鼓動
成歩堂×御剣(逆裁2後)

 





 その夢はもはや御剣の一部と化していた。
 酸欠による幻覚だと理性では知っていても、夢と共に培った十六年間が消えるわけではない。
 ゆえにその夢は、DL6号事件が解決した後も、しばしば眠りの中に表れた。
 成歩堂と共に眠る夜にも、悪夢は唐突に襲ってくる。
 御剣は夢に喘いで目を覚まし、自分が眠る場所が自室ではないことに気づいた。
 目の前にこちらを向いて横たわる成歩堂の、規則正しい呼吸音。よく眠っているようだ。その息は深くゆっくりで、御剣の呼吸さえも落ち着かせた。
 本格的な夏が近づくこの季節、夜はもう過ごしやすいと呼べる気候ではない。
 それでも成歩堂に直に触れたくて、御剣は悪夢に汗ばんだ手をそっと伸ばした。
「成歩堂」
 声にならぬ声で、目の前の男の名をそっと呼ぶ。無論成歩堂の耳には届かない。
 御剣は成歩堂の顎の下に頭を押しつけ、体全体をすり寄せた。腕を成歩堂の肩に回す。
 成歩堂は少しだけもそもそと身動きして、重い、とも暑い、ともつかぬ言葉を呟いた。
 相手が目覚めるか、嫌がるか、と体を硬くした御剣の背に、それでも、何かの条件反射のように成歩堂の手が回され、肩胛骨の下の辺りをゆっくりと、幾度かさすった。
 成歩堂の手が止まり、寝息が再び深くなる。
 眠りの中でさえ、この男は自分に優しい。
 忽然と湧き上がった感動を抑えきれずに、御剣は鼻の奥が痛くなった。
 成歩堂のせいで、自分はずいぶん涙もろくなってしまった。
 成歩堂の存在が自分の中で膨れ上がることに恐怖し、逃げ出した日々もあった。正直に言えば、その恐怖は霧散したわけではなく、今も胸中にわだかまる。
 だが自分は結局は、この男の傍にいることを選んだ。
 成歩堂との日々が、心の空洞を温かなもので満たしていく。成歩堂への執着と裏腹な恐怖はときおり表層に顔を出すものの、自分にとって耐えられぬものではなくなりつつあった。
 御剣は息を吐いて目を閉じた。成歩堂を起こさぬよう気をつけながらも、もう一度彼の体を抱え直して、成歩堂の鼓動を瞼に感じながら二度目の眠りについた。


 成歩堂が目を覚ますと、卓上には珍しく食事の用意がされている。眠い目をこすりつつ、食卓の前で黙って新聞を広げる友人を見やった。
「おはよ、御剣」
「お早う」
「朝飯、作ってくれたの?」
「たまにはな」
「珍しいよね。今日ってなんかの日なの?」
「いいから食べたまえ。あと30分で私は出るぞ」
 それきり御剣は会話を打ちきって、新聞をめくった。
 御剣の前に座って淹れたてのコーヒーを啜り、やや冷め始めたスクランブルエッグにかぶりつきながら、成歩堂は首を捻っている。
 それを新聞の蔭からちらりと見やって、御剣は黙って微笑した。
(了)
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