30のお題

 


15.雪だるま

2004/01/09
御剣、成歩堂、矢張(少年時代)

「っかー、雪降んねーかなー、雪!」
 終業式の後の帰り道、騒がしいほうの友人が良く通る大声を上げた。
 十二月のこの寒さの中で、未だにランニングに短パンという真夏のスタイルを崩していない。
 一度御剣は、この少年に真顔で聞いたことがある。
「きみのうちは、長袖や普通のズボンが買えないほど貧乏なのか?」と。
 さすがの矢張がそのときばかりは目を丸くさせ、次いで脇でそれを聞いていた成歩堂がげらげらと高笑いを始めた。
「ばかだなあ御剣、そんなわけないじゃないか」
 豊かなボーイソプラノの声は明らかに面白がっていて、馬鹿にされたと思った御剣は一瞬かっとなった。
 だが成歩堂は頓着しない様子で、御剣の肩に手を置いた。
「矢張はさ、隣のクラスのレイコちゃんが『私は強い人が好き』って去年云ったのを聞いてから、ずーっとこの格好なんだよ。レイコちゃんは六年生の男の子とつきあってるのにさ」
「ばっかやろう成歩堂、よけいなことを云うな!」
 矢張が真っ赤な顔をして二人に割り込んできた。
 春に転校してきた御剣は、校内のそうした情報について極端に疎かった。もともと友人が出来やすい性格でもないし、人からの好悪の情に敏感な質でもない。実際自分がクラスの女の子たちから、近づきがたいヒーローとして認知されていることなどにも、全く気づいていなかった。
 ともかくも終業式を終えたある冬の日、三人はいつもどおり家への道を辿っていた。
「雪は降らないぞ」
 矢張の願望に御剣はきまじめに答えた。
「予報では、新年を過ぎるまでずっと晴れだ。西高東低というやつだ」
「何その、セイコーテートーって」
 御剣の蘊蓄に興味を示すのは決まって成歩堂だった。
「西高トーテー。冬の日本列島の典型的な気圧配置を指して云う言葉だ」
 聞いてはいるものの、成歩堂は御剣の言葉の半分も理解できないようだった。もとより御剣自身も、蘊蓄の大半の出所は父親の口からなので、自分で喋りながらすべてを理解しているわけではない。
「きあつはいち?」
「んむ、天候に影響を及ぼす気圧というやつがあって、それがどうなっているかという地図のようなものだ」
 自分で自分の言葉が曖昧になってくることに内心ひやひやしつつ答える。成歩堂は残念そうに、
「よくわかんないや」
 と云って、それ以上の追及は諦めた。
「とにかく天気予報はずっと晴れだ」
 御剣は念を押した。
「当たるかどうかなんてわかるかよォ!冬ったら雪じゃねえか!おれは冬休み中に雪が降ると思うね、ゼーッタイ!」
 矢張は矢張らしい言葉で、御剣の予言を否定した。
「御剣が云うなら、きっとずっと晴れなんだろうけど」
 御剣に心底傾倒している成歩堂は、考え深げにそう云って、
「でも、雪が降ったらいいよね。みんなで雪だるま作って遊べるし」
「おう!そうだろ!」
 二人が話しているのは予測ではない。こうなったらいいという希望の話だ。
 そのことに、ようやく御剣は思い至った。
「御剣は、どう?雪とか、好きじゃない?」
「あまり見たことはないな」
 東京以外の場所を知らない御剣はそう答えながら、
「でも君たちと雪だるまを作るというのは面白そうだ」
 二人に向けて笑顔を見せた。

 三人の帰途は四辻できれいに別れる。
「約束しようよ」
 四辻に立つと、成歩堂が言い出した。
「冬休みの間、積もるくらい雪が降ったら、三人で雪だるまを作るって」
「お!いいな」
「悪くない」
 残る二人の賛成を得て、成歩堂はにこりと笑った。
「すげえでっけえ奴を作ろうぜ」
「三人いれば楽だろうな」
「じゃ、約束だよ!」
 成歩堂は手を振り、矢張も御剣もそれに応えて、そして三人は別れた。
 それが少年時代最後の別れになるとは、誰も予想していなかった。










 明けて翌年。
 御剣家の実家でもある信州はしんしんと雪が降っていた。
「雪だるまを作らなくちゃ」
 唐突にそう言い出した息子の意図を、母親は計りかねた。
 息子は自分で防寒着を着込み、用意よくブーツやマフラーや手袋まで脇に抱えている。
「友達と約束したんだ。冬休み中に雪が降ったら、雪だるまを作るって」
 父親が死んだことは理解しているはずだ。
 転校手続きも既に済ませた。もうもとの生活には戻らない。
「東京は晴れよ」
 会話が噛み合っていないことを、母親は自分でも認識した。夫を父を亡くしたという喪失感が息子との間にわだかまり、心を通じ合わせることを遮っているかのようだった。
「わかってるよ。でも、約束は約束だから」
「行かせておやり」
 脇から、大叔母に当たる人物が優しく云った。母親は溜息を吐いた。
「窓から見えるところにいてね。庭の外には出ないで」
「はい、お母さん」
 その言い回しは死んだ夫にそっくりで、母親は思わず目頭を押さえた。

 御剣は外に出て、たった一人で、せっせと雪だるまを作り出した。
 雪雲は重々しく空を覆い、東京よりよほど早く暗くなる。
 一度、親戚の男が家の中から顔を出して、御剣に声をかけた。
「坊一人じゃ大変だろう。おじさんが手伝おうか」
「ありがとう。でも、ほかに二人いるから」
 御剣が返した言葉は、男には理解できなかった。事件に巻き込まれ、父親が殺されて、ショックで記憶か何かが混乱しているんだろうと思ったらしい。黙って引き下がった。
 御剣は男には目もくれなかった。
 辺りが完全に闇に包まれるころ、雪だるまは完成した。
「見ろよ、成歩堂、矢張。この雪だるま、笑ってるみたいだ」
 その場に親しい友人がいるかのように笑いりかけ、ついでその顔がくしゃりと歪んだ。
「お父さん」
 御剣はその場にしゃがみ込んで、膝を抱えて泣き出した。
 先ほど御剣に声をかけた男が家から出てきて、うずくまったままの御剣の体を抱き上げて家の中に連れて入った。

 雪だるまはそれから一週間ほどかけて少しずつ溶けて行きながら、長いこと、その家の庭に残っていた。




                                      (了)






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