30のお題

 


9.宴会

2004/01/06
糸鋸、狩魔冥(2-3前)


 年越しの警察庁公式パーティーにも、糸鋸は着古したコートで現れた。下にはさすがにいつもよりましなスーツを着込んでいるが、無精髭は相変わらずだ。
 さほど高級でもないホテルの広間を借り切って談笑する同僚たちの姿に混じり、ひときわ目立つ女の立ち姿があった。
 黒いドレスのスリットから足が覗く。常の服なら首までしっかり覆われているその背は今夜は大胆に開いており、肌の白さに糸鋸は戦慄さえ覚えて慌てて目を背けた。
「何をしてるの、糸鋸刑事」
 背けた横顔に、女本人の辛辣な言葉が突き刺さった。
「い、いや・・・・・」
 恐る恐る振り向くと、いつも通りの、人を小馬鹿にしたような、そしてちょっと怒ったような、そんな表情を面に上せて狩魔冥が立っていた。
 調子の良い刑事課課長当たりが、彼女をパーティーに呼んだのだろう。
「か、狩魔検事、お疲れさまッス」
 普段目にしない、狩魔冥の肢体の艶っぽさに狼狽えつつ、糸鋸は挨拶をした。
 体内で勝手に激しくなる動悸に、自分で羞恥を感じる。
 狩魔冥は一人前以上の働きをする辣腕検事だが、実際には女と呼ぶのも躊躇われるような年頃なのだ。
 糸鋸の様子がおかしいことに、狩魔冥も気がついた。
「何を考えてるのよ!」
「んぎゃっ!」
 風を切って飛んできた鞭の先端が、糸鋸の頬に当たった。ドレスアップをしてはいても、狩魔検事が鞭を手放さないのは変わらないようだ。
「な、なんも考えてねッスよ!」
 必死の云い訳をながらも、疚しさに赤面するのは避けられない。
 だが冥の口から発せられた次の言葉は、糸鋸の予想外のものだった。
「どうせ似合わないわよ!こんな服・・・・・・」
 意外なことに、冥は唇を噛み、悔しそうに俯いている。
「いつもの服以外着る気なんてなかったのに、きさまの上司が正装して来いって・・・・」
 屈辱に潤んだ瞳がひたと糸鋸を見据えた。
 糸鋸は悪い予感がした。
「来てみたらみんな普段着じゃないの!よくも騙したわね、ヒゲコートッ!」
 鞭が音を立てて幾度も襲ってくる。
「んぎゃああーッ!・・・・・じ、自分は関係ないじゃないッスか!」
「うるさいッ!」
 完璧を任じて法廷にさえ鞭を持ち込む狩魔冥と云えど、さすがに刑事課の課長に鞭を振るうことはできない。八つ当たりの腹いせなのは明らかだった。
「うーん、ハデにやっとるねえ、君たち」
 甲高く鳴り響く鞭音の中に、場違いなほど暢気な声で割り込んできたのは、当の刑事課課長だった。
「狩魔検事、お楽しみですか?」
「楽しくないわよッ!正装だなんて嘘ばっかりッ、この昼行灯!」
 怒り醒めやらぬ冥はあやうく課長さえひっぱたきそうな剣幕だった。糸鋸が慌ててその左手を捕らえる。
「放しなさい、ヒゲ!」
 課長のほうは状況が掴めていないらしく、冥と糸鋸が揉み合う間じゅうへらへらと笑っている。朱に染まった頬から察するに、どうやら既に出来上がっているようだ。
「楽しくない!それはよくない。さ、さ、検事。ま、一杯」
 気さくに、手にしていたウイスキーグラスを冥の目の前に掲げる。
 濃い金色の液体がグラス半分まで注がれている。
「課長、駄目ッス!狩魔検事は未成年・・・・・」
 その制止に、課長より早く冥が反応した。
「バカにしないでよ、バカ!」
 信じがたいほどの力で糸鋸の腕をもぎ離し、
「貸しなさい!」
 課長の手からグラスをひったくるなり一息に空け始めた。
「あイッキ、イッキ、イッキ」
 脇で酔っぱらった課長がはやし立てる。
「課長駄目ッス!一気飲みは条例で禁止・・・・・」
 しかし糸鋸がおたおたしている間に冥はグラスを空けてしまった。
「フン!」
 小馬鹿にしたように糸鋸を睨みつける。
「アルコールなんかに負ける狩魔ではないわ!もっと持ってらっしゃい!」
 空になったグラスを課長に押しつけて冥が居丈高に喚いた。
「へぇ〜〜い」
 課長が手先の怪しげな敬礼をして、ふらふらと酒を補充しに行く。
「か、狩魔検事!法律違反は駄目ッスよ!仮にも検事の立場にある者が・・・・」
「うるっさいわね!警察に見つからなきゃいいのよ」
「自分らは警察ッスよ!」
 糸鋸の声は悲鳴に近い。
「未成年の飲酒は法律違反・・・・」
 皆まで云わせず、冥の鞭が糸鋸を打った。
「おだまり!給与査定に響くわよ!」
「な、何スとぉぉ!?」
 云ってることが滅茶苦茶だ、と抗議しようとする間に、課長が帰ってきた。
 赤ワインのボトルを抱え、ワイングラスを2つ手に持っている。
「はぁ〜い、冥ちゃん、お酒〜」
「気安く呼ぶんじゃないわよ。注ぎなさい!」
 いったいどちらが偉いのかわからない。課長は咎めもせず、へらへらとワインを注ぎだした。
 それから十分間。
 課長はグラスに酒を注ぎまくり、冥はグラスを空けまくった。
 ワインはボトル一本がほとんど冥一人によって飲み干されてしまった。
 課長は空のボトルを返しに行ったまま帰ってこない。
 その場には冥と糸鋸だけが取り残された。
 周囲の警察官、同僚や上司が遠巻きにして推移を見守っている。糸鋸たちに誰も寄ってこないのは、ただでさえ短気な冥が今や大虎と化しているためだろう。誰だって鞭で叩かれるのは痛い。
「それでも挨拶くらいはするべきッスがねえ」
「何の話よ」
 考えていたことが独り言として外に漏れていた。冥に咎められ、糸鋸は頭を掻いた。
「いえ、こっちの話ッス」
「フン」
 冥が見下したように笑って腰に手を当てた。色白の頬が酒気でほんのりピンクに染まっている。
「私は烏合の衆になんか用はないわ。こっちから願い下げよ。寄ってきたらひっぱたいてやる」
 何も云ってないのに、心まで読まれている。
「狩魔検事・・・・」
「私は天才、狩魔は完璧。凡人は自分にないものを持つ人間を本能的に怖れ、避けるの。それだけよ」
 アルコールに潤ったその声に、ほんの少し寂寥が混じった。
 糸鋸が冥を見下ろすと、冥はわざとらしく肩をそびやかした。
「帰るわ。くだらない。無駄な時間を費やすほど私は暇じゃないわ。ヒゲ!タクシーを呼びなさい!」
 そこまで毅然として云った後、冥は唐突に床にくずおれた。



 パーティーはお開きの時間になったが、糸鋸はまだ帰宅できずにいた。
 ホテルのロビーに隣接したトイレに籠もりっぱなしの冥を、置いて帰ることはできなかったからだ。
 ロビーは禁煙だった。仕方なく、ロビーの隅の、古ぼけた灰皿が置いてある喫煙コーナーに立ち尽くして、もう一箱近くマイルドライトを吸い続けている。
 やがて冥が、青い顔をしてトイレから出てきた。手にしたハンカチで口を覆っている。
「大丈夫ッスか」
 糸鋸の声にも、冥はうるさそうにハンカチを振っただけだった。
 ロビーの一角のソファに黙って腰を下ろす。糸鋸は手にした煙草を最後まで吸ってから、冥の隣に腰掛けた。
「煙草臭い」
 ハンカチの奥から冥のくぐもった声が聞こえる
「ああ、相済まねッス」
 糸鋸は冥から離れた場所に座り直そうとした。
 冥の表情が険しくなる。
「誰が離れろと云ったのよ。私の傍に座ってなさい」
 糸鋸は腰を上げて、再度冥の傍に座った。
 沈黙がその場を支配した。フロントの支配人が物珍しげに二人を見ている。
 暫くして糸鋸が息を吐いた。
「・・・・飲み過ぎッス」
「うるさい」
 さすがに冥の反駁に力がない。
「狩魔検事」
 次に紡ぐ言葉を言うべきか言わざるべきか、糸鋸はしばし逡巡した。
「強がりすぎはよくねッス」
 すかさず鞭が飛んでくることを半ば予期していた。だが冥が攻撃してくることはなかった。
「・・・おだまり」
 暫くして投げられた、その声は湿っていた。
「きさまに何がわかるの」
 言葉とは裏腹に、口調は寂しげだった。
「いや、自分は何もわからねッスが」
 言いさして冥を見下ろす。俯いた首筋と、透き通るような白い背中が目に飛び込んできた。
「その服、似合ってるッス。ほんとに」
 冥の肩がほんの少し硬直した。
「・・・・・・バカ」
 呟きに近いようなその声は、断じて糸鋸の空耳などではなかった。
 続いて響いてきたわずかな嗚咽も。
 冥が肩を震わせている間、糸鋸は一言も口を聞かなかった。
 困った顔で天井を見上げたまま、ただその隣に座っていた。




                                      (了)






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