花
05/09/07
老いた尼僧と薔薇
★☆☆
夜気の中で薔薇が咲き誇っている。
「まあ。美しく咲いたものね」
尼僧ばかりの修道院を束ねる女修道院長が、庭先に目をやってそう云った。
この非常時になんてことを、と付き人の尼僧が咎めるような目で見つめた。
「構わないでしょう。薔薇くらい」
院長は付き人に微笑んでみせる。目尻に深い皺が寄った。
「もうすぐ夜が明ける。おそらく朝日は見られるでしょうね。でも夕日は無理でしょう。死ぬ前にせめて、美しいものをこの目にやきつけておこうと思ったの」
城塞にも等しい頑丈な修道院には、近隣の農民たちが武器になりそうなものを手に、避難してきていた。
修道院の外を、国境を越えていずこよりか現れた異国の兵が包囲している。救援を求める手紙をしたためて使者を国王と近隣の領主に使わしたが、おそらくは間に合うまい。夜明けと共に門は破られ、修道院の中は阿鼻叫喚の場と化すだろう。
院長が口の中で何事かを呟いた。
それを付き人が聞き返す。
「なんでもないのよ」
院長はそう答えて、それきり口をつぐんだ。
やがて血の色のような朝焼けが院長たちの頭上を覆った。
「美しいわ」
院長はひとりごちた。
「私も美しかった。かつては」
その呟きは付き人の耳には届かなかった。
「贈られた花を、傲慢に突き返したこともあった。すべては昔の話だけれど」
朝の冷たい風が、敵兵たちの喊声を運んでくる。
あそこに私の死がある。
付き人が危険だからおさがりくださいと院長に告げた。院長は逃げる場所があるとも思わなかったので、黙ってその場に立っていた。
城壁に取りついた敵兵たちがついに修道院の敷地に足を踏み入れた。
尼僧たちはしゃがみ込んで必死に神への祈りを口にしている。院長も膝をついて彼女らと同じように、祈りの言葉を口と心とで唱えた。
略奪を終えた異国の兵たちが去った後、修道院の庭には沈黙が残された。
遺骸の中に身を潜めていた人々が恐る恐る身動きし、安全を確かめて周囲を見渡す。
尼僧たちの一群はあるいは殺され、あるいは犯されて連れ去られていた。
うち捨てられた骸の中には老いた院長の姿もあった。
横様に倒れて見開いたままの目は、風に揺れる薔薇に向けられていた。
(了)
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