<其乃十二>



「……へし切長谷部を斬る仕事がまだ残っていたな」
 ふたりで裸のまま寝床に横たわって抱き合い、情交の余韻がようように薄れゆく夜明け前。
 歌仙兼定が本気そのものの声音で低く呟いた。
「歌仙兼定………」
 宗三左文字は歌仙兼定の首に絡めていた白い腕を解く。
 宗三左文字が凝視する歌仙兼定の横顔は、戦場に立つときのような厳しい冷酷さに満ちている。
「やめてください、歌仙兼定……彼とは和解したのです。彼は僕に謝罪してくれました」
 冷たい緑の目がじろりと宗三左文字に視線を寄越した。
「奴がきみを騙しているのかも知れないよ。きみは人が良いから、そこにつけこまれているんだ」
「そんなことはありません。僕にはわかります」
「信長公も、ある面では他人の言を素直に信じやすいお人柄だったね。他者に信を置きすぎるというか」
「魔王と僕とを一緒にしないで下さい」
 宗三左文字は苛立ったように言って歌仙兼定から離れ、半身を起こした。
 歌仙兼定が遅れて身を起こすと、宗三左文字は恋人を拒むように歌仙兼定から顔を背ける。
 苛立っているのは歌仙兼定も同様だった。宗三左文字を追い詰めるために、歌仙兼定は冷徹に言葉を吐く。
「小夜左文字から東屋での顛末を聞いたよ」
「!」
 驚いて目を瞠り、宗三左文字は歌仙兼定を振り返った。
「………どうして……」
「あの子に口固めをさせたのは全くもってきみの失態だ。僕の指示よりきみの指図を優先したあの子も度しがたいがね」
「………小夜左文字を……、叱らずにやっていただけましたか……?」
 怯えるような気配さえ籠めて宗三左文字が歌仙兼定を見る。
 歌仙兼定は怒りを身の内から追い出すように深く息を吐いた。
「散々に折檻したいところだったが抑えたよ。小夜左文字も、まさか翌日にきみがへし切長谷部を連れて出陣するとは思わなかったんだろう。きみが出陣したと知ってすぐ、あの子は泣きながら僕に報告してきたよ……まったく、きみは僕だけでなく、小夜左文字にも酷なことをしたね。一昼夜黙っていたら黙っていた分だけ僕に怒られることは承知であの子は告白してきたんだからね。小夜左文字よりは、きみにより大きな咎があるし、何より、最大の咎はへし切長谷部が負っている。きみと奴が戦場でどんな会話を交わしたのであれ、奴は僕や小夜左文字とは和解していないからね。近侍としての僕の権限で奴を本丸から排除する」
「駄目です! やめてください、歌仙兼定……長谷部は主に必要な者です。あなたが勝手な理由で彼を除くことは主の意思に反しますよ」
 思わず声を上げた宗三左文字に、歌仙兼定は怪訝な顔を見せた。
「……今、なんて言った?」
「………? なんですか……?」
「奴をなんて呼んだんだい」
「? 長谷部がどうかしましたか?」
「………………!」
 歌仙兼定の顔が、宗三左文字にはなんとも形容のしがたい表情で歪んだ。
「なんで奴をいつのまに略称で呼んでるんだ」
「……………? しかし、長谷部も僕を『宗三』と呼びますし………」
「………………あの野郎………!」
 歌仙兼定が他人を口汚く罵るのを初めて聞いた宗三左文字は、吃驚して思わず言葉を失った。
 歌仙兼定の怒りの質が変わった理由が、宗三左文字にはわからない。へし切長谷部に対して今までよりずっと強く怒っているのは知れたが、それ以上は掴めず、宗三左文字は当惑する。
 歌仙兼定は手が白くなるほどに拳を握りしめて歯軋りをしている。
「か、歌仙………」
「決まったな。きみがどう言おうと、奴は消す」
「歌仙兼定!」
 宗三左文字は歌仙兼定に向き直った。
 どうあっても歌仙兼定を翻意させねばならない。
「奴はきみの為にならない。桶狭間にいたあの敵と同じだ」
 宗三左文字は、歌仙兼定のその言葉に聞き覚えがあった。無論今のほうがもっと厳しい言い様だが。
「………あなたは一昨日の夜も同じことを言いました」
「……………? おととい………?」
「手入れ部屋で、僕と会話を交わしたときに。……覚えてはいませんか?」
 歌仙兼定の目の色が変わる。
 歌仙兼定にとって、それは夢うつつの区別がつきかねる記憶だった。
「手入れ部屋………僕が怪我をしたとき……きみはあのとき、そこにいた………?」
 怒りより強い困惑と静かな驚きに支配されて、歌仙兼定は宗三左文字を見つめた。
 宗三左文字は瞬きをして歌仙兼定を見つめ返す。
「主の計らいで、特別に手入れ部屋に入ることを許可してもらったのです……あなたが、あまりに僕の名を呼ぶので………」
「……宗三左文字どの」
 歌仙兼定が手を伸べて、宗三左文字の顎に触れた。
「あれは夢かと思っていたが……あのとききみは僕の傍にいてくれたのか。そうか………」
「………あなたが、うわごとのように敵の話をするから………僕はあなたの仇を取る決意をしたのですよ」
 あの夜のことを思い出すと、今でも宗三左文字は心が震えて、目の奥がつんと痛くなる。
「…………もしかして…僕を守るために、きみは桶狭間への出陣を決めたのかい……?」
「……あなたに死なれたくないし、あなたが無事でいてくれる為なら、僕にできることは何でもします」
 深い緑と青、色違いの両の目を潤ませて、それでも宗三左文字はきっぱりと言い切った。
「あなたを失う以上の恐怖や悲しみは僕にはないんです」
「………宗三左文字どの……」
 宗三左文字が意図もせず、歌仙兼定がもっとも欲しかった言葉をくれたので、嫉妬から生まれた歌仙兼定の怒りは水をかけられた燭火のように音もなく消えた。
 手でうなじに触れ、額に額をつけてくる歌仙兼定に従いながら、宗三左文字は懇願する。
「歌仙兼定……長谷部と敵対しないで下さい。……あなたが傷ついたり、主に対して立場を失ったりするのは厭なのです」
「………きみは僕が奴に勝てないと思ってるんだな」
 歌仙兼定のへし切長谷部への敵愾心は消えていない。宗三左文字は目を半眼に閉じて息を吐いた。
「………どうしたらあなたは納得してくれますか……? 長谷部は、一晩の約束は反故にすると言ってくれたのに……」
「奴が目の前から消えないと駄目だ。本丸に来て数日なのに、きみを襲うばかりか勝手に略称で呼び始めるなんて。今後僕のいないところで、奴がきみにどんな図々しいことをするかわからないだろう。きみと奴を四六時中見張ることができないのは、この二日ほどで実証済みだしね」
「……見張れればいいんですか………?」
 歌仙兼定の言葉に反応し、宗三左文字が顔を上げて歌仙兼定を見た。
「僕が、ずっとあなたの傍にいたら、それで解決はできませんか……?」
 歌仙兼定は宗三左文字の意図がわからず相手を見つめ返す。
「どういう意味か、聞いてもいいかな?」
「そうですね……例えば、一緒に暮らすとか」
「………………………」
 宗三左文字の提案があまりに予想外で、歌仙兼定は絶句する。
「部屋まで一緒にしろとは言いませんが、居住する棟を同じくするとか、あるいは渡り廊下を挟んで向かい合った棟同士に住むとか。主にお願いして。
 長谷部か僕かどちらかを見張っていれば、動向は掴めるわけですから、僕があなたの傍に住んで、あなたが僕を見張っていれば、長谷部のことは放置していてもよくなるのではないでしょうか。……どうですか?」
「……………そんなことになったら、僕はきみの部屋に四六時中見張りをつけるよ」
「その為の家移りですから、それは構いません。僕のほうでは長谷部に会う用事はありませんし。長谷部だって、取り立てて僕には会いたがらないでしょう」
「……………………」
 歌仙兼定は黙って宗三左文字の秀麗な顔を見返した。
 宗三左文字の自分への愛情を知って歓喜したいっぽうで。恋敵への、宗三左文字の無見識と無関心ぶりに、相手が憐れにすら思えてきたほどだった。
 夕べ、一目見ただけで、へし切長谷部の心情が火遊びから真の慕情に変質していることは歌仙兼定には明確にわかったのに。
 だからこそへし切長谷部を許しがたいと思っているというのに。
「勿論、あなたがお厭なら、住まいは今のままで構いません。その場合はなにか他の手立てを……」
「いや………いや、待ってくれ、宗三左文字どの」
 宗三左文字の前に手をかざして、思わず歌仙兼定は相手の意識を引き留める。世間知のない宗三左文字の思考はそれ故にあまりにも直截で唐突すぎて、歌仙兼定にはついていけない。
「そう、あと、それです」
 宗三左文字は歌仙兼定の言葉尻を捉えて別のことを思いついたようだ。
「どれだって?」
 一緒に住む、と言われて動揺している所為で頭が上手く回らず、歌仙兼定は聞き返す。
「あなたも僕の名を略して、敬称を取り払って『宗三』と呼べばいいのではないでしょうか。誰からどう呼ばれても僕は気にしたことはありませんし。でも言われてみれば、他ならぬあなたにいつまでも『宗三左文字どの』と呼び続けられるのは、他人行儀が過ぎるような気もします。僕もこれからはあなたを略称で呼びますから」
「………きみを……略称で……呼び捨てるだって………?」
 そんなことは考えたこともなかった。
「お厭ですか?」
 宗三左文字が優美に首を傾げる。
 白い顔の周りに淡紅色の髪が舞い散り、深い緑と青の瞳と美しい対照を為している。
 彼は彼自身が、歌仙兼定にとってどれほど特別な存在かまったく自覚がないのだ。
「………僕があなたを『歌仙』と呼ぶのはどうですか? 歌仙兼定」
 今までとは違う呼び方で、宗三左文字が名を呼んでくる。
 親しみと愛情のいっそう籠もった、柔らかな声で。
「………きみには勝てないな……」
 茫然としたまま、独り言のように歌仙兼定は呟いた。
「…………? どこに勝敗があるのです?」
 話の見えない宗三左文字が不思議そうに尋ねてくる。歌仙兼定は苦笑するほかなかった。
「いや………いいよ。……試してみよう。僕が、きみの呼び名を変えられるかどうかを」
 そうは言うものの、すっかり馴染んだ呼称を今更変えるのはかなり気恥ずかしい。歌仙兼定は頬が赤面していくのを自覚した。
 咳払いをひとつして、
「………、宗……、」
「ええ」
 呼び慣れぬ呼称に宗三左文字が早くも応えるのを手で制して、歌仙兼定はもう一度口の中で繰り返す。
「……宗三……、宗三どの」
 宗三左文字がじっと見つめる前で、それ以上は言葉が出せない。
 宗三左文字への砕けた呼び名はどうやら、これで精一杯のようだった。
「これ以上は無理だよ、宗三どの」
 赤面しながら息を吐いて、歌仙兼定は音を上げた。
「きみをずっと『宗三左文字どの』と呼んできたんだ。僕にはきみに対する明確な敬意があって、そこからきみの呼び名が決まっているのだから、それをいっきに取り払うことは難しそうだよ。……きみがそれを距離が遠いと感じるなら改めるべきだが……これでどうだろうか。宗三どの」
 宗三左文字は左右色違いの瞳で黙然と歌仙兼定を見つめて、やがて全てを包み込むようにふわりと微笑した。
「ええ、いいですよ。――歌仙」
 宗三左文字に『歌仙』と呼ばれて、歌仙兼定の心は浮き立つ。
 赤面が収まらず、心臓が早鐘のように打ち始めるのを耳に聞きながら、歌仙兼定は言葉を続けた。
「主に上申して、早い内に家移りの日取りを決めよう。きみの提案どおり、僕たちは一緒に暮らすほうがいいだろう。……人間の家族みたいにね。それでどうかな? 宗三どの」
 同居することの意味を歌仙兼定は宗三左文字よりは知っている。
 宗三左文字は歌仙兼定の言葉を咀嚼するように少しだけ瞬きをして、微笑を深めた。
「では、歌仙。これから宜しくお願いしますね」


 主の許可を得た後、石切丸に吉日を選定してもらって家移りは始まった。
「………あなたがこんなに物持ちだとは知りませんでした」
 新たに歌仙兼定の居室と定められた場所に山と積まれた物品を見て宗三左文字がごちた。
 膨大な量の和歌の冊子・巻物、それと同じくらいの量の和歌の研究書、木箱に詰められた各種茶道具、茶室を彩る掛け軸や花瓶、趣味で目利きをしている刀や甲冑などの武具、料理に使う食器類や調理器具など。
 宗三左文字は歌仙兼定が用意した自分の居室の庭が気に入っていて、歌仙兼定の住む棟に移るのを惜しがった。それならと歌仙兼定が荷造りと運搬をさせてきた私物が、今や宗三左文字の目の前にうずたかく積み上げられている。
「茶室も忘れずに運ばせないとね」
 こともなげに歌仙兼定が言った。
 本丸から覗える東屋の茶室とは別に、歌仙兼定は自分の住居棟に自分好みの茶室を増築していた。これも分解して新居に移築するのだという。
 宗三左文字は呆れて歌仙兼定を見やった。
「いつの間にこんなに私物を溜め込んだのですか……? 毎日出陣や遠征に明け暮れているというのに」
「だからこそじゃないか。出陣・遠征の合間に出先で市や戦場跡地を覗いて、良さそうなものを選んでくるんだ。趣味の活動時間がないと、身が持たないよ。主の仕事につきあっているだけだと味気なさ過ぎて体を壊してしまうだろう。……その点、時代を遡行できるのはよかったな。古びた品を当時の値で購入できるしね」
「………………………」
 自分とあまりにも趣味思考が違う恋人を、言葉も失って宗三左文字は見つめた。
 二人が立っているところへ、軽い足音が聞こえ、小夜左文字が急ぎ足に縁を此方に向かってくるのが見えた。
「ああ、お小夜。向こうはどうだった?」
 転居元の居室の様子を、歌仙兼定は小夜左文字に確認させに行っていたものらしい。
「大丈夫、です。忘れ物もなく、綺麗に片付いてました」
 少しずつ、敬語に辿々しさのなくなってきた小夜左文字が、歌仙兼定に向けて的確に回答した。
「立つ鳥跡を濁さずと言うからね。僕が出てきたあの棟もいずれ別の刀剣男士が使うんだろうが、そのときに相手が気持ちよく使い始められるようにしておきたいものだね」
 にこやかに微笑んで歌仙が応じた。
「これ、しまい始めます」
 働き者の小夜左文字は気を利かせて、指示が出る前から歌仙兼定の私物を居室の奥へと運び入れ始める。
「ああ、宜しく頼むよ。扱いにはくれぐれも気をつけてくれたまえよ、お小夜」
 宗三左文字の脇に立ったまま、歌仙兼定が小夜左文字の小さな背中に声をかけた。
 宗三左文字はしげしげと歌仙兼定を見る。
 その視線に、歌仙兼定も気がついた。
「……あなたと過ごすようになって、僕は変わったとよく言われますが。あなたも変わりましたね、歌仙」
「そうかい?」
 自覚がない、というように歌仙兼定は首を傾ける。
「あなたは優しくなりました」
「………それはまるで以前僕は優しくなかったと言っているように聞こえるね」
 微笑の中に少し毒を込めて歌仙兼定は返事をした。
「そういう訳ではありませんが……小夜左文字が顕現したとき、あの子を引き取ったのは少し意外に思いましたので。あなたの身の回りの世話をする短刀の子たちの手は足りているのに、と」
「だって、ゆかりがあるのに無視するのは情に欠けるだろう。そもそも、あの子を放っておくのは気の毒だよ」
「……ええ……そう思います。僕がそれに気づいたのは、東屋であの子の心に触れたときが最初でしたが。あなたはもっと早くに、あの子の陰が見えていて、それであの子の面倒を見ることにしたのですね。………蓮の葉が広がる夏の季節に、僕に触れてきた頃のあなたは、親切ではありましたが、同時にどこか酷薄なものも持っていました。今のあなたからはそれが無くなったように思えます」
「………随分古い話を持ち出すんだね」
 やや居心地が悪そうに歌仙兼定は視線を下げる。
「正直に言うと。きみを愛して、僕は変わってしまったんだよ」
「………………」
 宗三左文字は歌仙兼定の言葉を待って黙っている。
「畑で倒れたきみを介抱した頃。僕もまだ刀剣男士として顕現したばかりだった。和歌や茶道や料理や戦闘や、やりたいことはたくさんあったけど、それが僕が顕現した目的だと思えるほどのものではなかった。僕の拵を作った三斎公の趣味をなぞるだけだったからね。でも、この城で暮らすうちに、三斎公の人生と僕の人生とで食い違うものがあらわれたんだよ。―――それがきみだ」
 宗三左文字が緑と青の瞳で歌仙兼定を見つめた。
 歌仙兼定は長い睫毛の奥から緑色の目で宗三左文字を見返す。
「桶狭間で、きみの姿をした敵を斬ることができなかった。以前の僕だったら、躊躇いはしたものの自分が深傷を負うまで追い詰められたりはしなかっただろう、と思う。そう――そういう意味では、僕は冷酷さを喪ったんだろう。きみが危惧したとおり、次にあの敵に遭っても斬り伏せられてしまうだけかも知れないね。……でも、あの敵がきみ自身の手によって滅ぼされた今だから言うのが許されることかも知れないが……、僕が彼を斬るのではなく、彼が僕を斬ることになってよかった、と少しだけ思う自分がいるんだ。………僕の手で」
 歌仙兼定は両手を伸べて、宗三左文字の細い顎を掌に包み込む。
「僕の手で、異界の者であれなんであれ、きみを斬らずに済んでよかった――――と」
「歌仙………」
 歌仙兼定の真摯な目で見つめられて、宗三左文字は己の鼓動が強まるのを感じた。
「きみと一緒に暮らすということで、さまざまな物品を持ち込みはしたが。究極的には、僕は、持ってきた全てのものはうち捨てても構わないんだよ………きみさえ、僕の傍にいてくれれば」
 宗三左文字の心に喜びが湧き上がる。
「ええ………ええ、歌仙」
 喉の奥に言葉が絡んで出てこないままに、宗三左文字は返事を繰り返した。
「ずっと一緒にいよう、宗三どの」
 歌仙兼定の柔らかな声が宗三左文字の耳をくすぐる。
「わかっています………歌仙。僕もそのつもりですよ」
 顔に触れる歌仙兼定の手に己の手を重ねて、宗三左文字は答え、そして二人は微笑んだ。
 そのまま唇どうしが重なるかというときに、
「わー。昼間っから口と口くっつけてる。あっつーい」
 庭先から大和守安定の緩い声が聞こえて、二人の気を削いだ。特に宗三左文字はひどく赤面して、黙って歌仙兼定から離れる。
「いーじゃんか、別に。私室で恋人同士がなにしてようと」
 大和守安定の後ろから、加州清光も姿を見せる。
「まだ引っ越し終わってねーの? ちょっと早く来過ぎちゃったかな」
「………手伝いなどという殊勝な気持ちでいるわけでもあるまい。二人とも、一体何をしに来たんだい」
 接吻の邪魔をされて、不機嫌な顔で歌仙兼定が二人を睨む。
「紅白の祝い餅とか出んのかなーと思ってさ」
「………祝い餅…ですか?」
 何故祝い餅という言葉が出るのかがわからず、宗三左文字は加州清光に問い返す。
「そーだよ。ソウサモちゃん結婚おめでとー、これからも宜しく、ってさ。ふるまい餅とかするんだろ?」
「………? ケッコン……? ですか………?」
 戸惑うばかりの宗三左文字に、加州清光の傍らから大和守安定が口を出した。
「夷狄の国じゃ、お揃いの輪っかを指に嵌めるらしいよ。高価なやつ。宗三左文字くん、なにかそういうの歌仙兼定くんにもらった?」
「いいえ………特には……」
 鷹揚な宗三左文字を取り巻いて、打刀二人は騒がしく喋り立てる。歌仙兼定は黙ってはいるものの、次第に苛立ちを強めていた。
「あの……ふたりとも、誤解しているのです。そもそも僕たちは、結婚するわけでは………」
「えー! 結婚じゃないのに歌仙の旦那と一緒に暮らすのかよ! ソウサモちゃん騙されてないか? 一方的に一緒に住むことを強要されるのは同居じゃなくて『監禁』っていうんだぜ! 大丈夫かよ?」
「………いえ、あのですね………」
「お風呂の最中から便所の中身まで覗かれちゃうんだよ? 宗三左文字くん、いいの?」
「………まさか、歌仙はそこまでは………」
「そうじゃなくったって、歌仙の旦那と一緒に暮らしたら四六時中監視がつくぜ!」
「………ああ、それはいいのです。僕に見張りを立てるのは了承していますので。監視されても、僕は特に困ったりはしな………」
「絶対騙されてる!!」
 加州清光と大和守安定が二人で声を揃えて断言したところで、ついに歌仙兼定の堪忍袋の緒が切れた。
「帰れ! きさまら!」
 怒鳴り声を上げたが、歌仙兼定にしてはよく堪えたほうだろう。
「勝手なことばかり言って宗三どのを眩惑するんじゃない。迷惑千万だ! 風流知らずの無礼者たちめ、さっさと出て行け!」
 歌仙兼定の怒りに追い散らされて、加州清光と大和守安定は笑いながら庭を逃げていく。
「ソウサモちゃんまた今度なー! そのときは大福一緒に喰おうぜ!」
「二度と宗三どのに集るな!」
 手を振って走り去る加州清光の背中に歌仙兼定が再び怒鳴った。
 部外者の姿が消え、ようやく屋敷は静かになって、歌仙兼定は荒い鼻息を吐く。
「まったく………」
 歌仙兼定は去った二人を苦々しく思い返していたが、宗三左文字は別のことを考えていたようだった。
「歌仙。………もしかして……」
「うん?」
 自分に向き直った歌仙兼定に、宗三左文字が困惑気味に問いかける。
「……僕たち二人が一緒に住むということは……、人間で言うところの婚姻と同じ意味を持つように、周りからは見えるのでしょうか……?」
「………い、今ごろ気づいたのかい……」
 歌仙兼定は別の意味で脱力する。
「きみに同居を提案された当初から、そう見られるんじゃないかと僕は思っていたよ。お小夜でさえ、そのように理解してると思うが……」
「…………全く思い至りませんでした」
 加州清光たちに指摘されて初めてそのことに気がついた宗三左文字は、今更ながらに頬を紅潮させている。
「あの………歌仙。あなたはそれでよかったですか……? 僕と『婚姻』すると思われて………」
 歌仙兼定は瞬きして宗三左文字を見た。
 宗三左文字の思考は相変わらず、固執するところを間違えている。
 しかしそういう世慣れぬところも含めて彼を好きなのだ。そう歌仙兼定は自覚する。
「僕としてはむしろ望むところだけどね。きみを文字通り内外で独占できるし。婚姻と思われるのは、皆に向かってきみを独占していると宣言して回るようなものだからね」
「…………そうですか…………」
 考え深げに宗三左文字が呟く。
 といっても、このようなとき、宗三左文字が実のところ何を考えているのかは歌仙兼定にはわからない。
 ほんのりと頬を紅色に染めて、宗三左文字が烟るような目で歌仙兼定を見つめる。
「……僕たちは、男と女ではありませんから………。魔王や徳川家のような婚姻とは、意味が違うということは重々承知していますが」
 宗三左文字の青と緑の瞳に、歌仙兼定の顔が映っている。
「面映ゆいものですね。あなたと婚姻すると思われるとは。………末永く、宜しくお願いします。歌仙」
 宗三左文字に恋する者そのものの表情で優しく微笑まれて、歌仙兼定の心は春の陽気のごとくふわふわと浮き立った。
 宗三左文字と同じくらい赤面しながら、歌仙兼定もまた微笑む。
「こちらこそ。幾久しく、宜しく。宗三どの」

 小夜左文字が新たな荷を運びに戻ってきたとき、宗三左文字と歌仙兼定は周りの何も見えないという風情で身を寄せ合っていた。
 それを見て、常に、暗い、と言われることの多い無表情な小夜左文字の顔に、少しだけ微笑の欠片のようなものが生まれた。
 その表情はすぐに消えて、小夜左文字は木箱を抱えてまた奥へと引っ込む。
 歌仙兼定が宗三左文字の為に作った庭は、陽光の中で晩春を謳歌している。
 歌仙兼定の髪とよく似た色の、咲き初めたばかりの藤の花が、穏やかな風にそよいでいた。



                                             (了)




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