緋の雪(全3頁)

03/01/17
領主一族の少年と侍女
☆☆☆





 少年は領主の息子だった。兄弟はおらず、上に二人、下に一人の姉妹がいた。
 父親は少年をかわいがった。少年は父の要求を良く察し良く動いたので、領主はなおさら彼を愛した。少年は父に従う以外は我侭に育ち、姉妹達を見下して遊び相手にはしなかった。
 領主には妻はいなかった。少年が母と呼んだ人は三人いたが、三人とも屋敷から去った。一人は生きてその足で、二人は死んで棺に入れられて。
 ある冬の初めの寒い日、屋敷に新しい侍女が来た。
 婚約者が戦争で死んだので、住んでいた町を引き払い、田舎の近くで働き口を探していた娘とのことだった。美しくもなく賢くもなく、従順で、出しゃばりすぎず、故に少年の父はその娘を雇った。
 しかし少年は、その娘を見るつど苛立った。
 少年は娘に対し辛く当たった。父に禁じられていた麻薬を飲みたいなどと無理を言って困らせ、襟首に虫の蛹を入れたり、突き飛ばしたり、髪を引っ張ったりといった悪戯をして嘆かせた。屋敷の主たる父に、もっともらしい讒言を吐いたりもした。そのつど娘は、さして美しくもない顔を困惑に濁らせ、黙って溜息をつくのだった。その顔を見るときだけ、少年は満足した。
 少年の父親は、息子の讒言をたびたび聞かされたが、娘を里に返しはしなかった。その代わり、娘を息子付きの侍女にした。少年の鬱憤が彼女によって晴らされていることを、父親はよく知っていた。かつて幼かった頃、己も通った道だったからだ。
 少年の悪ふざけは日を追って激しくなっていった。
 だが娘は父親にも少年にも周囲の侍女達にも文句を言わず、黙って少年に従った。
 雪が降りしきるある日、霜凍るガラス張りの温室の中に、少年は侍女を連れて忍び入った。
 温室の中も冬だった。寒さに弱い花木が、身を竦めて春の到来を待ちわびている。
「ここは今はこんなだけど」
 少年は白い息を吐きながら、両手を広げて見せた。
「春になったら、おまえなんかが想像もつかないような楽園になるんだ。花のひとつひとつが、おまえのしょぼくれた顔よりよっぽどきれいな花園に」
 そう云って少年は侍女の反応を伺った。
 寒さからか、それとも傷ついたのかは知れぬ。侍女は固い笑みを向けた。
「それは楽しみですね」
 それきり黙っている。少年は苛立った。
「おまえが春までこの家にいられるとは限んないぞ。僕がお父さまに云っておまえを追い出すかも知れないんだからな」
 侍女は押し黙ったままだ。だがその鳶色の瞳に、危惧と呼ぶにはあまりにも痛々しいものが走った。
 それを見た少年の心がきりりと痛んだ。
 少年には推し量る術もないことだったが、屋敷を出て里に帰っても、娘には行き場などどこにもなかったのだった。
「おまえがうまくやってれば、そんなことにはならないさ。おまえが春までいたら、僕が育てた蘭を見せてやる」
 ぶっきらぼうな少年の言葉に、侍女が安堵したように頷いた。防寒服をたくさん着込んだ少年と違い、汚れた薄着の中に精一杯首をすくめながら、娘は寒さに堪えている。
「手を出せ」
 少年の言葉に怪訝そうな顔をしながら、侍女は常のようにそれに従った。
 侍女の手はあかぎれとしもやけで荒れ爛れていた。真っ赤になった指先が震えている。
 黒ずんだごわごわの袖から覗く手首だけが、細くしなやかで美しかった。
 少年は手袋を嵌めた手で軒から下がる氷柱を折り取り、娘の手の上に無造作に乗せた。
 痛いほどの冷たさに、娘の口から喘ぎが漏れる。その顔を見上げる少年の目は、冷静で残酷だった。
「屋敷まで帰るぞ。おまえはその氷を手で家まで持って帰れ」
「でも、坊ちゃん」
「ちゃんと手に持つんだぞ。スカートの上やなんかは駄目だ」
 そのまま少年は背を向けて、家への道を辿り出した。愚鈍な娘が従順に自分の命令に従うことを少年は知っていた。
 娘は言われたとおりに、氷柱を両手に捧げ持って少年の後をついて歩いた。少年はわざと遠回りをして屋敷に向かい、氷塊を素手で持つ娘の手の色は赤から紫に変じていった。あかぎれから血が滴って、二人の通った後に点々とこぼれた。
 娘の両手は凍傷を起こし、それから暫くは使い物にならなくなった。


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