
 いつかと同じ、勿忘草の瞳が怪訝そうに自分を見上げる。
 自分を押しとどめていた何かの糸が切れて。
 ホークはアミッドの唇を塞いだ。
 ずっと自分はこうしたかったのだ。
 ホークはついにそれを認めた。
 アミッドの唇が震えているのがわかる。
 ホークは離さなかった。
 永遠にも思えたほんの暫くの時間の後。
 二人の唇は離れた。
「ホーク様・・・・?」
 ホークは手でアミッドの頬に触れた。
 薔薇色に上気した、熱い頬。たった今触れたばかりの柔らかな唇。長い睫毛の奥で、蜜を含んで輝く淡い瞳。それは今までに見た人間の中で、一番美しい顔だった。
 ホークの中で嵐が逆巻く。
 ホークは有無を言わせぬ力強さで、アミッドの背中に手を回した。
「ホーク様・・・」
 抗議か、恐怖か、それとも嫌悪だろうか。抱きかかえられたアミッドが声をあげかける。
「すまない」
 言葉とは裏腹に、ホークの手にはさらに力がこもる。
 自分が何を言いたいのか、何をしようとしているのか、ホークには全くわからなかった。
 胸中で呀するのはたった一つの言葉だけだ。
 それが口から漏れないよう押しとどめるのがやっとだった。
 アミッドの細い腰を抱きすくめて、
「すまない」
 華奢な肩に自分の顔を押し付けた。
 頬を伝ったのは汗だろうか、涙だろうか?
 何もわからない。激情で胸が詰まる。
「もう暫く、こうさせていてくれ」
 ようやっと、それだけの声を絞り出した。
 その懇願が通じたのか。
 アミッドは抗わなかった。それ以上、言葉をかけることもなかった。
 その両手がそろそろとホークの背中に回される。
 ホークの首筋にかかるその吐息は、ホークのものと同じくらい熱い。
 アミッドの手にも、ゆっくりと力が込められる。
 それを背中で感じながら。
 ホークはただ立ち続けた。

 すべてが新しく始まる、グランベルの春。
 旅立ちと別れの予感をはらんだ柔らかな風が、二人の周囲を舞っていた。
(了)
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