路傍

 

2005/08/27
将軍と姫と吟遊詩人
★☆☆



 ある国にひとりの将軍があった。
 将軍は「間違って人間の腹から産まれた化け物」と呼ばれるほどの醜い男で、戦における猛者ぶりで知られていた。将軍は独り者で、商売女以外は相手にしなかったので、周囲からは女嫌いだと見なされていた。
 化け物には似つかわしからぬ、涼しげな美貌の吟遊詩人が彼の傍には仕えていて、将軍が命じるままに彼の武勇譚をさまざまに歌い上げていた。
 木々がさまざまに色づき始めるころ、将軍は珍しく深刻な顔をして吟遊詩人を呼び寄せた。
 遠い北国への遠征が決まったのだという。厳しい冬の時期に異国で戦を繰り返すことになるであろう。
 将軍は長いこと押し黙っていたが、やがて懐中から目も眩むような美しさの首飾りを取り出して、これを国王の五番目の姫に渡して欲しいと詩人に頼んだ。贈り人の名は告げなくてよいとも。
 詩人は、五番目の姫が侍女たちと笑いさざめく広間に向かい、そこで言われたとおり首飾りを姫に差し出した。
「あら。ずいぶん趣味のいい飾りだこと。贈り主はどなた?」
 榛色の瞳を輝かせて姫は詩人に問うた。
 詩人は主人の言いつけを破って、将軍の名を姫に伝えた。
「まあ!あんな化け物が?」
 姫の可憐な手が口を覆った。
「まさか私に恋でもいいかける気かしら。正気の沙汰とは思えないわね!」
 声を上げて無邪気にかつ高らかに笑って、首飾りを手繰りながら、
「醜い顔のわりには、選別の趣味はいいのね。宝を護るドラゴンのように、己の醜さが審美眼を鍛えるのかしら。ふしぎだわ」
 それきり詩人のほうを見ようともしなかった。
 詩人は主のもとへ帰った。
「どうだった、首尾は」
 いびつな将軍の顔は紅潮していた。
「言いつけに背いて将軍のお名前をお教えしてしまいました。姫は贈り物を非常に喜んでおられました」
 詩人の言葉に将軍は小躍りした。
「でかした!これで異郷で泥土にまみれて屍となろうとも、我が心に悔いはない」
 将軍はわれ鐘のような声を上げて笑い、詩人の肩をどやしつけた。
「おれが敵地で果てたら、姫に歌を歌って差し上げてくれ。心を姫のもとに残して死んだ、哀れな醜い武将の物語をな!」
 そして将軍は兵を率いて北へ向かった。
 冬が過ぎ春が巡って夏も盛りの頃。将軍の訃報が城へ届いた。
 吟遊詩人は言いつけの通り、再び姫のもとへ行って竪琴を弾きつつ、将軍の歌を聞かせようとした。姫は興味なさそうに手を振って、「お下がり」とだけ言った。
 吟遊詩人は竪琴をしまい、黙って姫の傍を下がった。起居していた将軍の詰め所だった館にも戻らず城を出て、それきり戻っては来なかった。

 数年の後、王城では疫病が流行った。五番目の姫の貌にも、疾病の女神がその手を触れた。
 病が癒えた後、姫の貌には醜い痘痕が残った。
 姫はもう侍女と共に笑いさざめくことはしなくなった。白昼庭に出ることもなく、夜、供も連れずにただ一人でテラスに佇むことが多くなった。
 そしてある夜、ひとりで城を抜け出して、行方知れずとなった。
 半月の後に、城の裏手にある狩場の湖から遺体が上がった。
 その身を腐らせ魚に食われた、さらに醜くなった姫の遺体が。

 それから季節が一巡りした頃。
 城下町の広場の片隅で、涼しげな美貌の吟遊詩人が竪琴を奏で、恋歌を歌っていた。
 武勇誉れ高く王に忠誠の篤い英雄と、彼に愛されて結ばれる美姫の物語だった。
 詩人を取り巻いて歌に聴き入っていた人々のうちから誰かが言った。
「その歌に出てくるのはいつごろの人物なのかね」
 吟遊詩人は黙って微笑しただけで、何も答えなかった。
 被っていた帽子を脱いで人々に差し出し、幾ばくかの金を投げ入れてもらうと、金を袋に移して帽子を被り直し、竪琴をかき鳴らしながら広場を去った。
 竪琴の音色は彼が城の門をくぐって歩き去るまで途切れることなく続いた。
 かつて勇名を馳せた醜い将軍の墓に、かつて美しかった王女の墓に、詩人の竪琴の音が風に乗って届いた。



                                      (了)




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