不死なる王の森











 そうして娘は不死の王の妻になった。
 不死の王の館は幾重ものまじないに守られて、黒い森の中央に広々と建てられていた。館の裏手には広い狩猟場が、その手前には小さな庭園があって、不死の王の庭では一年を通して様々な花が咲き誇っていた。館は人の気配もなくがらんとしており、娘や不死の王の身の回りの世話は、土塊をこね合わせてできたような土人形が幾体も動いてこなしていた。
 不死の王は娘に告げた。領地の中のどこを歩いても、何をしてもよい、だが領地の奥の北のはずれ、錠が固く下ろされた塔の扉だけは開けてはならぬと。
 娘の身に危険が及ぶからという理由だった。

 娘は始め怖れ、戸惑い、だがやがてその暮らしに慣れた。夫となった不死の王は、昼の光の下でも、夜の閨の中でも娘に優しく接した。その優しさはしかし彼の生活を守る土人形たちと同じで、上辺ばかりで、愛情のこもらないもののように思えた。娘はかつて父母が生きていたころ、彼らがどんなふうに自分や弟を愛したかを知っていた。そして自分がどんなに弟を愛したかも。町長のもとに残された弟のことを思うと娘の心は沈んだ。弟がどのように暮らしているか、そればかりが娘の心残りだった。夫がまじないを行うために館の一角に姿を消す昼、庭園の噴水のそばのベンチに腰掛けて、夫に知られぬように娘は時折忍び泣いた。
 庭園は彼女のもっともお気に入りの場所となった。庭園には不死の王が魔術を使って、あらゆる種類の花と鳥と蝶たちを呼び寄せていた。娘は長いときは一日中庭園にいて、まだ見ぬ花や蝶や、鳥たちを探しては歩き回った。
 そのようにして数年は過ぎた。

 ある日。
 黒い森には厳しい冬が訪れていたが、不死の王の領内は変わらず春だった。
 娘は庭園の片隅に、小さな塚があるのを見つけた。
 今まで気づかぬのも無理はなかった。青々と繁り、粗暴なまでに枝を広げる樫の大木の根に覆われた塚は、まるで自然にできた小さな丘のように盛り上がっていた。
 塚には半ば土に埋もれた石の扉が取り付けられており、それは半分開いていた。
 苔むした石段が娘を地下へと誘うかのようだった。
 娘の好奇心をどうやって察したのか、言葉を持たぬ土人形がいずこからか現れて、彼女に手燭を渡した。
 娘はそれを掲げ、暗い塚の中に入っていった。
 意外に奥が深く、長い階段がいつまでも続くかと思われた。
 不安が次第に強くなり、やがてもう戻ろうかと弱気になったとき、ようやく階段が終わり、娘の足が平らな石床についた。
 床は大理石でできていた。綺麗に掃除されており、ほんの少しだけ黴臭かった。
 娘は町長の家で寝床としていた、家畜小屋も兼ねた倉を思い出した。あそこのほうがよほど不潔だった。
 闇の中で手職を高く掲げる。
 壁一面に並んでいるたくさんの石板が浮かび上がった。掘り込まれた文字は皆、死者へ向けられた言葉だった。
 そこは霊廟だった。墓石のひとつひとつに、ひとりひとりの女の名前が彫ってあった。娘はそれをつぶさに眺めた。それぞれの女の名前の上に、不死の王の名による献辞が添えられてある。
 娘は目を近づけて、それらをじっくり読んだ。手職の油が残り少なくなって燃え尽きんばかりになるまで、娘は地下にこもっていた。

 太陽が西の地平に姿を消すころ、娘は黙りこくって館に戻った。
 夜、夕食を挟んで彼女は夫に問うた。
 霊廟に葬られている人たちは、自分の前に夫の妻だった女たちなのかと。
 不死の王はそうだと答えた。
 それから娘は、震える声で夫に尋ねた。
 自分はいつ殺されて、あの墓に女たちと並んで入るのかと。
 夫は虚をつかれたような顔で娘を見つめた。手にしていた杯が食卓の皿とぶつかって、かちりと音が立った。
「私がいつおまえを殺すと云ったかね」
 夫は町で自分がどう思われているかを知らぬようだった。
 そこで娘は、町に伝わる噂を本人に告げた。
 話を聞いた王の瞳に、初めて、面白がるような光が見えた。
「町に流布している私の噂は嘘だとも」
 王の顔が彫刻のように整って美しいことに、そのとき初めて娘は気づいた。
「私は生きるのに娘の生き血を必要としないし、自分の妻を殺したりもしない。数百年のうちにはそれは多くの妻を娶りはしたが。彼女たちはただ、死んでいくのだ。寿命や病や、事故で」
 その語尾の濁りを、娘は聞き逃さなかった。
 明るいと見えた不死の王の表情はしかしすぐに翳り、もとの無機質な面に戻った。
「私はもう長いこと生きている。孤独と呪いを身に纏って。私の長命は望んで得たものではなく、邪悪な魔法使いにかけられた呪いの結果なのだ」
 それだけ云って不死の王は目を落とし、食事を続けた。
 娘と不死の王との間で、会話が長く続いたことはない。
 娘も黙って食事に戻った。
 食器どうしが触れ合って立てるかすかな音だけが、広間を漂っていった。


 夜半、娘は床の中でふと目を覚ました。
 眠る不死の王の顔がすぐ傍にある。王の腕は娘の肩に優しく回され、落ち着いた呼吸が沈黙を閨の奥へ追いやっていた。
 娘は頭を王の胸に押しつけた。不死の王の体はどこまでも冷たかった。それは娘がこの館に来たその日の夜に知ったことだった。もうひとつ、おぼろげに気づいてはいるあることを確かめるために、娘は目を閉じて耳を澄ませた。
 夫の心音を聞こうと思った。
 しかしそれは、いつまで待っても聞こえてこなかった。
 ついで娘は己の胸に手を当てた。
 規則正しく心臓が脈を打ち、熱も感じられる。
 娘の顔が歪んだ。
 娘には何も分からなかった。
 ただ。
 男の不死がなにかの呪いだということに、ひどく得心がいった。









                                            

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