| 2024/12/05【全7話/完結】 ティレル×アナスタシア/【胸に小さき花の咲く】承前 『徒花Ⅰ~Ⅳ』ティレルを『凍土』に接ぎ木 |
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「ティレル。マヤ殿から苦情が来てる。あまりあくどい事はしてくれるなと、釘を刺したはずだぞ」
「恋愛童貞のガキみたいなモンだから浮かれるのはわかるが、お前もういい年だろ。ちっとは自制しろ」
「まだ貴族に籍を置いているアナスタシア殿にとって、世間の評判が非常に重要な事は貴方もよく分かっている筈だ、リスター」
王宮の一角、ルーシェン王子の執務用の小会議室で。
ティレルは目の前の三者――――クライオス、ゼン、ルーシェン王子から、文字通り吊るし上げを食らっていた。
元々はアナスタシアも彼らと一緒に登城しており、コンラッドとエヴェリーナが主導している人身売買の組織にどう対応するかを話し合う場の筈だったのだが、ルーシェンは五人での会議を早々に打ち切ってしまった。
「アナスタシア殿。貴女の処遇について、私直下の特殊業務官でありながら身柄は翼騎士団預かりとすることが決定いたしましたね。
その件について、貴女のサインが必要な契約書が複数枚ありますので、別室にて目を通していただけますか。秘書官に対応させます」
輝くような笑顔で、部下に命じて小会議室からアナスタシアを送り出した途端に、ルーシェンは外聞通りの『冷血王子』の表情を取り戻す。
「リスター。我々の懸念が杞憂であると証明するのはその方の責務だ」
「……五日前、『俺がアナスタシア・リンゼル様の部屋に押し入って強引に彼女の貞操を奪おうとした』とマヤ・カークランドが主張している件ですね。当然ながらまったくのデタラメです」
クライオスへのマヤからの訴えによって、「レイプ犯」に仕立て上げられかけたティレルは、涼しい顔を崩さない。
「アナスタシア様と俺、我々二人の関係性が、『主従関係』から『恋愛関係』に発展した事を互いに口頭で確認し合っていたところに、メイドのマヤ・カークランドが主への断りも無しに部屋に入り込んできて、勝手に誤解したんですよ」
『恋愛関係』と臆面もなくティレルに言い放たれて、三人の表情はそれぞれ強張ったものになる。
「……アナスタシアをソファに押し倒していた、とマヤ殿は言っていたぞ」
「朝っぱらから寝転がっていた主を助け起こそうとしただけだ」
「……お前が上から覆い被さる必要はないだろう?」
「主が俺の胴に手を回してきたら振り払えないだろ。不可抗力だ」
「………………」
「如何なる関係であれ、未婚の男女が朝から二人きりで密室にいるのは外聞が悪い。もう少し控えてくれ」
「ご忠告痛み入ります、殿下。次回からは、主の部屋に忍び込んでるのがあのメイドにバレないよう、声と物音を控え、扉には鍵をかけることに致しますよ」
「……………」
「立場に乗じて都合良く相手を手なずけて自分の思い通りに仕向けるのはグルーミングっつってな、恥ずべき行為なんだぞ。アイツの無知につけ込んで、変な誘導とかしてねえだろうな」
「―――その件に関しては黙秘する」
「……やったんだな!」
「やったとは言ってない」
「言ったも同じだろうが!」
ティレルに掴みかかろうとするゼンを他の二人でどうにか押し分けて、男達は息を吐いた。
代表として、最も地位が高く、最も古い時期からアナスタシアを知っているルーシェンがティレルに告げる。
「リスター…。私としては、アナスタシア殿が幸福になれるなら、如何なる男性を選ばれようとも心から支持するつもりだ。隣に立つクライオスやゼンも同じ気持ちだと思う。
だが貴方には父王やコンラッド兄上など強力な敵が多いし、兄上の『猟犬』だったという秘された履歴や、異端審問官であった公式の履歴も、ヒストリカ社会では優位に働かない。まして貴方はただ一人とは言え少数民族のイシク族、ヒストリカの階級社会では完全な『平民』の扱いになる。
貴方がアナスタシア殿を連れて国外に暮らす可能性も含めて、貴方が社会的に彼女をどう支えていくつもりなのか、聞かせてもらいたい。
……アナスタシア殿のお心を受け入れる気になったのなら、尚更」
「…………」
つい先日までアナスタシアの恋心に対しティレルの側から奇妙な頑なさがあった事は、クライオスやゼンだけでなくルーシェンにまで見透かされていたようだった。
黙り込んだティレルに向けてルーシェンは更に続ける。
「私は正直なところ、貴方が恋ではなく義務でアナスタシア殿に応えてしまうのではないかと危惧していたのだ。
今現在、貴方は相当な情熱を以てアナスタシア殿に接しているようで、それは喜ばしい事だが、あまりに熱量が多すぎる。そこは却って心配だ」
「……そうですね。主の社会的立場への配慮に欠けていました。その点に関しては反省しております」
ティレルは神妙に答える。続けて、
「ただ、本当に私的な関係として互いの恋愛感情を確認しただけですので、主ご本人が俺との社会的な関係をどうお考えになるかは俺にも分かりかねます。
俺としてはどうでも良いのです。主が国を出たいとお望みならそれに従いますし、この国で暮らしたいとおっしゃるなら、能う限り快適にヒストリカ国で暮らせるように尽くすだけです。
と言っても、死に戻りの年数を加味して二十五年以上、未成年期が多いとは言えヒストリカ国で長く暮らし、その間国に尽くした主ですから、ヒストリカ国を出る事を望むとはあまり思えません。
……現状で俺の心づもりを話せとおっしゃるなら。
まずはルーシェン殿下の立太子及びご即位に最大限ご協力させていただきます。
ご指摘の通り現国王とコンラッド殿下は俺にとって不倶戴天の敵。のみならず、『時すさびの薔薇』を咲かせた主ご自身にとっても重大な脅威です。民衆にあの事件を忘れさせる事は可能ですが、用心深いノイシュバーン王家の面々を誤魔化す事は出来ないでしょう。
偶然にも、ルーシェン殿下の政敵はそのまま俺と主を脅かす存在ですので、彼らを追い落とすことに全力を尽くさせていただきます。
同時に、リンゼル侯爵家への切り込みを図ります。主が例えリンゼルの姓を捨てても、ルーツというものは一生付きまとうものですから。
主にとって、コンラッド殿下が前門の虎なら、エヴェリーナ様は後門の狼。後顧の憂いは断っておかなくてはなりません。現国王がご健在であらせられる今はさしあたって、ルーシェン殿下ご即位への助力より、エヴェリーナ様の始末をつけるほうが急務かと存じます。
エヴェリーナ様が人身売買に関わっているという証拠をまずは掴みます。コンラッド殿下ならば王宮で厳重に機密を管理しているでしょうが、侯爵家の私文書となれば脇も少しは甘いでしょうからね。芋蔓式に、コンラッド殿下にとって不利な証拠を見つけ出す事も期待できるでしょう」
「……仕事の事ならホントに怜悧で先の見通しが立てられるんだな、お前」
立場が違いすぎて、ティレルとは今まであまり一緒に仕事をしたことのないゼンが感想を漏らす。
「何か策はあるのか、リスター」
ルーシェン王子が促す。
「まずはアナスタシア様と共に身内としてリンゼル侯爵家に出向き、挨拶でもさせていただきます。婚約者、あるいは事務補佐官兼愛人……肩書きは何でも構いません。俺が密偵として忍び込んでも証拠を掴むだけならできますが、身内ならば更に交渉も可能です。
人身売買組織との関わりをこちらが公表しない代わりに、エヴェリーナ様からの一方的理由でリンゼル侯爵との離縁を申し出よ、と向こうに交渉を持ちかけます。貴族の弱点は体面を重んじる事ですから、そこを突きます。離縁成立後は、エヴェリーナ様が組織に関わった事実を公表するのは俺じゃない。約束を破った事にはなりません。その後にエヴェリーナ様の人身売買の情報が露見しても、リンゼル家はダメージを負わずに済みます。
主が病に伏せった父侯爵の後を継ぐにせよ継がないにせよ、エヴェリーナ様をお身内から切り離す事ができれば目的は達成です。
始める時期は早ければ早いほどいい。向こうが俺たちを認識せず油断している今なら、効果と解決速度が最大限に高まります。敵に警戒や準備の隙を与えない事が肝心ですね」
すらすらと目論見を述べていくティレルを、他の三人は半ば感心して、半ば呆気に取られて見つめていた。
「拍手したいほど有能だな。ティレルを敵に回さずに済んで良かった」
クライオスが満足そうに言った。
その脇でルーシェンは思案顔であった。
「貴方の目算はよくわかった。私やアナスタシア殿への助力はありがたいが……その行動に、貴方自身が求める此方への見返りは何かあるのだろうか。
例えば、以前コンラッド兄上配下の際に目指していたイシク族の再興などを今も望んでいたりはしないのか?」
「……その件に関してはもはや指向しておりません」
「というと?」
「もしも俺の中のイシクの血を守ろうと思うなら。侯爵家の婿になることは最速最善の道かと考えます。貴族になってしまえば数々の特権に護って貰えますからね。子供でも生まれれば、イシクの後継者は則ちリンゼル侯爵家の嫡子です」
「!」
息を呑んだルーシェンの脇で、
「ティレル!」
「アイツをそんな形で利用する気か!」
クライオスとゼンが色めき立った。
「……もしもっつったろ。耳の穴かっぽじってちゃんと聞いとけよ、人の話」
ティレルがうんざりした顔で応じる。再びルーシェンに向き直り、
「しかし血の継承については既に諦めています。たった一人から血を残していくなんてどだい無理な話です。主が俺との御子を持つ事に同意するとは限りませんし、例え子が出来ても、伝染病でも流行れば一発で吹き飛んでしまう。そんな杜撰で残酷な計画に主を巻き込むわけには参りません。
イシク族特有の知識継承に関してはもう少し見込みがあります。翼騎士団のガルダ知識と同じですね。やる気のある弟子でも取って、俺の脳内にかろうじて残っているイシクの伝承を文書化していく手段が最も効率的でしょう。一子相伝など言っていては、血と同じで、結局滅びて終わってしまうでしょうから。
俺個人としては……長らく願っていた『イシク族の復興』というのは、『名誉回復』の意味に近かった。ヒストリカ国王の命で皆殺しに遭った、という時点で、反逆者の汚名を着せられたも同然ですから。――――まさか、そもそもの反逆者がノイシュバーンの開祖だったとは、さすがに見抜けませんでしたが」
ノイシュバーン家が女神の血を継いでいない事、それどころか女神を殺す形で政権を握った事、それを知られる事を怖れて『女神に仕えるための一族』であったイシク族の虐殺命令が出された事。
そこをティレルに指摘されて、ルーシェンは肩を落とした。
「その事に関しては、末裔として私も責任を感じている。開祖のルキウス・ノイシュバーンと、父である現国王ジェームズ・ノイシュバーンの罪だからな」
「……お心遣い恐縮ですが、殿下が気に病む必要はございません。いずれも殿下がお生まれになる以前の古い話ですし、父祖の咎が子に及ぶような事は、本来あってはならぬと思っておりますので。……その意味で、罪人の係累のみが職につく異端審問官も解散が相応しいと考えております」
「そうだな。貴方の考えは公正だ。微力ながら私も、イシク族の名誉回復には力を貸そう―――父王の退位後にはなってしまうと思うが。
イシク族の伝承の研究と文献化に関しては、準備が整い次第即刻、私の管轄から人材と補助金を出すこととしよう」
ようやくティレルはルーシェンに対し笑みを見せた。
「契約成立ですな。――――ありがとうございます、ルーシェン殿下」
「断っておくが、この件は、私と貴方の関係によってのみ成立する。
貴方がアナスタシア殿の思い人だからどうこう、という話ではないことは覚えておいてくれ」
「有り難い限りです」
ルーシェンの思考は異母兄のコンラッドのそれよりずっと澄明で清々しい。
そのことについてもティレルは満足を感じていた。
「さて、と。難しい政治の話は充分だな」
クライオスが切り出した。
口にはいつもの微笑を湛えているが、目は笑っていない。
「ティレル。話を戻すが。アナスタシアの事だ」
ルーシェンが頷く。
「公的には、アナスタシア殿は当面、私の派閥に属する貴族令嬢として扱わせていただく事になる。リスターの目論見では、エヴェリーナ叔母上の件が片付くまではリンゼル家からの除籍もしないほうが良いようだからな」
「……ま、そうでしょうね」
「そのようなわけで、アナスタシア殿と貴方との『恋愛関係』は、ヒストリカ貴族の慣習に則った男女付き合いになることをまずは抑えておいて貰おう。リスター」
「……と、おっしゃいますと?」
「分からないフリは止せ、ティレル。
未婚の貴族令嬢に対する礼儀で以てアナスタシアに接しろ、と言ってるんだ」
クライオスの言葉に続いて、ルーシェンの冷たい宣告が響いた。
「具体的に言おう。まずは禁止事項からだ。
朝八時以前にアナスタシア殿の部屋に入る事は禁止。午後八時以降も禁止、……と言うより日没以降は原則全て禁止だ。
入室の際はアナスタシア殿の許可を取り、必ず面会立会人を立て、二人きりにはならない事。アナスタシア殿の居室の場合はマヤ・カークランドに面会立会人の役目を負って貰えるよう、私から依頼する。
アナスタシア殿の居室のみならず、その他如何なる部屋であれ、密室に二人きりになるのも禁止。面会立会人は状況に応じて、王宮ならば私やその部下、翼騎士団ならクライオスかその部下が担ってくれる。
過度の飲酒も禁止だ。聞けば貴方は酒を過ごしやすいらしいな。伴侶が酒で身を持ち崩す悲劇はヒストリカ貴族の間でも度々聞く話だ。酒は節度を保って飲むべきだが、目に余るくらいなら、本来は断酒が望ましい。
外出時の送迎は構わないが、過度の接触は避ける事。二人で逢いたければ、複数人がいる公共の場など、広い場所で逢えばいい。
そしてアナスタシア殿のメイドであるマヤ・カークランドの仕事を奪わない事。手料理を振る舞いたければまずは彼女の許可を取り、アナスタシア殿の家計の内外の区別をつけてくれ。この件に関しては、マヤ殿から再度苦情があった場合、貴方とアナスタシア殿は暫く接見禁止とさせて貰う」
「はぁ?」
ティレルが不躾にも声を上げたが、ルーシェンは冷たく黙殺しただけだった。
脇からゼンが、
「……その際は俺がアナスタシアの送り迎えと、おまえが勝手に忍び込まないように見張りをしといてやるよ。行政官資格は取ったものの、ルーシェン王子直属で時間に融通が利くからな」
更にゼンは肩をそびやかし、
「DV、モラハラ、セクハラに関しての講釈もしてやる。お前、あのサイコパス王子の下に長く居た所為で、そこらへんの感覚おかしくなってそうだからな」
クライオスが苦笑して纏めに入る。
「とにかくここ一月くらいのお前の様子を見ていて、俺たちは、どうもお前は社会知識に凹凸がありそうだという結論に達したんだ。仕事は非常に出来るが、恋愛心理や、社会常識に則した女性の扱いは未熟だ、とかそういうことだな。
今までのお前の境遇から言って、そうした状態のお前を責める気はないが、アナスタシアにとってお前の行動が害にならないよう、俺たちでお前を監督する事にした」
「監…督…だと……」
嫌な予感に、クライオスの言葉を鸚鵡返しに呟くティレルに対し、ルーシェンが追い打ちをかける。
「これは貴方の評判を護るためでもあるのだ、リスター。
アナスタシア殿の寝顔を見れるのが羨ましくて許せない、などという低次元の嫉妬などではないことは当然理解出来る筈だ。
貴方とアナスタシア殿には、貴族令嬢とその恋人に相応しい節度が必要だ。
当然ながら婚前交渉も禁止、のみならず、周囲にそれを匂わせるような行為も厳禁だ。
この前の朝のような失態を冒して、アナスタシア殿の操の評判を地に落とすようでは先が思いやられる。幸い目撃したのはマヤ・カークランドだけだったので口止めが利くが、余所ではそうはいかない。今回は見逃しておくが、本来は接見禁止を言い渡す程の不始末である事は肝に銘じて欲しい。
――――二度目はないぞ」
「………………」
冷徹王子の厳しい言葉に切れ長の目をますます細めたティレルに対し、クライオスが呆れたように言う。
「ティレル。王族をそんなふうに睨むな」
「睨みたくもなるわ。……お前ら三人で、俺の首に枷を掛けようって腹だな」
ティレルが低い声で唸る。
ゼンが微笑して、
「お、良かったな。どうやら通じたようだぜ」
「良くねえよ! 通じてたまるか!」
思い切り不貞腐れて、ティレルが声を張り上げた。
クライオスが苦笑して宥めにかかった。
「まあ、コンラッド殿下の影響下を抜け出してからこっち、おまえの気持ちが糸の切れた凧みたいにフラフラしていたのは俺たちにもわかったからな。ただ、ゼンに言われて俺も初めて気がついたんだが………今まで極限まで張り詰めていたものが不意に切れてしまうと、どうしたらいいかわからなくなることもある。それが人間というものだ。お前はそうした弱さを見せるのを嫌うが……、そんなところが、アナスタシアと波長が合ってしまうのかも知れないな。
残念だが、俺たちはそういう意味ではアナスタシアに選ばれなかった。
ただ、あいつが幸福を掴むまでは彼女を支援する気持ちは三人とも同じだ。
そういうわけだ。
俺たちの側から、お前に新しい首枷をプレゼントしてやるよ」
「気色悪い笑顔で言うな! お前ら面白がってるだけだろうが! クライオス! その作り笑いが二度とできないよう夜道で刺し殺してやる! ゼン! てめえもだ!」
掴みかからんばかりの剣幕でティレルが噛みついた。
「おお、頼もしいな。やってみろ」
「ははは」
友人であるゼンとクライオスはティレルを笑っていなしてしまう。
それが落ち着いた頃。
冷静なままだったルーシェンが、よく通る声で言い渡した。
「さて。
以上の諸条件を通達した上で。
ノイシュバーン王族たる私の名において。
ティレル・I・リスターとアナスタシア・リンゼル嬢との交際を、正式に承認することとする」