<其乃二> 二振目の歌仙兼定が顕現してひと月ほどが過ぎた。 部隊長として出陣から戻ってきた宗三左文字が主のもとへ報告に上がると、控えの間に詰めていた歌仙兼定と薬研藤四郎が、何やら会話を交わしていた。 歌仙兼定は切り紙の反故紙の裏に、携帯用の墨と筆で何やら絵を書き付けているようだ。 「いや、その形じゃない。蓋の持ち手はもっと丸いんだ」 歌仙兼定の描く絵を覗き込んで、脇から薬研藤四郎が口を出す。 「今きみは、持ち手は平たいと言ったばかりじゃないか」 「そう言いはしたが、でもその形じゃない。釜の姿もちっと違う感じだ」 「釜本体ももっと丸いのかい?」 「いや、平たいのは合ってるが、もっとこう、膨らみがだな……」 歌仙兼定が不満げに鼻を鳴らした。 「やれやれ、じれったいね。きみが絵を描いてくれれば早いのに」 「俺っちには旦那みたいな絵心はねえんだよ。残念だが」 「……何ごとですか、お二人とも」 宗三左文字が後ろから口を出すと、二人は初めて宗三左文字に気がついたらしかった。 「よぉ宗三、今帰りか。ご苦労さんだな」 「ええ、 「怪我が無くて何よりだね、宗三左文字どの」 歌仙兼定に屈託無く言われて、宗三左文字は身が揺らぎそうになるのをこらえた。 死んだ恋人と同じ声、同じ顔で他人行儀に扱われることに慣れるには、まだまだ時間がかかりそうだった。 「それで……お二人で、何をなさっているのです」 「宗三左文字どのは見たことは無い……だろうね、『 座したままで宗三左文字を見上げ、歌仙兼定が無邪気な顔で答えてくる。 「平蜘蛛の……茶釜……? ですか………?」 何やら聞き覚えがあるような気もする、と首を傾げたところへ、薬研藤四郎が情報を補足した。 「俺っちの昔の主の久秀さんが生涯大切にしてた茶釜だ。敵対した信長さんが死を免ずるから渡せと言ったんだが、久秀さんが拒んで、落城の間際に自らの手で割っちまったやつさ」 「ああ……………」 二度も魔王に刃を向けた松永久秀の、茶道楽者としての最期は有名だった。 「僕は見たことはありません。残念ながら」 宗三左文字が首を横に振るのを見て、歌仙兼定は溜息をつく。 「そうか。そうだろうね。……僕も前生で見たことはないんだよ………薬研藤四郎に聞けば茶釜の形がわかるかと思ったのだが」 「そりゃ形は覚えてるが、説明は出来ねえな」 「残念だねえ。せっかく間近に見た者が傍に居るというのに。久秀公がそこまで固執するような茶釜を、茶道を志す者としては是非知りたいじゃないか。……時を遡行するときに、陣を抜け出して、こっそり久秀公の城に忍び込むことは出来ないだろうかね?」 筆尻を顎に当てて考えながら、あっさりと歌仙兼定が言うのへ、傍の二人は驚愕の表情を見せた。 「本気で言ってんのか?」 「………あなたが、そんなことを仰るなんて………」 「? 何故だい? どうせ滅ぶものなら、今の世に持ち帰ってきても問題なさそうだが」 あっけらかんと歌仙兼定は訊いてくる。責任感の強い歌仙兼定の言葉とも思えぬ台詞だった。 口でそれを説明しようとして、宗三左文字は、自分が脳裡に想起しているのは一振目の歌仙兼定の性格であることに気づく。主の初期刀ですべての刀剣男士達を束ねてきた一振目は、戦場を放置し歴史を捻じ曲げてまで己の趣味を通すようなことは絶対になかった。 そうと思い至った宗三左文字の舌は強ばり、そのまま言葉を失う。それは薬研藤四郎も同じだったらしく、古株二人は気まずそうに、新参の二振目を前に黙り込んだ。 目の前にいる二振目もさすがに、二人の驚愕には違和感を感じたらしかった。無論違和感を感じたところで、その理由に二振目が辿り着くことは無い。 「………僕は何かまずいことを言ったかな?」 おどけたように場を繋ぐ歌仙兼定の言葉を受けて、ようやく宗三左文字は会話を続けられるようになる。 「………喪われたことがわかっているものを現代に持ち帰るのは禁忌なのです。歴史を変えてしまうことになりますから……」 「そうかい。人物だけでなく物品も駄目かい? 見るのも?」 「主に打診してみても支障はないとは思いますが……恐らく許可が下りることはないでしょうね。あなたが見に行って茶釜の形を採寸するのも無理だと思いますよ。型取りなどをしてそれをこの本丸で復元した場合、……やはり現代では喪われたものを再興してしまうことになるでしょうから」 「四角四面だねえ。もうちょっと柔軟にできればいいのに」 諦めた風情ではあるが歌仙兼定は残念そうだ。 「せめて薬研藤四郎がもう少し的確に、口頭で平蜘蛛茶釜の形を言えたらねえ」 「無茶言うなって」 「ところで久秀公の時代にあった茶の席の話を聞きたいんだが、薬研藤四郎。三好長慶公が茶会の折……」 話題は流れ、宗三左文字の目の前で、歌仙兼定と薬研藤四郎はやりとりを続けていく。 結局目の前の男は恋人とは違うのだ、と宗三左文字は心で思った。 思い出すのはもう十日以上前の、気心の知れた古参の打刀たちで出陣したときのことだった。 「それでどうなんだよ。新しい歌仙の旦那の様子は」 二振目の歌仙兼定が顕現してから半月ほど経った時期だった。 敵を探しつつ道を歩きながら、加州清光が隣の和泉守兼定にそう問いかけていた。 「それがよぉ……」 和泉守兼定の声は困惑気味だ。 「昨日二振目の之定と初めて手合わせしたんだが、竹刀を合わせる前に深々とお辞儀とかしてくんだよな。『若輩者ゆえ宜しくご指導賜りたい』とかっつってよォ。こちとらてっきり、先祖風吹かして上から目線だった一振目と同じ性格だと思い込んでたから、調子が狂っちまったぜ」 和泉守兼定の大きな声は、部隊長として隊の先頭を歩く宗三左文字の耳にもよく届く。 「太刀筋は?」 加州清光にそう問われ、和泉守兼定は答える。 「一振目とよく似てるが、まぁ、そもそもおんなじ刀だもんなァ……。経験から来る練度はそりゃ当然低いがよ。ただ何つうか、二振目の打ち筋には、一振目が持ってた厳しさが足りねー感じがしたな。厳しさっつうか、冷たさっつうか、激しさっつうか」 「あっそれ、僕も思った。ギリギリでの動きがけっこう違うよね」 大和守安定が脇から声を上げた。大和守安定は、二振目の歌仙兼定が顕現した翌日に手合わせを果たしている。 「一振目の歌仙兼定くんてさあ、動きに隙がなかったよね。攻撃的なのに防御が効いてるというか、向き合ったときの警戒感がすごく強かったよ。こっちが隙を見せると容赦なく打ち込んできちゃうしさ。そんで挙げ句に『敵は手加減はしないぞ。肝に銘じておくんだな』みたいに言ってたよね。どんなに血が沸いたって、手合わせと戦場じゃ違うじゃんっていつも思ってたけど」 「顕現した環境の違いの所為かな」 一振目の歌仙兼定と仲の良かった蜂須賀虎徹がそう分析する。 「前に一振目本人から聞いたことがある。初期刀だった歌仙兼定くんは、初陣が敗け戦だったらしい。まだ他には誰も顕現していなかったから孤立無援で刀装も無く、真剣必殺を放ってなお手痛い敗北を喫し、死ぬような大怪我をしたそうだ。それ以来、修練でも戦場でも常にその時のことを頭に置くようにしている、と彼は言っていたよ。近侍として皆を率いる以上、怪我や敗退はさせない、とね。二振目には当然その経験は無いから……」 「おい……」 蜂須賀虎徹がそこまで言ったとき、加州清光が彼を小突いたような気配があり、語る声は格段に小さくなった。一振目の歌仙兼定が宗三左文字の目の前で敗退し破壊されていったことに対し気を使ったもののようだ。部隊の会話はもはや宗三左文字の耳には聞こえない。宗三左文字としては、最初から会話が聞こえないふりをしながら前進するほかなかった。どんな反応も、自分が涙をこらえていることを部隊の者たちに知らせてしまうような気がしたからだった。 宗三左文字は視線を落とし、僧衣から突き出た己の右の掌に目をやった。 掌と指の腹に、一振目の歌仙兼定の破片を握った時についた傷痕が赤く残っている。 血は塞がり、痛みは無いものの、手入れ部屋に籠ったにも関わらずこの怪我だけは治癒しなかった。あの後幾度か軽傷を負ってその都度手入れを果たしたが、他の傷は治るのに右手の傷だけは、赤々と宗三左文字の肌に残り続けた。 それを不思議に思って、いつだったか、この傷痕について主に尋ねてみたことがある。 主は暫く沈黙した後、人間の身にはそういうこともある、お前の体はその傷を残したいのだろう、と宗三左文字に告げた。宗三左文字には意味がよくわからなかった。だが同時に主は、刀を握るのに支障がなければ傷は問題ない、とも言ったので、宗三左文字はそういうものかと思い納得することにした。 恋人だった歌仙兼定が自分に印した最後の傷。 右掌を眺める度に、宗三左文字は孤独と、同時に、一振目の歌仙兼定と通じ合っていたという確かな証を見つけ、悲嘆を新たにするのだった。 半月ほど前のことを思い出しながら、宗三左文字は、無意識のうちに右掌の傷の辺りを左手でなぞっている。目の前では相変わらず、歌仙兼定と薬研藤四郎が茶の談義などしている。 和泉守兼定や蜂須賀虎徹、あるいは宗三左文字だけでなく、過去に一振目の歌仙兼定と関わりのあった全ての刀剣男士が、二振目が見せる微細な違和感に戸惑い、噂していた。燭台切光忠の話では、二振目は一振目が決して快く立ち入らなかった大衆用の厨房にも顔を出し、愛想良く手伝いなどもしているらしい。未だ近侍になったことはなく、初陣を果たしたとは言え部隊長も務めたことのない二振目は随分と気さくで人当たりが良く、短刀や脇差たちとも距離近く接していた。小夜左文字などはことによく呼ばれ、細川時代の思い出話などを日頃しているようだ。左文字の小さな弟は結局歌仙兼定の部屋付きに戻りたがるかも知れない、寂しいことだが、などと、宗三左文字はとりとめのないことをぼんやりと考えていた。 「………宗三左文字どの?」 歌仙兼定から声をかけられて、宗三左文字は現実に引き戻される。 「は………」 色違いの目を瞬かせて歌仙兼定を見ると、歌仙兼定は何とも言えぬ表情で宗三左文字の顔を覗き込んでいた。 「……どうだろうか。僕の屋敷の茶室で茶席を設けたいのだが、きみは参加してくれるかい?」 「……僕……が、ですか……?」 宗三左文字は戸惑った。 一振目に招かれてあの茶室に行ったことは幾度もある。 だが目の前の歌仙兼定は、一振目とは別人なのだ。 「……僕は、あまり……茶の心得は………」 「堅苦しく考えなくていいよ、宗三左文字どの」 歌仙兼定が微笑する。それを見つめた宗三左文字の心は、一振目が自分に向けて微笑んでいた過去にひといきに戻され、胸に大輪の花が咲いた。 幸福な気持ちはすぐに、理性の囁きによって掻き消えた。あとには宗三左文字の頬の紅潮だけが残り、宗三左文字は呼吸も忘れたようになって目を潤ませる。 「…………宗三」 脇から薬研藤四郎が気遣うように声をかけた。 「之定の旦那の茶の湯には俺っちも招ばれたぜ。武将・大名差しの刀剣男士なら皆、昔の主が茶を嗜んでるから、同田貫の旦那みたいな手合いでもない限り、そこそこの知見は持ってるだろう。その程度で構わねえと、之定の旦那も言っている」 「ああ、そうだよ。活躍した世々によって茶の形も違うし、作法は問わないつもりさ」 歌仙兼定が合いの手を入れた。 「新参者の旦那だ、俺っち達で少しは甘やかしてやろうぜ」 自分も行くから歌仙兼定の誘いを断るな、と薬研藤四郎が言外に匂わせてきた。 「………………」 宗三左文字は俯き、瞬きの間に溜息を押し殺した。 「そうですか……わかりました。僕で不足がないか不安ですが……あなたの招待を受けることにいたします、歌仙兼定」 宗三左文字の消極的な承諾を得て、歌仙兼定が安堵したように微笑んで息を吐いた。 「顕現初日にきみは僕の世話を随分としてくれたからね。これでお礼が出来るというものだよ、宗三左文字どの」 「……………ええ」 宗三左文字は力なく微笑み返して、二振目の歌仙兼定を見つめた。歌仙兼定の緑の目に、恋にはなり得ぬ親しみが籠もる。 「きみと薬研藤四郎の他に、お小夜も招ぼうと思っているんだ。僕にとって初めての茶席だから、気心の知れた者だけを呼んで、略式にね」 「……ええ。弟は、きっと喜ぶと思いますよ」 それは事実だろうと思えたので、宗三左文字はようやく苦しさを感じずに言葉を紡げるようになった。 七日ほどの後。 夕まぐれ、土間から貴人口を経て茶室に入った宗三左文字は、歌仙兼定と二人きりであることを知って動転した。薬研藤四郎と小夜左文字の姿が見当たらないとは思ったが、まさか来ていないとは想像もしていなかった。 「短刀のふたりは、主の命で先ほど出陣してしまったよ」 炉の前に座った歌仙兼定が、残念そうに事情を説明した。 「臨時の夜戦場に歴史修正主義者が顕れたそうだ。短刀と言えど薬研藤四郎もお小夜も、今の僕よりずっと強いからね。こんなときに茶を点てるのもどうかとは思ったのだが……きみはせっかく来てくれたし、僕には取りたてて出来ることもないから、もし良ければ、少し時間を貸してくれないか」 「………そ……それは、構いませんが………、」 宗三左文字は動揺を隠しきれず、ようやくそれだけを返事した。 「よかった」 歌仙兼定が宗三左文字を見てにこりと笑った。 一振目と同じ柔和な微笑。 宗三左文字は胸を突かれて、眉をゆがめて俯きたいのを必死にこらえ、かろうじて微笑み返した。 一振目の歌仙兼定が自らの好みに合わせて屋敷に増築した茶室は三畳間だった。床の間に掛け軸は無く、代わりに二振目が選んだのであろう花が飾られている。宗三左文字は貴人席に案内されて、二振目の歌仙兼定はその正面に座した。 「軽く食事を差し上げようか。生きのいい鮎を手に入れたから」 「ええ……お願いします」 二人だけの部屋で、互いの存在感はどんどんと増していく。歌仙兼定の香の匂いを強く感じ、宗三左文字は僧衣の中で密かに身を固くした。 宗三左文字の目の前で、歌仙兼定は両手に包丁を使って魚を捌いていく。そうした様子は、宗三左文字をよく茶室に招いていた生前の一振目と全く変わらなかった。宗三左文字は黙したまま歌仙兼定を見つめていた。魚に向けて俯いた歌仙兼定の真剣な眼差しや、その目を半ばほど隠す二藍の柔らかな頭髪、集中して固く結ばれた形の良い唇や通った鼻、小気味よいほど無駄なく動く器用で男らしい手つき。まるで時が過去に戻ったかのようだ。ここは時間遡行先ではなく、主の城の中なのに。 宗三左文字は歌仙兼定には見えぬよう、袖の中で左手の指を延べて、右掌の傷跡をなぞっていた。目の前の歌仙兼定が恋人ではないことを示してくれる確かな証拠は、それしか無かった。 調理して出された鮎も、宗三左文字の舌によく馴染んだ、歌仙兼定の味だった。京風の上品な味付けは、刀剣男士によっては「薄すぎる」と忌避されることもある。宗三左文字にとっては、城に顕現してから幾度も堪能した味覚だった。 この味をこんなに苦しく感じる日が来ようとは。 「主の城は海が近いから、川魚以外にもいろいろな魚を試せるのがいいね」 歌仙兼定の言葉に宗三左文字は儀礼的に頷く。 「………口に合わなかったかい?」 どうしても食が進まないのを、歌仙兼定が心配そうに見咎める。 「いいえ。とても美味しいのですが……もともと少食で、量はいただけないのです」 歌仙兼定には悪いと思ったが、宗三左文字は途中で箸を置いた。小夜左文字や薬研藤四郎がいれば、歌仙兼定と二人きりでなければ、もう少し腹に収めることもできたであろう。 「きみは僕よりずいぶんと細身だからね。それでももう少しは食べたほうが、きみの体にも良い筈だよ」 一振目もよくそう言った。きみは少食すぎる、いくら刀剣男士が人間の男より頑強だといっても、もう少し食べないと剣士としての体を保てないよ、と。 「歌仙兼定………」 宗三左文字は完全に膳から手を引いて、潤んだ瞳でただ目の前の歌仙兼定を見つめた。 「……宗三左文字どの」 歌仙兼定が瞬きを止めて、頬を赤く染めて宗三左文字を見返してくる。 歌仙兼定の、自分をまっすぐに見つめる緑の目が、宗三左文字は好きだった。 「……………そろそろお茶を点てようか」 夢から醒めて気を取り直したように、歌仙兼定が宗三左文字から視線を逸らして告げてきた。 「………ええ」 気づけば日はとうに弱まり、日没が近い。 宗三左文字の弱々しい声が薄暮の茶室の中に響いた。 |
| next |