菊屋編を終えた後で、扇屋の滝川ルートを再読したら読解力が格段に上がっていて、「何故だ?」と思ったのですが、よく考えたらこれは菊屋の隼ルートの影響でした。
隼は滝川と同じ幼馴染ネタなのですが、「滝川×清葉」とちがって「隼×みさを」は、ヒロインの側に男の記憶ががっちりと残っており、しかも相当な好意を入廓前から寄せられています。
幼いころ「隼兄ちゃん」と呼ばれていた隼ならば、ヒロインに向かって、「おまえには長いこと会いたかったけど傾城としての自分は見られたくなかった」と複雑な心境を吐露できますし、「年季が明けたら会いに行っていいか?」と聞くこともできます。「傾城になってしまった俺はおまえの婿には相応しくないかも」という恐れもヒロインに開示できる。みさをの目を通して隼の心理を推し量ることができる上、隼は正直者で虚勢などをみさをの前で張らないタイプ。みさをは傾城以前の、一般人としての隼人を知っているのだから、虚勢を張る必要もありません。
菊屋・扇屋ともどもヒロインの一人称で話が進むので、ヒロインの与かり知らぬことは読者にも示されぬままです。
滝川ルートは、滝川自身が自分の生い立ちを清葉から隠そうとしているので、現象は提示されていても清葉が自分の心でそれを咀嚼できていないままになっている、という描写が非常に多いです。
初えっち後に女の子を「じー……」とか見た後時々よしよしする描写とかは、読んでて「え……これ…、かなり好きな子に対しての行動だよね……?」と私は感じるのですが清葉の能力ではそこは理解できず、しかも直後に出逢う高尾に「滝川は女に惚れたことなどない」と断言されてしまうので、初手の頃は「ナデナデは滝川の場合誰にでもするのかな?」と勝手に納得してしまいました。
けっこう後から、朝霧より「滝川はお堅い男で、普段は女へのサービスは足りないくらいだよ~」という情報を貰いますが、その具体例は「昼の時間を女に使わない」というもので初期のナデナデとは繋がりにくいですし、だいたいその頃にはもう、清葉は花魁道中の準備と「滝川が私に隠し事してる!」懸念で頭がいっぱい(読者もだ)なので、初期~中盤の滝川の心境は何度読んでもわりとスルーしてしまいがち……
隼編を読んだ後で読み返すと、そこの部分は「読者には伝わらない前提で、滝川の心は冒頭から(滝川が自覚もしてないうちから)一直線に清葉に向いている」ということが実はきちんと行動で描写されている、ということがわかります。だから清葉と話す高尾に嫉妬とかするんだわ。
花魁道中が失敗してからの急転直下の滝川の落ち込みようが、最初読んだ時に「何故?」となかなか理解できなかったのですけど、隼編を読んだ後にはすごく得心が行きました。
隼の場合、「みさをに相応しい自分」とは「傾城を経ずに大人になった場合の自分」で、自己形成の基盤は吉原ではなく島の生活に据えられているのですが、滝川の場合はそここそは見顕されたくない惨めな部分だったわけで……
「吉原で輝いている自分」だけが「吉原に通う清葉」に相応しく、だから花魁としての面目を清葉の前で失うことだけはどうしても避けたかった。花魁になる前に厭いながらも呼び物にさせられていた入れ墨痕や、虐待されていた吉原前の自分は清葉に対しては「恥」であり、同様に、吉原を出た後の自分も何者でもなくなってしまう。花魁でなくなれば清葉とは不釣り合いな存在でしかない。
「俺とお前さんの恋は吉原でだけ実るもので、婿を迎えたいならお前さんに相応しい男を本土から呼び入れろ」
と清葉に向かって言うのはさぁ……吉原の外から来た十年来の初恋の相手に向かってそんなセリフ言わなきゃいけないの、気の毒すぎるだろ! しかもこの7章時点でまだ清葉ときたら滝川に「好き」って言ってあげてないし!もっと早くに言ってやれよ!4章ぐらいで!!!!!ぜひ!!
清葉という存在が、滝川の中でどんだけキラキラしてんのかって話ですよね。初恋の子を偶像化して、その偶像に相応しい別の偶像で自分はあり続けたい、という涙ぐましい状況です。なのに自分の偶像は壊されちゃったんだよ……よりによって清葉の前で。
「傾城が豪商家の婿に相応しくない」という情報も、隼ルートのハッピーエンド内で示唆されています。
菊屋で高尾やときわ辺りにみさをが貢いでいた金は、見知らぬ駆け落ち者2人を助けた時に「もういらないから」と(穿った見方をすれば口止め料的に)貰った金や宝石類なのですが、隼ルートではこの2人について
「男は傾城(これは当然だが)、女は豪商の娘で、娘の生家が『傾城は婿に相応しくない』と身請けを許さなかったので駆け落ちに至った」
と情報が補足されています。
女のほうに身請けの財力があっても、家が許さなければ傾城とは一緒になれない。
これも滝川ルートでは同様に語られていて、身請けを望む清葉に対し、清葉の母親は難色を示します。
滝川は「世間はそういうもの」と見通した上でその手前に上記の「本土の婿」というセリフを清葉に言うのですね。ほんと気の毒。
で、この局面が滝川にとって更に気の毒に見える仕掛けがもう一つ、隼ルートの中には入っています。
それは金平糖のエピソード。
金平糖は隼とみさをの絆と記憶を結ぶ大事な小道具なのですが、隼は新造の頃から、吉原でみさをと出会う前から、吉原で一番美味しい金平糖をみさをの為に切らさず買い続けていた……ということが、遣り手のいろはの口からみさをに語られます。
第一義には当然、隼の長年のみさをへの片思いの表現なのですが、巧いというかもう繊細過ぎて伝わんねーだろとも思うのですけど、ここで、金平糖を買い続けることについて新造の時期に隼と高尾が大喧嘩した、という情報が足されています。
いろはの口づてに(うろ覚えですが)
「新造(つっても12歳くらい)のころから金平糖を買い続けてやるような女を持っても仕方がない、(傾城の)身の丈に合わせて生きるしかないだろう」
と高尾が隼に言った、ということで……
いろはは、これを高尾が言った理由として「(隼への)嫉妬」と分析を加えています。
隼、滝川、高尾は3人とも島生まれで、必ず吉原に売られる男子です。
「部屋持ちの傾城・隼」と「太夫・高尾」では、一般的な吉原基準では当然高尾が格上ですが、「春をひさぐ為に売られた身」としての別基準で見ると、外に約束した女(あるいは自分を待ってくれる女、自分が待っていられる女)を持つ隼のほうが勝ち組になる、という価値の転換がここでは行われています。そしてそれは若い傾城としては身の程知らずだと、そう詰られたということです。
吉原の外にしかない純愛を吉原の中でも通せると思うな、まして同じ女で、ということですね。
このエピソードを咀嚼した後でこれを滝川の立場に転化して考えますと、自分を覚えていない少女を初恋として心の拠り所にしている滝川の気の毒さがいっそう際立ちます。
高尾のような男から「女に惚れたことが無い」と滝川が言われているのは裏を返せば既に心の中に一人の女を(無自覚に)抱えた後だからで、目の前にその女本人が客として現れても、隼がみさをにしたようには己の心持ちを初手から正直に言うことも出来ず、もやもやした気持ちを抱えて(しかも相手の心身はなぜか解れていない所為で)
「俺の人生の限りを尽くすレベルでの理想の女ゲットだぜ!」
「選ばれたはずなのになんか懐かれてない…」
みたいな複雑で両極端な感情にわりと翻弄されつつも清葉をリードしようとする冒頭の滝川……。
清葉には分析できない前提で、1章~3章あたりは滝川の行動がかなり微細に描かれていて、もう息詰めて読んじゃう。
1章や3章で高尾関連の会話があるのはなんか唐突な気がしてましたが、隼編を挟むとそうでもない。最終章で身請けされる滝川を見に来る高尾の心情というのが、隼編を読んだ後は読み手の中で変化しています。
吉原の中で競ったただのライバルを見に来たんじゃなくて、「伝説の花魁」という呼称はもっと深い意味を孕んでおり、
「吉原の最高位にありながら同時に廓の外の愛を貫き通して、吉原を超越した愛によって足を洗って出ていく男」
を指すわけです。それは表には出さない最高位の花魁同士の秘密の共通認識ですね。
だから3章では対等に張り合った二人が、SHエンドでは滝川に高尾が負けを認める……という、滝川・隼両編を通して高尾を見てないとわからないような複雑な描写になっています。
うむ。
滝川ルートは奥深い。
で、ここらへんの考察を脳内でもやりながら書いた二次創作が
『折鶴』滝川×清葉【プロローグ】【1章】
になります。
考察するより小説書いちゃう方が思考がまとまるのは、私にはよくあるパターン……