貝幽霊

 

2017/08/07
女体化後日談
★★/全1話





(うしとら)の方角の廊下に、奪衣婆が出るんです」
 今日の本丸の不寝番を主から命じられていた秋田藤四郎が、近侍の歌仙兼定にそう上申してきた。
 本丸で誰かが怪しげな噂を聞いていないか、と歌仙兼定が探りを入れた矢先のことだった。
「だつえば?」
 奪衣婆とは、地獄で閻魔大王の傍に侍る、老婆の姿をした鬼のことだ。民衆の間では山姥と混同されることもある。
「……平安の頃の宮中で、やはり艮の方角に置かれた足長(あしなが)手長(てなが)の障子絵の傍に幽霊が出る、という噂は聞いたことがあるが……」
 用心深げにそう答えた歌仙兼定に対し、
「そんな昔のことじゃなくて、今ここの本丸のことですよ。つい最近の話です。奪衣婆じゃなくて女の幽霊かもしれません。僕は見たことはありませんが、おとといも愛染国俊が見た、って言って、僕たち主君付きの短刀はいつ遭うかとビクビクしてるんです!」
 青い大きな目をきらきらさせて秋田藤四郎が言い募る。日の光の中では怪談など笑い飛ばせるだろうが、夜中に独りで妖怪に遭遇するかもと危惧しながら寝ずの番をするのは怖いのだろう。
「……もう少し掘り下げた話を聞きたいな」
「夜、不寝番の短刀の子が廊下の見回りをしていると、足音を忍ばせて近づいてくるものがあるんです。背中に気配を感じて振り返ると、服をはだけて乳房を晒した女の姿が手燭の灯りに浮かび上がって、にやっと笑うって……」
「胸を晒しているから奪衣婆、というわけかい」
 地獄に落ちた死者から衣を奪うとされている奪衣婆は、洗濯板のような肋骨に垂れた乳房を露出している姿で表現されることが多い。
「で、その奪衣婆に何かされた子がいるのかい?」
「いいえ。でも、おっぱいを剥き出しにして、『そうら、驚け!』とか言って、僕たちを追いかけてくるそうなので……」
「………………何やら聞き覚えのある台詞だな」
「奪衣婆の顔はお婆さんよりずっと若くて、体も若い女の人で、丸くて白くて大きいおっぱいだそうです。奪衣婆は襤褸(ぼろ)を着てる筈なんですけど、服もきらびやかで白くて……」
「………もしかして。首から上の顔は鶴丸国永どのに似ているんじゃないのかね。太刀の」
「凄い! その通りです! どうしてわかったんですか!?」
 驚いて声を上げた秋田藤四郎の前で、歌仙兼定は渋面を作って眉間を手で押さえた。
「一週間くらい前に不寝番だった平野の()(にい)も奪衣婆に遭遇して、逃げ出したんだけど追いつかれて、襟首を掴まれて転ばされちゃったらしいです。そのときに奪衣婆のおっぱいを背中に押し付けられて、凄く柔らかくてびっくりしたって言ってました。奪衣婆はそのまま、笑いながら廊下を走り去っていったみたいで……」
「……足はしっかり生えてるんだな」
「あ、そういえばそうですね。江戸時代より前の幽霊なんでしょうか?」
「…………主には相談したのかい」
 うんざりした表情の歌仙兼定の緑の目が秋田藤四郎に向けられた。
「いいえ、だって、確かなことは皆言えなくて……。証拠もないから、みんなで夢を見ているのかも、って……あと、」
 秋田藤四郎は目を伏せて居心地が悪そうにもじもじと体を捩り、頬を赤らめながら、
「女の人なんて城にはいないから、短刀の子によっては、幽霊に遭って裸を見ると体が変なふうになっちゃうみたいで……。主君に詳細に報告するのは、恥ずかしくてやりづらいんです。それで、噂が立ち始めてからもう二十日くらい、報告も延び延びのままになっていて………」
「………あの悪戯者め」
 歌仙兼定は秋田藤四郎には聞こえないような低い声で忌々しげに唸り、
「仔細は承知した。奪衣婆の幽霊退治は、にっかり青江に任せよう」
 手にした扇子を音高く閉じて、声高に、城をまとめる近侍としての判断を下した。
「にっかりの小父(おじ)さんですか!? そうですよね! 幽霊を斬った逸話もあることですし、女の幽霊退治には小父さんはうってつけですよね! さすがは歌仙さんです、ありがとうございます!」
 大人が事態の解決に動いてくれると知って、秋田藤四郎は嬉しそうに声を上げた。
 歌仙兼定は秋田藤四郎の誤解は敢えて解かなかった。
「そっちの幽霊ではないが、まあ似たようなものだな。雅さの足りない輩も、それゆえ偶には役に立つということだ。…………ところで」
 怪訝な顔で秋田藤四郎を眺め、
「何故にっかり青江を『おじさん』と呼ぶのかな。彼が脇差の中では年嵩に見えると言っても、実際には外見は僕と同じくらいの年ごろだろう」
「あ、」
 秋田藤四郎はやや表情を変えて、
「僕たち藤四郎の短刀はにっかりさんと一緒に出陣することが多いんですけど、一度、弟の五虎退が『おじさん』と呼んでしまったことがあって……にっかりさんが笑って、『城中に青江派はいないけどそう呼ばれると身内が増えたような気がするね。好きに呼びたまえよ』と言ってくれたんです。それで、僕たち藤四郎短刀は慣用的にそう呼んでしまっているんですが、………改めたほうがいいですか……?」
「まぁ本人がいいと言うなら好きに呼んで構わないと思うがね。……但しくれぐれも、その呼び方をほかの刀剣男士には転用しないように。ことに僕には」
 歌仙兼定は鹿爪らしい顔で、秋田藤四郎に厳しく言い置いた。


 女幽霊の件は数日で片が付いた。
 その夜、不寝番を命じられたにも拘らず、常の通り酒を手に持って廊下をぶらぶら歩いていた不動行光がその者に遭遇した。
 暗い廊下の中央に、艶やかな織の白絹の服を着た、顔と声は鶴丸国永と瓜二つの女が、服の前をはだけて仁王立ちしていた。
「どうだ、驚いたか?」
「あ~~~ん? ヒック……」
 酔っていた不動行光はすぐには事態が把握できず、眼前に現れた相手の胸に目をやって、そこにある二つの乳房を酒に濁った眼でまじまじと見た。
「なんでこんなとこに酒饅頭が………」
 手を伸ばし乳房の一つを掴んで、不審げに揉む。
 乳房は柔らかく、指が乳首に触れると、刺激で先端が硬く尖った。
「饅頭じゃないぞ。おっぱいだ。珍しいだろう」
 頭上から鶴丸国永の声が降ってくる。
「おっぱいだぁ……? なんで、こんなとこに、おっぱい……」
 湯呑から時折酒を呷りながら不動行光が更に乳房を揉む。
「おいおい、気をつけろよ。不用意に揉むと、俺の女の体があらぬ反応をしちまうからな」
「………………」
 その辺りでようやっと。
 不動行光の酔った脳に、理性と恐怖が巡ってくる。
「おっぱい……?」
「そう、おっぱいだ。口で吸ってみるか?」
 顔を青ざめさせ始めた不動行光とは対照的に、女姿の鶴丸国永があっけらかんと笑って言い下ろした。
 神出鬼没で悪戯好きの、太刀にしては腰の軽い鶴丸国永が、どこで毒を得たものか、敵脇差に咬まれた後もそれを長らく隠し遂せ、女人姿のままで思春期の短刀の子供たちを夜毎からかっていたのだった。
 酔っていた不動行光は悲鳴を上げて酒を放り出し、踵を返して長い廊下を走って逃げ始める。
「出たぁ~~! 奪衣婆だぁあ~~~!!」
「ババアと呼ばれるのは心外だが、それもまた楽しいな。はっはっは、そら、驚け~~!」
 鶴丸国永は文字通り、乳房を振り乱して不動行光を追いかけた。
 短刀と太刀、二振りの刀剣男士の追いかけっこはそう長くは続かなかった。
 主の護衛が控える隠し部屋へ続く隠し戸から、にっかり青江が姿を現したのだ。
 にっかり青江は逃げる不動行光を見送り、鶴丸国永の前にはさりげなく足を差し出して躓かせた。
「……おっと!」
 均衡を保ってその場に踏みとどまった鶴丸国永だったが、その隙に、にっかり青江が己の白装束を鶴丸国永の上から被せ懸け、頭や肩や腕など上半身全てを覆う形で捕えると、そのまま肩に担ぎ上げてしまった。普段の鶴丸国永であればそうそうにっかり青江に捕えられることもなかっただろうが、やはり女の身となったことで、幾分非力になっていたようだ。
「歌仙の兄さんも酷いよねえ。こういう仕事に僕を当てるなんてさ。陰間(かげま)稼業が本職になってしまいそうだよ」
 廊下の先で立ち止まって目を丸くしている不動行光に、にっかり青江は笑って見せる。
「じゃ。この鶴くんと機を織ってくるから。一晩中ヘンな音が聞こえるかもだけど……、いい子は絶対に戸を開けちゃダメだよ?」
 不動行光に意味ありげな目配せをして見せ、白装束の下で足をばたつかせて藻搔く鶴丸国永を肩に抱えたまま、にっかり青江は隠し戸の向こうに消えて、中から掛け金を掛けてしまった。
 事態を理解できない不動行光がしばらくその場に立ち尽くしている間に、隠し戸の奥から本当にどたばたという音と、人の悲鳴や喘ぎに似た声が聞こえてきたと言う。
 翌朝。
 隠し戸の掛け金が開いて、中からは濡れ爛れた様相の鶴丸国永とにっかり青江が出てきた。鶴丸国永の服は乱れてはいたがその内側の体は男の姿を取り戻しており、にっかり青江のほうは、ぬらぬらとした色気がいつもよりいっそう勝って見えたそうだ。
「いや驚いた驚いた。女になってみるもんだな。結果も驚きだ」
 感慨深げに呟く鶴丸国永の横で、
「いつも北寄貝(ほっきがい)磯巾着(いそぎんちゃく)ばかり食べてきたからかな。(あわび)は格別の味だったねえ」
 にっかり青江は何故か貝を食したときの話をしていたらしい。
 そうこうしているうちに起床した主が謁見の間に姿を現して事態が露見し、敵脇差の毒に中ると刀剣男士が女性化するという情報が、ついに城中全体で共有されるようになった。
 騒動が激化したのはこの後だった。
 片想いする刀剣男士を敵脇差の毒に侵すことができれば、女姿の彼と契りを結ぶことができる。
 毒治療の過程をそのように己に都合よく解釈し、意中の刀剣男士をわざと毒に中らせようとする不埒な輩が続出したのだ。
 彼らの中には、出陣の後、戦もそっちのけで脇差の髑髏を探し出し、牙から毒を抽出して城に持ち帰ろうとする者たちまで現れた。
 女人化の対象として特に狙われたのは、女性的な美を持ちながらも近づきにくい幾振りかの藤四郎たちだった。すなわち骨喰藤四郎、一期一振など、高嶺の花として遠巻きに崇められている刀剣男士たちが、文字通り毒牙にかかりそうな気配があった。
 豊臣佩刀が狙われたこの事態が、何故か、燭台切光忠と大倶利伽羅という強面の伊達佩刀たちの逆鱗に触れた。
「天下の秀吉公が愛用した太刀をそんな卑劣な手で付け狙うのはさすがに恰好がつかないね」
「そいつに触るな。死ね」
 ただでさえ圧迫感の強い竜王と独眼竜、この二振りが肩をそびやかして立ち塞がり、骨喰藤四郎と一期一振から他の崇拝者を駆逐するに及んで、城内の雰囲気は非常に険悪なものになり、とうとう、主が政府に打診して、行政が用意している脇差毒の血清を運んできて城内で保管すると定められた。
 脇差毒の血清は扱いが難しいらしく、管理は薬学知識のある薬研藤四郎に一任された。
 小柄な少年姿の中に、理学的な探求心と中年並の薄い羞恥心、耳年増な性知識を詰め込んだ短刀である薬研藤四郎は、それはそれで問題児だった。
「血清を打つのは構わねえが……、」
 診療所代わりの薬研藤四郎の居室で。
 左手に春画、右手には血清を詰めた太い注射器を振り回しながら、白衣を着た薬研藤四郎は、ひとりひとりの刀剣男士にこう言って回ったそうだ。
「俺っちは男女の和合ってやつをちっと探求してみてぇんだ。こっちの注射じゃなくて、俺っちの腰の注射をあんたの下の口に打つってのはどうだ?」
 せっかく狙って女性化した刀剣男士の体を、薬研藤四郎にいいようにされてはたまらない。
 城中で熱病のように蔓延していた、脇差毒に当てて想い人を口説くという企みは、いっきに沈静化していった。


「……近頃なぜか周囲に人が増えて騒がしかったのですが、ようやく落ち着いてきたようです」
 豊臣、徳川の所蔵刀として気心の知れた茶飲み友達である一期一振が、居室を訪れたある晩夏の日、そのように宗三左文字に告げてきた。
 藤四郎の長兄として面倒見よく弟たちの世話をしている一期一振だが、それ以外のことには鷹揚な性格で、自分が高嶺の花として他の刀剣男士から遠巻きに憧れられていることも、その所為で今回の脇差毒騒動で付け狙われていたことも、彼には一切の自覚がない。その意味では、世間知の低い宗三左文字とは相性の良い刀剣男士ではあった。
「歌仙兼定も近侍として慌ただしく過ごしていたらしいですが、やっと一息つけたようですよ」
 柔和に宗三左文字が微笑む。一連の騒動を「風流じゃないから」という一言のもと、歌仙兼定は詳しくは宗三左文字に教えてはくれなかったが、近ごろ城が何かと騒々しかったのは、さすがに宗三左文字も気がついていた。
「今回はずいぶん燭光殿に世話になりました」
「燭台切光忠に……ですか?」
 燭台切光忠と一期一振が特別に仲が良かったとは、宗三左文字は聞いたことがない。もっとも、如才ない燭台切光忠は、どんな刀剣男士とも均等に付き合いを持つ太刀ではあった。
 一期一振は心持ち頬を赤く染めて、秀麗な顔を俯ける。
「彼は内証にしてくれているのですが。……以前、出陣先で脇差の髑髏に咬まれたことがありまして。……そのときに、毒が抜けるまで、私の傍にいてくれたのです」
 曖昧な言いざまではあったが、自らの体験から、宗三左文字にも、一期一振の言葉の意味することは想像できた。
 脇差毒に中った夜のことを思い出して、宗三左文字の頬も桃色に染まる。
「…それは………、……そうですか………」
「ほかの部隊員は当時、みな年端もいかぬ弟たちで……燭光殿としては、他に選択の余地が無くて、私の面倒を見てくだすったのだと思います」
 歌仙兼定が傍に居てそれを聞いていれば、今回の事態に関する燭台切光忠の一連の行動に納得がいったことだろう。
 宗三左文字にはそこまでの見識と観察眼は無かったので、一期一振の言葉をただ額面通りに受け止めただけであった。
「最近は、私の周りに弟以外の刀剣男士が姿を現すことが増えていて。理由はわかりませなんだが。それで、燭光殿が再び気を使って、長らく傍にいてくれたもののようです……薬研は、もう少し深読みしろと私に呆れたように言ってきたのですが」
「薬研藤四郎が? …深読み……ですか?」
「ええ。考えてみたのですが、わかりませんでしたので今もそのままです。……もっとも、近ごろは、刀剣男士の方が私に寄ってくることも減ってきましたので、……燭光殿が私の傍にいてくださることも無くなるでしょうな」
 庭を眺めながらそう言った一期一振の横顔は、心なしか寂しそうであった。
「…………」
 彼に掛けられる何らかの言葉を、己の裡に持っているような気が宗三左文字にはしたが。
 その思考は言語化されず、気持ちはそのまま宗三左文字の中に終息した。
『天然』と呼ばれるほどに温和で受動的なふたりの刀剣男士は、蝉時雨を聞きながら、黙って宗三左文字の居室の前の庭を眺める。
 歌仙兼定が整えた夏の庭に、風が、早くも初秋の気配を漂わせていた。



                                             (了)




後書