TEMPEST魔女TEMPEST魔女【小説】二次創作

祝福の庭【3】

【2】【3】【4】

 

 天気は良く、暑すぎず寒すぎもしない。
 庭園は王族たちが馬を走らせるための区画で、所々に大きな木が点在する以外は、よく手入れされた芝生がどこまでも続いている広々とした空間だった。
 『猟犬』としての前歴の所為で、ティレルは、暗殺や盗聴の危険を避けるため、他人が隠れやすい場所や人気の多い場所を回避する傾向があった。
 だがここなら安心だろう。
 隠れるもののない場所でティレルは立ち止まる。
 自分についてきたアナスタシアをしげしげと見下ろし、やがてティレルは、何かを決めたように話し始めた。
「……三週間後に、お前を始めとした新任騎士の就任祝いパーティーがあったな。珍しくルーシェン殿下が主催で、俺たち全員が招待されてるやつが」
「そう言えばそうでしたね。………それがどうかしましたか?」
「そのパーティーで、正式にお前にプロポーズする。古式ゆかしいヒストリカ貴族方式で」
「へっ?」
「ルーシェン殿下の面前で、お前の前に跪いて婚約指輪を渡す。そのつもりで、お前も覚悟しとけよ」
「えっ、………えぇっ!?」
 ティレルが何を言い出しているのかをやっと理解して、アナスタシアは思わず声を上げた。顔を真っ赤にして、慌てて両手を振って拒否の言葉を放とうとするが、動転しすぎて言葉も巧く出てこない。
「け、けけけっけ、けっ」
「変な笑い方すんなよ。正気を疑われるぞ」
「わ、笑ってませんっ! け、結構ですって言いたかったんですっ!」
「結構? 何が結構なんだ?」
「プ、プ、プロポーズ!」
「そうだ、結構なことだろ。公の場でのプロポーズな」
「違う! 逆です! そんな大きなパーティーで、公衆の面前でプロポーズなんて、絶対イヤです! だ、だって恥ずかし、」
「ダメだ。お前は強制参加だ。奴らの目の前で派手にやらないと意味がない。あの三人が揃ってて、邪魔もされず殴りかかられもせずに済む時と場所なんて滅多にないんだぞ。
 あのエセ父兄共め。俺との立場の違いを思い知らせてやる」
「っ、………? ??? 一体何のお話ですか?」
「いーいから。
 お前、前もって吐き気止め飲んどけよ。形式張った口上を完璧に述べ立てるからな。
 ……パーティー前に薬、渡しといてやるよ」
「……ティレル様!」
 どうにかしてそんな無謀な計画はやめさせなくては、と両の拳を握るアナスタシアの前に、革紐に通したリングがぶら下げられた。ティレルがたった今、自分の首元から引っ張り出してきたものだ。
「プロポーズ用の指輪はヒストリカ風に相応しいものを用意するつもりだが、とりあえず今、婚約指輪の代わりにこいつを渡しておく。
 お前の薬指にはちょっと太いだろうな。左手の人差し指になら填まると思うが、……剣を振るうには邪魔だったら、このまま首に掛けてもいいぞ。
 内側に、女神クロムからの加護を願う印が彫ってある」
 言われてアナスタシアは動きを止め、目を凝らす。
 銀製と思われるそれは確かに細身の指輪だった。表はおそらく琥珀と思われる黄色い石が一粒填まっているだけで他に意匠は無いが、内周にびっしりと細かい彫刻が施されている。アナスタシアはそれに見覚えがあった。一度だけ見たことのある、ティレルの体に彫られた刺青の紋様に非常に似ている。
「ティレル様…これって……もしかして、」
 アナスタシアの疑念を受けてティレルが笑う。
「俺が持ってる数少ないイシク族の形見だな。従姉だか叔母だか忘れたが、年上の女親族が俺を蛇穴に押し込むときに寄越してくれた女物の護り指輪だ。
 俺が持ってるイシクの形見は、脳内にある知識を除けば、体に彫った刺青と、机で咲かせてるイシク・ルクフラムスと、この指輪だけってことになる」
「! ………い、いただけません、そんな大事なもの……!」
 とんでもない、とぶんぶんと首を横に振ったが、ティレルは構わず、革紐から指輪を外して、アナスタシアの左手を優しく、それでもしっかりと掴む。
「そう……一番大事なものだった。イシク族の誇りと掟が、俺にとっては長らくな。この指輪はその象徴だ」
 ティレルの細身で器用な手がアナスタシアの剣を握り慣れた手に絡み、指を開かせる。
「っ………」
 ティレルの指が己の指先へと滑る。
 熱と触感に、アナスタシアの身は勝手に反応して、強張ってしまう。
「……でしたら、余計に……!」
 余計に、そんな大事なものを受け取るわけには行かない。
 アナスタシアはそう言おうとしたが、ティレルは笑ってそれを手で遮った。
「今の俺には、イシクより大事なものができちまった。
 人生すべてを賭けて、最優先で護るべきものがな。
 だから俺にはもうこの指輪は不要だし、持つ意味も無いんだ」
 ティレルの手が、アナスタシアの左の人差し指にそっと指輪を填めた。
 ティレルの見立て通り、サイズはピタリと合っている。
「ティ、ティレル様、」
「ん、お前の肌の色に似合ってるな。よかった」
 イシク族の指輪をつけたアナスタシアの手を見て、ティレルは満足そうに笑い、そのまま指に口づけた。
「…………………!」
 呆然となるアナスタシアの顔に、ティレルは紫の目を向ける。
「持っていてくれ。お前がな。
 イシク族が女神クロムの加護を願って作った指輪ってのは……これ以上無いくらい、お前に相応しいだろ」
 ティレルは優しく掴んだままのアナスタシアの手に目を落とし、イシク族の指輪が填まったその指をもう片方の手で撫でる。
「この指輪がお前を守るように。
 俺もお前を守ると誓う」
 軽口の多いティレルの声の響きが。
 このときは、神への宣誓のような厳粛さを以てアナスタシアの耳に響いた。
「………………、」
 アナスタシアの赤い瞳が潤む。
 それを見つめながら、ティレルは言葉を続けた。
 次に続いた独白は、アナスタシアがそれまで一度も聞いたことのないものだった。

 

 

「――――俺は幸福になることに怖れがあった。
 ……唯一人残されて、イシク族のほかの連中の命を踏み台にして生きてきた俺に、幸福を求める資格なんか無いと思ってた」
「! ティレル様! そんなこと……!」
 思わずアナスタシアは声を上げたが、ティレルは首を横に振ってそれを遮る。
「蛇に三日間噛まれ続けながら。孤児になって森や町を彷徨いながら。コンラッドの下で『猟犬』となって働きながら。
 心や体が辛いのも傷つくのも平気だった。
 どんな目に遭おうと気にせずにいられた。
 生きていること、そのものが。
 自分独り生き延びた事への罰だと、そう思い続けてきたからな」
「――――――――」
 アナスタシアの眉が歪んだ。
 幼い頃、継母のエヴェリーナに言われ続けて、自分も似たような感情の袋小道に迷い込んだことがあった。
『生まれてきたことが過ち』
『生きている限り、間違い続ける』
 他人から言われ続けて反発し、時には受け入れるようになってしまった辛い思考。
 ティレルは自身の体験から、その理屈を導き出してしまっていたのだ。 

「……俺はずっと。イシク族の中で唯一人生き残ったことに負い目があった。
 生き残るなら俺じゃなくても良かったはずだ。もっと賢い奴、もっと強い奴、もっと年嵩の奴………。相応しい奴はたくさんいた。
 ヒストリカの騎士カルセンが逃がしたのが俺でなければ。
 俺を助けた従姉か叔母が、幼い俺ではなく自分自身を蛇穴に隠すことを選んでいれば。
 俺はここにはいなかった。
 非力な子供の俺ではなく……、イシク族の別の誰かが俺の代わりに生き残っていれば、俺よりずっと効率よく、イシク族が受けた恥辱を晴らして、さっさとイシク族を復興できてたんじゃないか。
 俺じゃない奴が生き残るべきだった。
 ずっとそう思ってた。
 だから必死になって、盲目的に、イシクの再興を目指したんだ。

『猟犬』としての仕事なんかより、この首枷が、俺にとっては一番重いものだった。
 ノイシュバーン国王ジェームズがイシク族を虐殺したと知っていても王族を信じていたのは、唯一のイシク族として生き残った意味を、『イシクの再興』という形で生み出そうと躍起になっていたからだ。
 それが俺にとっての陥穽だったんだな。
 ――――その所為でコンラッドに捕まっちまった。
 本当はあいつのことを、お前が奴を憎むのと同じくらい憎んでいたのにな。いつの間にかそれすらも自覚しないようになっていった。

 王族が女神の血を引いてないと知ったとき。俺の首に付いてた幾つもの枷は一気に壊れちまった――それこそ、生きる気力を失うほどに。
 イシク族として護るもの、頼るものがこの世に存在しないと知って、俺は唯一人生き残った意味さえ見失ってしまったんだ。
 ……義務の首枷は。罪悪感を抱えた俺が生きていく為には必要なものだったのに。
 唯一人のイシク族として生きて行くには、『女神の不在』は事実として重すぎた。
 俺の首に最後まで残り、最後に壊れた枷は『イシク族』だったんだ。
 ……おまえを置いて自害した別の俺は、イシクに代わる枷を見つけられなかったんだろうな。
 ――――答えも存在も、本当は、すぐ目の前にあったのに」

 アナスタシアの手を握ったまま。
 ティレルは婚約者となった娘の顔を見つめた。
「ティレル様……」
「お前を女神扱いはしないと言ったが。だが今でも、お前は全身全霊を賭けた俺の忠誠の対象だ」
「――――――」
「イシクの枷を手放しても、お前への枷は手放せない。お前が俺の愛人でも、婚約者でも、妻でも、主でも、例え赤の他人になろうとも――――そこはずっと変わらない」
「………あの、」
 ティレルの言っていることの意味が掴めず、アナスタシアは口を挟む。
「ティレル様がそうおっしゃるのは。
 私が……女神クロムの生まれ変わりだから、ですか……?」
 それだけが理由なのだとしたら、少し切ない気もする。
 結局私はクロムには勝てないのだろうか――――ティレル様の中では。
 そんなアナスタシアを見たティレルの紫の目が、可笑しそうに眇められた。
「その指摘は正解だが、同時に間違いでもあるな。
 女神クロムの力を礎に、アナスタシア・リンゼルが『死に戻り』その他の力を駆使して、この俺、ティレル・I・リスターに為してきてくれたことが、今俺が此処にいて、生涯お前を守ると誓っている理由だからな」
「――――っ」
 まっすぐにアナスタシアの目を見つめて、ティレルはきっぱりと言い切った。
(………これは。もしかして、愛の告白より、ずっと重い言葉なのでは)
 惚れたとか愛とか、そうした言葉をやりとりするときよりもよほど自信と確信に満ちた、ティレルの揺るぎない眼差し。
「今後、俺の取る行動は完全にお前を起点としたものになる。イシク族として正しいかどうかは、行動の判断基準にならない。
 俺がイシクの加護は不要だと思っている最大の理由はそこだ。イシク族は俺のルーツではあるが、――――生きる理由ではなくなった」
 イシクが最後の枷だった、とはそういう意味か。
 ようやくアナスタシアは得心した。
「今。俺が生きる理由はお前だ」
「えっ」
 思ってもみなかったことを言われて、アナスタシアは目を瞠る。
「お前は俺に生きていていい、幸福を望んでいい、嫌いなものからは遠離っていていいと言ってくれた。
 同時にお前は――――、直情で同情過多で思い込みが強くて、後先も考えずに憎いものを打ち倒そうと思いがちで、そのくせ敵との彼我の差には殆ど無頓着だ」
「え、そ、そんなことはありません。
 ちゃんと考えてます!」
「考えてねーよ!
 少なくとも俺から見りゃな。
 お前、魔力を持ってる最中ずっと、『死んでも取り戻せる』とか考えてやがっただろ」
「………う。だ、だってでもそれは、事実じゃないですか」
「取り戻せてねーだろうが!」
 呆れた顔で叱るようにティレルに言われて、アナスタシアは驚いて言葉を失った。
「え………」
 ティレルはやや表情を和らげて、
「非力すぎて、当時のお前には他に手段が無かったのもわかるけどな。……だがお前は本当のところは、死ぬ度に傷ついていった筈だ。
『死に戻り』は、生きてちゃ取り返せない何かを喪失した果ての行動だ。しかも死に戻った先では、死ぬ前に得ていたものも喪失している。『死に戻り』を一度するだけで、おまえは、大きなものを自動的に二度失うことになる。その上若い健康体で死ぬってのは結構大変だから、通過点には激痛という手土産までついてくる。
 痛かったこと、苦しかったこと、辛かったこと。時が巻戻って他の奴らの中では無かったことになっても。おまえの心にだけは癒えないままの傷が蓄積されてきただろ」
「………………」
 アナスタシアは押し黙った。
 今まで自分で自覚もしなかったようなことを、見事に言い当てられている気がするが、何故ティレルはそこまで見通せるのだろう。
「『一度』しか生きてない俺にそれがわかる筈が無い、って言いたそうだな。ゼンのように過去のお前の『死に戻り』を見ていなくても……お前が傷ついた存在だ、ってのは俺にはわかる。生きることにも死ぬことにも絶望して、だからただ与えられる仕事をこなしてただけの時期が俺にもあったからな。理解者がいなくて、もう既に長いこと孤独で、しかも未来永劫その苦痛が続いていくんだ、って考えてた時期がな」
「――――」
「おまえはそういう時期の俺に似てるし、女神の力を持ってるとか繋がってるとかいう触れ込みの癖に、実際には俺より至らないことのほうが多いくらいだから、……心配で、見ていてハラハラする。
 なのに広げる風呂敷はやたらデカいしな……国が転覆するようなレベルのことも、過去にやらかしてそうだよなぁ。『時すさびの薔薇』に国王の血を垂らさせた、ってのも、『死んで取り戻せばいいや』とか考えてなきゃできない所業だよな。お前のそのぶっとんだ行動力に巻き込まれた俺のほうは生きた心地がしなかったろうな。
 ……ま、死んだ訳だが」
「ティ、ティレル様、」
 指摘が心に刺さりすぎて、思わず震え声になってしまう。
 ティレルは苦笑して、イシク族の指輪が填まったアナスタシアの手を握り直した。
「責めてる訳じゃねえよ。最初から、俺とお前じゃ視点が違うんだ。そこは一生付き合ったところで、多分今後も変わらない。
 ゼンやお前から見たら、俺の命は瞬間輝くだけの火の粉みたいなもんだ。以前も言ったが、お前の『死に戻り』一つでお前との絆ごと消えちまう、当てにならない人生と記憶だ。
 でもだからこそな。
 今存在してる、『お前との絆』はいっそう強く結びたいんだよ。
 脇目ふってる余裕もないくらいにな。
 それは多分――――愛とか恋とか呼ばれる感情よりはずっと重くてうざったくて真摯なものだ。
 お前の大事な人生の一秒一分、一日一年、あるいは一生を。
 俺にも一緒に歩かせて欲しい。
『死に戻り』はナシで、うっかり『魔女』や『女神』に戻っちまいそうなお前の精神と境遇ごと、俺がガードするっていう前提でな。
 そういう俺を、お前が受け入れてくれるなら――――
 この指輪を受け取ってくれ。
 ――――――アナスタシア」
「――――ティレル様」
 否と言い得る筈も無い。
 ティレルの気遣いや、同情、一端の愛情よりもよほど根源的な部分から湧いてくる深い思い。それを感じて、彼から離れたいと思う訳も無かった。
 アナスタシアはティレルの手を握り直し、更にその上に己の右手を重ねて答えた。
 涙混じりの笑顔で。
「ありがとうございます。
 ティレル様、私こそ、ずっと一緒にいて下さい。
 指輪、大切にします。
 ――剣を振ったり、ガルダの世話をする間に汚したり無くしたりしたら大変なので、首に掛けさせていただくことにはなると思いますが」
「ああ、いいぜ。……………
 ――――――――――――――よかった……」
 笑ってティレルは嬉しげに言った後、いきなりぐったりと弛緩した。
「いや緊張したわ。二度とやれねえ」
 アナスタシアの手を掴んだままで、芝生の上にしゃがみ込んでしまう。
「ティ、ティレル様! 大丈夫ですか!?」
 アナスタシアは慌ててティレルの上に屈み込む。
 膝に顔を突っ伏しているティレルの耳が、真っ赤に染まっていることに、アナスタシアは気づいた。
「ティレル様……」
「………相変わらずそれか………」
 俯いたティレルの喉からくぐもった声が聞こえた。

 

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