<其乃四>


 翌日の早朝。
「それで? 僕たち、いつになったら出立できるのかな?」
 出陣の準備を終えたにっかり青江が、城門の前に立ち尽くして、傍らに立つ燭台切光忠に尋ねる。
「うーん。あの二人のどっちかが矛を収めない限り、出陣は無理かな」
 答えた燭台切光忠は顎に手を当てて、男らしい美貌に常の通りの笑みを浮かべながら、隻眼で前方を眺めて答えた。
 燭台切光忠の視線の先には、軍装の出で立ちで向かい合って、互いに渋面を作っている歌仙兼定と宗三左文字の姿があった。
 昨夜の睦み合いの甘い気配は跡形も無く二人の間から消え、きりきりと尖った空気が辺りを支配している。
「こんな大仰な刀装は不要です」
 いつもの高雅で生真面目な、か弱く響く宗三左文字の声が、しかし今は断固たる意思を持って放たれる。
「同時に出陣する彼らと同等の刀装にしてください。……それに、僕だけに馬を与えてくれる必要もありません」
 部隊長である歌仙兼定が用意させた刀装と馬が気に入らず、宗三左文字は拒否しているのだった。
 歌仙兼定も引かない。
「部隊長の僕の命令は絶対だよ、宗三左文字どの。きみには最上級の刀装と馬に身を固めてもらう。さもなければきみに関して、出陣の許可はできない」
 宗三左文字は諾と言わず、歌仙兼定を睨むように見ている。
 歌仙兼定は言い募る。
「誰にどんな刀装を与えるかは、主から、部隊長の僕に一任されている。いくら出陣先がそれほど強敵のいない時代でも、本来きみは狙われやすいし、今回一緒に出撃する味方は、経験は浅くても頑丈さできみにずっと優る太刀の者が多いんだ。……だいたい、刀装だって、殆ど全てが、第一部隊の隊長である僕が拵えた武具じゃないか。僕が誰にどう使おうが、誰からも文句を言われる筋合いはないね」
 開き直りとも呼べる歌仙兼定のその言い様に、宗三左文字はますます端正な顔を強張らせる。
「とにかくこの刀装はやめてください。特上の軽騎兵と重歩兵など……僕よりほかに、もっと必要としてる者がいるはずです」
 二人のやり取りを、出陣部隊に組み込まれた残りの四人は遠巻きに眺めている。
「……わからないなぁ。あそこはソウサモくんがさっさと何でも受け取って、熱いベーゼでも交わして、夜にはもっと熱いお礼でもしておいてあげれば、歌仙の兄さんの気も済むことなんじゃないのかい?」
 呆れたようににっかり青江が評し、燭台切光忠は笑いながら答えた。
「きみは参陣が比較的新しいから知らないだろうけどね。もともと宗三くんは無欲というか、主からでさえ天下人の象徴として特別扱いされるのはあまり好きじゃないんだ。きみが来た頃には、宗三くんへは、もう歌仙くんの貢ぎ物攻勢が始まってたものねえ……。ただ、馬や特上刀装となると、実数があまりにも足りてないから、宗三くんが拒否する気持ちもわかるかな。恋人の歌仙くんから贔屓される形でいい武具を受け取るのは、男としては格好がつかないよね。たまにならともかく、歌仙くんときたら毎度だからね。自分だけじゃなく、彼氏の格好もつかなくなる、と思ってるんじゃないのかな、宗三くんは」
「潔癖なことだねぇ。ほかの連中はともかく僕はそんなこと気にしないのに。歌仙の兄さんが部隊長で誰かが中重傷になったことなんか無いんだから、彼の指示には誰でも従えばいいと思うけど」
「……まあ、だから近頃はあの二人、一緒に出陣することは減ってたんだよ。いつもああやって喧嘩になったからね。今日はまた、どうして一緒に行くことにしたんだか……」
 へし切長谷部との経緯を知らない燭台切光忠は首を捻った。
 視線の先では、ついに痺れを切らした歌仙兼定が、彼を見送る為に傍に立っていた小夜左文字に向かって声を張り上げていた。
「小夜左文字、至急、鳴狐どのを呼んできてくれ。部隊長の命令に従わない者を部隊から外す」
 目の前で息を飲む宗三左文字を睨み据え、歌仙兼定は続けた。
「宗三左文字どのの代わりに鳴狐どのを連れて出陣する」
「……わかった」
「歌仙兼定……!」
 小夜左文字が返事をして鳴狐の居室に走り出すのに目もくれず、宗三左文字は歌仙兼定に負けぬ気迫で恋人を見やる。
 歌仙兼定は物怖じせずにそれを見返した。
「戦場だろうと何処でだろうと、きみを危ない目に遭わせる訳にはいかない。そんな可能性は徹底的に排除する。きみが僕の選んだ刀装を受け入れてくれないなら、きみを城中に置いて、部屋に籠もってもらうしかない」
 部隊長の歌仙兼定の言葉は迷いなく、宗三左文字は既に彼の決定の覆らないことを知った。
 それでも納得がいかず、無駄とわかっていても宗三左文字は反駁する。
「戦に出る以上、怪我は必然でしょう。それぐらいの覚悟は僕にもありますし、経験を積んで僕自身も以前より強くなりました。……あなたが危惧しているようなことは、もう起こらないはずです」
 以前、宗三左文字が敵に捕らえられてひどい怪我をし、犯されかかった一件。ふたりの脳裡に共有されているのはその記憶だった。
「僕たちは主のもとに参集した、戦う為の刀剣です。今あなたがしていることは、公私混同ですよ」
 珍しく怒りで頬を紅潮させて宗三左文字が言った。
 歌仙兼定は宗三左文字から目を逸らさず、ぬけぬけと言い放つ。
「僕たちは刀剣だから公私なんて関係ないね。行動の基準がぜんぶ私情であったって構わない。とにかく僕は、きみの身の安全を第一に考える。きみに怪我をさせる訳にはいかない」
「……………」
 強く息を吐いて、宗三左文字は歌仙兼定に背を向けた。
 出撃を取りやめにされた上は、居室に戻るつもりだった。とにかく歌仙兼定の強情さには辟易していて、今は彼の顔を見たくなかった。
「待ちたまえ」
 宗三左文字以上に怒りを溜めながら歌仙兼定がその背に声をかける。
「部屋に戻るなら、小夜左文字に送らせる。あの子がここに帰ってくるまで待つんだ。とにかく城中でもきみは独りで動くんじゃない」
 宗三左文字に対して怒っているが故に、歌仙兼定の口調は常よりずっと居丈高だった。
 それがまた宗三左文字の気に障り、宗三左文字は返事をせず居室へ向かって歩き出した。歌仙兼定の言葉通りに行動するのが厭で、歩みを遅めたものの彼から遠離るのはやめなかった。程なくして、軍装を整えて城門の前にやってきた鳴狐と行き会った。
「急な出撃で申し訳なかったですね」
 宗三左文字が鳴狐に謝ると、
「いえいえ、鳴狐は出陣を喜んでおりますぞ、宗三左文字さまはお気になさいますな」
 鳴狐の首にいつも襟巻きのように巻き付いている供狐が常の通り、鳴狐の代わりに宗三左文字に返事をしてきた。
「ところで宗三左文字さま、お加減が悪うございますか? 小夜左文字さまから、あなた様の代わりに鳴狐が出陣すると伺いましたが……少し顔色がお悪うございますな」
「……顔色が悪いのは、具合が悪いからじゃないんだ。部隊長の歌仙兼定と喧嘩したので……」
 力なく微笑んで、背後にいる歌仙兼定の耳には届かぬ大きさの声で供狐に返事をする。
 宗三左文字は、敬語でへりくだってくる相手に対しては自分の敬語が取れやすい傾向があった。
「それはそれは、仲睦まじいお二人が喧嘩とは……及ばずながら、私めが取りなしをいたしましょうか?」
 供狐は心配そうに言ってきた。
「大丈夫。……夕刻帰城すれば忘れているほどの、些細なことだから」
 供狐と、首に供狐を巻いたまま黙って立っている鳴狐の顔を交互に見て、宗三左文字は続けた。
「……あなたたちと同じほどに長い時間を共に過ごした仲ならば、常に心が同じ方向を向いていて、つまらない言い争いもせずに済むのでしょうけれど。僕と歌仙兼定は日が浅すぎて……、お互いの考えていることを理解できなかったり、受け入れられなかったりするのです」
「それは致し方のないことでございましょう。私めと鳴狐と、あなた様方の関係を比べるのは酷なことでございます。喧嘩なさった理由は何となく想像がつきますが、歌仙兼定さまは、宗三左文字さまの身を案じているのでございましょう。……お互いを思う心が行き違いを生むとは、実に不思議なことでございますなぁ」
 供狐は鳴狐の為の供であって、他の刀剣男士に対しては、さして気の利いたことが言えるわけではない。それを知っている宗三左文字は曖昧に微笑んで頷いた。
「ともかく僕の代わりに出陣なさるのですから、鳴狐、あなたと供狐の無事とご武運を祈っていますよ。……歌仙兼定を宜しくお願いします」
 話を切り上げて歩を進めようとしたとき、
「……元気出せ」
 黒い面頬の下から、想外に涼やかな声が小さく響いた。
 鳴狐が声を発したことを知って宗三左文字はやや驚く。
 宗三左文字が反応するより早く鳴狐は歌仙兼定のほうへと歩いていってしまい、入れ替わるように、歌仙兼定の命を受けた小夜左文字が宗三左文字のもとへ駆け寄ってきた。
「行こう。歌仙兼定、さんが、あなたを送っていけって」
「……………」
 宗三左文字は振り返って歌仙兼定を見る。
 歌仙兼定は不機嫌な顔のまま、宗三左文字を横目で睨んできていた。
「……本当は自分で、あなたを居室まで送りたいんだけど、出陣をこれ以上伸ばせないからって、歌仙兼定…さんが。言ってたよ」
 背の低い小夜左文字が、宗三左文字の下方から言ってくる。
「……歌仙兼定は、僕に気を払いすぎる」
 独り言とも、小夜左文字に言うともなく、宗三左文字が呟く。
「僕を心配するにも、度が過ぎていると思うのですけれど」
「気を払いすぎるほど払っていても、死ぬときには死ぬんだよ」
 下から小夜左文字がぽつりと言った。
「歌仙兼定は、あなたを喪うのが怖いんだと思う」
 宗三左文字は瞠目して小夜左文字を見下ろす。
 小夜左文字はそれ以上の情報は言わず、宗三左文字を促した。
「行こう。僕は畑番を抜けてきてるから。できればあなたを速やかに送り届けたい」


「そっちは宗三左文字、さんの居室の方向じゃないよ」
 池泉回遊式の庭池を回り、畑のほうに抜ける道を歩く宗三左文字に向かって、小夜左文字が声をかけた。
「いいんですよ、こちらで。……僕があなたを送りますから、あなたはこのまま畑に戻りなさい。僕は独りで居室に帰れますから」
「………あなたが親切なのはわかるけど」
 子どもらしからぬ表情の無さで小夜左文字は宗三左文字を見上げた。
 城中では同じ刀工派の刀剣男士同士を兄弟、と呼ぶこともあるが、小夜左文字と宗三左文字、そして太刀の江雪左文字との間では交流はそれほど深くない。
 小夜左文字が宗三左文字に向かって続ける。
「あまりいい考えじゃないと思う。あなたは狙われてるって、歌仙兼定、さんが言ってた」
 宗三左文字は大きく溜息をついた。
「歌仙兼定は考えすぎです」
 ここ数日、歌仙兼定の思惑通りに部屋に籠もったり、彼が安心と見込んだ刀剣男士と供に遠征や戦に出たり、今日に於いては歌仙兼定と供に出陣しようとしたりしていたが、それらの行為がただひとりの刀剣男士を避けるためだけに行われているという事実の所為で、正直宗三左文字は息が詰まりかけていた。そもそも、へし切長谷部から逃げるように彼を避け続けても、いつかは(まみ)えるに決まっている。同じ主のもとに集い、同じ城中で暮らす刀剣男士なのだ。
「僕の所為であなたが城の役目を果たせなくなるのは、僕にとっては心苦しいことなんですよ、小夜左文字」
 宗三左文字がそう言うと、小夜左文字は少しだけ考え、
「……じゃあ。畑を守ってる相手に挨拶だけしてくる。畑はすぐ傍だから。それからあなたを送ってあなたの居室まで一緒に行く」
 生真面目な性分は左文字派の特質なのか。小夜左文字はそれ以上譲る気は無いようだった。宗三左文字はそれで納得する。
「………ええ。いいですよ。この辺りで待っていますから、行ってらっしゃい」
 小夜左文字が畑のほうへ走って行くのを見送り、宗三左文字は息をつく。いつまでもへし切長谷部から逃げ回るわけにはいくまい。彼が自分に対し何を考えているのかを問い質すなりして、彼の思惑を明らかにしたほうがよいだろう。
 ここ数日の様相では、へし切長谷部は主とその周囲からは非常に評価が高かった。主にこれ以上無いほど忠実で、大抵の打刀が嫌がる馬番や畑仕事も進んでこなすという。戦場に出れば打刀の中でも抜きん出て強く、部下や同僚に対してはやや厳しい面があるものの、それも真面目に主命を果たそうとするあまりのことだろう、と他の者たちに評されていた。彼が城にやってきた当日以来彼とは顔を合わせていないが、彼がこの城中でうまくやっていくつもりがあるなら、そうそう乱暴をはたらくこともあるまい。いつまでもへし切長谷部を敵視し続ける歌仙兼定の思考は、宗三左文字にはやや大袈裟に感じられた。
 そのとき。
「………やっと独りになったな」
 突然背後から声をかけられ、宗三左文字は驚いて振り向いた。
 その場にへし切長谷部本人が立っていた。




next