<其乃十四>


 晩夏ももう終わろうという頃。
 日中、庭木で騒がしく鳴いていた蝉は日が傾くと共に静まり、夕刻になった今では、庭から通る涼しげな風に乗って、草むらの秋の虫と、遠い蜩の声が響くばかりになっている。
 己の館の居間に座す宗三左文字は、本丸で主から預かった仕事を前にしながら、そわそわと落ち着かなかった。
 この日、二振目の歌仙兼定は初めて近侍を主より任され、部隊長となって出陣していた。何事もなく予定通りであれば、そろそろ帰城する頃合いであった。出陣先は少し難しい戦場で、宗三左文字は歌仙兼定が気にかかって、日中ずっと仕事に集中できなかった。
「……歌仙兼定は大丈夫でしょうか」
 ついに、傍らに控えている小夜左文字に向けてともなく、独り言のように、宗三左文字は心配を口にのぼせてている。
「だいじょうぶだよ。歌仙さんは強くなったし」
 兄を宥めるように小夜左文字が口を開く。
 内番から戻ったばかりの小夜左文字は、未だ袖をたすき掛けにしたままだ。袖を纏めているのは相変わらず、一振目の歌仙兼定の形見である紅白の組紐だった。
 宗三左文字の文机の引き出しの内にも、一振目の手紙と、彼が贈った硯が今も大事にしまわれている。宗三左文字の部屋の調度品は、新たな歌仙兼定が寄越した物もあるが、一振目の見立てによるものが多い。
 右掌にも、やや色を薄めたものの、赤い傷痕は残ったままになっている。
 目敏い二振目は、そうした事どもをおそらく察しているだろう。だが二振目が宗三左文字に向かって直接、そのことについて指摘してきたことは無かった。
 城門の櫓で、出陣部隊の帰城を知らせる太鼓が鳴り始めた。宗三左文字はもはや座っていられず、筆を置いて立ち上がった。
「様子を見て参ります」
 言い訳のように小夜左文字に告げたが、その実、意識は弟のほうには全く向けられていない。
 常の鷹揚さも失って、僧衣の裾を翻して宗三左文字は部屋を出る。呆気にとられたようにそれを見送った小夜左文字は、視線を移し、文机の上に置き去りにされた書類の山を暫し眺めた。
 やがて、左文字の末弟は処置無しという風情で小さくため息をついた。
 だがその口の端は珍しく、微笑の形に吊り上がっていた。

 城門の内側に立ち、出陣者は歌仙兼定の指揮の下、皆怪我もなく帰還してきている。
「歌仙兼定」
 外套に着いた埃を手ではたいているところに、恋人の声が聞こえた。
 視線を振り向けると、そこに宗三左文字が立っている。
 西に落ちる太陽が、宗三左文字の全身を赤く照らし出していて、本来は淡紅色の頭髪が今は橙色に燃え上がっていた。
 眉根は憂うげに寄せられ、色違いの目が、歌仙兼定の無事を検めようというように真摯な視線を己に投げてくる。歌仙兼定を気遣うそんな恋人の様子が歌仙兼定の心を悦ばせ、そしてまた、目をも愉しませた。
「………宗三左文字どの」
 夕日の赤に馴染んでわかりにくくはあるものの、頬を紅潮させながら歌仙兼定は微笑んだ。
「……ご無事でしたか。怪我などは……」
「だいじょうぶ。無傷で帰還してきたよ」
 歌仙兼定のはっきりとした返事に、宗三左文字は緊張を解いて、ほう、と息を大きく吐いた。
「………安心致しました」
 宗三左文字の言葉を受けて歌仙兼定は笑みを深める。
「きみの心の平穏の為にも、僕が軽々に怪我をするわけにはいかないからね。……そうそう、おみやげがあるんだよ」
 そう言って歌仙兼定は、袂から草花を取り出した。
「主は向日葵を所望、とのことで、それも勿論摘ませてきたが。きみにはもう少し可憐な花、そう、撫子のほうが相応しいと思ってね。近頃城の傍では見ないというから、出陣先で見つけて摘んできたんだ。山野に咲く秋の七草ではあるが、既に咲き始めていたから」
 そう言って歌仙兼定は、宗三左文字に撫子を手渡した。
 己の髪とよく似た淡紅色の花弁を持つ花を見て、伏し目がちの宗三左文字の目が瞬きをする。
「歌仙兼定……、」
 戦場に於いてまでも風流心を失わない恋人に対し、呆れたものか感心したものか窘めるべきと思ったのか、己の態度を計りかねている様相だった。
 熱を和らがせた夕刻の風が吹いて、宗三左文字の柔らかな髪を吹き上げる。
 宗三左文字が手にした撫子の花も、同じ風に揺れた。
 撫子のように、強さより優美さを顕した宗三左文字の立ち姿に、歌仙兼定は少しの間見惚れていた。
「雅だな。宗三左文字どの……」
 やがて恋人を見つめたまま、歌仙兼定は感じ入ったように言葉を紡ぐ。
「きみに逢うたび。きみを見つめるたび。僕の中には感動が生まれるね。幾度顔を合わせても、きみの前に立つたびに、新たな人に出会うような感慨を味わうんだ。きみはいつも、僕を、みかの原の川の傍に立つような心地にさせる」
「――――――」
 二振目の台詞が宗三左文字の脳裡を刺激し、宗三左文字は色違いの目を瞠り、言葉を失って相手を見た。
 よく似た言葉を以前、歌仙兼定から受け取った。
 目の前の二振目ではなく、一振目から。

『貴殿に逢ふ度にいづみ川の縁に立つ心地致し候』

 一振目が宗三左文字に寄越した文の一節。
 いつ見きとてか恋ひしかるらむ、と。
 幾度顔を合わせても、まだ逢ったことの無い人のような鮮やかな驚きと、既に見知った故の懐かしさを宗三左文字に対して感じる、と。
 一振目は宗三左文字に宛てた恋文でそう告白してきた。
 それと同じ歌を引いた、全く同じ意味の、宗三左文字に対しての二振目の今の言葉だった。
「………宗三左文字どの?」
 宗三左文字の様子が変わったのを、目敏い歌仙兼定は察知した。
「…………、…いえ……、」
 宗三左文字は表情を隠すように俯き、湧いた涙を瞬きで払う。
「どうかしたのかい?」
 二振目が更に近寄り、宗三左文字の顔を心配げに覗き込んできたので、宗三左文字は彼に答えるほかなくなった。
「……なんでも、ないのです……。ただ、あなたは紛れもなく歌仙兼定なのだ、と……、そう、思ったと、いうだけで……」
 それだけを言って後は黙ってしまった宗三左文字に、二振目はなにがしかを理解したようだった。
 歌仙兼定がかすかに首を引く。
「きみを傷つけることを言ってしまっただろうか。宗三左文字どの」
「……いいえ………」
 二振目の気遣いが、宗三左文字には有り難かった。彼の指摘が正しくはなくても、それは些細なことだ。
「……あなたの風流が、僕は好きなのです」
 涙の内にそう微笑んで、宗三左文字は顔を上げて二振目を見た。
「あなたが僕の傍にいてくださって良かった……、そう、思ったのですよ」
 深い緑と深い青の瞳に、歌仙兼定の姿が映る。
 宗三左文字の涙が風に散り、夕日に照らされて透き通った紅色に煌めいた。
「撫子を、ありがとうございました」
「…………………」
 今度は歌仙兼定が言葉を失う番だった。
 陰りのある微笑で、それでも自分をまっすぐに見つめる宗三左文字は本当に美しい。
 歌仙兼定は陶然となって宗三左文字の頬に手を伸ばし、涙の滴を指でそっと拭う。
「『なく夕影のやまとなでしこ』……という歌があるね。鳴くのは人ではなくて蟋蟀(こおろぎ)だが」
「………歌仙兼定……、」
「『我のみやあはれと思はむきりぎりす』、という上の句なんだよ。きみの姿や心にもののあわれを感じるのは僕だけではないが」
 一振目のことを思い返しつつ、宗三左文字の頬を撫でながら二振目は言った。
 己だけがしみじみと感じるのだろうか、蟋蟀の鳴く中で、夕日に照らされた大和撫子を―――三十六歌仙のひとり、素性法師による秋の歌だ。
 歌仙兼定の手が触れるに任せ、宗三左文字は半眼に目を閉じた。
 歌仙兼定の熱が、宗三左文字の肌に伝わる。
 その声も。
「僕はきみの元に還ってくるよ。何を於いてもそれだけは、肝に銘じている」
「歌仙兼定」
 宗三左文字はゆっくりと目を開いて、至近に歌仙兼定の緑色の瞳を見た。
「………ええ。わかっています」
 口元は微笑し、だが緑と青の両目には、祈りにも似た真摯な光が宿っている。
 この者の愛は僕のものだ。
 宗三左文字を見つめて、二振目は深く心で宣言した。
 名残惜しいが、二振目にはまだ仕事が残っている。
「そろそろ本丸へ上がるよ。戦の首尾を主に報告しなくては」
「………そうでしたね」
 城での経験が二振目より長い宗三左文字は、聞き分けよく身を引いた。
「夜にまた逢おう。戦支度を解いて身を清めたら、きみのもとへ行くよ」 
「ええ。お待ちしています」
 撫子を胸に抱き、宗三左文字がふわりと微笑んだ。
 寂寥の失せた、純粋な恋の微笑。
 歌仙兼定も微笑を返して、その場で待っていた部隊員たちに指示を出す。
「さて。主のもとに参ろうか。花が元気なうちに」
 手に沢山の向日葵を抱えた部隊員たちが、黄色い大輪の花にも負けぬ賑やかさで歌仙兼定に応えた。
 立秋まであと数日。
 本丸に、実りの秋が近づいてきていた。

                                      (了)



後書