夢にも人を見つる夜は

 

2016/02/11
歌仙兼定×宗三左文字(未通)
「はかなく見ゆる夏虫に」承前
全1話


 はかなくて夢にも人を見つる()(あした)(とこ)ぞ起きうかりける 素性法師
(あの人に逢った夢かどうか、不確かではっきりしない夢を見た夜は、
朝の床から起きるのがつらいのであった)
    



 ふ、と目を覚ますとまだ丑三つ時だった。
 人の気配をすぐ傍に感じた気がして、宗三左文字は寝床から身を起こす。
 肩の辺りを温かな手で触れられた筈だ。
 察知したのは夢の中であったと気づいたのは、はっきりと意識が覚醒して、夜着に覆われた肩が夜気に冷えてきたことを自覚してからだった。
「……………」
 寝床の上に座して宗三左文字は己の肩を抱く。
 近い過去、現実に、自分に触れた者は確かに在った。
 歌仙兼定。
 怪我をして帰城した宗三左文字の肩を、その体を支えるかのように、歌仙兼定が腕を回して自分に触れてきたのは、一昨日の夕刻のことだ。
 城門の下で、本丸から走り寄ってくる歌仙兼定を見た途端に、自分の四肢から力が抜けていくのを宗三左文字は自覚した。
 それは不思議な体験だった。戦場で心臓めがけて敵から繰り出された槍の穂先を躱して急所を外し、死に損じたことを悟ったときでさえ、その敵を返す刃で屠ったときでさえ、宗三左文字の心身は平静で、足取りが覚束なくなることなどなかったのに。
 怪我をしていても自分は進軍できると部隊長の石切丸に伝えたが、穏健な石切丸は部隊全体の撤収を判断した。帰路も特に、宗三左文字は疲弊を感じることもなかった。怪我をした身体は痛むが、それだけのことだ。
 城門を潜り、歌仙兼定が自分の名を叫びながらこちらに走ってくるのを認めた途端に。
 足はふらつき、手にした刀は急に重くなって、宗三左文字は思わず蹈鞴を踏んだ。
 それを見た歌仙兼定がさらに顔色を変えて寄ってきて、自分の身体を支えたのだった。
 安堵。
 歌仙兼定の顔を見たときの自分の心境は、その言葉で表すのがもっとも相応しい状態だっただろう。
 なぜ歌仙兼定の顔を見ると安堵するのだろうか。宗三左文字にはわからなかった。
 宗三左文字は息をつき、辺りを見回す。枕元に置かれた漆塗りの文箱はすぐ目に入った。
 この城で暮らすようになってから暫く経つが、今の主に対し所望したのはこの文箱だけだった。中に入れたものをしまう何かが欲しくて、主に求めて譲ってもらったものだ。
 文箱を手に取って膝の上に置き、蓋を開ける。中身は腰帯ひとつしかない。綺麗に巻かれた、宗三左文字の作業着用のものだ。宗三左文字はそれを手に取り、文箱は脇に置いた。
 ある夏の日、袂に入れてしまっていたと歌仙兼定から返された腰帯。
 当時残っていた歌仙兼定からの移り香は腰帯からとうに失せ、鼻に当ててももう彼の匂いはしない。それでもそれを手に取り、目を閉じて唇に当てると、歌仙兼定が自分に触れてきたときの記憶が宗三左文字の五感に蘇る。
 歌仙兼定が自分の白い手にこの腰帯を乗せて、腰帯ごと両手で自分の手に触れていたこと。
 宗三左文字の唇に歌仙兼定の唇が触れたこと。口中奥深くまで歌仙兼定の舌が侵入し、宗三左文字の舌に唾液を絡めてきて、他人の熱を帯びたその液体を喉奥に飲まされたこと。宗三左文字の素肌に歌仙兼定の手が触れて、自分の体の内側にも熱が走り、酩酊したような感覚のうちに歌仙兼定に翻弄されたこと。
「……………」
 最後の記憶を思い起こすと、そのときの熱と同じものが、宗三左文字の体内、下腹部に今も溜まりはじめる。どうしたらいいかわからず、宗三左文字はひとり困惑して、せつなげに溜息をついた。



 眠ることを諦めて、宗三左文字は本丸へと出向いた。
 夜更かしどころか折々は朝まで起きている主のもとへ行けば、こんな時刻でも、話相手などして気を紛らすことができるだろう。
 渡り廊下を歩いている間に、夜闇の中から鳥の声が聞こえた。空に目をやったが、無論闇が見えるだけだ。
 この城で暮らすようになるはるか以前から、宗三左文字にとっての唯一の慰めは空だった。身は蔵や屋敷のうちに閉じ込められて、文字通り籠の鳥に等しかったが故に、空を眺め、いつかそこへ飛び立つことを思うのは、宗三左文字の心を浮き立たせる数少ない娯楽のようなものだった。憧憬と呼んでもいい。
 怪我を得て帰城したときも、そのように思ってつい呟いた。
「……自由になり損ねた……今日も」
 自由。
 磨上げも再刃も不可能な、刀剣としての死を意味する破壊。
 自らそれを求めて敵の前に無防備に立つことはさすがに無いが、さりとて破壊を特に厭うわけでもない。
 だがあのとき、帰城した宗三左文字は、自分の心を慰めるものがもう一つ、空のほかに新たに存在していることを知った。
 二藍色の髪をふわふわと顔の周囲に散らした、雅を愛すると言う緑色の目の男。その目は柔和で理知的なときもあれば、残忍で好戦的なときもある。
 あの男が自分を見るときは、その双方がない混ざり、飢餓感や所有欲をも内包し、その上で、宗三左文字のあずかり知らぬまったく別の感情へとすべてが昇華されている。
 歌仙兼定にそのような目で見られると、宗三左文字の心は不思議にさざ波立つ。
 宗三左文字には不可解だった。
 生きて戻ってきて良かった、と思うことは。
 自由に憧れる己の心とは矛盾する感情の筈なのに。



「心配なんだよ。きみが。怪我をしやすいこともそうだが。……きみがそうやって、きみ自身について心配しないことも含めてね」
 歌仙兼定にそう言われて、宗三左文字は頬が紅潮するのを自覚した。宗三左文字が己の体調をあまり気にかけないことは、歌仙兼定にもう幾度も目撃された事実だった。
「自由になり損ねた」という己の呟きを歌仙兼定に聞かれていたことも、宗三左文字は歌仙兼定に指摘されるまで気づかなかった。
 宗三左文字にとって、己の身体はさほど大事なものではない。
 だがそこを歌仙兼定に見透されて、それを心配していると言われることは、宗三左文字の心にいたたまれないような気恥ずかしさを感じさせた。
「………なるべく、怪我をしないように気をつけます」
 顔を俯けてそう告げるのが精一杯だった。
 歌仙兼定にそんなことを言われると、まるで、自分の身体は大事にするのが相応しいのだと思えてきてしまう。
 宗三左文字の返事を受けて、歌仙兼定の曇った表情がようやく緩んだ。
 それを見て、宗三左文字は、自分が、歌仙兼定の微笑を非常に気に入っていることを自覚した。
 歌仙兼定といると。
 自分の冷めた心身に得体の知れぬ熱が生まれてくる。血が手指の先まで通い、爪先が熱くなり、刀剣男士としての今の身体が確かな血肉を持っていることが、強く意識される。
 そして空のことを忘れる。
 それがどうしてなのか宗三左文字にはわからなくて、それを歌仙兼定に伝え、自分の反応がなぜ起こるのかを、世間知のある歌仙兼定に尋ねてみたいと思うのだが、うまい言葉を己の中に探し当てることもできず、宗三左文字は歌仙兼定に礼を述べただけで、声はそのまま朝の日の光の中に消えていった。
 宗三左文字が見つめる朝の空に、数羽の群れた鳥たちが舞う。
 遠くにあるその情景をただ遠いものとして見つめながら、宗三左文字は己の肌で、すぐ傍に立つ歌仙兼定の気配を感じて、すべてが暁の色に染まるその場所に佇んでいた。



                                             (了)




後書