TEMPEST魔女TEMPEST魔女【小説】二次創作

黒の落花【2】

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 予期してはいたものの、二度目の『魔女裁判』が閉廷した途端に、ティレルは窮地に立たされた。
 自分独りだったら即座に身を隠して、その日の夜のうちに国境を越えてしまうこともできただろう。
(だが赤毛が―――)
 コンラッドがアナスタシア・リンゼルに盗ませた『時すさびの薔薇』を、『魔女裁判』で現国王に使わせたマヤ・カークランド。主を護るために破滅の魔女の誘いに乗って『魔女の道化』に堕ち、「ノイシュバーン王家が女神の末裔ではない」ことを民衆の前で暴露して死んでいった、アナスタシアの忠実なメイドだ。
『魔女裁判』の直後、マヤの弔いのために数日奔走していたアナスタシアを止める気になれず、ティレルが手をこまねいている間に、コンラッドによって国境はすっかり封鎖され、国外に脱出する目は完全に無くなった。
 自分にアナスタシアを逃がす力が無くとも、ガルダ翼騎士であり彼女の元上官であるクライオスが一役買ってくれるだろうと『魔女裁判』の前には期待していたのだが、間の悪いことに、彼は今病床にあるらしい。
(例の病気が悪化したんなら。もう起き上がることはねえだろうな)
 ティレルは溜め息をついて、友人の死が近いことを受け入れた。
『魔女裁判』で何故か『被告人』になっていたもう一人の友人は、裁判後に行方をくらましている。
 ゼンが姿を消しているなら、それは何か彼なりの事情があってのことだろう。
 使える手が一つ減ったというだけのことだ。
(赤毛を逃がすために、何か別の手を考えねえと―――)
 コンラッドの包囲網は刻々と狭まっていた。

 その血が「偽物」であることを『魔女裁判』で暴露させられた現国王が狙うのは、第一にイシク族であり異端審問官であるティレルだ。しかし『魔女裁判』で国王のカリスマは地に落ち、また精神的なショックからかかなり重い病を発症して、殆ど床から出られない状況だという。今は長子のコンラッドが内密に、国王代理を務めている。
 そしてコンラッドこそは。
 アナスタシア・リンゼルを捕らえようと躍起になっていた。
 アナスタシアを押さえれば、彼女に肩入れしたティレルも同時に押さえられる。王族が女神の末裔では無いと知った途端に、ティレルが『猟犬』から降りてしまったことを、コンラッドはよく承知している。コンラッドが現在標的としているのはアナスタシアただ一人と言ってよかった。
 ノイシュバーン王家の威信に傷をつけた小娘を、コンラッドが許す筈も無い。
 再びコンラッドの手に堕ちたら、今度こそ、あの赤毛は死ぬより辛い目に遭わされる。
(コンラッドに再び捕らえられるくらいなら。いっそ俺が赤毛を殺してやるほうがまだ慈悲深い)
 殺人に慣れた自分なら、苦痛を感じさせることなくアナスタシアを死なせてやれる。
 ティレルは殆どそこまで思い詰めていた。

 殺す。
 アナスタシアを。
「――――――」
 生彩の強い鮮やかな赤い瞳が自分を見て、口が微笑をかたどる。
 一瞬で彼女の笑顔が脳裡に蘇り。
 知らずティレルの手は震えた。

 それでも決めねばならない。
 自分の身がどうなるか―――と言うより自分の身をどうするかは、赤毛の身の振り方が定まった後の話だ。
 自分が国境を出ることはとうの昔に諦めていた。
「はぁ……どうしたもんか」
 溜め息をついて、無人の教会のベンチに腰掛けていると。
 見知らぬ男がやってきた。

「随分お疲れのようですねえ。いや疲れると言うより迷っていると言うほうが正しいのかな? 泣く子も黙る異端審問官の最精鋭、ティレル・I・リスターともあろうお人が」
 長身の青年、ぼさぼさの長髪に、絵の具がこびり付いたメガネ。
 オレンジ油の臭いがするくたびれた服の袖には、更に大量の絵の具が、乾いた状態で飛び散っている。
「誰だ? 見たことの無い奴だな。悪いがファンサはしてないんだ。今はさっさと立ち去って、賞賛の言葉なら異端審問官の官舎宛に手紙でも書き送っといてくれ」
 まともに相手をする気にもなれず、ティレルは横柄にしっしっと手を振った。
 だが男は愛想笑いを浮かべながら更に近寄ってくる。
「いや~。僕もいい加減痺れを切らしてるんですよねえ。あなた、いつになったらあの子をあの変質者の魔手から逃がしてあげるんです?」
「! 何言ってやがる、お前……」
 誰と誰のことを指しているか即座に理解して、ティレルは腰を浮かせかけ、その後すぐに相手の正体に気がついた。
「破滅の魔女か……おまえ人間にも化けられるのか。……だがなりすましは下手だな。その気色悪い声の抑揚は変えられてない」
「わざと君に分かるような喋り方にしてあげてる……、って発想はないの? 機嫌悪いからって随分喧嘩腰だねえ。いいけど」
 気にも留めていないように笑って、画家になりすました破滅の魔女はティレルの隣に腰を下ろす。
 もはや声は『魔女裁判』で嫌と言うほど聞いた、破滅の魔女その人のものに戻っていた。
「打てる手が全然なくなっちゃって困ってるようだからさあ…、契約案件を僕のほうから持ってきてあげたよ。僕って親切でしょ?」
「………………」
 ティレルは魔女を睨みつけて舌打ちしたが、邪険に追い払おうとはしなかった。
「僕があの子をこの国から逃がしてあげるよ。どう。乗る?」
「帰れ。お前なんかに頼るようじゃそもそも終わってる。俺も赤毛もな」
「へえ、鋭いねえ」
 魔女は嬉しそうにクスクス笑う。
「君は人生終わってそれで終わりでいいだろうけど。あの子のことまで見捨てるの? あんなに助けて貰ったのに」
「………………」
 ティレルが無言でいる間に魔女はわざとらしく膝を打つ。
「ああ! いざとなったら殺してあげればいいやとか考えてるんだ? やっさし~い。君のせいで彼女はこの世界に捕らわれてるのに、助けてあげるつもりでいるとか、笑っちゃうねえ」
 俺の所為で捕らわれている……
「ん~。君があの子を殺すっていう結末も悪くないけど、ちょ~っと悲劇が足りないかなあ。ねえ。君が死んだほうがいいんじゃない?」
「あ?」
「君が今。僕の目の前で死んで。その死に顔をあの子に見せてやってくれたら。……あの子をここから逃がしてあげるよ。それが契約の条件」
「…………………」
 死ねと言われた筈のティレルはしかし動揺ではなく呆れを顔に上せる。
「お前。俺の前の主もビックリの変態趣味だな。サディストっつうより一周回ってドMなのか? そんなんで赤毛に好かれるわけないだろ」
「は? 意味わかんない。なんで僕があの子に好かれなくちゃいけないの。やだよ、あんなイノシシ女」
 意外にも魔女は多少狼狽したようだ。
 ティレルは無表情であっさりと突っ込む。
「なんでそこで動揺するんだ? お前どう見てもあいつに気があるだろ。赤毛がリンゼル家やコンラッドの手中に堕ちないように、わざわざ選んでマヤ・カークランドを『魔女の道化』にして、リンゼルの人間を全員惨殺させたじゃねえか」
「……………………」
 魔女は暫し黙り込んだ後、
「………………君は何か勘違いしてるんだよ。勝手な想像しないでよね、吐き気がするから。
 君があの直情突進女に惹かれてるからって、僕まであの子に入れ込むほど僕が悪趣味だなんて思わないで欲しいな」
「そうか?」
 弱味を掴んだ、とでも言いたげにティレルはニヤリと笑った。
「サミー・ティペットの裁判の時、俺が赤毛にキスしたら、お前は動揺して嫉妬してただろ」
「……馬鹿なの? 僕があんなことで嫉妬なんかする訳ない」
「そもそも、サミーを『魔女の道化』にしてルーシェン殿下を殺害させたこともそうだ。俺も後から知ったが、あの赤毛は長らく殿下の想い人かつ捜索人だった。殿下がサミーに殺害された前夜……あの二人は再会を果たしてたんだ。俺は『猟犬』としてあの赤毛とルーシェン殿下が一緒にいたところを目撃してるからな。
 お前は赤毛と親しいルーシェン殿下が嫌いなんだ。それは嫉妬を感じるからだろ。
 ……なんでかは知らんが、同時にコンラッドもな」
「…………………ムカつく推論だね……全然間違ってるし」
 苛立ったように魔女が唸る。
「ノイシュバーンの人間は皆憎くて当たり前。奴らは僕の敵なんだから。
 コンラッドに関しては、飼犬の君が力不足であのダメ主人を制御できないのがそもそもの原因でしょ。あいつにあの子を差し出すなんて何考えてるの。魔力がぐちゃぐちゃになるどころじゃ済まなくなるのに」
「赤毛があんな目立つのが悪いんだろ。殿下に目をつけられるに決まってる。……数週間もすりゃ多少飽きるからその時に逃がすつもりでいたさ。そもそも赤毛がもう少し頭を低く出来りゃあんなピンチに陥ってねえんだ」
「もぉおーっ! それじゃ間に合わないの! これだから汚れ仕事の脳筋は!」
「ああ? 舌や指や腱切られる訳じゃなきゃ別に……」
「……信じらんない。異端審問官って教会の下部組織でしょ? ……何の為に枢機卿が結婚して子供作ってる脇で、シスターが生涯独身でいると思ってるの!」
「そりゃ、……………」
 ティレルがはっと息を飲み、
「処女性か………! 迂闊だった。そっちの保障は取れなかったな………確かに」
 渋面を作ったティレルの脇で魔女は勝ち誇る。
「ほらっ! 言わないことじゃない。魔女心は繊細なんだよ。もっと気を遣ってくれなきゃ!」
「……あいつは犯されると力を喪うのか」
「……僕がどれだけ気を使ってるか……、これでわかってもらえた? 今が如何にやばい状況かってことも」
「………………確かに。今はもうコンラッドにやられるだけじゃ済まなくなってるな……」
 アナスタシアの「女」の部分を使ってコンラッドが報復に走るのはわかりきっていた。
「――――となると、お前のノイシュバーン嫌いと赤毛虐めは別々の事象なんだな。そしてお前は赤毛の魔力を温存させつつ『魔女裁判』を用いてあいつを精神的に挑発している……」
「分析はいいから。早く。契約!」
「しかしわからんな。そんなに惜しいか?
 コンラッドから逃げ出すこともできないあいつの魔力なんてたいした力じゃないだろ」
 魔女は呆れたように鼻を鳴らしてティレルを見下す。
「あーあーあーあーあー。卑小な人間にはそう見えますよねえ、ええ。
 質問でーす。そもそも最初にぃ、あの変態王子にとっ捕まってたのはぁ、一体誰なんでしょーおーか?」
「あ? ………、………………!」
 魔女の言葉の意味に気づいたティレルは顔色を変え、息を飲んだ。
「俺の所為で逃げ出さなかったのか! ………あの、馬鹿女………!」
 コンラッドの虜囚の立ち位置から、アナスタシアは逃げられなかったのではない。
 俺を解放するためだけに一緒にいたのだ。
 ティレルは舌打ちして頭を抱える。
「なんであいつはあんなに馬鹿なんだ……!」
「僕も其処は知りたい。世界最大の謎だよね」
「ッ………………、」
「えッ!? 泣いてるの、ちょっと! ビックリなんですけど! やだぁ引いちゃうー! みんな見てえ! あの冷徹なリスター審問官が涙流してるぅ!」
「うるっせえ、ほっとけよこの根性悪! ガキかお前は!」
「…はー。泣き虫多いんだなあ、この国」
 魔女が誰のことを指しているかはティレルには関心の無いことだった。
 ティレルは涙を拭いながら脳裡にアナスタシアの言葉を思い浮かべる。

『貴方は誰かの道具になるために生まれてきたんじゃない』
『証明したいからです。私の、貴方を信じる気持ちが本物だということを』
『貴方にも改めてほしい。貴方の生き方を、存在理由を』

「っ………」
 あいつを今この国から逃がす理由がまた一つ増えた。
(自分が生き残るためじゃない。そもそも俺を『救う』為にあの場にいたんだ……赤毛だけならさっさと逃げることができた)
 あいつは破滅の魔女があいつの人生に対し、肩入れとも虐めともつかぬ奇妙な干渉を起こしていることは知覚していない。
 警備を固めて待ち構えているリンゼル屋敷に、『時すさびの薔薇』を盗み出すため、たった一人で忍び込むことを当時覚悟していた。
 理屈の通らない、奇妙な言葉と行動を取るとその時は思っていたが。
(道理であいつはあの時、大して恐怖心を持っていなかったはずだ。コンラッドに対しても、リンゼル屋敷に向かうことに対しても)
 そもそも恐怖を感じるポイントがどうも一般人とズレている、とは感じていた。恐怖だけではない。尊敬や信念の感覚も、ティレルが呆気に取られるほど広汎かつ頑なだ。
 被虐待児であったことが原因なのかと思っていたが違った、あるいはそれだけではなかった。
 何と言ってもあいつが『魔女』だから。
 感覚が一般人であるティレルとは大きく異なるのだ。
(あいつの『魔女』としての力はそこまで強力なのか……)
 あるいはそこさえも自覚がなさそうだ。蛇をその場の道具で捕らえてしまったりと、現実に現実で対処する能力がアナスタシアは格段に高い。
 なのに呆れるほどに自己肯定感が低い。それも力のありようが、普通の人間とはあまりに違う所為でもあるのだろう。
 そして何より。
「今は、あの時と同じ状況にはまってるんだな。あいつはここから抜け出す力を持っているが、発揮していない。
 俺が理由だ。
 ……俺がこの場にいること自体が、赤毛の枷になっている」
「そうだよ。君が消えない限り彼女はここから逃げ出さない」
(それでコイツは俺に「死ね」と言いに来た)
(だが、……それだけでは別の筋が通らない)
「さ、話は理解できたかな? そろそろ死ぬ?」
 わくわくした顔で魔女が聞いてくる。
 ティレルは別の話をぶつけた。
「………長らく抱えてきた疑問なんだが」
「うん?」
「お前なんで、自分で殺人ができないんだ?」
「! ………………」
 画家になりすましている破滅の魔女の顔色がサッと変わった。

  

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