影ぞ恋しき

 

2018/07/23
歌仙兼定(二振目)×宗三左文字
※一振目
破壊注意
全14話(※印4・5・7・8・11-13話は18禁)



 色も香も昔の濃さににほへども植ゑけむ人の影ぞ恋しき  紀貫之
(梅の花の色も香りも昔と同じように咲きにおっているけれども、昔とは違って、
梅を植えた亡き人の面影が恋しく思い出される)
    



  <其乃一>


「―――歌仙兼定!」
 悲鳴に近い声が己の口から漏れるのを宗三左文字は耳に聞いた。
 川縁で検非違使を迎え撃って戦い、敵に斬り伏せられた歌仙兼定の身体が、ざぶりと音を立てて水中に頽れた。
 赤い血が、黒い外套とともに水の中に広がっていく。
 走り寄り、川の中に立ち入って、宗三左文字は必死で歌仙兼定の身体を水中から引き上げようとした。
 合間に、歌仙兼定に致命傷を与えた検非違使が、和泉守兼定に一刀のもとに切り捨てられている。宗三左文字は敵になど目もくれなかった。
「歌仙兼定、」
 白い手を伸ばして歌仙兼定の襟首を掴み、顔を水上へ引き上げる。
 水に浸かったままの歌仙兼定の胸から流れ出した血が、水の流れと共に川下へ降っていく。外套の裏地である緋の牡丹柄が水に溶け出していくような様相であった。
 ぽっかりと開いた緑の目は虚空を映し、宗三左文字を見てはいない。
「………彼岸が見える………」
 歌仙兼定の口から吐かれた呟きに、宗三左文字は怖気を震った。
「歌仙兼定!」
「……詠まねば………歌を……。誰か、僕の筆を………」
「歌仙兼定! 気をしっかり持って下さい、」
 ずぶぬれの歌仙兼定の身体を抱えて、自らも水中にある宗三左文字は必死でその体を揺さぶった。
 二藍色の濡れ髪が貼りついた面がふっと生気を取り戻し、緑の目の焦点が宗三左文字に合わさった。
「………いや。彼岸ではなく………僕の歌神は此方の岸にいる」
 歌仙兼定の出血は止まらない。宗三左文字の腕の中で、歌仙兼定の身体はどんどんと冷えてゆく。
 歌仙兼定が震える手を宗三左文字の頬に伸ばした。
「かせん、」
 喉がつかえて名を呼ぶこともできなくなって、宗三左文字が呻くように声を上げる。
 宗三左文字を見上げる歌仙兼定が、弱々しく微笑んだ。
「嘆かないでくれ、宗三左文字どの………僕は、幸福だ」
 そのまま歌仙兼定の手は水中に落ち、目の瞳孔が開いた。
「………歌仙!!」
 絞り出すような声はもう歌仙兼定には届かなかった。
 歌仙兼定の身体から鼓動は既にして失せ、力が抜けて、やがて刀剣男士としての姿も消えた。
 宗三左文字の両の腕を潜り抜けて、砕けた歌仙兼定の刀身が陽光に煌めきながら川底へと沈んでいく。
「ッ………!」
 宗三左文字は夢中でその中で一番大きな欠片を掴んだ。それから次に大きな欠片も。
 まだ鋭さを失わない刃先に掌が当たって血が出るのにも気づかず、宗三左文字は全ての破片を水中から拾い集めようとする。
「かせんかねさだ…、かせんかねさだ、」
 自分が憑かれたように恋人の名を呼んでいることなど一切自覚できなかった。
 川縁で共に出陣してきた刀剣男士たちがそれを見ている。皆、検非違使の襲来の所為で所々に怪我を負い、宗三左文字同様に軽傷や、あるいは中傷の者さえもいた。
「宗三左文字。そこにはもう歌仙兼定はいないぞ」
 左腕を怪我している骨喰藤四郎が淡々と告げた。
 傍にいた和泉守兼定が無言でその足を蹴った。
 骨喰藤四郎はそれ以上喋らずに口を噤んだ。
 いつもは無愛想な山姥切国広と大倶利伽羅が、身が濡れるのも厭わずに無言で川の中に入って、宗三左文字と共に歌仙兼定であった鉄の欠片を拾い集めてくれた。
 時間はかかったが、小さな破片も残さず袈裟の上に拾い集めて宗三左文字は川岸に上がり、鉄片を刀身の形に並べ替える。
 そして待った。
 刀剣男士の歌仙兼定の姿が再び顕れるのを。刀身の前に屈み込んで。
 全てのことがもはや無駄なのを恐らく他の者たちは知っていた。だが宗三左文字が気が済むようにと、怪我を負った彼らは何も言わず宗三左文字の行動を許容した。
 日が大きく傾き、太陽が空を赤く染める頃。
 涙の痕すら乾いた、血の気を失った顔で、宗三左文字はそっと立ち上がった。
「………骨喰藤四郎の言うとおりですね。ここには歌仙兼定はいません」
 声は震えているが乾いていた。
「………皆さんをお待たせしてしまい、申し訳ありませんでした。帰還しましょう。……ここにあるのは、ただの鉄の欠片です」
 宗三左文字は息を吐き目を閉じた。

 こうして彼は恋人を喪った。



「これはそなたが持っておれ」
 鍛錬所で、刀剣男士の中でもっとも古風な言い回しをする小狐丸が、そう言って鉄片のひとつを宗三左文字に手渡してきた。
 素手で歌仙兼定の刃先を握った、切り傷だらけの掌の中に。
 刀剣男士に墓は無い。気を利かせて山姥切国広が、自らの布を脱いで歌仙兼定だった砕けた刀身をそれで包み、城に持ち帰ってきてくれたが、所詮鍛刀の材、ただの鋼として使われるほかに選択肢は無かった。
「………形見、ですか」
 どこか現実から遊離したような声と表情で尋ねた宗三左文字に、小狐丸は頷く。
 刀鍛冶に縁の深い彼は現在鍛錬所のほぼ全ての作業を任されていて、鍛冶場そばの棟で寝泊まりしていた。平安期の伝説的刀剣である小狐丸の居室に畳は無く、小狐丸は板敷きの部屋に円座を敷いて片膝で座る生活をしている。
「ただの鉄じゃが、そなたには必要なものであろう。今は感じなくとも、いずれ」
「………………」
 宗三左文字は黙って鉄の欠片を受け取り、それを持った右手で握り拳を作った。
 拳はただ宙に浮いていた。
 宗三左文字の背後には、ともに帰城してきた仲間たちがまだ傷も癒やさぬ状態で控えている。
「宗兄さん!」
 更にその後ろ、鍛冶場の戸口から、小さな風のように小夜左文字が走り込んできた。
「歌仙……さんは、」
「小夜」
 宗三左文字は振り向いて息を咳く小夜左文字を見る。
 小夜左文字は細川家の縁で歌仙兼定が面倒を見ていた短刀だった。
 宗三左文字が手を伸ばすと、導かれるように小夜左文字が宗三左文字の元までやってきた。
 宗三左文字の前に炉があり、そこでは小狐丸が火を起こしている。
「溶ければみな鉄よ」
 呟きながら、小狐丸が、歌仙兼定であった刀身の欠片を炉の中にくべていった。
 鉄は赤く燃え、刀としての形を喪い、溶けていく。
 小夜左文字の肩を抱いて、宗三左文字はそれを黙って見つめていた。
「歌仙さんは、もういないの」
 喉を涙に詰まらせて、小夜左文字がぽつりと尋ねた。
「……ええ」
 湿った声が出ないのが自分でも不思議だ。宗三左文字は答えながらそう思った。
「歌仙さんは……帰ってきたりはしないの?」
「………ええ…」
 大きく見開いた小夜左文字の目から涙の粒がぽろぽろと零れ落ちている。
 泣けないより泣けるほうがましだろう。
「僕はあのひとが好きだったのに」
 小夜左文字の最後の言葉は殆ど不明瞭だった。
「………僕もですよ」
 対照的に、声は小さくともはっきりと、宗三左文字の返事が鍛錬所に響いた。
 小狐丸が鎚を振るい、刀であった鉄を別の形に鍛えていく。
 この鍛錬所の火は普通の炉火では無い。
 鍛えている当人にも、どんな刀剣が仕上がるかは最後までわからない。
 歌仙兼定だった鉄はそうしてやがて、新たな刀剣男士の骨肉の元となるだろう。
 誰も何も言わず、炎の燃える音と小狐丸が振るう鎚の音だけが響いていた。
 それが歌仙兼定への弔いの代わりであった。


「………小夜は僕のところへいらっしゃい」
 鍛錬所を出て、涙と鼻水を拭っている小夜左文字に宗三左文字は声をかけた。
 小夜左文字の他にも、歌仙兼定が周囲においていた短刀の子たちは何人か存在する。彼らもそれぞれ、ゆかりのある他の刀剣男士の元へ引き取られることだろう。歌仙兼定の住まっていた場所は解体されるのだ。
 宗三左文字は小夜を自分の居室に送ってから、本丸にいる主のもとへ伺候した。歌仙兼定の死の経緯を主に報告しなくてはならなかった。
 歌仙兼定は主が最初に選んだ打刀で、長らく主の近侍だった。歌仙兼定の破壊については、主もひどく落胆し、動揺していた。
「よお宗三」
 主のもとを下がると、歌仙兼定に次いで本丸では古株の薬研藤四郎が廊下で宗三左文字を待っていた。
「薬研」
「……之定の旦那は残念だったな」
「………戦ですから。仕方の無いことです」
 もっと語るべきことはあるような気がするが、表面的な言葉しか舌の上に出てこない。
「お前さんは大丈夫か」
 織田信長の所有刀だった誼で、薬研藤四郎はほかの刀剣男士よりも宗三左文字とやや距離感が近い。
「………大丈夫ですよ。僕はね。………不思議なことに」
 薬研藤四郎は少年の姿に似合わぬ大人びた表情で宗三左文字を見上げてきた。
「之定の旦那と一番親しかったのはお前さんだからな。今は大丈夫でもおいおい変わってくるかも知れん。もしそうなったらすぐに相談しろよ。俺っちか、大将か、へし切でもいい。みんなお前さんを心配してるからな」
「……ありがとう、ございます」
 感謝は本物の筈なのに、自分の言葉はいやに空疎に響いた。
 恐らく誰にも相談はしないだろう、という予感が宗三左文字にはあった。
 薬研藤四郎は気を遣うように実務的なことに話題を変える。
「之定の旦那が寝起きしていた部屋は空けるんだろう? 旦那の私物はどうするつもりなんだ。なにか大将から聞いたか?」
「………いいえ。形見が欲しければ刀剣男士達がそれぞれ持って行って良い、と主は仰いましたが……部屋はそのままに残しておくそうです。何の意図でそうするのかはわかりませんが、主の決定ですから、僕たちが口を出す権限は無いでしょうね」
「そうか………宗三、お前さんは之定の旦那の部屋からなにか形見を選ぶのか? もしそうなら、お前さんが最初にあの部屋に行くのがいいだろうぜ。他の連中がお前さんより早く旦那の部屋に立ち入るのは遠慮があるだろうからな」
「………………………」
 薬研藤四郎に言われて、宗三左文字は押し黙った。
 歌仙兼定の香の残り香も強く、彼の気配が色濃く残るあの部屋に入って、平静でいられる自信が無い。
「………いいえ…」
 ようやく、のろのろと返事をした。
「僕にとってはあの部屋は辛すぎますから。……歌仙兼定が僕に寄越してくれた文もたくさんありますし、彼の写本になる歌集も数冊借りていますし、僕の部屋のために彼が選んでくれた茶器や掛け軸もありますから……形見としてはそれで充分です。歌仙兼定の部屋の物は……、他の皆さんが欲しければそれぞれ選んでいただいて良いと思います」
「そうか。わかった。皆に会ったらそう言っとくぜ。……お前さんはとりあえず、早急に手入れ部屋に籠もったほうがよさそうだな」
 宗三左文字の僧衣と袈裟は敵の刃に破れ、諸処に血が滲んでいる。
「ええ、そうですね。皆に伝言を、宜しくお願いいたします」
 宗三左文字は頷いて薬研藤四郎と別れ、手入れ部屋に向かった。
 空いている一室に入り、扉を閉め、独り、寝所にもなる帳台に無言で座る。
 自分を見る者は誰もおらず、声を聞く者も誰もいない。
 そう思って初めて。
 刀剣男士として顕現してから今まで感じた事もなかったほどの、強い孤独と悲嘆に宗三左文字は襲われた。
「っ、く………、」
 呻くように声が漏れたことも殆ど自覚できなかった。
 その場に突っ伏した宗三左文字の目から大量に涙が溢れ、僧衣を濡らし、湖のように涙が袖に溜まっていく。
 涙と嗚咽は留まること無く、部屋で手入れを受けている間、宗三左文字は泣き続けた。


 歌仙兼定がいなくなっても、本丸はいつもどおりに機能している。出陣は続き、日常は回っていく。
 近侍であった歌仙兼定が抜けた穴は大きいが、それを他の刀剣男士達で埋めなくてはならない。半月も経つ頃、皆は忙しさの中に段々と、歌仙兼定がいないことに慣れていった。
 歌仙兼定の部屋からは、彼と仲の良かった刀剣男士達がそれぞれ、思い思いに形見の物を持ち去っていっていた。宗三左文字と起居を共にするようになった小夜左文字は、袖を捲る襷を歌仙兼定の使っていた紅白の組紐に変えていた。燭台切光忠は歌仙兼定が愛用していた包丁を自分の厨房で使っている。蜂須賀虎徹は、歌仙兼定が竹林から切り出して自ら作った、茶会用の竹製花入れを自室に飾った。歌仙兼定と年中いがみ合っていた和泉守兼定でさえ、歌仙兼定の部屋から古今和歌集の写本を一部持ち出した。
「之定の書き写したつまんねー本を、俺が鼻紙代わりに使ってやらあ」
 と、赤い鼻をぐしぐしと擦りながら和泉守兼定は言っていたようだが、懐には大事そうに、歌仙兼定の達筆になる写本をしまい込んでいたらしい。
 宗三左文字自身は、主に命じられて歌仙兼定の代わりに近侍を務めることが増えていた。日中は忙しさに気が紛れることも多いが、食は進まず、夜は枕を涙で濡らす眠れぬ日が続いた。それでも近侍は主の命であるし、主も宗三左文字同様、歌仙兼定の死に気落ちしながらも責務を果たしているのは変わらない。宗三左文字は見かけ上は淡々と近侍をこなしていた。
 ある日の午後。
 宗三左文字は主から、鍛錬所に新しい刀剣男士を迎えに行くようにと命じられた。
「また、新たな刀を集めてきたんですか………?」
 三日月宗近、蛍丸といった希な刀剣男士も揃っているこの本丸で、いかなる新たな刀が必要だと言うのか。
 寝不足が続く所為で目尻を赤く染めたまま、宗三左文字は呆れたように主に返したが、主は重ねて宗三左文字に新しい刀剣を迎えに行くように命じただけだった。溜息をついて宗三左文字は主の前を辞し、本丸の外にある鍛錬所に向かった。
 鍛錬所に着くと、戸口の前に長身の小狐丸が立ち、その獣じみた相貌に困惑の気配を上せて宗三左文字を待っていた。
 何があったか、と宗三左文字が小狐丸に問う前に、その背後、鍛錬所の戸口から、新しく打ち出された刀剣男士が外へと現れた。
 見覚えのある二藍色の髪が陽光に照り映え、黒い外套の裏地から緋牡丹が覗く。
 息を飲む宗三左文字の前で、新入りの刀剣男士はふわふわと揺れる前髪を描き上げて、まぶしそうにちらりと太陽を見上げた後、宗三左文字に視線を下ろし、ゆったりと微笑んで見せた。
「……僕は歌仙兼定。風流を愛する文系名刀さ。どうぞよろしく」
 見慣れた緑色の目は屈託も無く、宗三左文字をまっすぐに見つめてくる。
 宗三左文字は驚きのあまり言葉も無くして、二振目の歌仙兼定の前にただ立ち尽くしていた。


「宗兄さん」
 鍛錬所での次第を聞きつけて、小夜左文字が本丸に現れた。宗三左文字は目配せをして、小柄な弟を自分の側に呼び寄せる。
 歌仙兼定の挨拶を受けた後で主が去った本丸・謁見の間の縁近くに二人の左文字は座して、外の庭を見やる。
 二振目の歌仙兼定が庭に降り、初めて見る事物の全てを物珍しそうに眺めていた。
 陽光だけでなく、風も、木も、花も、水も、人の身となって初めて見るものばかりの筈だ。歌仙兼定は嬉しげに微笑んでいて、頬を紅潮させ、若干昂奮しているようだった。
 そうしている二振目の歌仙兼定は、宗三左文字が馴染んだ一振目の彼より随分と若々しく見えた。一振目は主の初期刀だったから、本丸にいる刀剣男士は、一振目が顕現したとき彼がどんな反応を世界に対して見せたのか、主以外は誰も知らないのだった。
 二振目の歌仙兼定は庭に咲き誇る牡丹の花にそっと触れ、鼻を近づけて香りを確かめる。おもむろに本丸のほうを振り返り、宗三左文字に向けて楽しそうに笑いかけた。
「ここの庭は素晴らしいね。広すぎるのは仕方ないとしても、その割りにずいぶん風流で、僕好みの庭だよ。庭石も、池の形も申し分ない。この庭を管理している者はよほど僕と趣味が合うと見える……これは主の好みなのかい?」
「それは歌仙が………」
 言いかけた小夜左文字を、宗三左文字が肘で触れて黙らせた。
「主の趣味ではありません。………庭を、丹精を込めて整えていた刀剣男士がいたのです」
 小夜左文字の代わりに宗三左文字が答えた。庭を差配していたのが一振目の歌仙兼定であることは、わざわざ二振目に知らせずとも良いことの筈だった。
「ほう………過去形なんだね」
 宗三左文字の目の前で、二振目の歌仙兼定は宗三左文字が吸着して欲しくないところに意識を払う。
「彼はもう城にいないのです」
 宗三左文字はそれだけを言って後は黙った。
 なにか重ねて宗三左文字に問いかけたそうな歌仙兼定だったが、そこで、宗三左文字の脇に座る小夜左文字に気がついた。
「その子は………小夜左文字じゃないのかい?」
「……そうですよ」
 細川家の蔵刀だった小夜左文字のことは、前世の刀剣時代の記憶により覚えているものらしかった。
 この僕のことは知らないのに。
 理不尽と知りながら、宗三左文字の心は憂鬱に陰る。
 歌仙兼定は興味深げに小夜左文字に近寄ってくる。
「きみも刀剣男士として顕現していたのか……城での暮らしはどうだい?」
 小夜左文字は歌仙兼定を見ているだけで答えない。一振目の歌仙兼定と二振目の歌仙兼定、外見はそっくりなのに自分への態度が違うことに強い戸惑いがあるようだ。
「小夜。歌仙兼定にきちんと挨拶なさい。あなたたちは初対面なのですよ」
 宗三左文字は脇から窘める形を装って小夜左文字に助け船を出した。
「あ……………」
 幾度か瞬きをして、大人びた顔に更に影を上せ、小夜左文字はやっと歌仙兼定に挨拶をした。
「僕は小夜左文字……です。……よろしく………歌仙さん。城での暮らしは………普通です」
 小夜左文字の挨拶を受けて、歌仙兼定は満足そうに微笑んだ。
「姿は小さいのに礼儀はきちんとしているんだね。重畳、重畳」
 歌仙兼定は宗三左文字に視線を移した。
「ところで僕は今日、これから何をして過ごせばいいのかな? 主は僕が使う部屋があると教えてくれただけだったね」
「………当面は、内番などをなさりながら、出陣や遠征の機会を待つことになるでしょう。この城は粒揃いの刀剣男士達が多くて、顕現したばかりの者にはなかなか城を出る機会が巡ってこないのです」
 歌仙兼定の緑の目が、まるで他人のようによそよそしく向けられてくるのが宗三左文字には辛かった。小夜左文字に対する彼の態度のほうがよほど親しみが強い。
「庭を眺めるのに気が済んだのなら、あなたの居室に案内しますよ。………以前、別の刀剣男士が使っていた部屋ですが、今は整理されていますので」
「それは助かるね」
 柔やかに笑って、歌仙兼定は草履を脱いで縁に上がってきた。
「行きましょうか」
 宗三左文字は立ち上がり、歌仙兼定を案内するために謁見の間を出た。
 後ろを歌仙兼定がついていく。
 小夜左文字が、歌仙兼定が庭の敷石に残した草履を拾い上げ、二人の更に後ろを歩いていった。


 主が歌仙兼定に与えた居室は、一振目の歌仙兼定が使用していた場所だった。一振目の私物は主付きの短刀の子たちによって綺麗に片付けられており、部屋はからんとしている。小夜左文字は、歌仙兼定の草履を渡り廊下に揃えて置いた後、内番の持ち場に戻っていった。
 一振目の居室だった場所に宗三左文字が入るのは、一振目が破壊されてから初めてだった。歌仙兼定の残り香は失せ、気配もすっかり消えており、その点では宗三左文字を安心させた。もっとも、目の前にいる二振目は歌仙兼定の香と本人そのものの存在感を放っており、そちらのほうが宗三左文字を落ち着かぬ気分にさせる。
「………ここがあなたの部屋ですよ」
 宗三左文字に言われて、二振目の歌仙兼定は興深げに部屋を見回す。
「奥に本丸とは別の趣の茶室があるね。………風流だな。気に入ったよ」
 二振目が指したのは、一振目が作らせた歌仙兼定好みの茶室だった。
「お気に召したのなら、結構なことです。後ほど、主から指示を受けて、経験の浅い短刀の子どもがあなたの部屋に小姓として付きます。身の回りのことは彼らが引き受けてくれますよ」
「そうか。………それで……」
 歌仙兼定が向き直り、宗三左文字に向けて意味ありげに微笑する。
「きみがいろいろと世話をしてくれて、おかげで助かっているのだが、僕はきみの名前をまだ聞いていないね。そろそろ教えてくれないか」
「………そうでしたか」
 鍛錬所で逢ったとき、驚きのあまり自己紹介するのを忘れていたらしい。何より、長らく馴染んだ歌仙兼定の気配に動揺してしまっていたのだ。これでは小夜左文字を責められぬ。
「……僕は宗三左文字と言います」
「宗三左文字どの」
 鸚鵡返しに名を呼ばれて、ぴく、と宗三左文字の身が揺れた。
 一振目の歌仙兼定もよくそのように名を呼んだ。
 二振目の歌仙兼定が、観察するように宗三左文字の目を覗き込む。
「経歴は僕も知っている。信長公の銘が入った愛刀で、のちに徳川将軍家の蔵刀になった打刀だね。………きみとは、初対面の筈だよね?」
 射通すような緑の目が、宗三左文字の鼓動を激しくさせる。
「………なぜ、そのようなことを聞くのですか………?」
「……………きみの目だ」
「………………?」
 歌仙兼定が、色違いの宗三左文字の両目を瞬きもせずに見つめていた。
「知った者のように僕を見る」
「………………………」
 宗三左文字は即座に口で答えることはできなかった。眉が辛そうにゆがみ、だがすぐに、何も知らない二振目の前であることを思い出して、宗三左文字は表情を整え姿勢を正した。
「……あなたの思い違いですよ………僕たちは小夜同様、初対面です。その上、小夜のように、刀剣時代に出逢ったこともないはずでしょう」
「……そうだね。その筈なんだが」
 納得していないふうで、それでも歌仙兼定は肩を引いて宗三左文字を凝視するのを切り上げた。
「……他に尋ねたいこともないようでしたら、僕はお暇させていただきます。明日以降にまた、主からの指示があることでしょう」
 もうここにはいられない。一刻も早く宗三左文字は引き払いたかった。
 歌仙兼定の返事を待たず踵を引き、部屋を出ようとする。
「ああ。かたじけない。明日も宜しく。―――宗三左文字どの」
 宗三左文字の背に。
 あまりにも聞き知った声が飛んできた。
「………………」
 宗三左文字は肩を震わせ、振り向きもせず、頭を少し下げるだけで黙ったままその場を離れた。
 口を引き結び、眉根を寄せていなければ、湧き上がる涙が睫毛から溢れてしまっただろう。
 歌仙兼定から顔を隠すようにして廊下を足早に歩み去って行く宗三左文字の姿を、二振目の歌仙兼定が怪訝な顔で見送っていた。




next