魔女の棲む谷
(全3頁)

05/07/15
魔女との果たせぬ約束
☆☆☆





 人々の願い事がまだ叶った頃。
 山並みの奥深くにひっそりと暮らす魔女があった。
 腰の曲がった醜い老婆で、気むずかしく、近隣の村人からは怖れられていた。
 薬草を煎じ、人々にはわからぬ言葉をときに用い、呪文をもって病や怪我をよく治した。
 右と左で瞳の色が違う若い娘を助手に雇い、夜遅くこっそりと訪ねてくる里の者に、代価を得て治療を施していた。

 ある早い夏の夜、若い母親が半狂乱になって魔女のもとを訪れた。一人娘が高熱を出し、全身に痣が出て腫れ上がり、医師にも僧にも見放されたということだった。
 老婆は黙って母親の訴えを聞いた。顔に残る痘痕は老婆が数十年前の流行病を生き延びたことを物語っており、それこそが命と引き替えに魂を悪魔に売った魔女の証と里では噂されていた。
 そしてその老婆の後ろには、黄色い右目と水色の左目を持つ娘が黙って控えていた。松明の明かりにほの暗く照らし出されるその光景は、取り乱した母親の目にも不気味と見えた。
「おまえの娘は死ぬよ」
 話を一通り聞いた後、魔女は冷たく言い放った。
 母親は両手を振り絞って老婆に懇願した。自分の娘を何とかして助けてくれと。
「なんでもするのかね」
 老婆の小馬鹿にしたような問いに、母親は懸命に頷いた。
 老婆は助手の娘に命じて薬草を取ってこさせた。干し、擂り潰して粉末になった薬を幾つか袋に詰めて、母親に示した。
 手を伸ばしてそれを受け取ろうとする母親を、老婆は遮った。
「薬代として、お金のほかに次のことをして貰うよ。私があんたの助けを必要としたときに、必ず私を助けると誓いな」
 母親は吟味する間もなく頷いて、ひったくるように薬を受け取った。
「よく効くけど、強い薬だからね。飲ませると幻覚を見るし、飲ませすぎると熱にやられる前に死ぬよ。分量をよくお守り」
 老婆の声を背に、母親は薬を胸に抱いて山を降りていった。
 遠ざかる人影を見下ろしながら、老婆は助手に云った。
「みててごらん。私はあの女にまじないをかけた。あの女が約束を破ったら、私と同じ目にあうんだよ」
 助手の娘は首を傾げて尋ねた。
「あの母親は人は良さそうでしたが。それでもやっぱり約束を破るのでしょうか」
 老婆は助手を見た。嘲るような笑みが顔の皺をいっそう深く暗くした。
「人の良い人間は弱いんだよ。覚えておきな。おまえがいっぱしの呪術師になる為に必要なことを、私とあの女が教えてやれるだろうよ」
 言い捨てるようにして、老婆は小屋の奥に引っ込んだ。


next /
return to index
home