夜明けの流星
777年 晩夏

 






 思い出すのは平和だった幼年期ではなく、血と戦塵に纏われた少年期のことばかりだ。
 故郷を追われた暗い時代、決して幸福ではない時代。
 風が運ぶ血腥い熱気、剣戟と血塗れの汚泥、夥しい死傷者。
 その中心に彼女がいた。
 戦塵と血煙の中で生き生きと輝く、鮮やかな流れ星。
 戦場の男たちを魅了して、それでいて決して彼らを寄せつけない、硬い表情と深い情愛を同時に身に備えた歳若い叔母が。
「シャナン様!」
 聞き覚えのある声で、シャナンは目を醒ました。
 梢の間から漏れる日光は柔らかく、しばし彼は、目を瞬いてその光を見上げていた。
「シャナン様!」
 傍らで、自分を呼ぶ声がする。首を振り向けると、夢の中のアイラそのままに、彼女の娘が跪いてこちらを見下ろしていた。
「ラクチェ・・・・・」
 自分を見つめる緑色の瞳、ただそれだけが、アイラとは違っていた。身軽な戦闘服に身を包んで、母親の形見である勇者の剣を腰に帯びている。
「こんなところで寝ていたら、敵に見つかりますよ」
 セリス軍の陣地を離れ、昼寝に抜け出したところを従妹に探し出されてしまったようだった。
 シャナンは起き上がって、大きく伸びをした。ラクチェとは、頭二つ分ほども身長差がある。彼女は母親と同じくらいの背格好のはずだが、アイラを見上げていた自分の少年期の印象がときにはあまりにも強く、シャナンは戸惑ってしまうことがある。今日のように、叔母の夢を見たあとなどは特に。
 ラクチェが自分を見つめるまなざしは憧憬と尊敬に満ちている。十七年前の自分も叔母の目にはこのように映ったに違いないと思うと、シャナンはおかしかった。
 少女から娘への階段をようように昇り終える時期でもある。意識せずに放たれる色香と、ちぐはぐな幼い表情がなんとも言えず危うい感じがする。ドズルの公子連中がラクチェに熱を上げているというが、その理由は充分に納得できた。
 二人が立つ小高い丘の上を、ラクチェの双子の兄であるスカサハがゆっくりと登って来た。こちらは妹よりはいま少し上背があり、顔立ちにはより幼さが残っている。近年の急激な成長に筋肉が追いつかず、骨格だけが強調されて見えた。彼が父親のように重厚な存在感を出すようになるには、あと一年はかかるだろう。
「セリス公子がお待ちです」
 イザーク人だけが、セリスを「皇子」ではなく「公子」と呼ぶ。
 生母ディアドラの「皇妃」という肩書きより、生父シグルドの「シアルフィ公子」という身分のほうがより彼らにとって近いからだ。
 ディアドラはシャナンにとって「シグルド公妃」だった。それは十七年を経て、彼女がグランベルの皇女だと判明した今でも変わらない。
 イザークの解放をすでに果たし、マンスターの解放も目前に迫っている。
 自分の前に立つ二人のイザーク人の顔は自信に満ちている。敵の影に怯え、逃げ惑った日々は終わった。とはいえ、真の意味でのこの子達の試練はこれから始まるのだ。
 凄惨な日々の記憶の中で輝く一条の光。
 叔母アイラがかつて自分にとってそうだったように、自分もまた一条の光となるように。
 ついに手に入れた神剣バルムンクを片手に、シャナンは二人に笑ってみせる。
「行こうか」
 その笑みが、かつての叔母と全く同じ笑い方であることには気づきもせず。
 シャナンは二人の先に立って歩き出した。
(了)
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