絶えて桜のなかりせば

 

2016/04/02
歌仙兼定×宗三左文字(歌仙片想)
春の情景・桜


 世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし  在原業平
(世の中に一切桜が無かったならば、散ることを心配することもなく、
春を過ごす人の心は安らかであっただろうに)
    




 一度だけ。
 怪我を負って帰城してきたとき、宗三左文字が主に向けて言った言葉を、歌仙兼定は聞いたことがある。
「知って、いますよ……。僕がどんなになっても、焼き直して手元に置くんでしょう……?」
 渇いた哀しい声だった。
 諦念に満ち、涙を流すことすらせず。
 主の傍に控えていた歌仙兼定は、胸を突かれて宗三左文字を凝視した。
 宗三左文字は、深傷を負った身で、主付きの少年たちに支えられて、ふらつきながら手入れ部屋に退いた。
 宗三左文字の言葉に主がどんな反応をしたか、歌仙兼定は記憶していない。歌仙兼定の心は、主とはまったく別のことで占められていた。
 宗三左文字は、刀剣男士として顕現したくはなかったのだろうか。




「……たまには遠征も良いものですね。こんな穏やかな春の日には」
 歌仙兼定の傍らで宗三左文字が言う。
 戦闘に向かない短刀の子たちと共に、珍しく、宗三左文字と歌仙兼定は半日程度の遠征を命じられていた。
 頃は春、山里は花を盛りと咲き匂っている。数日前の陽気で桜は一斉に開花し、暫くは風も雨もなく満開の日々が続いたが、花が終わりに近づいていることは、宗三左文字の髪の色によく似た花片の絨毯が地上に広がりかけていることで推し量れた。
 目の前には大きな桜の古木が数本立ち、花をつけた枝を大きく広げており、その幹の根元に花片を少しずつ散らしていた。
「昼時でもあるし、少し休憩しようか」
 部隊長である歌仙兼定が子どもたちにそう声をかけると、四人の少年はわっと歓声を上げて思い思いの場所に散っていった。
 周囲には敵の気配も無く、ただうららかな日差しだけが降り注いでいる。歌仙兼定は少し暑さを感じ、牡丹花の付いた外套を脱いで一本の桜の木の下に置いた。その間に、宗三左文字はゆるゆると桜の枝の下を歩いていった。歌仙兼定は宗三左文字の姿を桜吹雪の中に探し、少し離れた場所にその背中を見つける。
 宗三左文字は足の下に踏む花片の絨毯が珍しいらしく、地の上に目を落としながらゆっくりと、歌仙兼定から遠離っていくところだった。時折は首を上げて、いまだ満開に酔う花枝に見入っている。微風ですら舞い上がるほどに細く柔らかな宗三左文字の髪が、同じ色に舞い散る花片と完全に同化していた。髪と同じ色の花片は、紅梅色の僧衣の上を通るときには白く浮き上がり、宗三左文字の姿を眩惑するように隠していく。
 その様を、歌仙兼定は、美しいものとして見惚れながら、同時に儚く寂しいものとして認識した。
 刀剣男士は桜花と共に顕現する。
 中空から舞い散る一つの桜花が花開き、満開の花の群れと共に、人の姿が顕れる。
 歌仙兼定は、宗三左文字が目の前に顕れたときのことをよく覚えていた。
 桜花に溶け込むような淡紅色の髪と白い肌。淡紅梅色の僧衣もなお舞い散る桜花と馴染み、袈裟と、黒く見える瞳だけが対照色を為してよく目立った。主を見て寂しげに微笑んだその笑みもまた儚く、もののあわれそのもののような存在感が、歌仙兼定の心を強く揺さぶった。薄い唇から放たれた声もかそけく、宗三左文字が織田信長の佩刀だということを知らなかったなら、あるいは彼の声のうちに無自覚の気位の高さを感じなかったなら、宗三左文字は、歌仙兼定にとって、ただ庇護し愛でる対象としてのみ存在したことだろう。宗三左文字は刀剣男士としての能力は決して高くはない。多くの打刀に後れを取りながらも淡々と出陣を続け、出自や能力値ゆえの特別扱いを望んだこともない宗三左文字は、それ故に、やや特殊な存在として歌仙兼定の目に映っていた。
 宗三左文字を眺めている間に、彼と歌仙兼定との間には多くの桜花が舞い散り、宗三左文字の姿は花片に紛れてどんどんとその存在を薄れさせていく。歌仙兼定はふと気がかりを感じ、思わず宗三左文字の後を追った。短刀の中でもとりわけやんちゃな愛染国俊が折しも近くの桜花の枝に登り、幹の下にいる子らに向けて花片を散らそうと、楽しげに枝を揺すっている。
 歌仙兼定が宗三左文字に追いつくより早く突風が起こり、ざあっと音を立てて、地上に散り敷いた花片を勢いよく舞い上げた。
 宗三左文字の姿は、花吹雪の中に完全に消えてしまう。
「宗三左文字どの!」
 上げた声に不安が混じったことに、歌仙兼定は己でおののく。
 桜花と共に顕れた刀剣男士は、桜花と共に散って消えてしまうかも知れない。
 妄想に過ぎないその思考を、こと宗三左文字に対しては一笑に付すことが歌仙兼定にはできなかった。今生への欲を何一つ持たない宗三左文字が、自らの破壊をむしろ密かに心待ちにしていることを、歌仙兼定は知っている。
 歌仙兼定は桜花の嵐の中に手を伸ばし、宗三左文字を捕らえようとした。
 伸ばした歌仙兼定の右手に、数珠を握る宗三左文字の手が触れた。歌仙兼定は躊躇いもせずにその手を数珠ごと強く掴んで、それが実存することを確かめる。
「……歌仙兼定…?」
 花吹雪の中からかすかな声が聞こえる。
 歌仙兼定が目を凝らすと、降りしきる花片の合間に、手を握られたまま、驚いたように歌仙兼定を見ている宗三左文字の顔があった。
 開いた口の中に入り込むほどに舞い散っていた花片はやがて、突風の収束と共に再び地上に降り積もっていく。
「……ああ。よかった。いたんだね」
 宗三左文字を認めてほっとしたように息を吐いた歌仙兼定を、宗三左文字が不思議そうに眺めていた。
「……どうか、しましたか……?」
「……いや。きみが、桜の花片に紛れて、風の中に消え去ってしまうかと思った」
 それは歌仙兼定にとって、特に比喩や見立てではなかったのだが、宗三左文字は目を瞬き、暫く考えた末に、
「……風流にこだわるあなたらしい冗談ですね……、歌仙兼定」
 歌仙兼定の言葉を軽口と捉えたらしく、宗三左文字は歌仙兼定に向けてふんわりと笑いかけてきた。
 寂寥を孕んではいるが、主に見せる哀しげな顔だけではない、宗三左文字の優しい微笑。それが自分に向けられているとは信じがたくて、歌仙兼定は固唾をのんでその笑みに見入った。
「歌仙兼定……?」
 いつまでも無言で顔を見つめられて、宗三左文字が怪訝に首を傾ける。宗三左文字が軽く右手を動かしたので、そこで初めて、歌仙兼定は、宗三左文字の手を握ったままであったことに思い至った。
「ああ。すまないね。強く握りすぎたかな」
「いえ……」
 貴人のように暮らし、他の刀剣男士に触れられることさえ滅多に経験が無い筈の宗三左文字は、それでも歌仙兼定を詰ることもなく、歌仙兼定がわざと論点をずらしたことも指摘せず、歌仙兼定が離した右手をそのまま僧衣のうちへと引っ込めた。
 すぐ傍にいる筈の、愛染国俊を始めとする短刀の子たちのはしゃぎ声がどこか遠くに聞こえる。先程の花吹雪によって、宗三左文字の髪や肩には淡紅色の花片がところどころ貼りついている。大きく開いた宗三左文字の襟元の、数珠の絡んだ鎖骨にさえも一片の花片が取りついていて、それを見つけた歌仙兼定は、花片を自分の手で退けて、代わりに己の唇の痕を与えたいという強い衝動に駆られた。
 それはさすがにできまい。
 短刀の子たちの手前もあるし、そもそも宗三左文字は歌仙兼定の気持ちを何も知らない。
 伝える術を持たない情感は、降りしきる花片とともに地に落ちて消えてゆくしかなかった。
 相変わらず宗三左文字を見つめて黙ったままの歌仙兼定に、鷹揚な宗三左文字がさすがにいぶかしげな顔を見せ始めた頃。
 愛染国俊が揺すっていた枝が大きな音を立てて折れ、愛染国俊は大声を上げて枝から地上に転がり落ちた。
「おやおや、怪我はしなかったかい?」
 歌仙兼定は愛染国俊に駆け寄って、その小柄な身体を検める。草床の上に落ちたお陰で幸い大きな怪我は無く、愛染国俊は膝小僧を擦り剥いただけのようだった。歌仙兼定は安堵したように笑みをはいて少年を窘める。
「あまり桜を虐めるものじゃないよ。僕たち刀剣と同じか、それ以上の齢の木もあるんだからね。敬意をもって、遠くから眺めるだけにしておきなさい」
 目の前の桜はさすがに千年桜では無かろうが、鎌倉期の古刀の愛染国俊はしゅんとして、素直に歌仙兼定に詫びてきた。
「ああ、気にしなくていいよ。他の子たちと遊んでおいで」
 大人の姿を取る刀剣男士の中でも行儀作法には厳しい歌仙兼定だが、今は強く叱責するような気分にもなれず、すぐに愛染国俊を解放する。
 走り去った愛染国俊の背を見送ってから、歌仙兼定は宗三左文字に向き直る。
 宗三左文字は黒く太い桜の幹を背にして立っていた。宗三左文字の影の薄い存在感は花盛りの桜の生気に完全に飲み込まれ、まるで桜と同化したかのようだ。宗三左文字の姿は、能舞台に立つ花の精霊さながらに、人離れした気配を漂わせている。
 ただその左右色違いの目は。
 はっきりと歌仙兼定に向けられていた。
「宗三左文字どの」
 そう呼ぶと、夢から醒めたように、宗三左文字の顔に生気が戻る。
 歌仙兼定は宗三左文字に近づいて、思ったままを口にした。
「きみはまるで桜の精のようだな」
 宗三左文字は歌仙兼定の心情がわからず、優美に首を傾げる。
「……………? どういう意味でしょうか……?」
 宗三左文字は姿は端正だが、だからといって加州清光や燭台切光忠のように身形に構うことはないように歌仙兼定には思われた。自分がどのような外見なのか確かめることもなさそうだ。ひょっとしたら、鏡さえも使ったことはなく、己の持つ目の色が左右で違うことにすら気がついていないかも知れない。
「きみの髪の色と服の色が桜とみごとに調和して、ただ人ならぬ気配を漂わせていると言いたかったのさ。……春というのは、きみの色の季節だね。風流だな」
 そう言われて、歌仙兼定を見る宗三左文字の色違いの両目が、不思議な感情を表した。宗三左文字の頬がほの赤く染まっているように見えるのは、春の陽気に当てられているからなのだろうか。
「歌仙兼定。……あなたこそ」
 宗三左文字が口を開く。
「藍色の服と銀鼠の袴に桜が良く映えて、二藍色の髪に花片が散って、……あなたこそ、春の王のようですよ」
 高雅でありながらも実直で飾り気のない宗三左文字の声でそう言われて、歌仙兼定は頬に熱を感じた。嘘をつかない宗三左文字が言うのなら、彼にとって自分は本当にそのように見えているのだろう。
「……嬉しい言葉だが、面と向かって言われると面映ゆいね」
 苦笑と微笑の中間のような笑みで歌仙兼定が答えると、宗三左文字も微笑んだ。
「僕も同じ気持ちですよ。……唐突に言われたので驚きました」
 ふたりの間を、言葉にもなり得ぬほどのかすかな感情が漂う。
 風が起こり、小さく桜吹雪を舞わせて、宗三左文字の柔らかな髪を吹き上げた。
「……きみが桜と共に散ってしまう、花の精霊でなくてよかったよ」
 舞い散る花片の中に歌仙兼定の言葉が漂う。
「春と共に移ろい去ってしまうのではないかと、はらはらしなくて済むからね」
 その言葉になにか感じるものがあったのだろう。宗三左文字は瞬きをして歌仙兼定を見た。
「……いっそ桜が花開きさえしなければ。そんな心配はせずに済むのかも知れませんね」
 意図したわけでもあるまいが。
 宗三左文字の言葉は歌仙兼定の胸をつきりと刺した。
 在原業平朝臣の春の歌を、宗三左文字が押さえたようにも思えない。
「宗三左文字どの……」
 歌仙兼定は絶句する。
 手を伸ばし、己の腕の中に彼の身を抱き込んで、それは間違いだと言い聞かせたかった。
 桜花の存在が美しく慕わしいからこそ、人はその散華を哀しいものとして予期するのだと。
 宗三左文字の有り様すべてを受け止めて愛し、宗三左文字に振り向いて欲しいと思う者がここにいると。
 その者には、宗三左文字の存在が必要なのだ。
 そう伝えたかった。
 宗三左文字はすぐ傍にいるのに、哀しみに閉ざされたその心に、歌仙兼定の手は届かない。
 黙然と俯いてしまった歌仙兼定を、宗三左文字は暫く見つめていたが、やがて、
「………冗談ですよ」
 そう小さな声で呟いたので。
 歌仙兼定には、宗三左文字が本気であったことがわかってしまった。
「……宗三左文字どの」
 顔の曇りの晴れぬ歌仙兼定に、宗三左文字はふっと笑みを見せる。
「……あまり、僕の言葉を気にしないでください……あなたを悲しませたいわけではないんです。歌仙兼定」
 宗三左文字から気遣われていることに気づき、歌仙兼定の心情は少し浮上する。
「悲しいというのではないんだ。……ただ、きみが気がかりでね」
 実直に述べた歌仙兼定の言葉に、宗三左文字は瞬間息を詰め、
「……それは………、……ありがとう、ございます……」
 頬を赤らめて、今度は宗三左文字が俯いた。
 自分の言葉が宗三左文字に浸透するといいが、と思いながら歌仙兼定は続ける。
「桜の精にも似たきみは、雅でゆかしいと僕には思えるが、……桜と同じような儚さも感じさせるところが、僕にとっては心配なところだね。きみはもう少し、図々しく暮らしてもいいくらいだよ」
「…図々しく……?」
 歌仙兼定の言った言葉の意味がわからず、歌仙兼定を見て、宗三左文字が鸚鵡返しに繰り返す。
「そう。……僕の不肖の末裔の、和泉守兼定みたいにね。彼の不遜な態度を、少し真似てみてはどうだい?」
 数瞬ほど宗三左文字は考え、やがて可笑しそうに微笑した。
「……和泉守兼定の態度を真似るのは、僕には至難の業でしょうね」
 その笑みは今までよりは随分明るいものに歌仙兼定には見えた。
 春の日差しにぐんぐんと花開く咲き初めの桜のようだ。
 そうも強く、命の息吹を感じるような宗三左文字の微笑を、歌仙兼定は今まで見たことは無かった。
 風向きが変わった。
「……そろそろ休憩を終えようか」
 歌仙兼定の言葉に宗三左文字は「ええ」と頷き、ふたりは花片の舞い散る桜の下を、歌仙兼定が外套を脱いだ幹の傍まで並んで歩いていく。
 出発の気配を察知した子どもたちが、ふたりの元に再集合してきた。
 歌仙兼定が外套を纏い、行軍の号令を放とうとした矢先、宗三左文字が声をかけてきた。
「……牡丹の花が曲がっていますよ」
 宗三左文字の白い優美な手がふたつ、躊躇いもせず歌仙兼定の胸に伸びてきて、外套に付いた花の位置を整える。
 宗三左文字が歌仙兼定に触れたのはこれが初めてだった。
 刀を握る男のものにしては繊細な、雅な手指が、歌仙兼定の左胸に触れている。
 宗三左文字の手が己の素肌に当たったわけでもないのに。外套越しに触れられた箇所から勢いよく血が全身に巡って、歌仙兼定は頬や手先、そして身体の中央が、熱く火照るのを自覚した。
「……直りました」
 歌仙兼定の身体の変化も気づかぬげに。
 宗三左文字はそう言って手を下ろし、歌仙兼定の顔を見た。
「ありがとう。宗三左文字どの」
 礼を言って、歌仙兼定もまた宗三左文字を見つめる。
 宗三左文字の深い緑と青の目に、髪を風に散らした自分の顔が映っていた。
 短刀の子たちさえいなければ、もっと顔を寄せて、宗三左文字の薄い唇にそっと口づけることもできるかも知れない。
 だが歌仙兼定は、己のそんな妄想を心の中に押し殺した。
 今はその時期ではないのだ。
「では。行こうか」
 桜を後にし、一行は遠征を続ける。
 誰もいなくなった桜の木々の傍で。
 宗三左文字の髪と同じ色の花片は、ただ穏やかに降り続けた。



                                            (了)




後書