| 夕立の雲 |
| 2018/09/02 歌仙兼定×宗三左文字 残暑・極二人 |
| 露すがる庭の玉笹うち靡きひとむら過ぎぬ夕立の雲 権中納言公経 |
| (露の取りついている庭の玉笹が横たわり、一雨降った後の夕立雲が空に見えている) |
目を開けると、すぐ傍に宗三左文字が座している気配があった。 「気がつきましたか。歌仙兼定」 ゆらりと風が起きて、宗三左文字の香の匂いと淡紅色の髪が歌仙兼定の鼻先に降ってくる。 自分が畳床の上に寝かせられているという事実はその後に自覚した。 「……僕はどうしたのかな」 視界が随分と暗い、と思って顔の上方に手を当てると、皮膚ではないものが指に触れた。水で濡らした布が額に宛がわれているらしい。 自分でその布を取り払おうとすると、それより先に宗三左文字の白い手が伸びてきて、布を歌仙兼定の額から取り外してくれた。 歌仙兼定の緑の目に、宗三左文字の優美な面が上下逆さまに映る。 宗三左文字は歌仙兼定の身を横たえただけではなく、正座した膝に歌仙兼定の頭を乗せて、己の身を枕代わりにして介抱してくれていたもののようだった。 「畑番の最中に具合を悪くして倒れたのですよ。……思い出せませんか?」 「………、ああ……、そうだった」 歌仙兼定は最前の記憶をようやく思い出す。 今年は酷い旱で、畑の作物はそもそも死滅しかかっていた。 枯れた作物を虚しい気持ちで引き抜いている間に、日に当てられてしまったのだった。 今日の畑番の相方は宗三左文字ではなく鯰尾藤四郎だった。今、鯰尾藤四郎ではなく宗三左文字が歌仙兼定の傍にいるのは、気の回るあの少年が恋人を呼びにやってくれたからなのだろう、と歌仙兼定は推し量る。 「あなたはこのところ働き過ぎですよ。極の修行から帰ってきた後、ずっと近侍の座にあって出陣の日々で、合間には内番もなさって……夜の戦も多かったから、近頃はろくに眠ってもおられなかったでしょう。……いつもは僕の小食を不養生と仰るのに、今回はあなたが不養生をしてしまいましたね」 宗三左文字に、詰る風情でもなくただ優しく事実を指摘され、歌仙兼定は苦笑する。 「僕としてはそれほど働き詰めだった印象はないんだがね。きみの強さに早く追いつきたくて、自覚の無いままに急いてしまっていたのかな。……自分自身が弱くあることなど、許容できなかったからね」 「致し方のないことでしょう。……あなたに対して修行の許可が降りたのは、僕よりずっと後だったのですから。焦る気持ちもわかりますが……体を壊しては元も子もありませんよ」 歌仙兼定が修行から戻ってきてから、十日と経っていない。 宗三左文字の指摘通り、歌仙兼定は寝る間も惜しんで出陣を重ね、戦を数多くこなしてきていた。 「体力には自信があったのに……」 ため息をつく歌仙兼定に、宗三左文字が言葉を返す。 「今年の夏はことさらに暑かったですから。僕は主やあなたに気を使っていただきましたが、あなたのほうは、むしろご自分の体調に無頓着になってしまっていたのではないですか」 言いながら、宗三左文字が、白い手を延べて、歌仙兼定の首のあたりに掌を当ててきた。 「……肌の熱がようやく冷めてきましたね。体が随分と熱くなっていたので心配していました。大事なさそうでよかった」 安堵したような宗三左文字の柔らかな声に、歌仙兼定は微笑んだ。 「……それでもきみの手のほうが、まだ僕より涼し気だけどね。いつもどおりに」 冬でも体温が高めの歌仙兼定に比して、宗三左文字の肌はいつも冷えがちだった。 宗三左文字の体熱が高まるのは、歌仙兼定と過ごす夜の間だけだ。 「きみの手は冷たくて、心地いいな……」 日に当てられて倒れた歌仙兼定の吐く息には、未だ熱がこもっている。 「まだ少し、暑いですか? 歌仙兼定」 「ああ……首筋だけではなくて、唇にも。涼が欲しいな」 「………」 宗三左文字は言葉では答えず、黙したままでそっと身を屈めて、顔を歌仙兼定に寄せてきた。 歌仙兼定の顎に、宗三左文字の淡紅色の髪が触れる。 そしてその後で。 冷たいと呼べるほどでは無いが、歌仙兼定の肌よりは冷えている柔らかな薄い唇が、歌仙兼定の口先に触れてきた。 接吻を受けている、と気づくまでに、数瞬の時が必要だった。 「……、ン……、」 だが歌仙兼定がもっと、とせがむように口を開く前に、品の良い宗三左文字の唇は離れていく。 二藍色の睫毛を二度ほど瞬かせて、歌仙兼定は、遠のいた宗三左文字の顔を見上げる。 「……倒れてみるものだな。きみが僕を甘やかしてくれるとは思わなかった」 己の後頭部を支える宗三左文字の膝を、服越しに掌で撫でながら、再び頭上に据えられた宗三左文字の白い面に向けて、歌仙兼定は微笑んだ。 「……あなたは甘えるのは不得手ですからね」 歌仙兼定より半年も早く極を果たしている宗三左文字は、恋人同士になったばかりの頃よりはさすがに世慣れた様子で歌仙兼定に微笑み返し、先程額に宛てていた濡れ布で歌仙兼定の肌を優しく拭っていく。気化熱によって歌仙兼定の肌は冷え、しかし宗三左文字の手の跡が、歌仙兼定の身体の別の場所に熱を与え始めていた。 縁から吹き込む風は随分と涼しくなっている。 庭の木々が濡れているのは、自分が倒れている間に夕立があったものだろう。 「きみに介抱されるのもいいが。布よりは、きみの手と唇で触れてもらうほうが僕は好きだな」 力を取り戻してきた歌仙兼定は、指を延べて宗三左文字の手を掴むと、布を握る恋人の掌ではなく、手の甲の側を己の頬に寄せさせて肌に触れさせた。 宗三左文字は歌仙兼定に逆らわず、淡紅色の睫毛を半眼に色違いの瞳に被せた状態で、歌仙兼定を見下ろしてくる。 歌仙兼定の緑の目に。 以前より生命感を増した、極の後の宗三左文字の姿が映っていた。 淡紅色の髪が風に揺れるその周囲を、慕うように夏の揚羽蝶が舞っている。 「風流だな……」 宗三左文字の色濃い青と緑の瞳に見入りながら歌仙兼定は呟いた。 「極を果たしてから、きみは随分と力強さを増したね。美しさは以前と変わらないけれど。極の前も、きみは芯の強いひとだったけれど、それは奥深くに隠れていて余人には見顕せない、僕だけが知る秘密だった。……今やきみの強さは輝かんばかりに表れていて、誰の目にも明らかだ。……少し、妬けるね……きみの全てを、僕が独占していたかった」 「……あなたは欲深が過ぎますよ」 布を脇に置き、冷えた掌で歌仙兼定の頬を撫でながら宗三左文字が答えた。 「早くきみに追いつきたい。修行から還ったままの弱い姿できみの隣に立つのは嫌だ」 弱音とも甘えともつかぬ歌仙兼定の愚痴に、 「追いつけますよ。すぐに」 宗三左文字は生真面目に、しかし優しく答えた。 宗三左文字の柔らかな声は、秋めいた風に靡く風鈴の音のようだ。 「このまま日が沈んだら。きみは、僕を、夜も甘やかしてくれるだろうか……?」 歌仙兼定の緑色の目に、悪戯っぽい情欲の光が浮かんでくる。 そのことに、宗三左文字も気がついた。 「あなたがお望みならば」 くす、と笑みを漏らして宗三左文字は恋人を見つめ返す。 歌仙兼定が見上げているその前で、宗三左文字の頬が仄かな紅色に染まっていった。 「でも、体が恢復していることが条件ですよ。歌仙兼定」 宗三左文字の、極を果たして尚繊細な指が、歌仙兼定の唇をそっとなぞり上げた。 挑発するように性感を煽られて、歌仙兼定も頬を紅潮させながら宗三左文字に微笑を返す。 「そのことについては、きみに間違いなく証明できると思うよ。……夜、閨の中でね」 庭から吹き込んだ涼しい風が、夕闇の予兆を孕んで二人の間を抜けていく。 雨に濡れた草の間から、虫の音が響き始める。 薄暮と共に。 秋が、吹き寄せてきていた。 (了) |
| 後書 |