二枚の銀貨
(全3頁)

03/08/11
戦地へ赴く兵士と故郷
☆☆☆





「どうしても行くの?」
 妻の言葉は青年の心を揺さぶりはしたが、決心を変えるには至らなかった。
「わかってくれ」
 国境間近の小さな町に働き口は少ない。青年は首都に出て、国が募集する軍に入隊しようとしていた。
「五年勤め上げたら、帰ってこられる。短い時間じゃないけど、その間きみに送金できる」
 少し言い淀んで、
「僕の息子か娘の顔を五年も見られないのは残念だけど」
 妻の顔は柔らかくほどけたが、心配の念を払拭するには及ばなかった。
「きちんと産まれるかどうかわからないわよ。初産だし」
 妻の腹は軽く膨らんでいた。
「産まれるよ。娘だったら君に似て美人だし、息子だったら僕に似た美男子に決まってる」
 妻は笑い声をあげて青年に抱きついた。青年がお世辞にもハンサムと呼べないような面構えであることは、お互いによく承知していた。
 妻の笑声は途中から涙を含んだ。
「お願い、死なないで」
 耳元で囁かれる祈りを、青年は真摯に聞いた。
「誰を殺しても見捨ててもいいから、無事で帰ってきて」
 夫は妻を無言で抱きしめた。
 存在感を示す妻の腹から、青年は確かに新しい命の脈動を聞いたような気がした。

 十日の後、首都へと旅立つ青年を、妻と青年の妹とが町はずれの丘で見送った。妻が涙を流し、肩を妹に支えられるのを目に焼きつけ、青年は旅路に出た。

 青年は兵士になり、国の内外で戦った。
 内乱、紛争、戦争、住民の蜂起。
 故郷の町で人づてに噂として聞いたり、あるいは知りもしなかった数々の戦。
 週に一度、彼は手紙を妻に宛てて書き続けた。戦地から、救護所から、兵舎から。
 届いているかどうかは知らぬ。だが書き続けることが、彼を支えた。
 妻からの返事は五年間一度も来なかった。
 自分の故郷があらゆる戦の場所から遠く離れてあること。それを男は神に感謝した。妻の顔を思い、妹の顔を思い、息子か娘かわからぬまだ見ぬ自分の子の顔を想像して、男は必死に耐えた。


 五年はようように過ぎた。
 青年は三倍も早く歳を取った。窶れた顔と、引きずらねば歩けぬ右足、くたびれた銃剣と労苦に見合わぬ幾ばくかの金が故郷への土産だった。青年は辛抱強く首都から辺境の故郷へと馬車を乗り継ぎ、時には歩き、時には人々の親切を受けながら、山並みひとつを越えれば故郷の町がある領地というところまで辿り着いた。
 そしてそこで、国境付近が異国に侵略されていたことを初めて知った。

「軍隊がなんとか追い返した、と国では云うとるがね」
 煙草をのみながら宿の老爺が苦々しく言葉を吐いた。
「実際は傭兵の力を借りたのさ。奴らの入植を許す形でな。傭兵連中の大半は侵略者と同じ、粗野な色白の北方人だ。国の女は無理矢理奴らの妻になった。まぁ男連中は先に侵略者に殺されてたから、みんな寡婦ではあったんだが」
 故郷へ向かう男の顔は蒼白になった。
「それはいつのことだ」
「さぁて。三年か、四年前か。‥‥いや違うな、もっと前だよ。国境を侵されたのが五年前。傭兵たちが来て奴らを押し戻したのがその半年くらい後だな」
 老爺は男の顔を見て、
「あんた、本当に郷に戻る気かね?あそこはもう、異国人の土地だぞ」
 男は妻からの手紙が来ない理由を、ようやくに知らされたのだった。


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