<其乃二> 宗三左文字が正気づいたのは、夕刻近くになってからだった。 「は……」 遠い蜩の声がじんわりと耳に響く頃合い。 額に濡れた布を置かれた宗三左文字が、ゆっくりと目を開いた。 「おや。気がついたかい?」 右手に団扇を持って宗三左文字を扇いでやっていた歌仙兼定が、にこやかに微笑んで宗三左文字を見下ろす。 「歌仙兼定……? なぜ此処にいるんですか……?」 ここがどこかはわかっているようだが、自分の居室に歌仙兼定が陣取っている理由が掴めぬようだ。 「きみが畑で倒れたから、僕が介抱しているんだよ。覚えてるかい?」 「………、そう…でしたね………」 宗三左文字がゆっくりと身を起こす。宗三左文字の着物の襟が大きくはだけて、白い身体が臍まで覗けた。刺青は襟の陰に隠れていて見えなかったが、宗三左文字はやや慌てたように襟を合わせ、すぐに肌を隠した。宗三左文字は、歌仙兼定に刺青を見られたかどうかを疑っているようだったが、歌仙兼定は素知らぬ表情を作って押し通した。そもそも表情を取り繕わなければ、宗三左文字の体を見たことで血がざわめいているのを見破られてしまいそうだ。昂奮を抑えつけて、歌仙兼定は意識を無理矢理別のところに向ける。 「まずは水分をとりたまえ。昆布水を用意させてある」 自分の居室から持たせてきた塩分入りの水を湯飲みに入れて宗三左文字に差し出す。宗三左文字は素直に受け取って、ゆっくりと口に含んだ。 倒れたときより血色はよく、体の熱はうまく分散したようだ。宗三左文字の正体がない間にも幾度か水を口に含ませているから、それが功を奏したのかも知れない。 「ありがとうございました。あの……」 空になった湯飲みを置いて、宗三左文字が首を歌仙兼定に振り向ける。 「どうして僕は倒れたのでしょうか……?」 「暑気あたりだと思うがね。暑い中にずっと野良仕事をしていたから。次からは日除けでも被るか、もっときみの体調を気遣うように主に忠告しておくよ。きみの体は僕よりも繊細そうだから、……きみ自身ももっと気をつけたほうがいいだろうね」 「暑気…あたり……ですか…?」 宗三左文字が納得いかないというように眉根を寄せた。 「異論があるのかい?」 「……わかりません……。その、」 宗三左文字が己の掌を広げて見下ろし、それから歌仙兼定を見る。 「血が出ているわけでもないのに、倒れるということがあるんでしょうか……?」 「は……?」 宗三左文字の言いたいことがわからず、歌仙兼定はその場で固まる。 「……敵に斬られれば、血が出て、負傷して、倒れるということはあるでしょうけれど……。日に当たっただけで、血が出ずとも、体がそうも弱ったりするものなのですか……?」 宗三左文字が至極真面目に訪ねていることに気がつき、歌仙兼定は呆気に取られた。 「…………もしかして。知らなかったのかい? 出血するような怪我のほかにも、体調が悪くなることがあると」 「…………………」 歌仙兼定の問い返した内容が宗三左文字にとっては驚きだったらしく、宗三左文字は黙って目を瞠った。 「きみが倒れるより前、日に当たりながら野良仕事をしていたとき。体がだるくなったり、頭痛がしたりはしなかったのかい?」 「……そういえば……。軽い眩暈はあったのですが……敵に斬られたわけではないので、まだ動けると思っていたのですが」 「ぶはっ」 思わず歌仙兼定は吹き出してしまった。 宗三左文字がごく真面目に受け答えしているのは重々承知の上だが、それでも可笑しみをこらえることができない。 体を二つに折って笑い続ける歌仙兼定に、宗三左文字は文字通り困惑して顔を赤らめている。笑われることに対する怒りや恥ずかしさよりも、笑われる理由がわからないことに戸惑っているようだ。 「き、きみは……、ははっ…」 やがてどうにか笑いを押さえ込みながら、歌仙兼定は宗三左文字を見つめた。 「宗三左文字どの。きみはもう少し、世界を知る必要があるようだ」 物知らずと指摘されて、宗三左文字の頬は更に紅潮した。 「……すみません……あまり、外に出た経験は無くて……」 「……そうだろうね」 困惑して自分を見つめる宗三左文字の目。 その目の色が左右で違っていることに、歌仙兼定は初めて気づいた。歌仙兼定から見て右側の目は、淡紅色の前髪が覆っていて何色かを見極めることができない。 両目の色を比べてみたくて、歌仙兼定はそっと宗三左文字の前髪に触れる。 「歌仙兼定……?」 宗三左文字はどう反応すべきかもわからぬようで、されるがままになっていた。 宗三左文字の髪は歌仙兼定が想像していたとおり、ひどく柔らかだった。 歌仙兼定が優しく前髪をかき上げると、隠されていた宗三左文字のもう片方の目は、夜空のように暗い青色をしていた。 緑の目も青の目も、どちらも、淡紅色の宗三左文字の髪とは美しい対照を為している。 「風流だね……」 思わず歌仙兼定はそう呟く。 「…風流……? なにがですか…?」 「きみの左右の目の色さ。思わず引き込まれそうな、綺麗な色をしている」 髪の色と対照を為すのは目の色だけではない。 頼りなげに開かれた、いつもはかなげな笑みを絶やさぬ艶やかな唇も。 衣服の下に隠された織田信長の刻印も。 歌仙兼定はうっとりと宗三左文字の肌に指で触れた。 前髪をかき上げて指で頬に触れたまま、自分の顔を覗き込んでくる歌仙兼定に、宗三左文字は困惑して相手を見つめ返した。歌仙兼定の思惑も感情も宗三左文字にはわからない。 「かせん……、」 顔が近すぎる、と思ったときには、歌仙兼定の唇が宗三左文字の唇に触れていた。 「………ッ、」 触れていたのはほんの僅かな間だった。宗三左文字にとって、口に押し当てられたのが何かもわからぬ間にそれは終わっていた。 「……………?」 歌仙兼定の体熱と、彼が用いている香の匂いが宗三左文字の意識を圧迫する。 歌仙兼定は宗三左文字の反応を確かめるように、尚も顔を覗き込んできていた。 「………、今のは……?」 覚束なげに問うと、歌仙兼定が微笑んだ。 「接吻だよ。これも、知らなかったかい?」 「せっぷん………」 言われても、歌仙兼定のどの行動を指す言葉なのかが宗三左文字にはわからない。 「……嫌だったかな?」 嫌、とも応、とも思う間も、宗三左文字にはもたらされていなかった。 「もう一度、してみようか」 再び歌仙兼定が口づけてくる。 「ン……ぅ…、」 今度は先程よりも長い接触だった。 自分の唇に押し当てられているのが何であるか、今度こそ宗三左文字は理解したようだ。 ただ相手の行動の意味も行く末も理解できぬ宗三左文字の唇は拒むことも受け入れることもせず、歌仙兼定が唇を押しつけるままになっている。 歌仙兼定のほうではもはや歯止めがきかなくなりつつあった。更に身を乗り出し、唇を押しつけながら宗三左文字の肩をその手で抱くと、そこで初めて宗三左文字が反応した。 宗三左文字の上体が逃げるように身じろぎし、唇と唇が離れる。 「っどうして……、触れるんですか……?」 居心地が悪そうにしているのは、口づけられた唇よりも、肩を掴まれていることを指すらしい。 貴人は容易に人に体を触らせぬものだとは、歌仙兼定も知っている。 「嫌、なのかい?」 「……いや、というか、その……あまり、人に触れられた経験は……なくて……」 「嫌じゃないなら、いいだろう。畑からきみのこの部屋まで、気絶したきみの体を運んだのはこの僕だよ。きみに触るのは初めてじゃない」 「……………、」 困惑したように宗三左文字が眉根を寄せ、頬を紅潮させてこちらを見つめてくるのが、歌仙兼定にはただ悩ましい。 「恩に感じる気持ちがあるなら……、僕を、拒まないでほしいな」 「………、は…、っン…ぅ……っ」 宗三左文字の遠慮と戸惑いに乗じた三度目の歌仙兼定の接吻は、その前の二回よりはるかに積極的なものだった。 宗三左文字の細い肩を完全に両腕に抱え込み、その薄い唇に己の唇を強く押しつけて、両唇の間から舌を覗かせて宗三左文字の唇を撫でる。 「ン……! ぅ…ふっ……」 舌で唇に触れられて、宗三左文字がぴくりと身を震わせる。 「宗三、左文字どの……、口を、開いて……」 接吻の合間に歌仙兼定が命じて再度口づける。 「ん…、ン…んぅっ……ふ……ぁ…ッ!」 両唇の間を執拗に舐られて、根負けしたように宗三左文字が少しだけ唇を開くと、その内側にすかさず歌仙兼定の舌が割り入った。 「ふぅ……ンぅ…っ…!」 唇の裏側の粘膜を歌仙兼定の舌で探られて、宗三左文字が喉から声を漏らす。 「ぅ……ぁ、あっ…」 伝わり合う熱に強い惑乱と、僅かな淫靡を感じているらしい。宗三左文字の腕から力が抜けてきて、硬く噛み合わさった上下の歯がゆっくりと開いた。 「は……ぁ…ぁふ……っ、ン! ぁ……!」 歯列の奥に潜んでいた宗三左文字の舌先に、歌仙兼定の舌が触れる。 ぴりぴりとした淫熱が歌仙兼定の全身を巡り、もはや宗三左文字の様子を気にかけることもできなくなって、歌仙兼定は貪るように宗三左文字の口内を蹂躙した。 「ふぅっ…ン…! ぁ、ふぁ……ッ!」 宗三左文字の唇を深く捕らえ直して、己の舌を口中深くまで押し込み、宗三左文字の舌を捕まえて嬲るように唾液を絡める。驚愕か、嫌悪か、息苦しさからか、逃れようとする素振りを見せた宗三左文字の後頭部を右手で強く掴んで、歌仙兼定は宗三左文字の口中を舌で犯し続けた。 「ンっンん…ふゥン……っ!」 接吻も知らなかった無垢な体に乱暴に口づけを受け続けて、泣くような喘ぎが宗三左文字の喉から漏れてくる。宗三左文字の左手は歌仙兼定を拒もうというように歌仙兼定の胸に強く押し当てられ、だがその右手は、この期に及んで歌仙兼定から刺青を隠そうと、左の襟元を必死で掴んだままになっている。腰帯を失っている宗三左文字の着物は今や左襟以外は腰まではだけていて、歌仙兼定はあまりにも容易に、己の左手で宗三左文字の肌に触れ、その細い右腰へと掌を滑らせた。 「ンっ、ンぁッ! やっ、放……っ」 肌を直に触られて、宗三左文字が歌仙兼定から口をもぎ離し、抗議の声を上げた。 歌仙兼定から逃れようと身を捩った隙に、宗三左文字の右手が左の襟から外れる。慌てて、力の入らない手で襟を掴み直すのを歌仙兼定は認めて、宗三左文字への健気さと同時に強い占有欲が湧き起こるのを自覚した。 「そこに……、信長公の刻印があるのかな……?」 情欲に声を上ずらせ、息を切らしながら、歌仙兼定は鎌をかけた。 「! ッ………、」 歌仙兼定の上半身にのしかかられる形になって寝床の上に横たわりながら、宗三左文字が、涙に滲む怯えた目で歌仙兼定を見上げる。 寝乱れた淡紅色の髪の下で、色違いの両の目が絶望に染まっている様がなんとも美しい。 「まさか……、あなたは、…知っ……、」 「いや、知らないよ。きみの態度から、そうじゃないかと思っただけだ」 事実を知っていることは隠して、歌仙兼定はしれっと返答した。 「……く、………」 己の行動から刻印の位置が露見したと言われて、宗三左文字の顔が屈辱めいたもので歪んだ。 身動きのできなくなった宗三左文字の額を、歌仙兼定の手が優しく撫で、淡紅色の前髪を退ける。 その身を己で抱くように、横向きになりかけた宗三左文字の体の上に、歌仙兼定の体が覆い被さった。 |
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