禁忌

 

2005/08/25
王女と異母兄の恋
★★☆



 王女が婚姻のために隣国へと出立する前の晩、王の庶子である異母兄が王女の部屋の窓の下に立った。
 中庭は甘い花木の香りがした。
 異母兄の気配を察したか、王女が闇の中へするりと姿を現した。男の姿を認めて暫し身動きを止め、それから無表情のままに男の傍へ歩み寄った。
 兄は妹の手を取りくちづけた。妹の淡い青の瞳が、兄を心まで見通した。
「わたくしは笑うことはいたしません」
 形のよい唇がそっと囁いた。
「泣くこともいたしません。敵の王のもとへと嫁ぎ、憎しみと陰謀の家庭を築き、刃と毒にまみれて屍となろうとも」
「姫」
 男は王女を妹と呼ぶことを許されていなかった。
 王女は異母兄の躊躇いにかまわず続けた。
「貴方と血を分け、父上の子として生まれたときにわたくしの運命は決まりました。そしてわたくしは死を決定づけられました。愛してはならぬ方を恋せずにはいられなかったが為に。触れてはならぬ方を心が望んだが為に。その方と添い遂げられないなら、わたくしは生きていないも同然なのです。心をその方に預け、生ける死者となってどこへなりと参ります」
「姫!」
 激昂しかけた男の口を、姫のたおやかな手が押し止めた。
「貴方には武人としての未来がおありのはず。未来なき王女のわたくしと違って」
 それは男には拒絶より耐え難い言葉だった。
 男は王女をまっすぐに見て告げた。
「私には貴女を今ここで攫って行くこともできる。貴女が望みさえすれば必ずそうする。血も身分も、私の枷となることはない」
 王女の目が大きく見開かれた。
 一瞬その淡い青の中に、強い歓喜がよぎるのを男は見逃さなかった。
 だがその光はすぐに、理性の裡に影を潜めた。
「わたくしのためを思うならご自重を」
 うつむいた姫の顔から表情を読みとることはできなかった。
「御武運を心よりお祈りいたします。ご壮健でおられますように。貴方が陽光のもとで惜しみなく愛を捧ぐことができる、わたくしに遥かにまさる女性に出会えますように。貴方のお心には、つねに平穏と幸福が宿りますように。冷たい骸となるまで、わたくしはそれだけを祈るでしょう」
 男は姫に伸ばしかけた手を止めた。
 王女はもう、男の顔を見ようとはしなかった。
「さようなら」
 王女は身を翻してその場を去った。
 男と、むせ返るような花木の香りだけが闇の中に残った。
「貴女の祈りは叶うまい」
 男がひとり呟く。
「私もまた、心を貴女に預けて生ける屍となったのだから。たった今」
 王女と同様、男も、泣くことも笑うこともしなかった。
 そしてうなだれて庭を去った。
 闇の中で、白い花たちが木々の枝に取りついて、いつまでも芳香を放っていた。



                                      (了)

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