濡れた瞳

 

2007/10/03
歪んだ愛と狂気
☆☆☆



 さる女を、あまりにも愛した男があった。
 女はすでに友人の妻だった。
 男は女への慕情に堪えず、ある夜半、友人の留守に、ついに友の寝室に押し入って女を奪った。
 女を組み敷きながら、激しかった女の悲鳴がやがてかぼそく消えてゆくのを、男はどこか遠いところで聞いていた。
 女の濡れた瞳は男を映さず、ただ虚空を覗き込んでいた。
 女の愛を得られぬことにさまざまに絶望しながら、男は犯した女を詰った。自分の愛に応えぬとはそれほどに夫を愛しているからかと。
 女の瞳が初めて男を見た。
「あなたは私に愛など期待しておられますまい。あなたの本心に気づかぬとでもお思いか。あなたは私の夫をお抱きになればよかったのだ。私ではなく」
 女の声と視線に込められた最大限の侮蔑が、男を完全に逆上させた。

 朝方。館に戻ってきた夫は、一夜のうちに妻と友とを失っていた。
 寝室で、狂気に飲まれた男が甲高く笑いながら、血塗れの剣を妻の腹に繰り返し突き刺し続けている。
 青ざめて声も表情も失った夫を、殺人者となった男が振り向いた。
 屈辱の涙に濡れた瞳がぎらぎらと輝く。
 その光の奥に、乙女よりも純粋な恋と嫉妬が宿っていた。



                                      (了)




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