| 命にもまさりて |
| 2016/07/04 歌仙兼定×宗三左文字 「夢うつつとは世人さだめよ」承前・シリーズ最終話 全12話(※印2・3・10・11話は18禁) |
| 命にもまさりて |
| (命以上に惜しいこととは。最後まで夢を見 途中で夢から醒めてしまうことだったのだなあ) |
<其乃一> 菜種梅雨の季節になった頃。 主のもとに参集した刀剣が増え、以前は人気のなかった本丸も、外の春の気配と同様に、さまざまな刀剣たちの息吹で満ちるようになった。 雨の日の夕刻、歌仙兼定は自室で、本丸の政務室から持ち帰った戦況報告書を卓上に積み重ね、保存用として書物に書き写す作業をしていた。面倒な計算事は苦手と嘯いている歌仙兼定だが、主の戦況への理解力は輪をかけて壊滅的で、長らく近侍をつとめてきた歌仙兼定が主の能力の不備を補わなくてはならない状況が続いている。 「歌仙、兼定……さん」 廊下へ続く障子が開いて、雨の庭を背景に、部屋に顔を出した短刀の子どもがあった。 「……小夜左文字か。どうしたんだい?」 小夜左文字は近ごろ新たに鍛刀された少年だった。短刀の中で大多数を占める粟田口の子どもたちとは精神的な温度差が大きく、彼らとはあまり馴染めまいと、細川氏を通じて繋がりのある歌仙兼定が行儀見習いの名目で小夜左文字を引き取って面倒を見ている。普通の護り刀とは違う来歴を持つ小夜左文字は、部屋内のことはあまり得意ではないが、戦場など外向きのことに関しては目端の利く子どもで、今日も、目敏く出陣部隊の帰還を察知して歌仙兼定に注進に来たもののようだった。 「第二部隊が帰還してきたよ」 「……そのようだね」 折しも、帰城を報せる太鼓が鳴り始めていた。 「新しい刀剣男士を連れて帰ってきたみたい。銀の 銀の鐔章、と聞いて歌仙兼定は眉を上げる。 「新たな打刀って、今時かい? 金の鐔章の者ではなくて? ……珍しいね」 近頃は、新たな刀剣男士と言えば専ら太刀であった。そろそろ打刀の参集は打ち止めか、と、初期から主の下で共に戦ってきた蜂須賀虎徹と会話をした憶えが歌仙兼定にはある。 「僕たちと似た時期に名前がついた刀みたいだ。織田信長の佩刀だったんだって」 信長、と聞いて歌仙兼定の心に警戒心が湧き上がる。 宗三左文字と過去に主を同じくした刀剣。抱く感情に嫉視が混じるのは無論だが、それ以上に、歌仙兼定にとっては、宗三左文字が信長を厭っていることのほうが重要だった。 新たな刀剣がどんな者かは知らないが、宗三左文字との間に無用の軋轢を生みはしないだろうか。 時代、来歴、過去の主などの一切を無視して無軌道に顕現する刀剣男士たちの中には当然、前世が敵同士だった者たちも混じっている。中でも酷いのが時代的に新しい幕末の面子で、陸奥守吉行と新撰組佩刀連中は本丸で会っても挨拶もせず、常に敵意ある視線を飛ばし合っている。夕刻になって酒が入れば文字通りの刃傷沙汰が起きることもあり、戦力が向上したとは言え頭の痛い問題もまた増えてきたのが昨今の実情だった。 「……その新参者の名前はわかるかい?」 歌仙兼定の問いかけに、小夜左文字は思い出そうというように眉を寄せる。 「ええと…… へし切長谷部。 宗三左文字と同じほどに、織田信長の佩刀として色濃い由緒を持つ打刀だ。 歌仙兼定は筆を放り出して立ち上がる。 「主のもとに参上して、新参者の目利きでもしてこようか」 軽口に見せかけることにすら失敗した声音で歌仙兼定は言って、居室を後にした。 本丸の謁見の間へ続く廊下で、宗三左文字はその者と遭遇した。 新たに主のもとに参陣した打刀があるとは聞いていた。彼が恐らくそうだろう。和装ではなく洋装で、男らしく整った相貌に、よく見知った歌仙兼定とは全く違う、武張った雰囲気を漂わせている。主への挨拶を済ませ退室してきたところであろうが、その顔が、宗三左文字を認めた瞬間ぎょっとしたように強ばった。 「………宗三左文字か?」 信じがたい物を見るように、じろじろと不躾な視線が宗三左文字に投げられてくる。 その不遜で剣呑な気配。 魔王のもとで共に在ったことがある、と、宗三左文字はその者を憶い出す。 「………へし切長谷部………」 織田信長の佩刀だった記憶は無論、宗三左文字には残っている。だが、今逢ったばかりのへし切長谷部はおろか、本丸で共に時間を長く過ごした薬研藤四郎にさえ、宗三左文字は、特に何の感慨も抱いたことはない。薬研藤四郎もそのような態度を宗三左文字に示したことはないし、誰に逢ってもそれはお互いに変わらないだろう、と宗三左文字は勝手に納得していた。 新たな刀剣男士である目の前の男は違うようだ。 不信そのものの視線で宗三左文字を検めていたへし切長谷部の表情が、やがて怒りと侮蔑に取って変わった。 「きさまが宗三左文字だと……信じられんな」 言うなり近づいて、僧衣の中から強引に宗三左文字の右腕を掴み上げ、その袖を肘下まで捲って宗三左文字の白い細腕を露出させる。 「つッ……」 殆ど腕を捻り上げられる形になって宗三左文字が顔を歪めたが、へし切長谷部はそれに頓着することもなく、容赦なく宗三左文字の腕を握り捕らえていた。 「なんだこの華奢な腕は……俺の腕の太さの半分しかないぞ。奴の佩刀だったときの豪壮な姿は何処へ行った」 「ッ……、離、」 膂力に彼我の差がありすぎてへし切長谷部の腕を振り解くこともできず、宗三左文字は身に受ける無礼と痛みから額に脂汗を滲ませて身を離そうとする。 へし切長谷部の腕はびくともしない。 「離してください……ッ、」 「身体ばかりか声さえそんなに細いのか。天下人の佩刀と謳われていてもこんな為体では……、到底、主の求めに応じて戦場に立つことはできまい。その服は袈裟か。おまえ、何の為にこの場所にいるのだ。主の茶坊主になって追従でも述べているのか?」 「く、」 へし切長谷部は魔王手ずから茶坊主を斬ったことで知られる打刀だった。 彼のあからさまな嘲弄に屈辱感を煽られて、宗三左文字は頬を赤らめて歯を食いしばる。 淡紅色の前髪越しに、色違いの両目で背の高いへし切長谷部を睨み上げると、へし切長谷部は口の端を曲げて、感じ入ったように目を眇めた。 「なるほど、観賞用か。鶏はみな食う為の物だと思い込んでいたが……、食えぬ鶏にもなにがしかの用立てはあるものだな」 「…っ……!」 あまりの愚弄に宗三左文字が息を飲んだとき。 風かと思うほどの速さでへし切長谷部の腕を打ったものがあった。 「ッ………!」 宗三左文字の腕を掴んでいた手を刀の鞘で打たれ、へし切長谷部は跳び退って佩刀の 「黒田の家では城中の作法を一切教えぬようだな」 底冷えのするような冷たい声で歌仙兼定がその行動を制した。低く抑えられた声の中に激しい怒りが渦巻いていることに、一度それを見たことのある宗三左文字だけが気がついた。 「 へし切長谷部の前に立ち塞がり、鞘を左手に握って右手は柄に手をすら触れていない状態で歌仙兼定が告げた。 抜刀が早いほうが喧嘩には有利だが、故に主の前に於いては、先に抜刀したほうが 「…歌仙兼定……、」 殺気を隠しもしないその背中に向かって声をかけるが、歌仙兼定の気配は揺るがない。 「城の秩序を保つのは僕の役目のひとつだよ、宗三左文字どの。この野蛮な武辺者に後れを取るのは之定の名折れになる。黙っていてくれ」 「………ふ、」 短いやり取りから何かを察したか、目の前で歌仙兼定の動向を覗っていたへし切長谷部が、握っていた柄から手を離し体を開いた。 「そのなよついた姿で早くも力強い庇護者の寵愛を得ているというわけだな、宗三左文字。さすがは死ぬまで奴に可愛がられたきさまだな。抜け目がない」 宗三左文字への嘲弄に応えたのは歌仙兼定だった。 「この城へ来たばかりでそうも内情に詳しいとは僥倖だな。へし切長谷部とか言ったか……宗三左文字どのに無礼を為すな。その場合は常に僕が相手になる」 躊躇いの無い歌仙兼定の回答に、へし切長谷部は口を閉じて歌仙兼定を睨みつけた。 へし切長谷部が抜刀の姿勢を解いた後も警戒を解くこと無く、歌仙兼定はへし切長谷部を睨み据えている。ふたりの間の緊張を解きたくて、宗三左文字は歌仙兼定の背に手を添えて懇願した。 「歌仙兼定……、お願いですからあなたも引いてください。主の居室に近いこんな場所で騒ぎを起こしたりしたら、あなたが立場を失います。どうか」 宗三左文字の必死の声音にようやく、歌仙兼定が僅かに厳しさを緩める。 「きみがそこまで言うなら……、今回は、目の前の不作法者に礼儀を口頭で教えてやるだけにしておこう」 ちらりと宗三左文字に向けた視線をすぐにへし切長谷部に戻し、 「宗三左文字どのに免じてこの場は収めておく。但し。僕がきみに口で礼儀を教えるのは今回限りだ」 「………いいだろう。手打ちとしよう」 見せつけるように両手を大きく広げたへし切長谷部の回答を受けて、歌仙兼定は佩刀を腰に差し直す。 歌仙兼定と宗三左文字が黙って見守る前で、へし切長谷部は振り向きもせず、肩で風を切るように歩いて廊下を去って行った。 へし切長谷部の姿が見えなくなり声も届かぬと思われるほど時間が経ってから、ようやく安堵したように宗三左文字が息を吐く。心の臓がまだ激しく動悸を打っていて、気持ちが落ち着かない。恐れていたのはへし切長谷部ではなく、歌仙兼定が傷を負ったり咎を受けたりすることだったとは、そのときの宗三左文字にはまだ自覚はなかった。 「なんだいあれは」 不機嫌を隠しもせずに歌仙兼定が問うてくる。そう聞かれても、宗三左文字にも答えようが無い。 「……わかりません……彼は…、僕のこの姿が、気に入らないようでしたが」 「確かに、雅の片鱗も理解できない輩には見えるが……だからといって、こんな場所で非礼をはたらいて他者に喧嘩を売りまくるような無教養者であっていい筈もあるまい。仮にも大名差しで、しかも奴が着ていたのは切支丹の礼服だろう。解せないな。きみとは何か因縁があるんじゃないのかい?」 「……そうは言われましても………」 戸惑うばかりの宗三左文字の声に、歌仙兼定は諦めたように息を吐いて怒りの矛先を収めた。宗三左文字には本当に心当たりが無いようだ。怒りや疑心といったどす黒い感情をできるだけ排して、歌仙兼定は宗三左文字に向き直る。 「奴に乱暴に扱われて、怪我は無かったかい?」 言われて初めて、確かめるように宗三左文字が袖から右腕を出す。白い肌に指の形に赤い跡が残り、しかも数カ所は皮膚の内側で血管が破れて鬱血が始まっている。 「……これは酷いな」 どれだけ強い力で宗三左文字の腕を掴んだというのか。腕を動かすたびに宗三左文字の顔が緊張するところから見て、筋や、下手をしたら骨も傷めている可能性がある。歌仙兼定は新たに怒りを溜めながら宗三左文字の腕を確かめた。へし切長谷部が宗三左文字への印象を改めたわけでは無いということは、去り際の態度から歌仙兼定にはよくわかっていた。 「……暫くは日中、僕の傍を離れないほうがいいね。……せめて、奴への有効な対処法を獲得できるまでは」 「………それはあなたと共に出陣するということですか」 口には出さぬが宗三左文字は不服そうだった。 「場合によってはね」 歌仙兼定ははっきりとは言わず、言葉を濁す。 「あるいは信頼できる者と部隊を組んで日中を過ごしてもらう。江雪左文字どのか小夜左文字、燭台切光忠どのでもいいが……それが無理なら、居室に籠もって奴と顔を合わせないようにするのが一番いい」 歌仙兼定は、へし切長谷部に対し危惧や敵意を抱く最大の理由を、宗三左文字には伝えなかった。 へし切長谷部には織田信長への憎悪がある。信長を「奴」と呼び捨てる彼の態度で、歌仙兼定にはそれがわかった。 宗三左文字がたとえ信長を嫌っていても。宗三左文字の身体には、信長が宗三左文字を最大限に愛した動かぬ証拠が刻まれている。そしてそれを、へし切長谷部も知っている筈だ。 信長に対する、宗三左文字の嫌悪とへし切長谷部の憎悪は決定的に違いがある。 へし切長谷部の感情は、歌仙兼定には身に覚えのあるものだった。その感情に共鳴し得るからこそ、宗三左文字よりへし切長谷部のことを理解できる部分もある。 自分を黒田如水に下げ渡した織田信長への怨恨と、自分とは違って、死ぬまで信長の手元に置かれた宗三左文字への嫉妬。 それがへし切長谷部の憎悪の源流だった。 また、そうであるならば。 へし切長谷部の、この場にいない信長への憎しみは、形を変えて、信長の愛情の証を持つ宗三左文字に向けられるに決まっていた。 |
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