憂い

 

2005/08/26
貴婦人の城を訪ねる詩人
★☆☆



 さる若い吟遊詩人が裕福な貴婦人の城を訪れた。
 気前のいい報酬をあてこんで、さまざまな恋歌や勇ましい冒険譚を切々と歌って聞かせた。
 白く色の抜けた髪をきっちりと巻き上げた貴婦人は、糸を繰る手を時折休めながら、ほほえみつつそれを黙って聞いていた。
 一冬の間、詩人は貴婦人の城に滞在した。貴婦人は詩人に食事と暖を与えた。
 春が来て詩人が貴婦人のもとを辞するとき、貴婦人は詩人に空の金袋を与えて寄越した。
「おまえが歌う詩は、つれづれを慰めるのにはそれは役に立ったわ。けれど、遠き山の竜や、それを退治する野心に満ちた若者や、彼に恋焦がれる星の涙の姫君たちの歌は、わたくしの心の琴線には触れることがなかったの。わたくしの人生は、おまえが語るに足らぬ山と谷ではあったけれど、それなりに波瀾万丈だったのですよ」
 微笑する貴婦人の瞳に、きらりと鋭い光がともった。
「そのような美しくはかなく愚かな物語は、ものの道理を知らぬ幼い姫たちにこそ聞かせておあげなさい。彼女たちは喜んで、おまえに財を与えるでしょう」
 そこで吟遊詩人は、次に向かった隣の城ではそうした。
 その城の年若い姫は、確かに自らの財を詩人に与えた。
 彼女が詩人に与えたのは金と宝石だけではなかった。
 次の春が来る頃には、詩人は罪人として縊られて城下町の広場をぶら下がり、未婚の姫の腹には子を、心には憂いを残していた。
 となりの城の貴婦人は夏の終わりにその話を伝え聞いた。
「実際に起こる物語とは、得てして残酷で救いのないものね。誰の身にも」
 誰にともなくそう呟き、黙って糸を繰り続けた。



                                      (了)




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