| にごりに染まぬ心もて |
| 2016/01/31 歌仙兼定×宗三左文字(未通) 全3話/夏の情景 |
| はちす |
| (不浄の泥に染まらない心をもつ蓮の葉なのに、なぜ露を玉と偽るのだろう) |
<其乃一> 昼下がりに、五月蠅いほどの蝉の声が耳を突く。 「まったく、なぜ僕がこんなことを……!」 畑に鍬を入れていきながら歌仙兼定は愚痴を吐いた。 主の命とあらば戦場にはいくらでも出陣するが、それ以外の労働など本来は願い下げだった。馬番や畑仕事などは、戦の役にさほど立たない短刀の男の子たちにでも任せておくべきなのだ。 主への悪態を心の中で吐きながら農作業を進めている歌仙兼定から少し離れて、彼より更に農作業のそぐわぬ刀剣男士が彼に背を向けてしゃがみ込み、不慣れな手つきで畝の雑草を抜いていた。 宗三左文字。夏のぬるい風に煽られて、 歌仙兼定は主が初めて選んだ打刀、宗三左文字は、その後暫くしてから主のもとに顕現した二振りめの打刀だった。 「宗三左文字と言います」 己を紹介するときの消え入りそうな声とは裏腹な、豪奢で目立つ頭髪が、まず歌仙兼定の目を引いた。 淡紅色の髪が尾長鶏の尾羽のように跳ね上がり、舞い散りながら、一房だけがしだれ尾のごとくに腰まで長く伸びている。あの髪に触れたら柔らかいだろうな、と、歌仙兼定は、己の頭髪も負けぬほどに纏まりが悪いことも忘れて、宗三左文字の明るい色の髪を眺めていた。前髪が目にかかり、伏し目がちなこともあって、宗三左文字の目の色は歌仙兼定にはよくわからなかったが、黒や灰色ではない、もっと彩りの強い色に思えた。 「……あなたも、天下人の象徴を侍らせたいのですか?」 自己紹介の後、主に向かってそう言った宗三左文字の表情は、高慢と卑屈が混在するかのような不思議な様相に見えた。やがて宗三左文字は歌仙兼定に向き直り、 「あなたが歌仙兼定ですか。……なるほど。鍛えられたときのままの刀身に、それに相応しい 宗三左文字から礼儀正しく話しかけられているのに、名を呼び捨てにされたことに歌仙兼定は戸惑った。やがてそれが、貴人が下郎に語りかけるときの口調であると思い至り少しむかっ腹が立ったが、宗三左文字はそれには気づかず主に向き合い、 「あなたも、歌仙兼定にも。宜しくお願いいたします」 まったく邪気無く告げて優雅に礼をしたのを見て、歌仙兼定は毒気を抜かれてしまった。 以来ずっと宗三左文字は、歌仙兼定だけでなくほぼ全ての刀剣男士を、敬称をつけず呼び捨てにしながら、会話は礼を失さない、という、ややちぐはぐともとれる態度で過ごしてきていた。織田信長所有と身に刻まれ、その後長く徳川の秘蔵刀であった経歴が、宗三左文字にそのような身分感覚をもたらしているものらしい。ただ宗三左文字本人は、自分自身が他者からどう呼ばれあしらわれようと気にかけておらず、無礼が服を着て歩いているような和泉守兼定の砕けた口調にも平穏に応じていた。 育ちがいい、ということなのだろう。歌仙兼定はそう判断していた。裏を返せば世間知らずということだ。考えてみれば、歌仙兼定の当初の所有者だった細川忠興は織田信長の家臣であるし、細川氏はその後徳川家にも忠誠を誓っているので、宗三左文字は歌仙兼定から見ればそもそも主筋の佩刀、ということにもなる。歌仙兼定自身は、宗三左文字に対してさして敬語を使わず、刀剣男士たちに比べて年若い主に対すると同様に、やや砕けた口調で対応しているが、それにも宗三左文字は不満を示すこともなく、淡々と受け答えを返していた。というより、宗三左文字にとってはどうでもいいことなのだろう。歌仙兼定ひとりが、ということではなく、恐らくは、宗三左文字を取り巻く世界の全てが、宗三左文字にとってどうでもよいことのように歌仙兼定には思えた。 時代によって所有者が変わりながらも、長いこと為政者の刀剣として過ごしてきた宗三左文字は、そのように、ほかの刀剣男士とは少し違った雰囲気を纏っていて、それが通常の場合は、宗三左文字自身からほかの剣士たちを遠ざける理由になっていた。 主に悪態をつくのにも飽きてきて、歌仙兼定は黙々と鍬入れを続ける。 午後の強い日差しがじりじりと照りつけ、近くの池では、大量の蓮の葉が水面を覆い尽くすように伸びて、熱の中で揺らいでいる。宗三左文字のほうをみると、雑草を抜き続けている彼の動きは随分緩慢になっていて、かなり暑さが堪えているらしかった。 歌仙兼定は耐久力があるほうだが、この陽気は、外には不慣れな宗三左文字にはきついのかも知れない。 「宗三左文字どの。少し休憩しようか」 声を放つと、しゃがみ込んでいた宗三左文字が振り向いてこちらを見た。 「ええ。いいですよ」 気位の高そうな口ぶりなのに優しげな声。宗三左文字の独特な声の響きが、歌仙兼定の耳を打つ。 宗三左文字の日に当たった白い肌は灼けてもおらず、首筋に汗一つかいていない。 ただその唇に生気が無いような気がして、歌仙兼定が不審に思っている間に、宗三左文字はふらふらと立ち上がり、 「今日の…空は、また随分と高い……」 茫洋と天を仰ぎ見て、そしてそのままくったりと土の上に頽れた。 「宗三左文字どの!」 慌てて歌仙兼定は走り寄る。着物が汚れるのにも構わず屈み込んで宗三左文字の肩を掴むと、歌仙兼定の腕の中に、宗三左文字の細い体が倒れ込んできた。 「すみません……なぜか……立っていられなくなって……」 苦しげにそう呟いて、宗三左文字が歌仙兼定を見上げてくる。前髪のかかっていない宗三左文字の目が深い緑色であることを、歌仙兼定はその時初めて知った。 宗三左文字の体は熱く、同時にひどく乾いている。 日の暑さにあてられたのだろう。 「涼しい屋内に戻って、水を飲んで休んだほうがいい。歩けるかい?」 「……………、」 宗三左文字からは、はかばかしい答えもなく、その体が更に歌仙兼定の腕に沈み込んできた。 殆ど気を失っている状態だ。 歌仙兼定はそれ以上話しかけることはせず、宗三左文字の体を支えながらゆっくりと立ち上がり、両腕で宗三左文字の身を抱え上げた。身長は同じくらいなのに、腕の中の宗三左文字の体はひどく軽い。宗三左文字の首筋から、香混じりの体臭が立ちのぼる。自分が使う香とは違う、高貴で儚げな香りが歌仙兼定の鼻をくすぐった。 宗三左文字の着物から、くったりと、白い腕と脛とが異国の鳥の脚の如くに長く伸びている。本当に、鳳凰かなにかの珍鳥を腕に抱いているかのようだ。 宗三左文字の体を運びながら、歌仙兼定はそんなことを思った。 宗三左文字の体を抱えて初めて入ったその居室は、歌仙兼定には随分閑散として見えた。 宗三左文字に侍従している短刀の子に命じて床を下ろし、そこに宗三左文字を寝かせる。周囲は綺麗に整えられていて塵一つ落ちていないが、同時に生活を思わせる道具も殆ど無く、部屋の主の趣味や興味を示す物の痕跡が何一つない部屋になっていた。 宗三左文字は何を楽しみに世に生きているのかな、と歌仙兼定は思った。歌仙兼定本人は、武芸はもとより、和歌や茶道、料理、果ては新たな刀の目利きに至るまで人生を謳歌しているが、宗三左文字にとって刀剣男士としての生活はそれほど刺激に満ちたものではなさそうだ。 作業着のまま気を失っている宗三左文字がそのままでは苦しかろうと、歌仙兼定は宗三左文字の腰帯を解いた。帯を手に巻き取るときに宗三左文字の衣裳の襟が大きくはだけ、白い胸元が露わになる。瞬間昂奮を感じ、直後に、歌仙兼定は、そこに異様なものを見つけてぎょっとした。宗三左文字の左胸に大きく黒々と、蝶の紋様が刺青されている。見覚えのある紋様、と見て暫くして、それが織田信長の用いた印であることを歌仙兼定は思い出した。 刀剣男士となった今でも、信長公の所有である証は宗三左文字から消えてはいない。 宗三左文字本人は、略奪することで己が身を入手した信長公のことを、それほど快くは思っていないようだ。宗三左文字、義元左文字と信長以前の所有者の名を被せて呼ばれることが多い所為だろうか、宗三左文字の心はむしろ信長公に討ち取られた今川義元に傾いているらしい。いつも手にしている数珠や袈裟はあるいは義元公を弔うためのものかも知れない、と歌仙兼定は考えた。 宗三左文字の襟を綺麗に合わせて刺青を再び服の下に隠してやってから、歌仙兼定は黙然と宗三左文字を見下ろした。 |
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