<其乃四>


 翌日の朝。
 畑番の鯰尾藤四郎は、修練場の裏手にある菜園まで足を伸ばし、瓜の蔓に水をやっていた。
 そこに修練場の中から堀川国広が出てきて、鯰尾に挨拶をしてきた。
「ズオさんおはよう。……にかさん見なかった? 今日はにかさんと僕が手合せ当番の日なんだけど……」
「にっかりさん?」
 問われて鯰尾藤四郎は問い返す。
「俺は今朝は見てないけど……来てないの? 珍しいね」
「うん。畑番や馬番はともかく、手合せはあまりサボらないもんね、にかさん」
「ひとにセクハラする機会は逃さないもんねえ、にっかりさんは」
 手桶から柄杓で菜園に水を撒きながら、鯰尾が応じた。
 顕現時期の差違により、鯰尾藤四郎はにっかり青江との付き合いが堀川国広よりよほど長く、故ににっかりの嗜好を堀川より深く理解している。
「服の中に手を入れたりお尻触ったりさ……堀川もされたことある?」
「ああ……『兼定の兄さんとコトに及ぶときの為の予行演習だよ』とか言われるアレね。あれ、セクハラだったんだ」
 堀川の暢気な応答に鯰尾は呆れる。
「セクハラ以外の何だと思ってたのさ」
「いや……本当に親切心で、やり方を教えてくれようとしてるのかと、」
「そんな馬鹿な……」
もしかして骨喰藤四郎とは別方向に堀川国広も天然なのだろうか、と鯰尾が危惧している間に、少年二人は修練場に向かって歩いてくる人影を見つけた。
「あっ、来た来た。にかさーん!」
 にっかり青江に向かって手を振った堀川が、すぐに怪訝な顔になる。
「あれ…にかさんの白装束、破れてない?」
「ほんとだ。まるで刀で斬られたみたいな……」
 少年二人が怪訝に思っているうちに、年嵩のにっかり青江が修練場の前に歩きついた。
 常に粘性の高い笑みを浮かべているその面に、今日は特別に面白げな気配が漂っている。
「やあ、おはよう。カワクニくん、遅れてしまって悪かったね。焦らしプレイは好みじゃなかったかい?」
 鯰尾藤四郎が「また……」と呟きながら大きな目を半眼にしている隣で、堀川国広は律儀に応じる。
「僕のほうは待ってただけだから別にいいですけど……、にかさんどうしたんですか? その装束」
「ああ、これかい?」
 にっかり青江が背を見返り、肩にかけた白装束を風にひらひらと翻させる。
 堀川の指摘の通り、にっかり青江の白装束は刀傷で綺麗に二つに裂けていた。
「どうせ身から出た錆でしょう。いつぞやみたいに、近侍の歌仙さんと斬ったり斬られたりでもしたんですか」
 馴れたもの、という態で問うてきた鯰尾に、にっかりは笑ってみせる。
「刀身に錆が出るのは御免被りたいよねえ。剥き身、じゃなかった、抜き身を夜戦で存分に振るえなくなってしまうものね。いやいや、歌仙の兄さんとはやり合ってないよ。今回は倶利伽羅くんの相手をしたのさ」
「えっ、大倶利伽羅さんとですか!? どうしてまた!」
 少年脇差の二振は揃って声を上げた。他人に関心の薄い大倶利伽羅が、この性格のにっかり青江に積極的に関わってきたとは考えにくい。
「いやあ。一晩じゅう気楽に遊び歩いて、明け方近く、寝に帰ろうと思ったら、道で倶利伽羅くんの夜襲を受けてね。情熱的な夜這いかと思ってわくわくしたんだけど、向こうは刀を振りかざして『死ね!』と叫んでいたから……、残念ながら夜這いじゃなくて夜討ちのほうだったねえ」
 あっけらかんとにっかり青江は喋ったが、呆気に取られた少年二人は思わず顔を見合わせる。
 夜に襲われるとは、にっかり青江は相当に大倶利伽羅を怒らせたようだ。
 少年達は再びにっかりに視線を戻した。
「それでどうやって、その場を切り抜けたんですか?」
 堀川と鯰尾の当然の質問に、にっかりは笑みを深くした。
「夜戦は得意だけど、さすがに倶利伽羅くん相手じゃ、剣撃がいちいち重くて斬り合いもしんどいからねえ。襲われた場所が折良く伊達屋敷の近くで、すぐ裏が燭台切の兄さんの住まいだったから、板塀を跳び越えて庭に逃げ込んだよ。伊達の兄さんはすぐに騒ぎに気づいて起き出してきて、仲裁に回ってくれたよ。倶利伽羅くんを抑えられるのは、この本丸ではあの兄さんだけだものねえ」
「……悪運の強い人ですね……」
 鯰尾がぼそりと呟く。
「伊達の兄さんは寝所の中に秘密の恋人でも隠してたんだろうかね。ひどく不機嫌だったよ」
「喧嘩で深夜にたたき起こされたら、誰だって不機嫌にもなりますよ。なぜ、大倶利伽羅さんはにかさんを襲ったりしたんですか?」
 堀川の当然の問いににっかり青江は首をすくめる。
「さあてね。僕には全然心当たりはないね」
 にっかり青江の口調からそれが全くの虚言であることが鯰尾には看破できた。
「どこかで恨みを買ったでしょう」
 鯰尾が鋭く差したがにっかり青江はどこ吹く風だ。
「そう言われてもねえ。伊達の兄さんも事情を知りたがって倶利伽羅くんを随分問い詰めたけど。まあ、あの性格で、倶利伽羅くんが頑として口を割らなかったからね。真実は藪の中さ」
「……絶対にっかりさんの所為なのに、まるで他人事みたいに……」
 何が怒りの元かはわからずとも、のらりくらりと躱すにっかり青江の態度が大倶利伽羅をいっそう激怒させたことについては、鯰尾は容易に想像がついた。
 にっかり青江は平然と嘯く。
「だってねえ。僕のほうでは倶利伽羅くんにちょっかいをかけた事実はないんだよ? 結局、斬りかかられる原因が明らかにならなかったから、伊達の兄さんも調停の計りようがなくて、今後、お互い城中では決して刀を抜き合わないように、という裁定で落ち着いたよ。倶利伽羅くんは気持ちが治まらなかったみたいだけど、伊達の兄さんの顔を潰すわけにもいかないから、渋々条件を承諾してたよ。勿論僕に否やは無いしね。あの三白眼で、視線だけで三回は犯された、もとい殺されたような気分になって、いやゾクゾクしたねえ。もう一、二度は、彼の夜討ちを味わってみてもいいかもね」
 にっかり青江は満足げに笑っている。堀川国広は驚愕して、鯰尾藤四郎はうんざりしたような顔で年嵩の脇差男士を見つめていた。
「ほんと、にっかりさんは策士ですね。……だからヘタに斬りかかるよりは、馬糞を投げるほうが効くっていうのに……」
「おっと、ズオくん、それを倶利伽羅くんには入れ知恵しないでくれたまえよ? こう見えて僕は綺麗好きなんだから。刀傷はともかく、白装束に汚れがつくのは御免被りたいね。……で、夜明け前の夜襲の所為でこの装束が切り裂かれてしまって、繕う暇も無く手合せ当番にご出勤、と、そういう訳さ」
「ほんと、にっかりさんは物騒なのがお好きですよね……」
 呆れたように鯰尾が評しているのに全く構わず、
「ところでズオくん。バミくんの今朝の様子はどうだった?」
 にっかり青江は興ありげな含み笑いで鯰尾の肩を叩いてきた。
「えっ? 骨喰ですか? 今朝、って……、」
 鯰尾は少し考え、
「今朝は別に普通でしたけど。馬番があって、一人で厩に行きましたよ。……どっちかっていうと、夕べのほうが……」
「夕べ? バミくん、昨日、何かあったの?」
 世話焼きの堀川も会話に加わってくる。
「……なんか顔が赤かったな。ちょっとボーッとしてて。……そういえば昨日は大倶利伽羅さんと一緒に手合せ当番でしたね、骨喰。もしかしてその時に何か……」
 鯰尾が探るようににっかり青江を見た。
「心当たり……が、有る訳じゃないですよね。にっかりさん」
 そう問われて、にっかりの口の端が意味深に釣り上がる。
 鯰尾は何らかの策略を感じたが、話を煙に巻くことの得意なにっかりが、自分が何をしたのかここで正直に話すはずもなかった。
「倶利伽羅くんとバミくんの二人に何があったか、僕も特には知らないねえ。ま、当初の狙いは当たったんじゃないのかい? バミくんが嫌がってるんでなければ『よかった』と呼んで差し支えないんじゃないかな」
 今朝は平静だった骨喰は良くても、と鯰尾はごちる。
「……大倶利伽羅さんはめちゃくちゃ嫌がったんじゃないですかね……にっかりさんを夜討ちしてくるほどに……」
「まあまあ」
 この話はこれで終わり、とばかりににっかり青江は白装束を肩に掛け直し、堀川国広に向き合った。
「さて、カワクニくん、お待たせだったね。手合せにかかろうか。経験豊富な僕が手取り腰取り教えてあげるよ」
「腰じゃなくて、足ですよ、あしー」
 鯰尾が脇から突っ込む。
 にっかりの、堀川に向けた笑顔はまったく揺らがない。
「そうそう。足も取らないと寝技はできないよねえ。カワクニくん、きみのところの、衆道には初心な兼定の兄さんの代わりに、僕が床の上で組み合っての真剣必殺を教えてあげてもいいよ?」
「……、えーえと、」
 にっかりの冗談の意図をさすがに理解したらしく、堀川国広は頬を紅潮させて怯えをみせ、肩を引いて後じさる。
「遠慮せず。ほらほら」
「え、あう、」
 にっかりは笑顔のままぐいと距離を詰めて、堀川の腰を手で抱え込み、そのまま体を押しつけるように寄せていった。顔も、鼻と鼻が触れ合わんばかりの近さだ。
「にっかりさん、それ以上いたいけな少年を虐めると、厩から馬糞取ってきますよ」
 横から鯰尾が言って、にっかりの堀川を捕らえる手が少し弱まった。
「あと、姥国さんにも言いつけます」
 鯰尾の言でにっかり青江は完全に堀川から体を離す。
 困惑と半ば恐怖で固まっていた堀川はぱっとにっかりから距離を置き、ようやく安堵の表情を見せた。
「ズオくん……」
 にっかりはわざとらしく溜め息をつき、今までよりは陰のある笑みで、鯰尾に顔を振り向ける。
「告げ口屋は嫌われるよ? 夜道には気をつけないと……」
「僕がするのはただの伝令です。何を感じるかは姥国さん次第ですし、彼にどう思われたいかもにっかりさん次第ですよね。恨まれたくないなら、にっかりさんが自重してください」
「やれやれ、きみがいると本当にやりにくいねえ」
 少年にやり込められて、にっかり青江は困ったふうもなく破顔した。
 鯰尾は骨喰と顔はよく似ているが兄弟とは違いかなりの気回し屋で、性的なことを除けば、実のところにっかりとは会話の波長が合っている。
「大倶利伽羅さんと骨喰のことも……大丈夫でしょうか。骨喰に、なんか酷なことにならなきゃいいんですけど」
「ほらほら、ズオくん、前に言っただろう? きみも子離れしないと、って」
 にっかりは手をひらひらさせて、年長者の余裕で鯰尾の懸念を一笑した。
「倶利伽羅くんが僕を夜討ちに来るようなら大丈夫。倶利伽羅くんがバミくんを傷つけることはないよ。あそこは無口な動物どうし、実は相性がいいのさ」
「………どうぶつって……ひと以下じゃないですか。本物のつがいじゃあるまいし……」
 兄弟を獣呼ばわりされて鯰尾は納得いかぬふうだ。
 脇差三人が立っている場所に、遠くから、本丸への登城を告げる太鼓が鳴り響いてきた。
「おや、招集だね。今日も連隊戦だったっけ。脇差使いの荒いことだねえ」
 にっかりが切り裂かれた白装束を肩に掛け直すのへ、
「あ、今日は僕も出陣です。にかさん、本丸までご一緒します……と言いたいところですけど、確か兼さんも出陣だったから、まずはあのひとを詰所から呼んでこないと……」
「僕は今日は留守居ですね。ふたりともご武運を。いってらっしゃい」
 堀川と鯰尾がそれぞれに応じ、三振の脇差はそれぞれの持ち場へ向かって別れ別れになる。
 堀川は新撰組佩刀の詰所へ走り、にっかりは歩いて本丸へ向かい、鯰尾は、その場に残って再び畑に水を撒き始めた。
 鯰尾が水をやると、濡れた瓜の蔓葉から、みずみずしい生の匂いが立つ。
「……骨喰と、大倶利伽羅さんが、かあ……」
 鯰尾は昨夜の骨喰の様子を思い返す。
 無口なのは変わらず、頬を朱に染めて、何やら黙然と考え込んでいる風情だった。
 嫌がっていた、という感じではなかった。確かに。にっかりの言うとおり。
 鯰尾の見るところ、にっかりはそうは言っても年少者にはわりと親身である。性にだらしなく見えても彼の中でそれなりの線引きはされているらしく、鯰尾や堀川に仕掛ける性的な冗談も、短刀の子達にまでは及ぼさない。それどころか、短刀たちと共に出陣となれば、年長者としてしっかり戦場で統制を効かせ、面倒を見ている。
 骨喰……にっかりさんの余計な世話焼きとも思える、いわゆる『お見合い』が、うまくいくといいけど。
 大倶利伽羅さんがにっかりさんに斬りかかるなんて余程のことだけど、昨日修練場で一体何が起こったか、骨喰、俺にも説明できないだろうな。なんか聞きたかったら昨日の時点で俺に言ってきただろうし。
 何くれと骨喰に世話を焼く様子をにっかり青江に『子離れ』するように言われ、本丸で暮らすにはそれが相応しいとは思いつつも。
 肉親とも呼べる骨喰の世話を他の刀剣男士に明け渡すのは、少し寂しい気もしている鯰尾藤四郎だった。


                              (了)




後書