*後書*

 


 旧暦5月18日は今川義元の命日(桶狭間合戦)、6月2日は織田信長の命日(本能寺の変)。私が住んでる関東ではどちらの日も梅雨の時期なんですが、特にこの2週間はずっと、宗三さんの周りにいつも雨が降ってそう……
 短刀の子達の極が実装されて、過去の主のもとでいろいろ修行をしているらしいので、じゃあ宗三さんは誰のもとに行こうと考えるのかな……などと思いまして。刀剣・宗三左文字における影響力の強さから言ったら、義元よりもやっぱり信長が相応しいのかな、と想像した果てに、義元の命日ではなく信長の命日で妄想してみました。あと今歴史の勉強中でちょうど「信長公記」(桶狭間に関して宗三左文字の記述がある信長の一代記)を読み終わったところなので……
 信長公記を読んでわかったのは、あの時代、刀というものはへし切長谷部に限らず、直臣・陪臣関係なく献上されたり下賜されたりしているものだったようだ、ということです。吉光の脇差なんか5、6振りぐらい出てきては信長から下賜されてる……薬研藤四郎は松永久秀からの献上品ですね。いっぽう信長は、献上品でも自分が「いらね」と思ったものは刀であれ馬であれ鷹狩の鷹であれ茶器であれ受け取らずに返品したり部下や息子に回したりしていたようで、そういう意味では、へし切長谷部も宗三左文字も一度手元に置き尚且つ使ったというエピソードがある以上は、どっちもお気に入りの刀だった筈だなーと思いました。特に宗三左文字は「桶狭間で勝った俺のもんだー!」みたいな主張溢れる銘を入れてますので、大事な合戦に勝った高揚感を差し引いても、この刀への魔王の愛しようは相当なものだっただろうな、と想像しています。魔王に愛されてきたという前提に立つと、付喪神の宗三さんとしては魔王を憎んだり恨んだりの一辺倒になるのは実は難しいよね、という思考から生まれる命日妄想……
 ところで私は住んでる場所は千葉(下総)なんですがとうらぶのサーバーは豊後なんですよね……旧暦6月2日(今年は太陽歴7月5日に該当)だと九州は実は梅雨が明けてるんじゃないか、と思いますが……まぁいいか。細かいことは気にするな!(by鶯丸)




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