永遠に春の来ぬ国がありました。
永久の雪国でした。
国の中心にはお城があって、一人の姫君が住んでいました。
雪の中に立つ杉の如く背が高く、髪は吹きつける吹雪のように白く、瞳は冬雲のように暗い色をしていました。
お城の外では常に吹雪が荒れ狂い、根雪が眠り姫の茨の如く城を取り囲み、誰も姫には近づけませんでした。
姫は長い長い永い間、孤独に暮らしてきました。
ある日吹雪の中で、一人の若者が城に辿り着きました。閉ざされた城門の前に立ち、手にした指輪をかざしました。血のような色の紅玉を嵌めこんだ、美しい金の指輪でした。
長いこと凍りつき、閉ざされていた城門は、吹雪の中に音高く開きました。
若者は風に煽られながら、這うようにして城門の中へ入りました。
城の扉もまた凍っていました。若者が指輪をかざすと、扉を閉じ込めていた氷は解け、若者は戸を押し開けて中に入りました。
扉を開けるとそこは城の大広間でした。若者は疲労と震えでもはや立っていることが出来ず、その場に倒れこみました。
大広間の暖炉には凍えるような冷たさの、氷の火が燃えさかっていました。
そして炉の前に、姫は座っていました。
若者は姫を見ました。
姫は黙って椅子から立ち上がりました。
その暗い瞳には、冷えた憎しみがこもっていました。
「なにをなさりに来たのです。今更」
若者に問いかける姫の声は冷たく凍っていました。
若者は凍った石床に這いつくばって姫を見上げました。
「あなたよりお預かりした愛を、届けに参りました」
そう言って震える手で、指輪を姫の前にかざしました。
「姫よお許しを」
「許しません」
そう答える姫の唇は震えていました。もう冷たさはありませんでした。
「あなたは私が与えた愛を捨て、別の女性と結ばれました。愛を奪われた私は身も心も冷え、こうして国には決して明けぬ冬が来た。すべてあなたが原因なのです。あなたにその指輪を与えるのではなかった」
若者が這いながら姫に近づいていきました。
「あなたの愛の証として、私はこの指輪をいただきました。長の年月、こうして失うことなく手に持っていました。私は確かにあなたを裏切った、ですが、心の底に残った最後の誠意が、あなたのもとへ指輪をお返しするようにと訴えたのです」
「世迷いごとを」
姫が呟きました。
涙の筋が、白い頬をすうっと通っていきました。
「私はこの冬の国で、あなたを憎み続けてきた」
娘に少しずつ近づくつど、男の口から白い息が漏れました。
「ですが、この指輪の前に、あなたの城の扉はすべて開かれました。それこそが、あなたが私を永らく待ち続けてくださった証拠」
姫の美しい顔が歪みました。
「嘘です」
「嘘ではございません。こうして」
若者はついに姫に近づき、凍えきった指が姫の白いスカートの裾に触れました。
そのまま姫の膝を掻き抱いて、若者は言葉を続けました。
「あなたは私があなたを抱くことをお許しくださる」
「嘘です」
姫はまた呟きました。しかし、若者の手を振り払うことはせず、その場に立ち尽くしたままでした。
姫が瞬きをすると、涙の粒が若者の額に落ちかかりました。
その涙にはかすかなぬくもりがありました。
「嘘です。私があなたを待っていたなどと」
「嘘ではございません」
震えながら伸ばされた若者の手を、姫の手が優しくつかみました。
姫は若者の前に跪きました。その表情からは既に、すべての仮面が取り払われていました。
姫の白い頬に伝う涙を、若者が手でそっと拭いました。
「肉体が滅んだ後も、こうしてあなたは私を待っていてくださった」
若者が、唇をゆっくりと姫に近づけました。
姫は逃げませんでした。
「ゆえに私は来たのです。死せる肉体を捨てて、魂のみが、あなたにまごころを届けに」
唇と唇が触れ合った刹那、呪縛は解けました。
城の内で風が吹き荒れました。
姫の姿も若者の姿も消えて、ただ無人の寒々とした広間の中を、風が荒れ狂いました。暖炉の中の凍える火はふっつりと消えて、それきり熱も冷たさも取り戻すことはありませんでした。
城の中の吹雪は一晩続きました。
翌朝、無人の廃墟となった姫の城の、かつて大広間だった場所に、金の指輪が一つだけ、落ちていました。
広間に敷き詰められた石床の隙間から、若木の双葉が芽を出していました。
指輪の環の間を抜けるように生えたその葉は、久方ぶりの命の息吹を見せつけるかのように、鮮やかな緑に輝いていました。
(了)
|