夏送り

 

2016/08/11
大倶利伽羅×骨喰藤四郎(未通)
花火・夏の情景/全1話


    




「今夜は城下で花火大会があるらしいよ。大がかりな打ち上げ花火だってさ」
 晩夏の早朝。
 城の畑で朝食用の胡瓜や茄子をもぎながら、燭台切光忠が傍で手伝いをしている打刀の大倶利伽羅にそう話しかけた。
「それが俺と何の関係がある」
 いつも通り、大倶利伽羅の返事はそっけない。
 燭台切光忠は機嫌を損ねるでもなく言葉を続けた。
「伽羅ちゃんは見に行くのかな、と思ってね」
「行くわけがないだろう」
 大倶利伽羅は憮然として茄子をもぎ、手にした(ざる)の中にそれを放り込んでいく。
 口はぶっきらぼうだが、燭台切光忠が畑番の時には大抵傍にいて彼を手伝っているのが大倶利伽羅だった。
「そう言うと思ったよ。……ああ、これはいい形の胡瓜だね。今回の作物の出来がいいのは、里の農家の助言に従ったおかげかな。感謝だね」
 時折収穫物の感想を交えながら燭台切光忠は会話を繋ぐ。
「花火大会は町衆の主催で、主くんも招待されているから、出席して貴賓席に座るそうだ。歌仙くんや蜂須賀くんも里の人にはそれぞれ面識があったり世話を受けたりだから、きっちり挨拶をしてくるらしいよ。短刀なんかの年若い子達は勿論、花火を見に行きたがってる。江戸時代の花火よりはだいぶ派手な代物らしいからね。僕も野菜の育て方を教わったり、ずんだの材料を譲って貰ったりしてるから、顔を出さないと格好がつかないんだよね」
「………結局何が言いたいんだ」
 取り留めなく聞こえる燭台切光忠の会話に、大倶利伽羅は苛々と口を挟む。
 燭台切光忠は隻眼でにっこりと微笑んだ。
「まあ、つまりだね。主くんも含めてかなりの数の刀剣男士が花火大会に出払ってしまうから、伽羅ちゃんが花火に興味ないのなら、城で留守番を頼まれて欲しいんだけど」
「最初からそう言え」
 最後の茄子をもいで、茄子の積まれた笊を燭台切光忠の手に押しつけ、大倶利伽羅は無愛想にそう返事した。呆れたような口調がそこに込められていることは、つきあいの長い燭台切光忠にしかわからない。
 燭台切光忠は苦笑する。
「伽羅ちゃんに命令するのは苦手なんだよね。きみは聞き分けが良すぎるからさ」
 その場に二人しかいないからこそ話せる、それは秘密だった。
 偶に口を開けば「群れるつもりはない」「俺は勝手にする」「おまえらも勝手にしろ」としか言わない大倶利伽羅だが、その本性が他人に対してかなりナイーヴであることは、燭台切光忠以外にはほんの一握りの者しか知らなかった。無愛想なとっつきにくさもまた彼の本質ではあるが、その下層には二十歳に満たぬ外見に相応しい、若々しい感性が横たわっている。
「その目尻を下げて、少しだけニコニコしてれば、刀剣男士としての人生がもっとおトクになるのにねえ」
 開いたほうの己の左目に指を当て、からかうように燭台切光忠が言ったが、大倶利伽羅は面倒くさそうに鼻息を吐いただけで、黙って畑から去って行ってしまった。
 あれで大倶利伽羅が留守番を承知したことになるのだから不思議なものだ。
 燭台切光忠は隻眼を細めて、採りたての野菜が山と積まれた笊を二つ抱えながら、厨房に戻っていった。


 その日の夜。厨房の火は消えていた。
 本当に殆どの者が城を出て花火を見に行ってしまったらしく、夕食も用意されなかった。
 夏の湿った風に乗って、城下の囃子や太鼓の音がかすかに城に聞こえてくる。
 城下は朝から屋台や神輿などが出て、納涼祭りの様相を呈しているらしい。
 短刀の子どもたちは主から渡されたお小遣いを握りしめて、午前中から、目を輝かせて城下へ向かっていた。
 いつもなら酒の肴に五月蠅い飲んべえの刀剣男士達も、
「よっし! 外で酒盛りだー!」
 などと声を上げて、昼過ぎには城から姿を消していた。
 厨房から廊下を隔てた大部屋は、主に短刀や脇差が集まって食事を取る食堂になっているが、そこにも人の気配は無い。
「……………」
 燭台切光忠に城の留守居を頼まれた大倶利伽羅はそのような状況に何の感慨もなく、火の気のない厨房から目当ての食材を捜し出して作業をしていた。
 そこに骨喰藤四郎が現れた。
 骨喰藤四郎もまた、大倶利伽羅と同様に無愛想でとっつきにくい気配を漂わせる脇差だった。もっともその顔立ちには本人も意識していない愛嬌があり、昔の主たちの嗜好を受け継いだ小姓趣味の刀剣男士たちの間では密かな人気を博している。滑らかな銀色の髪に少女のように整った美貌が無表情でこちらを見つめる様は、人間の心を獲得した刀剣男士達の心持ちをざわつかせるには充分すぎるほど艶めいていた。
 とは言え当人には一切その自覚がない。刀剣時代の火災により記憶を喪失しているらしい骨喰藤四郎は主を含めて誰にも心を許さず、ただ一人、ほぼ同時期に顕現した同じ粟田口の脇差である鯰尾藤四郎にのみ心を開いているものらしかった。
 いつもは二人で固まって行動していることが多いが、今宵は骨喰藤四郎独りのようだった。
 骨喰藤四郎は食堂を抜けて厨房にやってきて、そこにいる大倶利伽羅を見つけると、話しかけるでもなく何らかの感情を示すでもなく、ただ黙って凝と大倶利伽羅の作業を見つめてくる。
「伽羅ちゃんって動物みたいだよね」
 とは往々にして燭台切光忠が大倶利伽羅をからかうときの台詞だが、動物らしさで言えば骨喰藤四郎のほうが大倶利伽羅よりも上手のようだ。
「………双子の片割れはどうした」
 ついに沈黙を破って、作業の手を止めずに大倶利伽羅が骨喰藤四郎に尋ねた。
「鯰尾の兄弟は俺の双子じゃない」
 鈴を振るような美声で、骨喰藤四郎はまずはそう答えた。
「兄弟は皆祭りを見に行った」
 粟田口の者たちは皆連れ立って城下へ出かけたもののようだ。
 骨喰藤四郎はそれきり黙りこくり、大倶利伽羅も口を開かない。
 大倶利伽羅が作業するのを骨喰藤四郎が見つめる、という図式がまたもや繰り返される。
「………お前は何故城にいるんだ」
 やがて大倶利伽羅が再び質問した。
「騒がしい場所は好きじゃない。人が多いところも」
 骨喰藤四郎はそう言ってまた黙った。
 大倶利伽羅は視線を上げてそのとき初めて骨喰藤四郎を見た。三白眼の大倶利伽羅の視線は見る、というより「睨む」という表現が近いが、骨喰藤四郎は臆しもせずに黒目がちの艶やかな瞳で大倶利伽羅を見返してくる。色白の肌にくっきりとした黒い睫毛が映え、整いすぎた無表情な顔立ちは呼吸する人形と呼ぶほうが正しく思えるほどだ。贈与されて海を渡るときに海中の竜王が彼を欲した、という逸話を持つ骨喰藤四郎は、その刀身に相応しい切れ味の鋭さを外見にも保つ刀剣男士で、さすがの大倶利伽羅でもなにか心の琴線に触れるような美しさを備えた少年だった。
 そのとき。
 大倶利伽羅が見つめる骨喰藤四郎の黒い瞳に、ふ、と警戒の影が過ぎった。
 直後。
 ドン、と重く鈍い音が空気を割るように二人の耳に届いた。
「……………!」
 骨喰藤四郎が黒い目を大きく見開き、全身を緊張させて天井を見上げる。
 その様が、雷に怯える野生動物のようだ、と大倶利伽羅が見ている間に、骨喰藤四郎が声を上げた。
(いし)火矢(びや)だ!」
「………石火矢……?」
 相手が何のことを言っているのかわからず、大倶利伽羅が鸚鵡返しに繰り返しているうちに、もう二発、ドドンと続けざまに音が鳴った。
 城下の打ち上げ花火か、と大倶利伽羅は把握したが、骨喰藤四郎の認識は違った。
「石火矢だ………城が、攻撃されている……!」
 骨喰藤四郎が関白豊臣家の蔵刀で、大阪城落城の際に居合わせた刀剣であることを、そのときようやく大倶利伽羅は思い出した。
 ドン、ドン、と散発的に花火の音が地響きのように鳴り響く。
 これが骨喰藤四郎には、大砲の音に聞こえているものらしい。
「城が落ちる前に、主に報告する!」
 骨喰藤四郎は恐慌を起こし掠れた声で叫んで、そのまま厨房を飛び出そうとする。
 そもそも城に主がいないことすら失念しているような気配だった。
「待て! お前………、」
 大倶利伽羅は己の行動を顧みる余裕も無く、炊事場から走り出て骨喰藤四郎の腕を掴んで引き寄せた。
「離せ! 城が、崩れる………みんな、また燃えてしまう……!」
 その細い腕を掴んで初めて、骨喰藤四郎の体が恐怖で緊張し震えていることに大倶利伽羅は気がついた。
 ともかく狂乱する骨喰藤四郎を宥めるのが先決だった。大倶利伽羅は骨喰藤四郎が逃げ出さないように己の両手のうちに強くその華奢な体を抱き込めて、震えを止めようというように上体全体で覆い被さる。
「落ち着け………よく、聞け。あれは大砲じゃない、花火の音だ」
「……………、」
 大倶利伽羅の腕から抜け出そうと骨喰藤四郎が力強く藻掻く。
 その間も立て続けに花火の音が鳴り響き、それが耳に届く度に、骨喰藤四郎の体がびくり、びくりと震えた。
 骨喰藤四郎を捕らえ続けるのは、逃げ出そうとする動物を捕まえるのに匹敵する難事だった。骨喰藤四郎の呼吸は浅く、大きく口を開けてハッハッと喘いでいる音が聞こえる。大倶利伽羅は震える華奢な体を抱き直して、骨喰藤四郎の耳元で、落ち着かせるようにもう一度声を伝えた。
「落ち着け。ここは大阪城じゃない……今の主の城には、大砲を打ち込んでくるような敵は来ないぞ」
「………………」
 骨喰藤四郎の震えは収まらない。
「息を吸うより、大きく吐け………呼吸を整えて、よく聞いてみろ」
 大倶利伽羅の言葉に従ったか、骨喰藤四郎の浅い呼吸がやや深く静かになった。
「……瓦の割れる音が聞こえるか? 壁の崩れる音や、柱の折れる音が聞こえるか? ………砲撃に相応しい音かどうか、自分の耳で聞いてみろ」
「……………、」
 骨喰藤四郎が震えながら、大倶利伽羅の言うとおりに必死で耳をそばだてているのが伝わった。
 花火の打ち上げ音は相変わらず続いている。だが火薬の爆発する音だけで、大砲ならばそれに続くはずの破壊の音が聞こえないことに、骨喰藤四郎はようやく納得しつつあるようだった。
「石火矢じゃ、ない、のか………」
「違う」
 骨喰藤四郎の狂乱が収まってくると、大倶利伽羅は相手の別の部分が認識されてきた。
 自分のものとは違う小さな肩の抱き心地や、肩を掴んだ手に触れる銀色の柔らかな髪、腕にかかる呼気の熱、華奢な腰つき、髪から覗く形の良い耳。
 肌と肌の触れ合う箇所から、骨喰藤四郎の鼓動がトクトクと伝わってくる。脈は速く、未だ体は緊張のうちにあるが、フラッシュバックにも似たパニック状態からは脱しつつあるようだった。
 骨喰藤四郎が腕の中で身動きをしたので、思わず大倶利伽羅は彼を捕らえ直していっそう強く抱き寄せた。自分が使うものとは違う香混じりの体臭が粟田口の制服の襟首の隙間から上がってきて、大倶利伽羅は己の鼓動も強まるのを自覚する。
「……………離せ、おまえ、」
 名前を覚えていないのか、骨喰藤四郎が言いよどむ。
「大倶利伽羅だ」
 大倶利伽羅は珍しく自分から名乗った。そうしながら、大きな手で、相手の細い肩や腕を宥めるように撫でてやる。
「………離せ、大倶利伽羅。……石火矢でないのは了解した」
 愛想の無い声でそう言いながらも、骨喰藤四郎の声と体はまだ震えている。
 城の外では立て続けに花火の音が聞こえている。ドン、と空気が響くたび、体がびくりと強ばるのを骨喰藤四郎は止められないようだ。
 大倶利伽羅は他のことも気になった。
「音があまり響かぬ城中でおまえがそうも怯えているのなら。庭で、奴らはもっと花火に怯えているだろうな」
 何のことかわからず、骨喰藤四郎が首を傾けて横顔を見せる。
「………………? 何の話………」
「城の庭に用がある。もういつもの時間を過ぎてしまった。………面倒だ。おまえも一緒に来い」
 大倶利伽羅は骨喰藤四郎の胴を抱き締める腕を解き、代わりに骨喰の華奢な腕を片手で掴んだ。
「何をする! ………、」
 声を上げて暴れかけた骨喰だったが、大倶利伽羅は意に介さない。膂力では骨喰藤四郎は大倶利伽羅には敵わず、骨喰の腕は大倶利伽羅に捕らえられたままだ。
「外へ出て自分の目で確認してみろ。音の原因が大砲ではなく、花火だとな」
 炊事場で作っていた調理品の入った鍋を片手に引っつかみ、残る片手で骨喰藤四郎を引きずるようにして、大倶利伽羅は炊事場の土間から外へ出た。


 外へ出ると案の定、花火の音はひどく大きくなった。鼓膜をびりびりと震わせて散発的に爆発音が鳴り響く。
 花火の音に骨喰藤四郎は体を強ばらせたままだったが、大倶利伽羅は強引に彼を自分の目的地である本丸近くの池の畔まで連れて行った。
 池と塀の向こうに、音に先んじて花火が高々と空へ上がっていくのが幾つも見える。
「あれが花火だ」
 そうは言うものの、大倶利伽羅も現代の花火など目撃するのは顕現してから初めてだった。
 骨喰藤四郎は花火に目をやって、そこでようやく自分の勘違いについて完全に得心したものらしい。
 先程大倶利伽羅を見つめていたときと同じように、その場に佇立して、次々に上がる花火を眺めている。
 大倶利伽羅は骨喰藤四郎から手を離し、夜の藪中に目を凝らした。
 三々五々、大倶利伽羅の姿を認めて庭に住む野良猫たちが集まってくる。
 大倶利伽羅が手に持っている鍋は持ち手の壊れた片手鍋で、中には屑肉や魚の骨や食べ残しを塩抜きして細かく刻んだ、猫用の餌が入っていた。
 大倶利伽羅が黙って鍋を地面に置くと、猫たちがわっと集まって餌を食べ始める。
 花火の上がる空を眺めていた骨喰藤四郎は視線を猫たちに落として、やがて大倶利伽羅を見上げてきた。
「これは全部おまえの猫なのか」
 大倶利伽羅はじろりと骨喰を見下ろす。
「俺は猫など飼わない。こいつらが勝手に寄ってくるだけだ」
 言いながら、大倶利伽羅は傍の石の上に腰を下ろした。
 餌に興味の無い猫が二匹ほど大倶利伽羅に近寄り、一匹はズボンの裾に己の身を擦りつけ、もう一匹は警戒の素振りも無く大倶利伽羅の膝に飛び乗ってくつろぎ始める。
「俺は群れるつもりはない」
 そう言いながら大倶利伽羅は大きな手で膝の上の猫を優しく撫でる。撫でられた猫は、花火の音も意に介さず、満足そうにごろごろと喉を鳴らした。
 上空で大きな音が鳴り光が散っている状況は、猫たちにも緊張を生み出しているようだ。食事を終えた猫たちは去るものもいたが、固まるようにして大倶利伽羅の傍に寄ってくるものも多かった。
「猫も花火が怖いんだな」
 その様相を見て、骨喰藤四郎が感想を漏らした。
 大倶利伽羅は、石に腰掛けたまま骨喰を見上げた。
「おまえはまだ花火が怖いのか」
 そう聞かれて、骨喰藤四郎の視線が猫から大倶利伽羅に移された。黒々とした瞳の中に、幾つもの星が宿っている。
「違うとわかっていても、音が苦手だ。石火矢に似すぎている」
 その秀麗な面には確かに怯えが滲んでいた。白い華奢な手が、未だに小さく震えているのを大倶利伽羅は視認した。
「こっちへ来い」
 手を伸ばして骨喰藤四郎の腕を捕らえ、座った石の隣へ腰を下ろすように促す。骨喰藤四郎は意外にも素直にその指示に従って、大倶利伽羅のすぐ傍に座った。
 大倶利伽羅は骨喰藤四郎の腰を捕らえて、その細い体を己のほうに引き寄せる。
「猫と一緒だ。固まって体温を伝え合っていれば、少しは安心できるだろう」
「………………」
 骨喰は返事はしなかったが、さりとて大倶利伽羅を拒むこともしなかった。
 二匹の動物のように寄り添い合っているその周りを、更に猫たちが取り囲む。
 いつの間にか骨喰藤四郎の膝の上にも子猫が二匹ほど乗り上がっていて、身を寄せてきていた。
 膝においた骨喰の両手の中で小さな命が震えている。
「………こいつらは俺と同じなんだな。花火を別の何かと勘違いして怯えている」
 骨喰藤四郎がぽつりと漏らした。
 大倶利伽羅は返事をしなかった。
 花火は変わらずに鳴り響き、石に腰掛ける二人の姿を空中で燃える火が明々と照らし出す。
 二人は猫に囲まれながら、上空の花火を無言で眺めやっていた。
「………花火は初めて見た」
 やがて骨喰がそう言った。
「俺もだ」
 大倶利伽羅は答えた。
「あれは火薬なのか」
「そうだろうな。どうでもいいが」
 骨喰の問いに大倶利伽羅は興味なさそうに答える。
 骨喰は重ねて尋ねてきた。
「………火薬を、敵への攻撃に使わず上空にただ打ち上げるだけとは……何の意味があるんだ」
 大倶利伽羅は横目で骨喰藤四郎を見る。
「さっきも言ったろう。出陣しての時間遡行先ならともかく、この城に攻撃を仕掛けてくるような敵は存在していない。花火とは単に、楽しみのために打ち上げるものだ」
 骨喰が大倶利伽羅を見て瞬きをした。
 無表情にしか見えないが、心の中には驚きを抱いているらしい。
「戦ではなく、楽しみで火薬を使うのか」
「今の主の時代ではな」
「…………………」
 骨喰は視線を花火に戻す。
「あの音も色も、ただ楽しむために存在するのか………そう思えば、わりと綺麗な代物だな。最初は石火矢の音にしか聞こえなかったが」
 それきり黙って骨喰藤四郎は花火を見つめていた。
 大倶利伽羅が視線を寄越しても、それに気づいたふうも無い。
 花火に見入る骨喰の横顔を、花火の火が明るく照らし出す。長い睫毛が黒い瞳に被さっている。その美貌には、少年から青年へと脱皮する直前の年頃独特の、ある種の危うさを感じさせる色気があった。
 骨喰のふっくらとした朱唇はほんの少し開かれていた。あれに触れたらどんな触感を得られるだろうか、そう考える自分に大倶利伽羅は気づく。
「おい」
 気がついたら声を掛けていた。
「なんだ」
 骨喰藤四郎の顔が少しだけこちらに振り向けられる。唇は開かれたままだ。
 大倶利伽羅は顔を寄せて骨喰の唇に口で触れた。
「……………、」
 骨喰藤四郎が驚いて息を止める。
 直後に再び花火の音がして、骨喰の華奢な肩がびくりと撓った。
 大倶利伽羅は口を骨喰から離さなかった。怯えを宥めるように、逃げるのを警戒するように肩に腕を回して、骨張った大きな手で骨喰の背を撫でながら接吻を続ける。
「ンむ、………、」
 骨喰が呻いたが、開いたままの唇を閉じることはなかった。
 大倶利伽羅もまた強引に骨喰の口中に侵入することはしなかった。唇で唇に触れ、骨喰が逃げないのでそっと下唇に舌を当て、手で猫を撫でるときのように、城中で花火の音に怯える骨喰の体を撫でたときのように、舌と唇で骨喰の唇をなぞった。
「ン………ふっ…、」
 骨喰藤四郎が再び呻いて、緊張が体から抜けた。ふたりの上体が寄り添いを強めて、窮屈になった猫たちが二人の膝の上から飛び降りる。
 空中に火花が散り、遅れて花火の音が大きく鳴り響く。
 骨喰の体はもう花火の音には反応しなかった。骨喰は目を半眼に閉じていて、初めて唇に感じる触感に酔っているような顔をしていた。
 互いの呼気が顔にかかる。「キス」という名も知らず、骨喰は与えられた熱と刺激に耽溺して、意識もせずに唇を上下させて大倶利伽羅の唇を食んだ。
 幾度も花火の音が鳴り、中空に火花が散っていった。
 どれほどの時間が過ぎたのか。
 大倶利伽羅がようやく骨喰から顔を離した。
 よく日焼けして野性味を湛えた大倶利伽羅の表情の読みにくい顔は、それでもほんの僅かに頬が赤く染まっているのが、骨喰の夜目に見えた。
「……今のは一体なんだ」
 唇と唇が触れ合うことの意味がわからず、骨喰は大倶利伽羅に尋ねた。
「……………さあな」
 大倶利伽羅は当初まともに答える気は無いようだった。その視線は、変わらずにひたと骨喰に据えられていたが、金色の目は後悔に似た気配を帯びていた。
「……花火が怖くなくなるまじないだ」
 自分でも自分の行動の意味がわからず、やがて誤魔化すようにそう答えた大倶利伽羅だったが、何故か骨喰藤四郎は納得したようだった。
「………そうか」
 大倶利伽羅が唇に次いで体をも、石に腰掛けた骨喰藤四郎から離そうとするのを、骨喰の白い手が大倶利伽羅の服を掴んで引き止めた。
「大倶利伽羅。まじないをもう一度かけてくれ」
 頬を染めもせず、無表情なままで骨喰が言った。
「……………」
 大倶利伽羅は、ほんの少しだけ困ったように眉根を寄せて、だがそれでも、再度骨喰に顔を近づけた。
 大倶利伽羅が唇で唇に触れてくるのを、骨喰藤四郎は何の警戒もなく、陶然と受け入れた。
「ンぅ………」
 骨喰が求めるように口を開くと、今度はそこに大倶利伽羅の舌が侵入してきた。
「ン…んむ……っ」
 大倶利伽羅の舌がそっと骨喰藤四郎の唇の裏を撫でて、歯列を優しくなぞる。大倶利伽羅を迎えるように歯の手前に現れた骨喰の舌先を大倶利伽羅の舌が撫で、唾液を絡めてきた。
「っん……ぁふ……」
 骨喰の体の奥に未知の熱が生まれる。
 それは不思議な感覚だったが、同時に身を任せたくなるような、快いものでもあった。
 何かもっと先があるような気がしたが、大倶利伽羅はそれ以上骨喰を誘惑せず、やがて唇を離した。
「………は……、」
 骨喰が熱くなった息を吐く。白いばかりだった頬が今はさすがに赤く火照って、黒い瞳は潤みを強めて青く見えるほどになっていた。
「花火は怖くなくなったか」
 骨喰の細い顎を骨張った指で撫でながら、大倶利伽羅が尋ねてきた。
 大倶利伽羅の金色の目も、先程より潤んでいる。
「花火はもう、怖くない」
 骨喰藤四郎は正直に答えた。
 花火の音と光はまだ続いていたが、それはもう骨喰に何らかの心身の反応を生むものではなくなっていた。
「そうか」
 大倶利伽羅が骨喰から手を離し、立ち上がった。
 地の上に置いた鍋は中身が空になり、猫たちはいつの間にかいなくなっている。
「俺は帰る。おまえは………」
 勝手にしろ、とはさすがに言えなくて、大倶利伽羅は言い淀んだ。
「俺も帰る」
 骨喰藤四郎は立ち上がった。
 大倶利伽羅は鍋を拾い、厨房への道を戻っていく。
 そのすぐ後ろを、母鴨を慕ってついていく子鴨のように、骨喰藤四郎がついて歩いていった。


 一刻ほどの後。
「いやぁ、盛大な花火だったね。はい、伽羅ちゃん、これおみやげ」
 主や短刀の子どもたちと一緒に帰城した燭台切光忠が大倶利伽羅に、プラスチック袋に入った焼きそばのパックを三つばかり手渡してきた。
「………炭水化物ばかりの代物だな」
 大倶利伽羅は受け取ってぼそりと呟く。
「まぁ栄養バランスは悪いけど、たまにはね。蛋白質はこっちで取れるよ」
 燭台切光忠が寄越した別の袋には、フランクフルトと焼き鳥が、かなりの本数入っている。
「祭りの屋台の売れ残りをお持たせに貰ってきたんだけど。もしかしたらきみが晩ご飯まだかなと思ってさ。………あれ」
 燭台切光忠は大倶利伽羅の顔を見て表情を変えた。
「留守中に何かあったのかい? 随分機嫌がいいね」
 外見からは殆ど判別が付かないが、つき合いの深さ故に、燭台切光忠は大倶利伽羅の微細な変化に目敏く気づいたようだっった。
「……特に何もない。機嫌も良くも悪くもない。普通だ」
「いや、機嫌いいよ。よく喋るし、口角が少しだけ上がってる」
 年嵩の燭台切光忠にあっさりと断定されて、大倶利伽羅は気まずそうに口の端を手で押さえ、燭台切光忠を睨んできた。
 怒ってるように見えるけど照れてるんだよね。珍しいな。
 燭台切光忠は大倶利伽羅を探るように隻眼を細めた。
 とはいえ秘密主義の大倶利伽羅からは情報は何も引き出せまい。必要なことなら彼は労を厭わず燭台切光忠に報告してくる筈だった。燭台切光忠は微笑を湛えるだけでそれ以上の追及はせず、話題を変えた。
「花火、城からも見えたんじゃないかい? 初めての花火はどうだった?」
「………………」
 瞬間、花火とは別のことを考えるような目つきを大倶利伽羅は見せて、やがてぼそりと答えた。
「悪くはなかった。どうでもいいが」

 同時刻。粟田口の脇差二人に与えられた居室で、鯰尾藤四郎は大きな目を更に丸くしていた。
 花火を含めた城下の祭り見物から戻ってくると、同室の骨喰藤四郎の雰囲気がいつもと随分違っていたのだ。
「骨喰。……なんかあった?」
「……………特に異常はない」
 そう答える骨喰藤四郎はいつもどおりの無愛想・無表情だったが、整った顔立ちに艶が増している。
「花火、綺麗だったけど凄い音が大きかったから、城でお前も聞いてて怖がったかな、と思ったんだけど」
 記憶を無くしているのは骨喰も鯰尾も同じなのだが、鯰尾には記憶が部分的に残っていることと、またそのことについて特に悩みを持たない楽天的で人なつこい性格のお陰で、鯰尾には骨喰のような憂鬱さは存在していない。
「音、怖くなかったか?」
 尋ねられて、骨喰藤四郎は首を横に振った。
「始めは石火矢かと思ったが、まじないのお陰で怖くなくなった」
「………まじない?」
 鯰尾が聞き返したが、骨喰はそれ以上喋る気は無いようで、視線を中空に向けてなにか別のことを考えている。
「まあいいや。屋台でおみやげ買ってきたけど、食べるか? 晩飯まだだろ?」
 燭台切光忠が大倶利伽羅に渡したものとよく似たような、袋に入ったお好み焼きのパックを、骨喰は黙って鯰尾から受け取った。
「今の主さんの時代って、変わった味の食い物が多いよなー」
 やはり空腹だったらしく、無言でお好み焼きにかぶりつく骨喰を眺めながら、鯰尾が呟いた。
 冷めたお好み焼きを口に詰め込みながら骨喰が鯰尾をちらりと見て、やがて言った。
「俺は嫌いじゃない。………花火も」
 その後は黙したまま、ひたすらお好み焼きを食べ尽くしていく骨喰藤四郎を、腑に落ちぬように首を傾げて鯰尾藤四郎は眺めていたのだった。


                                            (了)




後書