2006/04/03
故郷の街を恋う男
★★☆
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ある男が、商売に向かった出先で病に倒れた。
故郷の大きな街とは十日足らずの距離を隔てた宿場の中でのことだった。
男は高熱を発し、うわごとのように妻と子の名を呼んだ。
宿の親父は人の良い男だったので、男のために医者を呼んでやった。
病状を診た医者は、男はもう助からぬと言った。二週間のうちに死ぬであろうと。
宿の親父は男に呼びかけた。あんたにそのつもりと金の用意があるなら、使用人を使って男の妻を呼びにやることもできると。自腹を切るには親父に手持ちがなさすぎた。
男は提案を受け入れて金を渡した。宿の使用人は男の故郷へ旅立ち、十余日が過ぎた。
夜の闇の中に、死にゆく男のひゅうひゅうという息だけが聞こえる。
医者はもう男の体が保たぬだろうと告げた。
男の故郷へは山を二つ越さねばならぬ。女の足でそうそう容易く辿り着けるとは思えない。
男は妻の名を呼んだ。
息子の名を呼んだ。
母の名を呼んだ。
茫漠とした意識の中で、ただ故郷だけを思い起こした。
宿の親父は戸の外に立って、使用人と男の妻の到着を待った。
やがて暗闇の中に、松明の明かりがちらちらと見えた。
その向こうに、明るい街の灯が幻影のように浮かび上がった。
親父は目を瞬いて手でこすった。
再び見るとまぼろしは消えていた。
松明を掲げて、宿の使用人が現れた。
その後ろに、くたびれ果てた顔の若い女が続いていた。男の妻だった。
親父が戸を開けて二人を迎え入れようとすると、医者が中から出てきた。
「死んだよ」
それを聞いた妻がわあっと泣き出した。
男は宿の一室でこときれていた。
その死に顔に、十数日間の苦悶は名残を留めていなかった。
待ちかねていたものを遂に得た喜びに、ただ柔らかく微笑むばかりだった。
(了)
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