2007/07/11
庭師と奥方
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館の奥方は遠い異国から嫁がれてきた方だった。
いつも、庭園の池の縁に優雅に腰掛けて、きれいな絹の日傘でその白い顔を太陽から隠し、穏やかな風に吹かれるまま、お国のほうを眺めておられた。
年老いた庭師が、庭園で、丹精込めて木々や花々を世話している。
庭師は決して手を休めず、だが耳は、奥方の衣擦れを必死で拾っていた。
視界に奥方が入れば、彼は頬を赤く染めてそっと顔を逸らし、老いて卑しい自分の目に奥方が映らぬようにした。庭師は巌のような節くれだった手で、肥料をやり、枝を剪定し、多すぎる花芽を摘み、奥方の眼に映る庭のすべてがこの上なく美しくなるようにと魔法をかけていった。
夏の始め、池の水面に奥方の見慣れぬ黄色い花が咲いた。
奥方はその花をしげしげと眺め、頭を巡らして、遠くで水まきをしていた庭師を声を上げて呼んだ。
自分を呼ぶ初めての声に、庭師の心は震えた。
頭を垂れて歩み寄ってきた庭師に、奥方は尋ねた。
池に咲いた花の名前を。
「睡蓮」
庭師の緊張した声が奥方の耳に届く。
「睡蓮でございます」
そう言い切って、初めて、庭師は顔を上げ、奥方の顔を正面から見た。
頬を、これ以上ないほどに紅潮させながら。
「そう」
奥方は、庭師に向けて優しく微笑んだ。
水面で金色に輝く花のように、清らかで美しい笑顔だった。
庭師は老いた心にその笑顔を深く刻みつけた。
少年のように心臓が熱く激しく脈打ち、庭師はその場に立ち尽くした。
数歩離れた池の水面に、庭師の姿が逆さまに映し出されている。
その手前で、睡蓮が、繊細な花弁の一枚一枚を、きらきらと輝かせていた。
(了)
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