白雪姫








 城市の中央の広場に、大きな竈が築かれている。
 赤みを帯び、熱を放つその竈の上に、一枚の鉄板が敷かれている。
 縄で後ろ手に縛られた女が、兵士たちに引き立てられて広場に引きずり出された。
 若くはないが年老いてもいない。かつて艶を帯びて輝いていた栗色の髪はざんばらで、着せられているのは動物の毛で織った、ごわごわとしたスカートだ。
 この女が一月前までこの国の王妃であったことを、見物する町の人々は皆知っていた。
 今、王の隣に座り王妃の宝冠を戴くのが、その女の一人娘であることも。
 この女の処刑の場が最もよく見える位置に、王族の見物台が設けられている。年老いて青ざめた顔の王の横に、女によく似た年端も行かぬ娘が座っている。
 王妃の座席は娘には大きすぎた。母から奪った、どっしりしたマントとスカートも、少女が纏うにはあまりにも重々しすぎた。14の春をまだ見たことのない、若々しく張りのある肌は、新雪のように何処までも白い。胸にかかる黄金製のブローチはつがい合うこがねむしの形をしている。そのことが、少女が処女でなく女であることを物語っていた。唇は血のような赤で、その瞳は夜の闇のように暗い。腰まで届く髪は文字通り漆黒で、白い肌とは対照的だった。
 大きな目とあまりに整ったその容貌が、人形めいた印象を見るものに与える。母から王妃の椅子と服とを奪って、少女は無表情で母の処刑を見ようとしていた。
 新しい王妃が王の実子であることもまた、誰ひとり知らぬもののない事実だった。
 激動の歴史から閉ざされた山間の小国では、このようなことはしばしば起こった。
「姫よ、良いのか」
 年老いた王が震え声で尋ねる。処刑される前妻は力ある魔女で、彼女の呪いがわが身に降りかかることを怖れているのだ。
「怖れることはありません、王よ」
 澄み切ってはいるが威圧的な声が、少女の口から漏れる。少女もまた魔女だった。実母にかけられた死の呪いを打ち破り、生まれた城に舞い戻った、母を超える力を持つ魔女である。
 処刑場の女が少女を見た。青い瞳に宿るのは絶望の眼差しだ。娘は満足を覚え、唇を舌で湿した。その表情に甘やかなものは微塵もない。父との密会を暴かれて黒い森に追放されて以来、母に対し感じるのは暗い憎悪だけだ。
「私は母の魔法を打ち破った。あの女に私を呪う手立ては残されていない。王よ、あなたも、私の魔力の庇護の下にあるのです」
 かつて母が保持していた権力を、娘は欲し、手に入れたのだ。
「私の力と美貌とを、母は怖れた。私を追放したのはそのためです。王妃の座には最も力ある魔女が就く。その掟をあの女は破り、魑魅魍魎の巣くう黒い森に私を追いやった。あの頃の私はあまりにも若く、彼女の力を払うすべがなかった。黒い森で私は狩人の血をすすり、七つの地霊と契約を交わし、あの女の最後の呪い、死の呪いを覆した。私の力はあの女の力を凌駕する。古い魔女は消え、新しい魔女が王妃の座に就く。当然の帰結です」
 娘は黒い森での出来事を思い返した。若い狩人と交わり、醜いが力を持つ地霊たちと次々につがった。実母が仕掛けた最後の魔法、常若の国の不死の林檎、生ける者が口にしてはならぬものを誑かされて飲み下してしまったのは苦い敗北の思い出だが、地霊たちが実父の王を彼女の下に呼び寄せてくれたおかげで、彼女は死の国の林檎を吐き出すことができた。
 娘は口の端を笑う形にゆがめた。禍々しい猛禽の笑み。母親である魔女が、縄を解かれて熱く焼けた鉄板の上に突き飛ばされる。
 女は悲鳴を上げてのたくった。鉄板の上から駆け下りようとするが、そのたび、竈の上に立つ兵士たちに槍を突き立てられて鉄板の中央に追いやられる。
「若い男の槍を、たっぷりともらうがいい」
 舌なめずりをしつつ、娘は呟いた。明らかに興奮している。重々しいマントとドレスの奥で、若い肢体が疼いた。
 父王は玉座の肘掛を強く握って、この恐ろしい情景に耐えようとしている。顔から脂汗が滴り落ち、体が苦しげに震えた。夜毎娘との逢瀬を交わす王は、この一月で見る影もなく年老いた。この王もまた娘の母と同じく、娘によって命を奪われつつあるのだ。
 肉の焦げる臭いが次第に強くなる。母親だった女は苦しみながら息絶えて、鉄板の上で干からびてゆく。
 娘の隣で、王が体を二つに折った。胸の辺りを押さえて、苦しげに喘ぐ。娘は慌てる気配も見せず、ゆっくりと首を王に振り向けた。
「古い王も、必要はないのよ」
 竈の火に照らされて、娘の顔が赤く燃える。
「おまえは私を寝床に引き入れながら、母から私を守らなかった。私が追放されたのを黙認したね。それを、私が赦すと思うの?」
 夜の闇の瞳が強い邪気を放つ。
「老いぼれた王は要らない。私は、私にふさわしい若い男を王に据えるわ。私の母がかつてそうしたように、妻に従順な、意気地の弱い男を」
 玉座の下にくずおれた老王の体は、もはや動かない。
 幼い笑い声が、竈からの熱に乗って空に放たれた。黒い髪が生き物のようにうねり、赤い唇から白い歯が覗いている。

 領内に住む農民たちは、自分たちの新しい女王をあえてこう呼んだ。
 雪のように白い肌を持つ、「白雪姫」と。









                                            (了)





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