| 闇凝る |
| 759年 初冬 |
長椅子に腰掛けたまま、クロードは困っていた。 「どういたしましょうか・・・・・」 クロードの膝の上で、シルヴィアがくうくうと寝息を立てている。その眠りは深く、少し揺すったくらいで容易に起きるものではなかった。 「いったい、どうしてこんなことになってしまったのでしょうか・・・・・」 困った顔のまま、クロードは息を吐いた。 そもそもクロードが陣取っていたその長椅子のそばに寄ってきたのはシルヴィアだった。別に酒気を帯びていたわけではないのだが、落ち込んで、何か鬱屈を溜めていた。 読んでいた本を脇に置いて、ふたことみこと話しているうちに、クロードの些細な言葉がシルヴィアを激高させた。シルヴィアは怒って、泣き出し、勝手にいろいろな罵詈雑言を並べ立てたあげく、泣き疲れて眠ってしまったのだ。 クロードの膝に上半身を乗せたまま。 彼女は喋れば屈託なく明るいが、それは何かつらいものを隠して笑っているのだとクロードは見通している。極度に甘えん坊で寂しがりで、だれか人に寄りかかることを試さずには生きていられない、シルヴィアはクロードの目にはそう映った。しかし本人にそう告げたところで、見抜かれたことを隠蔽して誤魔化してしまうだろう。 だからクロードは何も言わなかった。 シレジアのラーナ王妃からシグルド公子の一行に与えられた古城の、こぢんまりとした居間の一室で、長椅子に端然と座って膝にシルヴィアを抱きながら、クロードは黙って思案を巡らしていた。 窓の外を見ると、絶え入らんばかりの夕映えがかろうじて残っている。初冬の北国の落日は早い。夕食には数刻ほども間があろう。いっそこのまま眠らせておくか。 「とはいえ、このままでは風邪をひかせてしまいますし・・・・」 暖炉に火を入れても、シレジアの空気はあくまで冷たかった。クロードの長い艶やかな髪も高級の絹で織られたローブも、なにもかもがくしゃくしゃになってシルヴィアの体の下敷きになっている。あるいはこれも彼女なりの報復であるのかもしれない。そう思うと、なんだかクロードはおかしかった。 最初から、この少女には、初めて会った気がしなかった。親しみやすい気配と幼さを媚態と取れば、計算高い娘と見ることもできるだろう。だがクロードには、それがむしろ哀れに映った。こんな年端も行かぬうちから、生きるための打算を無意識に働かせるほどの痛ましい過去が、この娘にはあるのだ。 やがてクロードは決意した。シルヴィアを起こさぬように気をつけながら、ゆっくりと彼女の体を抱き上げる。人気のない回廊を滑るように渡り、シルヴィアにあてがわれた部屋にまで辿り着いた。 シルヴィアの小柄な体を優しく寝台に置こうとしたとき、初めてシルヴィアが身動きした。 細い腕がクロードの髪を巻き込んで、彼の首に回された。 「目が覚めましたか」 シルヴィアは答えない。 「・・・・・・て」 聞き取れぬほどのか細い声が、クロードの耳に届いた。 「ひとりに、しないで」 眠気で温かくなった体を精一杯押しつけて、シルヴィアが囁いている。 「私はレヴィンではありませんよ」 少女の落ち込みの原因である男の名を、クロードはあげた。 「いいの。そばにいて」 クロードはあることに気づいた。 「泣いているのですか」 もはや言葉は返らず、シルヴィアはただうなずく。 クロードはため息をついて、シルヴィアの寝台に膝を乗せた。少女の体を寝台の奥に押しやりながら、自分も身を横たえる。 「わかりました。あなたの傍にいましょう」 シルヴィアが欲しいのは男ではなく暖かい腕であることを、クロードはよく知っていた。 夕食の時刻が過ぎ、夜の戦略会議の時刻が過ぎ。 寝台にふたり並んでじっとしたままで、いつしか二人は眠りについた。 自分が腕に抱えることができるものに限りがあることを、彼は知っていた。 ひとつは秘密。ブラギの塔で知った、シグルド軍の命運。 これだけは、おのれ一人が抱えて死の果てまで持ってゆく。 ほかのものすべては、自分は護りきることができない。 遠い冬の日、揺り籠から攫われた実の妹のように、あらゆるものが彼の手からこぼれ落ちるごとく定められている。 それを不幸とは思うまい。そう、クロードは自分に言い聞かせてきた。 「お許しを」 神にともなく、クロードは呟いた。 目の前に眠るこの少女が何者であるか、クロードは夢の中で看破した。 自分がこの娘に惹かれていることも。 どうにもならぬほど。 「クロードさま?」 その声で、彼は目を覚ました。 自分の頬が涙で濡れている。夢の中で流した涙は現実のものだったようだ。 「どうして泣いてるの?」 そう尋ねるシルヴィアの目も、赤く腫れている。 クロードは手で顔を覆って涙を隠した。 「悲しい夢を見たのです」 それ以上を言うつもりはなかった。 手を下ろすと、シルヴィアの目線とぶつかった。神妙な顔でクロードを見つめている。暗い緑色の髪。記憶の中の幼い赤子の目と、寸分違わぬ榛色の瞳。 なぜ気づかなかったのか。 「神父さまでも、つらいことってあるんだね」 その声は真の情感を帯びていた。クロードの形のよい唇が微笑を象った。 「あなたは、自分が苦しいときでも、周りの人のことを気遣ってあげられるのですね」 誉められたシルヴィアは、少しはにかんで、笑った。 「あなたは笑っていたほうが、かわいらしいですよ」 思ったことを直截に述べたクロードのことばに、シルヴィアは赤面した。 「そ、そんなこと、ないと思うけど」 「泣くよりは、笑っておいでなさい。あなたが泣くと、私も辛くなります」 シルヴィアはゆっくりとその言葉を咀嚼している。 「それって、あたしが好きってこと?」 真実を告げるのに躊躇うだけの間があって、 「・・・・・・そうなのでしょうね」 歯切れの悪いクロードの言葉を、シルヴィアは照れ隠しと解釈したらしかった。 再び見せた笑みは、今までのものよりもなおいっそう明るく、艶さえ帯びて見えた。 「クロードさまのおかげで元気が出たよ。ありがとう」 「眠れますか?」 「うん」 その言葉に安堵したクロードはゆっくりと、寝台から体を起こした。 「では、お休みなさい。悪い夢など見ないように」 シルヴィアの額に、そっと口づけた。 肉親として触れるのはこれが最後だ。 悲しい宿命を背負った未来の恋人を、じっと見下ろして、 「クロードさま、おやすみなさい」 小さな肩が寝具の中に潜り込むのを見届けてから、クロードは黙って部屋の扉を閉めた。 夜気が肌を刺す。 自分の部屋に向かって歩きながら、クロードは、寒さ以上の何かに堪えるように、ずっと両腕で己の肩を抱き続けた。 クロードの呼気が、シレジアの闇に飲まれて、消えていった。 夢の中で流した、クロードの涙も。 誰知らぬ闇のうちに、ひとりでに。 |
| (了) |
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