<其乃八>


 「っ…………、ど……、どういうこと、ですか…………?」
 歌仙兼定の言葉の意味がわからず、陰茎を手に握られたまま、宗三左文字は困惑して涙に滲んだ目で相手の顔を見た。
 歌仙兼定は指で宗三左文字の屹立を弄びながら、嘲るように鼻で笑う。
「ふ、きみは自慰を知らないのかい。そこまで愉楽に耽りやすいのに自慰をせずに済んでいるなんて、きみの相手をしてきた男はよほど精が強かったんだな」
「っ……、い、意味がわかりません……、ンく、」
 そう答えはしても侮辱されていることだけは理解できたので、宗三左文字は竿への刺激だけではない理由で頬を赤らめる。
「それとも相手に不自由してこなかった、ということかな。貴人は無論自慰など知る必要は無い。下半身が滾れば女なら侍女が、男なら小姓がそれを体で宥めてくれるからね。きみはその身が火照るたびに、様々な男たちに抱かれてきたんだろう」
「ッ……、そ、そんなことは……、あり得ません…………!」
 恋人だった歌仙兼定の顔と声で、己をふしだらと詰られることに遂に我慢がならなくなって、宗三左文字は思わず声を上げた。
 今までに無い宗三左文字の強い調子に、二振目は眉を上げる。
「そうかい。つまりきみは、特定の男にだけ、その雅な体と淫蕩な様を見せつけてきたわけだ」
 歌仙兼定の緑の目の中に赤い光が浮かんだ。二振目の嫉妬と悟った宗三左文字は身を固くする。
「でも、今宵の房事が済んだ後、その男の形代になれるこの僕が約束通りきみに触れなくなったら、きみはその淫に弱い体を自分で宥めるしかなくなるんだよ。その方法を教えてあげようと言うのさ。………こうして己の手で、己の竿に淫を施すんだ」
 言いながら歌仙兼定は宗三左文字の右手を取り、宗三左文字自身をその指に握らせようとしてきた。
「…………、」
 歌仙兼定が自分に何をさせようとしているかうっすらと理解できたものの、宗三左文字の戸惑いは強まるばかりだ。二振目の指摘通り、一振目と為した情事しか知らない宗三左文字は、自慰など今までしたことも聞いたこともなかった。
 だが二振目が自分を貶めようとしている意図だけは強く感じた。恋人の顔に似た男に弄ばれるそのことが、宗三左文字の自尊心をいっそうすり減らしていく。
 何故、今、二振目に嬲られることが悲しいのだろう。宗三左文字には不思議だった。
 目の前の相手に嫌われたいのか愛されたいのかわからない。いや愛されてはならないのだ。自分が彼を愛することは許されないのだから。
 自分が二振目の見ている前で、精を放つまで己自身を擦れば二振目は満足するというのだろうか。隷従を約束したのは自分なのだから、二振目から離れてもらう為には言うことを聞くしかないのだろう。
 自分が愛するべきなのは一振目だけだ。
「ぅ…………、」
 二振目が手を離すと、宗三左文字は恐る恐る、自らの意思で己の竿に触れ直そうとする。
 そのとき。
 右掌に走る、一振目の欠片が自分に残した赤い傷痕が、目に飛び込んできた。
「………………!」
 泣き濡れた色違いの両目を瞠って宗三左文字は硬直する。
 一振目の形見とも呼べる傷を残した手で、二振目の前で、勃起した己の竿を握り込み、果てるまで扱き上げようとしている。
「…………、や……、」
 震える薄い唇から、遂に拒否の言葉が漏れた。
「宗三左文字どの?」
 頭上から歌仙兼定の声が降ってくる。
 二振目の訝しみと、―――僅かに籠もる、自分を気遣う気配。
 それが宗三左文字には、ますます一振目を思い出させた。
「ッ……、厭だ…………、」
 硬直していたのはほんの少しの時間で、すぐに宗三左文字は、その細い体の全身で自慰を為すことを拒否し出した。
「駄目です……、できません…………!」
 強い力で傍にあった歌仙兼定の手を振り払い、その身厚な体を己の上から押しのけようとする。
「いくらあなたの言うことを聞く約束でも……、致せません、こんなことは………!」
「! ………、」
 拒否されて、歌仙兼定の顔の赤みが増す。眉間に刻まれた深い皺は彼を怒らせた証左だった。
「自慰よりも、先ほどのように、思慕しない男の竿を尻に受け入れるほうが楽だというのかい。理解できないね」
 歌仙兼定は宗三左文字の体を捕らえ直して夜具の上に座らせ、ふたたび宗三左文字の手で宗三左文字自身を握らせようと試みる。
「ッ……や、やだ……ぁッ…やめ…………ン、」
 歌仙兼定の手は力強く、宗三左文字に逃れる隙を与えなかった。今度は左手で己の陰茎を握らされ、その上から歌仙兼定の右手が宗三左文字の手の甲を掴み、勃起を扱くことを強要してくる。
「僕に抱かれるよりいいだろう……、やるんだ」
 歌仙兼定は支配心に声を上ずらせて言い募り、手の内に捕らえた宗三左文字の左手ごと、相手の竿を慰撫し出す。
「ひぃ……ッ、や、あぁ……!」
 快楽と拒否と悲嘆が一時に宗三左文字の身に襲いかかって、宗三左文字は惑乱して悲鳴を上げた。
「ここで取引を反故にするなら、今後僕がきみに近づかないという約束も無しになるよ、宗三左文字どの」
「ぅッ、ぁ、あぅ…っ、」
「僕から離れたいと言ったのはきみだ。僕の親切ひとつ受けたくないと言ったのはきみだ。言葉も交わしたくない、視線も合わせたくないと、この城で僕に無理を通させようとしているのはきみだ」
「ッ、ぁ、あぁ、やめてくださ……、ッ、かせん……、」
 色違いの両目から滂沱の涙を流しながら宗三左文字は声を上げた。
 歌仙兼定は構わず続ける。
「僕がこんなに、あらゆる形できみに添いたいと思っているのに、冷たく拒むのはきみだ。いい条件だろう、一晩我慢すれば今後ずっと僕と疎遠でいられるんだから、」
 宗三左文字の手ごとその勃起を擦り上げながら、歌仙兼定は宗三左文字に言い募る。
 宗三左文字は困惑の余り殆ど恐慌を引き起こしていて、泣きながら歌仙兼定に向かって力なく喚いていた。
「や……ぁッ……、あ、あなたを…ッ、自分の体と心で、拒むことも受け入れることも出来ないから……、僕は苦しいのに、こんな、」
「……………ッ、」
 宗三左文字を見据える歌仙兼定の緑の目に赤い光が散り、嫉妬と、宗三左文字にも負けぬほどの悲嘆が宿った。
「――僕がきみを思うことの何が悪いんだ! きみに愛されたいと願うことの何が…………!」
「! ッ、ぁ、あ、ひぅッ……!」
 歌仙兼定の手がひときわ強く宗三左文字の竿を握り、宗三左文字は堪えきれなくなって、びくりと身を震わせてそのまま勃起から精を飛ばしてしまう。
「ひィ……ぁッ、…あぁ…………っ! っ、ぁ、か…、かせんかねさだ…………!」
「ッ………、」
 果てながら乞うように名を呼んだ宗三左文字の声に、二振目は顔を酷く歪めた。宗三左文字の手ごと竿を握っていたその手を離して、宗三左文字の体を強く抱きかかえる。
「順番が違うだけじゃないか……! 僕が一振目の歌仙兼定だったら、……きみと初めて出会う歌仙兼定が僕だったら、きみは僕をこんなふうに遠ざけようなんてしない筈だろう…………!」
「―――――――!」
 二振目の腕の中で、宗三左文字が目を見開く。
「……………………ど……どう…して…………、」
 やがて力なく吐かれた宗三左文字の問いに、歌仙兼定はますます強く相手の体を抱き締めた。
「きみから離れるのは嫌だ」
「っ……、か、かせん、」
「きみがどんなふうに恋人を愛するのか僕は知っている。きみがどんなふうに愛されたかも僕にはわかる。きみを愛した男は僕と同じ歌仙兼定なんだ。きみと奴とがこの城で如何に過ごしたかを僕は知らないが、――きみが僕を見る目が僕をきみに惹きつけて、僕をきみの虜にしたんだよ。僕がきみを愛したいのは当然だろう…………!」
「…………ど………、何処で…………、」
 歌仙兼定の言葉は宗三左文字の耳に入るが、宗三左文字の意識はもっと手前で立ち止まっている。
「どなたから、聞いたのですか……? …僕の恋人が、一振目の歌仙兼定だと、」
 歌仙兼定は少しだけ宗三左文字から体を離し、その顔を覗き込んできた。
 緑の目が宗三左文字の左右色違いの目を奥深くまで見透す。
「たった今。その口で教えてくれたじゃないか。きみが」
「! ッ………、」
 鎌をかけられた、と思った宗三左文字の背に恐怖が走り、忌避感のあまり相手から逃れようと彼は腕を強く張った。
「あ、あなたという人は…………!」
 非難の声を上げながら、そうだこれが歌仙兼定だった、と宗三左文字は思い出す。恋人だった一振目も、優しさの中にも抜け目の無さを失わない、風流心の下に酷薄にすら見える冷徹さを隠し持った刀剣男士だった。一振目への喪失感が強すぎて、宗三左文字は今の今までそれを忘れていたのだ。
「は、放してください!」
「待ってくれ、……」
 歌仙兼定の腕を振り払おうとする宗三左文字を、二振目は必死の態で押し込める。その様相には支配心より懇願や心配の念が強く、宗三左文字の相手への忌避心や恐怖感はやや薄らいだ。
 腕の中で藻掻くのをやめた宗三左文字に、歌仙兼定は縋るような目で釈明した。
「きみを騙してそう言わしめたんじゃない。仕方ないじゃないか…………僕の中に推測はあっても確証はない。きみも含めて誰も、きみの恋人が誰であったかを僕に教えてくれなかった。そもそも僕が二振目であることさえ、僕は自分で調べて悟らなくちゃならなかった」
「………………」
 色違いの両の目にいまだ疑念を湛えつつも、宗三左文字は黙って歌仙兼定を見ていた。
 二振目は続ける。
「言ってくれれば良かったんだよ………あるいは、事実を頭から告げられたなら、それもまた僕の逆上を生んだのかも知れないが。けれど、きみや主も含めて城中の者は皆、僕になにも教えてくれなかった。僕に親切にしてはくれるが、それは普通の新参の刀剣男士に対するものとは違っていて、僕に対してだけ、何か共通の秘密を隠しているかのように遠回しに接してきた。それに城の中は、僕は顕現して日が浅い筈なのに妙に心地の良い、何者かの差配の跡に満ちていた…………僕の居館の茶室や、本丸の庭、きみの居館の庭、燭台切光忠どのの包丁などにね。だから僕は、皆を手伝いがてら、城の色々なところに入り込んで、厨房や手合わせや本丸での様子からその理由を探ろうとしていたんだ。そうこうする間にお小夜や、特にきみの様子が、僕を見るときには視線の色が変わっている気がして……、気がついたら………、」
「………………、」
 荒く息を吐き、目に涙を溜めて、声も出せずに宗三左文字は二振目を見上げている。
 それを見て、歌仙兼定は、
「――――いや」
 吐息とともに否定の言葉を吐き出した。
「違うな。途中から僕の探索の目的は変わった。僕への態度が不審な理由をではなく、僕の前にいたきみの恋人とは誰かを知りたくて、城中をずっと探っていた。皆の僕への接し方が奇妙な理由と、きみが、僕を見てそうも混乱する理由は同一なのじゃないかと推測したのは、ほんとうに最近、つい今し方なんだ。今宵きみに対して喋りながら唐突に気がついたことなんだよ。経緯的に、きみを試すような具合になってしまって済まなかった。………今となっては……きみを今夜一晩隷従させるなどという悪辣な条件を持ち出して、きみを怯えさせ、打ちのめしたことも後悔している」
「………………、かせん、」
「きみを、僕のきみへの慕情ごと、貶めて穢し抜いたら、きみを諦め切れるんじゃないかと思った。あるいはきみがそれを断ったら、僕はきみから遠ざけられずに済むだろうと。そのときはきみの恋人が誰かはまだわからなかったし…………僕が提示した無茶な条件を、きみが飲むとは思わなかったから………」
「――――僕、は……、」
 消沈した二振目を色違いの目に映して、宗三左文字ははかなく声を上げた。
「遠ざかってもらう為には、あなたに、応えるのが、誠意ではあろうかと…………それに……あなたが僕を求めてくるのを見るのが……辛かったのです……どうしても、一振目と重ねてしまって…………そして、あなたが……あなたが一振目とは別人だと理解した後には、もう、あなたをあなたと知って拒むことが、僕には難しくなっていたので、」
「…………それは、二振目の僕を、少しは好いてくれているということかい」
「………………」
 宗三左文字は否定も肯定もできなかった。混乱したまま身を起こそうとする宗三左文字を、歌仙兼定が手助けして夜具の上に座らせる。
「……あなたを、愛するわけにはいかないんです…………」
 もう二振目のほうは見ず、宗三左文字は震える声を吐いた。
「僕は、一振目を、今も愛していて、…………いずれ刀解されるか、破壊されて自由になるそのときまで、僕は彼の恋人であり続けるつもりで、」
 右手を胸の前に当て、右掌に残る傷を己の左手の指でなぞりながら、宗三左文字は俯いて弱々しく言葉を紡ぐ。
 二振目はそれを横合いから見て、言った。
「―――奴がそうしろと言ったのかい。僕のいない一生を嘆いて暮らせと、一振目がきみに」
 その言葉に。
 宗三左文字はひくりと身を震わせて二振目を見た。
 同じ歌仙兼定の口から放たれた同じ声。
 一振目の末期の言葉は違うものだった。
『嘆かないでくれ』、と。
 一振目はあのとき確かに宗三左文字にそう言い遺したのだ。
「…………い、いいえ……、」
 宗三左文字は目に涙を溜めながら二振目に向けて首を横に振った。
 二振目の歌仙兼定は、宗三左文字の反応を見極めようというように、瞬きもせずに緑の目で見つめてくる。
「僕には、彼の心がわからないんです…………当時も、今も…………。一振目は、去り際に、自分は幸福だ、僕には嘆くな、と言い遺して…………。彼は僕を護って破壊されていったのに、どうしてあんなことを、」
 言いながら宗三左文字の声は詰まり、涙を頬が伝っていく。
「僕の所為なのです…………! 皆、検非違使の襲撃によって怪我をして、撤退する算段で、そんな折に新たな検非違使が追い打ちをかけてきて………。僕に襲いかかってきた槍の前に、歌仙兼定が立ちはだかって…………僕も怪我をしていましたが、歌仙兼定は更に深傷を追っていて、もはや対等に闘える状態ではなかったのに、………」
「宗三左文字どの」
 死んでいった恋人と同じ、情愛と気遣いを感じる二振目の声が宗三左文字の耳に響いた。
「僕が消滅(きえ)れば良かったのです……!」
 遂に嗚咽が喉から漏れて、宗三左文字はその場に泣き崩れた。
「なぜあの体で歌仙兼定は僕を庇ったのでしょう……城には彼が必要だったのに…………僕などよりずっと…………僕こそが、彼の代わりに死ぬべきだったのに…………!」
「…………宗三左文字どの」
 突っ伏して泣く宗三左文字の剥き出しの肩に、二振目の手が触れる。
 一振目と同じほどに温かい手。
「僕は……、一振目を愛してはいますが同時に恨んでもいるのです…………僕をこんな気持ちにさせておいて……僕を独りにしておいて、『嘆くな』などと…………そんなこと、出来る筈も無いのに…………!」
「宗三左文字どの」
 二振目の歌仙兼定が宗三左文字の肩を抱き寄せる。抗う気力もなく、宗三左文字は泣きじゃくりながら二振目の腕に抱き込まれた。
「一振目はきみの心情を慮る余裕がなかったんだろう。きみが傷つくのを見たくなくて、自然と体がきみと敵の間に立ちはだかってしまったんだよ」
「…………、」
 宗三左文字が泣き濡れた顔を二振目に向ける。なぜそれがわかるのか、と声でなく目で宗三左文字から問われ、二振目は答えた。
「僕にはわかるよ。同じ歌仙兼定だからね。同じようにきみを愛した。きみを護りたくて足を動かした結果だから、破壊されていくことにも満足を得て、『幸福だ』と述懐したんだと思う。きみが、一振目の破壊を自らの負担と感じることは、彼の本意ではない筈だよ」
「ッ……、僕、は…………、」
 恋人と同じ顔、同じ声の男が、自分を抱き寄せて優しい声で囁く。
 しゃくりあげながら、涙を溢れさせた色違いの青と緑の目で、宗三左文字は二振目を見上げた。
 歌仙兼定の緑の目には労りと、宗三左文字への痛ましさが宿っていた。
 つい先ほどまでの冷酷さが嘘のような二振目の様相は、恋人の一振目そのままで、宗三左文字は思わず細い腕で歌仙兼定の二の腕をその衣服ごと掴んだ。
「僕は、あなたに、生きていて欲しかったのに…………!」
 寝乱れた淡紅色の頭髪を二振目の胸に押しつけて、宗三左文字は一振目へ向けて叫んだ。二振目は宗三左文字に人違いだとは指摘をせず、彼が慟哭する間、宗三左文字の細い体を抱き締めたまま、宥めるようにその背を撫で続けていた。
「きみが無事で良かったんだよ」
 宗三左文字の嗚咽が小さくなる頃、恋人とそっくり同じ声が宗三左文字の耳元でぽつりと漏らした。
「もう自分を責めないでくれ。きみが世に在ってくれること、心穏やかに過ごしてくれることが、僕の幸福なんだ」
「………、歌仙兼定…………、」
 喉から放たれたかすかな呼び声は一振目と二振目、両方に向けてのものだった。
 それは二振目にも伝わったようだった。
 二振目は宗三左文字の体を抱え直し、いっそう強く抱き締めた。




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