<其乃十> 「…………、」 宗三左文字の言葉の正確な意図が掴めず、歌仙兼定が黙っているうちに。 その場に座したまま、歌仙兼定の至近で、宗三左文字は肩に残っていた小袖を床の上に払い落とした。 歌仙兼定に指で捲り上げられて、萎えた竿と陰嚢を露出させていた下褌も、二振目は自ら紐を解いて取り払い、歌仙兼定の前で完全な裸身になる。 「――――宗三左文字どの、」 射精後の、熱を帯びた宗三左文字の滑らかな肢体が露わになり、歌仙兼定は息を呑んだ。 呼びかけに二振目は瞬きをして、色違いの目で歌仙兼定の顔を一瞬だけ見つめた。 笑みも情念もそこにはない。感情の発露を感じない、ただ整っているだけの相貌。 宗三左文字のそんな表情に歌仙兼定は戸惑う。 だがすぐに、淡紅色の睫毛は伏せられて、宗三左文字の視線は面ごと下方に落とされた。 汗ばんだ白い両手が歌仙兼定の腰に伸びてきて、帯を緩めにかかる。 「……、宗………」 困惑したように歌仙兼定が呟いたが、宗三左文字の手は止まらない。 「……あなたの仰るとおり、僕は経験はありませんから……、今し方、あなたが僕に教えてくださったことしか、自分からはお返しできませんが……」 言いながら、宗三左文字の手が歌仙兼定の小袖の褄を少し開いて、下褌に包まれた性器を撫でるように触れてきた。 「! ッ、」 布越しの触感と、宗三左文字らしからぬ奇妙な積極性に怯んだ歌仙兼定だったが、 「手で、慰撫しますか……? それとも、先ほど僕がしていただいたように、口を使って、致しますか……?」 恋人だった一振目と全く同じ声で、恋慕ではなく従属からくるような口調で問われて、歌仙兼定は強く動揺した。 「………、待っ、……」 一振目と歌仙兼定とは、ときに、対等な恋人同士として以上に、『徳川蔵刀と大名蔵刀』という、かつての身分差を認識し合いながら時を過ごしてきた。 だが今の二振目は、まるで己が歌仙兼定の所属物であるかのように、へりくだった態度で性戯を為そうとしてきている。 宗三左文字と呼ばれた刀がそんなことをするとは、歌仙兼定の理解の外にあった。 歌仙兼定が躊躇う間に、宗三左文字の手は歌仙兼定の腰帯を完全に解いてしまっていた。小袖の襟が割れ、歌仙兼定の量感ある肉体が夜気に露わになる。 宗三左文字はその胸板、腹筋に触れて更に腕を伸ばし、今しも、下褌の中の竿を手に掴もうとしてきていた。 「待ってくれ! やめるんだ、宗三左文字どの……!」 歌仙兼定は良く通る声を張り上げて、思わず、二振目の白い腕を掴んで己への愛撫を阻止した。 「……………、お気に召しませんでしたか、」 手を捕らえられた宗三左文字が、邪気の無い様子で尋ねてくる。 無いのは邪気だけではない。覇気も感じない。 二振目には、一振目が持っていた自負や気位が完全に失われていた。 「……やはり、手ではなくて、口での慰撫をお望みですか……?」 「ッ……、そうじゃない……!」 もう限界だった。 二振目と言えど、『宗三左文字』とこんなふうに相対するつもりはなかった。 宗三左文字の手を掴んだまま、歌仙兼定は叫んだ。 「きみを、こんな……、僕専用の陰間や色小姓みたいに扱う為に、僕の屋敷に留め置いてる訳じゃない! 止すんだ、こんな、雅じゃないことは……!」 怒鳴るように言われて、宗三左文字は剣幕ではなく言葉の中身に驚いたようだった。 「違うと言うのですか……? あなたのほうから、あんな触れ方をしてきたのに、」 「っ…、」 宗三左文字の指摘に後ろめたさはあるが、歌仙兼定はそれを取り繕うこともできなかった。 「きみは……、今宵、ほんとうは、別に僕に抱かれたい訳じゃないだろう……!」 「それは……そうですが……、」 「なぜ抗いもせず平気でいられるんだい? 思慕をしてもいない者に、身を恣にされるどころか、自ら進んで奉仕しようなんて、」 「……あなたが、それを仰るとは……。歌仙兼定……」 意外だ、と言いたげな表情で、宗三左文字は歌仙兼定に返してきた。 「性戯を仕掛けてきたのもあなたなら、僕を此処に幽閉しているのもあなたですのに……。そもそも僕の意思など……あなたには、気にかけるほどのものでもないんでしょう……?」 それは一面の事実ではあったので、歌仙兼定は瞬間言葉を失う。 その間に裸身の二振目は続けて、 「一振目の形代として、あなたが僕を欲した結果……、……僕は、あなたの慰みとして、この場に置かれたのでは……?」 「――――――違う!」 二振目にそう認識されていることが悔しくて、歌仙兼定は強く否定した。 昨日、二振目の深傷や刀解の可能性を知り、手入れ部屋に彼を攫いに行かねばと決めたときの恐怖と緊張が歌仙兼定の胸に蘇る。 あの時、己の保身や一振目への感情を天秤にかけ、それでも二振目が喪われるのを看過はできぬが故に、身を切る覚悟で彼を拐かしたのだ。 『囲い者にするのが当初からの目的だった』と当人に思い込まれて、 それ以上に歌仙兼定には許容できないことがあった。 宗三左文字の、自らを下僕に貶める程の自尊心の低さ。 自分が見知った宗三左文字とはあまりに違っていた。 歌仙兼定は二振目の両肩を掴んで顔を覗き込み、緑の目を怒りに滾らせて、宗三左文字を睨み据えた。 「きみは一体どうしてしまったんだ? 天下人の佩刀ともあろうきみが……、他者に 歌仙兼定の声は自ら誤りに気づいて途中で威勢を失い、遂には立ち消えた。 言い募られる最中から。 二振目の色違いの瞳はいっそう生気が衰えて、表情も陰っていった。 「……歌仙兼定…………あなたが話しているのは、僕ではなく……、別の者、一振目の宗三左文字のことですよ……、」 相手の指摘を受けるまでもなくそれと思い知って、歌仙兼定は戸惑いと罪悪感で二振目の両肩から手を離す。 「………………、」 歌仙兼定の消沈を見て、二振目の宗三左文字も肩を落として俯いた。 互いに暫く沈黙した後。ようやく、歌仙兼定から声が発せられた。 「………済まなかった……。宗三左文字どの」 「……いえ。いいんです……」 目を伏せたまま、宗三左文字は首を横に振った。 「程度は違えど、城中の刀剣男士たちは皆……、僕と一振目を混同し、困惑していましたから。……あなたほど強い混乱や拒否を直に受けたのは初めてですが。……でも、それも、あなたと一振目との交わりの深さを思えば、当然のことなのでしょうね……」 「宗三左文字どの……」 歌仙兼定の視線の先で、俯いた宗三左文字が目を閉じる。 長い睫毛と、紅潮した頬に、淡紅色のほつれた髪が被さっている。 その気落ちした様子に、歌仙兼定は胸を打たれた。 面を伏せたままで、宗三左文字がぽつりと告げてくる。 「………歌仙兼定……。やはり僕は……、明日、あなたに口添えしていただいて、自らの刀解を、主に申し出たほうがいいと思うのです」 ぎょっとして身を強張らせ、穿つほどの鋭さで凝視してきた歌仙兼定の表情には気づかず、宗三左文字は続けた。 「それで全ての問題は解決すると思います。本丸の問題も、僕の問題も……。あなたの為にも、きっとそうするのが良いでしょう……恋人であった一振目の形代を求めるなら、三振目の宗三左文字が顕現するのを待つほうが。……無垢な刀剣男士こそが、近侍のあなたのお相手には似合いですよ……疵のある僕でなく」 「…………疵だなんて……、」 きみのどこに瑕疵が、と尋ねようとした矢先、宗三左文字がほんの少しだけ顔を上げて歌仙兼定を見つめてきた。 「お忘れですか? 僕は咎を負って此方に蟄居している、と、教えてくださったのはあなたですよ」 「……桶狭間でのことかい」 「ええ」 淡紅色の睫毛越し、潤んだ黒目がちの目に憂いを湛えて、宗三左文字は力なく微笑んだ。 「無理押しをして、刀剣男士としての僕を現世に留めずとも。一振目の形代に相応しい者はいずれ顕現するはずです」 「………きみは、どうして……、」 歌仙兼定は再び宗三左文字の剥き出しの白い肩に手で触れた。 「きみが、僕の知る者とは別人だとしても。どうしてそんなに自らを卑下するんだい? こんなに……優美な様をしていることは、きみも変わらないのに」 改めて、歌仙兼定は思い出していた。 二振目の宗三左文字が城中でどのように過ごしてきたか、自分は全く知らないのだ。顕現してからの短い間に、いったいどんな差異があって、一振目とこうも印象が違うと言うのだろうか。 歌仙兼定の手がゆっくりと宗三左文字の白い首を辿り、顎から頬へと触れる。 「何故、きみは……そんなに、現世に留まることを、嫌忌するんだい……?」 「……………………」 歌仙兼定の緑の目を、宗三左文字は見つめ返した。 「僕にも、よく……理屈はわからないのです……。顕現した当初から、……どうしてか、強い気鬱が僕に纏わりついていて」 汗ばんだ淡紅色の髪を歌仙兼定の手櫛で梳かれるままになりながら、二振目は訥々と言葉を続けた。 「僕は、一振目の宗三左文字を存じませんから……、本丸の者達が、皆、彼と僕とを見比べて、違うところや同じところを語られても、はかばかしい反応ができないのです。……こんなことを言って、どなたに理解を得られるのかわかりませんが……他者と比べられる都度、なぜだか、心が細っていくような気持ちがして……」 「…………」 己の態度にも心当たりのあることだったので、歌仙兼定は黙って宗三左文字を見つめた。 「ただ……ものを見るときの人の心とは、そうした傾向を持つものなのでしょうね。今まで見たものの中から似た何かに準え、踏襲する。……僕も、結局は。その所為で間違いを犯しました……」 宗三左文字の言う『間違い』が何を表すか、歌仙兼定も気がついた。 「……桶狭間で、義元公に逢いに行ってしまったことだね。……刀剣男士のきみは、刀剣時代の主の危機を救いに行ってはいけなかった……。あの日、きみと一緒に出陣した者から話は聞いたよ」 「――――そうですね……。ただ、それだけでなく………」 その後に宗三左文字は俯いて言い淀む。 桶狭間で何事があったというのか。 そうまで思って歌仙兼定は、軍規違反の当事者である宗三左文字から、桶狭間の状況を全く聴取していないことに気がついた。 本来ならば、宗三左文字が意識を取り戻した時点で、真っ先に、彼を取り調べなくてはならない筈だったのだ――――近侍として宗三左文字に接するなら。 一振目の死と、二振目が咎を負ったこと、この二つに、己は相当な動揺をしているものらしい。なるほど和泉守兼定の言の通り、今現在の自分は近侍に失格しているようだ。 恋人と同じ姿の目の前の宗三左文字を護りたかったら、今後は余程に気を引き締めなくてはならない。 歌仙兼定はそう自戒した。 「――――きみだけが経験した何事かがあの戦場にあるんだね。それを聞かせてくれ」 「……………」 声の色が変わった歌仙兼定に促されて、宗三左文字は震える息を吐き、つかえながらも言葉を続けた。 「……和泉守兼定や大和守安定に直接尋ねたわけではありませんが……恐らく、彼らも知らないことがあるのです。……僕は、自らの足で今川の本陣に出向き……御屋形様にお逢いして……、彼に、撤退するよう、進言してしまいました」 「……うん。その報告は、僕も和泉守兼定から受けている」 「御屋形様は……僕の姿が見えて、声も聞こえていましたが……それでも僕を、御屋形様に与する者だとは、信じてくださいませんでした」 「……………」 「あの方は……僕を、政敵だった兄君の霊魂と思い違いなさって。敗戦を予告した僕の言を信じないだけでなく、敵と認識して、腰の太刀を抜き、刃を向けてきたのです」 それを聞いた歌仙兼定の顔色が変わった。 桶狭間の、今川義元佩刀の太刀。 「……その太刀とは、まさか――――」 歌仙兼定の驚愕の声を受けて、宗三左文字は目を伏せて頷いた。 「ええ。刀剣の、宗三左文字でした。――――『左』の文字が入った、 「………………」 重傷を負う以前から、目の前の宗三左文字はそんな危うい状況だったのか。 二振目の言に、歌仙兼定は改めて肝を冷やした。 「直後に大和守安定がその場に割り入って、御屋形様の姿は見えなくなりました。……大和守安定には、御屋形様の声も姿もわからないようでしたから………御屋形様が僕をどうしようとしていたかは、彼は知らない筈です」 「………そんなことがあったとは……」 歌仙兼定が呟く間に。 二振目の唇が弱々しくも皮肉げな笑みを作った。 「……大和守安定の割り込みを待つまでもなく。あの時に消え果ててしまうべきでした……僕は。刀剣男士として顕現しておきながら……前世の主に刃を向けられるまで、彼に僕自身の忠誠を傾けていたのです。今世に現れた時点で、御屋形様との縁は既に切れていたのに、そのことにも気づかず……」 俯いたままの面に白い両手が伸び、宗三左文字は己の手で顔を覆った。 「御屋形様の手にある太刀の宗三左文字を見て、ようやくそれを思い知りました。僕がもはや太刀には戻らないように、御屋形様も、桶狭間での死の命運は変わらない、変えるべきではないということを。知った時には既に、大きな過ちを犯した後でした。………大和守安定は事前に教えてくれていたのです。生存している元の主と遭遇したら苦しくなる、何故なら常に彼を救えないから、と……。『歴史』の何たるかを知らなかった僕には、……『歴史』を護る覚悟を持てなかった僕には、刀剣男士としての価値はありません……。………此処で、生きる資格も………」 顔を覆う宗三左文字の両手の間から、声と共に涙が零れ落ち、肘へと伝っていった。 「………宗三左文字どの……」 下を向いた宗三左文字の頭を、その髪ごと、歌仙兼定の手が宥めるように撫でた。 「指摘された先刻には、まだ自覚できませんでしたが。……あなたが仰るとおり、僕は、あの戦場で、消えてしまいたくて刀を下ろしてしまったのでしょう。――――全てを終わりにして、前世と今世、双方の 「宗三左文字どの」 歌仙兼定が腕を宗三左文字の首と肩に回し、その身を己の体に引き寄せた。 「もういいんだ、それ以上話さずとも……よくわかったよ。……気の毒なことだ」 「……………、」 少し驚いたように宗三左文字が息を呑んだのが、歌仙兼定の耳に聞こえた。 「そんな堪え難い経験をしてきたのに、……夕刻はきみを気遣うこともできず、済まなかった」 「………、どう……、」 どういう意味か、と。 歌仙兼定の言葉の意図がわからず戸惑いながら、言葉足らずに問いかけた二振目を、歌仙兼定は更に両腕で抱き寄せた。 「事の正誤はどうであれ。……身命を賭して義元公の為に行動を起こしたのに、当の相手にそれを否定されるのはとても辛いことだっただろう……きみの進言だけでなく、きみの存在自体を拒否されるなんて。……きみの心が傷ついたのも当然だよ」 「……………、」 思いがけぬことを言われて、宗三左文字は涙に濡れた目を見開く。 「僕はよく知っているが。ひとの体というものは……、心の痛みを、本物の傷と同じくらいの痛覚として感じるものなんだ。愛する人から拒否を受けたら、心を切り裂かれるほどの苦しみを味わうに決まっている。―――まして、疎まれたまま相手の死を見ねばならないなんて」 「…………………」 恋人である一振目を喪った歌仙兼定の言葉には、喪失の実感と、宗三左文字への強い同情が籠もっていた。 宗三左文字の身体を抱える両腕から、再び歌仙兼定の熱が伝わる。 それは先ほどの淫熱ではなく、それより前の歌仙兼定自身の悲嘆とも少し違っていた。 自分への確かな共感。 「歌仙兼定………」 涙にくぐもった声で、二振目は囁くように名を呼ぶ。 背に回されていた歌仙兼定の腕が宗三左文字の肩を抱き直し、優しくその肌を撫でさすってきた。 「僕ときみは。……もしかして、そういうところが似ているのかも知れないな」 愛する者を喪った虚無感が。 その気持ちは先刻、歌仙兼定の頬に自ら手を伸ばしたときに、二振目も感じていたものだった。 「…………ええ……、そうですね……もしかしたら…………」 歌仙兼定の腕の中で、二振目はそっと頷いた。 宗三左文字の白い腕も、再び歌仙兼定の胴に回される。 互いの同情と喪失感が一つに混じり合い、心底にわだかまっていた苦い澱が少しずつほどけていった。 長い時間を経て。 歌仙兼定の声が部屋に響いた。 「それでも僕は。きみを死なせないよ、宗三左文字どの」 「…………………」 歌仙兼定の腕の中で、宗三左文字は身じろぎし、返事はせずに溜め息を吐いた。 だが歌仙兼定に捕らえられた体は弛緩しており、宗三左文字は何故かは知れず、歌仙兼定の宣言に己の心が安らぐのを自覚していた。 「明日になったら。何か手立てを捜そう」 捜すとは何を、と宗三左文字が問う前に、歌仙兼定は言葉を重ねた。 「きみを現世に留めておく為の手立てをね。何らかの、巧くいく方法がある筈だ」 「……………」 そんなものが世に在るとは思えず、だが歌仙兼定に反論する気も湧かなくて、二振目は黙って歌仙兼定の肩に頭を預けていた。 |
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