歪んだ理想

 

2005/08/31
王女と竜と若者
☆☆☆
残酷表現あり



 むかし、ある王国に、それはそれは美しい王女さまがおりました。
 王さまは王女さまをとてもかわいがりました。
 王さまもお姫さまもたいへん親切で心根の優しいかたでしたが、彼らに仕える大臣は心のよこしまな人でした。
 ある日、大臣は王さまを殺して権力を奪いました。そしてお姫さまを捕らえ、王国の西にある広い山林の中に連れていって置きざりにしました。
 近辺の山には恐ろしい竜が巣をつくっていました。その竜がお姫さまを食べてしまえば、大臣の邪魔をするものはいなくなると考えたのです。
 果たして竜がお姫さまのもとに現れ、悲鳴を上げる彼女をさらってゆきました。
 それきり王女さまは、人里に姿を現すことはありませんでした。

 数年がたちました。
 今は大臣が新しい王さまでした。
 さきの王さまの遠い親戚に、心のまっすぐな若者がいました。彼の家は裕福ではありませんでしたが、仇を取ろうとなけなしの財をはたいて旅装を整え、西の山へと向かいました。
 それというのも、彼が夜な夜な奇妙な夢を見るようになったからでした。
 夢の中で、竜に殺されたはずのお姫さまは生きていました。竜に殺されたのではなく、竜の身の回りの世話をして生き延びていました。竜はお姫さまを金の鎖でつなぎ、住処にしている洞窟の外に出られないようにしていました。
 若者はこれはなにかのお告げに違いないと思いました。王女さまはまだ生きていると信じて、彼女を救うために西の山へやってきたのでした。
 竜の洞窟はあっけないほど簡単に見つかりました。若者は馬を下りて、用心しつつ中へ入っていきました。
 松明をともし、暗い洞窟の中を歩いていくと、三匹の小さな竜が寝ているのに出くわしました。若者が侵入したのに気づいたふうもありませんでした。頭の大きさが若者の足ほどにもない小さな竜でしたので、若者は音を立てないように気をつけながら腰の剣を抜いて、眠っている三匹を次々と刺し殺しました。
 そうして若者は更に奥へと進みました。
 洞窟の奥には、一匹の大きな竜が寝そべっていました。どうやら病気のようでした。若者の姿を認めると竜は首をもたげ、心の奥まで見通せるような金の瞳で若者を見つめました。若者は怯みませんでした。竜の体が利かぬのをこれ幸いと剣を振り上げ、ひと太刀で竜の首を斬り落としました。
 途端に悲鳴が聞こえました。
 若者が振り向くと、そこに王女さまが立っていました。王女さまは手に盆を持っていたようでしたが、盆じたいは、運んでいたものといっしょに地に落ちて王女さまの足元に散らばっていました。いくつかの薬の瓶が、割れて転がっていました。
 王女さまは金の鎖でつながれてはいませんでした。ただ囚われの身であったことは確かなようでした。若者は王女さまの手を取って話しかけ、あなたを都へ連れ帰って王妃にしてあげると約束しました。王女さまはひとこともしゃべらず、ただあおざめた顔で死んだ竜を見つめていました。若者は王女さまの手をひいて洞窟の出口へと歩き出しました。とちゅう、三匹の竜のむくろを見て、王女さまの顔はもっとあおざめました。

 若者はぶじに王女さまを救いだし、彼女と結婚しました。王座を奪った悪い大臣を殺して、こんどは若者が王さまになりました。若者は約束どおり、王女さまを王妃さまにしたのでした。
 王妃さまのお顔に笑みが戻ることはありませんでした。王妃さまは王女だったころと同じく、それはそれはうつくしかったのですが、今ではその美しさには、湖が水面に森の緑を映しだすときのような、暗い翳りがありました。
 やがて王妃さまはみごもりました。王さまは自分の王国が安泰になると思って、手を叩いて喜びました。
 それを見た王妃さまの顔に、初めて微笑みが宿りました。
 湖の底の水のような、暗い冷たい微笑でした。
 やがて王妃さまのお腹は大きくせり出しました。王妃さまはお腹を愛しそうに撫で、つねに何事かをご自分のお腹に向かって話しかけていました。辛く悲しい人生が続いた王妃さまでも自分の子は愛しいのであろう、と、王さまは目を細めてそれを見つめていました。
 ご出産の夜。
 産屋から悲鳴が漏れました。王妃さまの声ではありませんでした。
 出産に立ち会った侍女の悲鳴でした。王妃さまの脚の間から産婆が取り上げたのは赤子ではなく、血にまみれた子どもの竜でした。
 声も上げられずに呆然としている産婆に竜が取りついて、その頭を果実のように囓り、瞬く間に貪りつくしました。悲鳴を上げて逃げまどう侍女たちに、背後から竜が炎の息を吹きつけました。黒い柱となって倒れる侍女たちを、産褥の床から、王妃さまが笑って見守っていました。
 騒ぎを知った王さまが駆けつけたときには、惨禍は産屋の外に広がっていました。王城で暴れ回り、人を屠る竜を目の当たりにして王さまは立ちつくしました。血と肉にまみれた廊下を、王妃さまが血の染みた下着姿のままで王さまのほうに向かって歩いてきました。脚の間を伝う後産の名残が、床に長い血の筋を作っていました。
 王妃さまが、王さまに向かって声を放ちました。
「仇を討てる日がついに来たわ」
 ぎらぎらした目が王さまを射ぬき、王妃さまが口を大きく開けて笑いました。その様は、もはやちっとも美しくはありませんでした。
 人の肉を喰んで、牛四頭分にも大きくなった竜の子が、王さまに向かって赤い口を開きました。
「我が良夫と三人の子を殺し、我が身と玉座を恣にした報いを今こそ受けるがいい!」
 竜が骨を噛み砕く音に混じって、王妃さまの哄笑がいつまでも廊下に響きました。
 夜が明け初めるころ、魔女となった王妃さまは高らかに笑いつつ、子竜の背に乗っていずこかへ飛び去りました。
 そして、王城へは二度と戻りませんでした。

 今も夜の風に乗って、ときおり、女の人の高い笑いが聞こえます。
 それは憎しみに身を染めた、王冠を被った魔女のしわざです。
 しもべであり我が子でもある竜の背に乗って、復讐の勝利に酔いながら、宙空を飛びまわっているのです。



                                      (了)




戻る