| 和蘭陀苺子オランダいちご |
| 2022/10/13 燭台切光忠×一期一振 「ゆかし影」承前 城中・初夜 全?話(※印は18禁) |
<其乃一> 主への謁見を済ませた一期一振が本丸から居館に戻ると、屋敷の庭が騒がしい。 主より与えられた館は、小姓として一期一振に付けられた弟たちのほかに、疲れて人寂しくなる夜に兄を慕って訪れる者達も多くあり、近頃では他の刀剣男士から公然と、「粟田口屋敷」と呼ばれていた。 遠征帰りとて日はとうに落ちている。騒ぎは一体何事かと一期一振が眉を顰めて寄ってみると、生け垣の向こうから、聞き慣れた弟の声と、兄弟ではない刀剣男士の声が罵り合っているのが耳に響いてきた。 「やっと捕まえた! 今日こそ逃がさねぇぞ、このくっそガキ!」 「きゃー! きゃー! きゃー! 放してよ、乱の髪に変なクセがついちゃう!」 「乱、どうした」 咲き頃となっている 「あぁん、一兄、助けて!」 「ちょうどいい、粟田口の棟梁に直にナシつけてやるからな!」 乱藤四郎の制服の襟首を、橙色の長髪ごと掴んでいるのは、打刀の加洲清光だった。 「加清殿。弟が何か失礼をいたしましたか」 「どうもこうもねえよ!」 加洲清光が怒鳴る。幕末の若い剣士の佩刀だった彼は精神も年若く、言葉遣いもほかの大名差しの打刀たちに比べれば非常にくだけている。 「この乱とかいうエロガキは 一期一振は、加洲清光の怒りではなく別のことに動揺を見せる。 「……あ、姉とは、この私のことでありますか」 「他に何処に姉御がいるよ!? こいつがコナかけた所為で俺はつきあってた刀剣男士と破局したんだよ!」 清光が喚いて、乱の襟首を掴んだまま乱暴に揺さぶる。 「それは……」 清光の言葉の中身に穏やかならぬものを察して一期一振が眉を曇らせた。 「乱はコナなんかかけてないもの!」 甲高い声で乱が割って入る。 「『可愛いね』って言ってもらって、お菓子おごってもらったり、お小遣いもらったりしただけだもん! お礼が欲しいって言われたら応えるのが礼儀じゃない。僕はそんなに悪くない!」 「乱………、」 鷹揚な一期一振にさえ、どう考えても弟に非があることはわかったが、加洲清光に感情を鎮めてもらわねばこの場が治まらない。 「加清殿、事情はわかりました。いずれ乱と共に謝罪に覗いますから、今は勘弁してやっていただけまいか。もう夜でありますし……」 「こいつの所為で仲が切れたのは初めてじゃねーんだよ! 三度目だぞ!」 「………、それは……、」 乱が愛嬌を振りまいて世を渡る蝶々のような性質であることを薄々は気づいていたものの、まさかそこまで他者に迷惑をかけているとは知らず、一期一振はさすがに言葉を失った。 「乱は別にパパが何人いても誰とパパが被っても気にしないのにぃ! 清光くんだってお大尽がタイプなんだからいい加減悟ればいいのに、」 「俺はこう見えて純愛派なんだよ! 二股かけるような野郎はこっちから振ってやる! 俺はにっかりのセフレ趣味も御免だし、こいつみたいに陰間や色小姓のマネだってお断りだ! だからっつって、人の 「加清殿、どうか、」 「この、これ見よがしに女くさい長髪をバッサリ切ってやったら、俺の気も晴れるかなぁー」 「きゃーやだやだ! ダメー!」 「加清殿!!」 興奮冷めやらぬ加洲清光の怒りをどうにか宥めて居館から帰し、その後で、泣きじゃくる乱藤四郎を小一時間も叱っている間に、すっかり夜更けになってしまった。騒ぎに紛れて夕食も摂り損ねている。騒動を引き起こした乱藤四郎は食事抜きの処置で良いとして、一期一振はさすがに疲労と空腹のまま朝を迎える気にはなれず、本丸近くの台所に行けば何かあるかと思い、館を出てそちらへ足を運んだ。 乱への叱咤が終わる頃には内番や遠征、出陣から帰ってきた弟たちが続々と粟田口屋敷に集ってきていて、館を出ようとする兄をがっかりしたような視線で見上げてきたが、一期一振は今は弟たちから離れ、内省する時間が多少なりと欲しかった。 台所への道すがら、加洲清光が向けてきた、「弟の監督が出来ていない」という批判が、ぐさりと一期一振の心を突き刺していた。確かにそれは、粟田口の長として面目の立たないことであった。 一期一振を落ち込ませた原因はもう一つあった。清光と乱との争いの終盤、一期一振が清光に「私が貴方に出来る埋め合わせは何でもいたしますから」と声をかけた直後にそれは起きた。清光は一期一振を頭からつま先までじろじろと眺めた挙げ句、こう言ってきたのだ。 「いや、悪りぃけど一ッちの姉御には務まらないと思う。姉御はカオは綺麗だしリッチだし、タニマチとしては申し分ないけど、俺と同じで受け専のニオイがするから、俺の相手は向かないぜ」 正直なところ、乱と交わしていた会話も含めて、清光の言葉は一期一振には三分の二ほどしか理解できなかった。彼の言う「相手」とは、例えば馬番や手合わせなどの内番の話でもされたものだろうか。彼の言葉の意味は理解できなくとも、自分が役に満たぬとして拒絶されたことは一期一振にもわかったので、弟たちを御しきれず世間知も無い自分には、刀剣男士としての何かが不足しているのであろうと思い込んで、一期一振は清光の言葉に気落ちしてしまった。遠征帰りの体の疲労と乱に対しての精神的な疲労が一期一振の消沈に拍車をかけて、彼は体を引き摺るようにとぼとぼと歩いて、本丸とは独立した一棟を為す台所に辿り着いた。 台所はもう人気が無くて暗いかと思っていたのに、土間になった通用口から、外に向かって明かりが煌々と漏れていた。台所は本丸大広間へ下足することなく通れるように廊下が渡されていて、そちらが正面口になっている。遅い時分と本丸に住まう主への敬意、これら二つの理由により、一期一振は正面口から入るのは遠慮して、代わりに、開け放たれた通用口から中を覗き込んだ。 黄色い明りの下に、見覚えのある黒衣の刀剣男士が佇んでいる。それを認めて、一期一振の心臓がどきりと跳ね上がった。癖のある艶やかな黒髪と、右目に当てられた黒い眼帯。長身に黒いスーツ、両手にはめた黒い皮手袋。燭台切光忠を他の刀剣男士と見まごうべくもない。台所の中央にある腰高の卓の上に山ほどの食材を積み上げて、帳簿をつけながら何やら作業しているところだった。 彼の姿を目にするだけで、一期一振の体を不可解な熱が駆け巡る。燭台切光忠の逞しい腕に包まれて甘やかな思いを味わったこともある、だがそれは、今となっては午睡の夢よりも尚儚い、無意味で曖昧な経験に成り下がってしまっていた。 必要に駆られてとはいえ褥を共にした後でも、燭台切光忠の一期一振への態度はそれまでと殆ど変化がなかった。燭台切光忠にとっては、あのひとときは忘れたい出来事か、あるいはもっと無関心に、どうでもいい出来事だったのだろうと一期一振は解釈していた。自分のほうでは、燭台切光忠はじめ皆の手前必死に隠しているものの、あの出来事は「己を変える」などという言葉ではまだ生ぬるいほどに、劇的に一期一振の心境を変えてしまった。眠りの合間に燭台切光忠に抱かれる夢をよく見るようになったし、朝方には、館付きの乱藤四郎に囃されるほどに体が反応して目覚めることすらある。起きているときも、燭台切光忠の掌の熱を忘れた日は無かったし、彼の唇や、耳元で囁かれた声や、優しい言葉や、そうしたものたちを記憶から消去することは出来そうにも無かった。 だがそれでも彼は私のものではない。 その思いが一期一振の心をきりきりと締め付け、彼は通用口の外に立ち尽くしたまま、黙然と燭台切光忠を見つめていた。 やがて燭台切光忠が顔を上げ、一期一振の視線に気づいてこちらに顔を振り向ける。 「やあ、一期くん」 低い声で名を呼ばれて、一期一振の心の臓はまたも鼓動を強くする。 「……もしかして、夕飯がまだだった?」 「……ええ……。弟のことで少し立て込んでいる間に、食事時を逃してしまいまして」 一期一振の返事に、燭台切光忠は橙色の目を細めて破顔した。男らしい硬質の美貌で微笑まれて、一期一振は頬が赤く染まるのを自覚する。 「相変わらず面倒見が良くて忙しそうだね。いいタイミングだったね。僕ももうすぐ此処を閉じて引き上げるところだったんだ。夜食代わりのお結びがあるけど、食べていくかい?」 「おむすび……」 「握り飯のことだよ」 食べるものが用意されている、と知って一期一振の空腹は強まった。 「いただいていきます。……燭光殿にご迷惑でなければ、ですが……」 「もちろんオーケーだよ」 燭台切光忠が戸口に近寄ってきて、一期一振を手で招いた。一期一振は呼ばれるままに台所に足を踏み入れる。 一期一振が入ってきた後、燭台切光忠は少しだけ躊躇して、結局戸を閉めた。本当に、彼はもう帰るところだったのだ。そろそろ消灯の時刻だ。こんな時間まで城内をうろついている刀剣男士が一期一振以外にいるとも思えない。戸を閉めていても光は隙間から漏れている筈だから、台所に用がある者は外から戸を叩けばいいだろう。 燭台切光忠が台所の中央に戻ると、一期一振のほうは、作業台の上に幾本も置かれた巨大な獣の脚に目が釘付けになっていた。 「これはなんでありますか」 「ああ。豚だよ」 「ぶた……」 「猪の親戚みたいなものだね。僕たち刀剣に馴染みが薄いのは……、武士たちにとって肉は飼うんじゃなくて獲って食べるものだとされてきたからかな。西洋や中国では昔から豚は飼育してきたもので、今ではこの国でも一般的に食されているらしいよ。僕も顕現してから扱うようになって初めて知った食材なんだけどね。猪よりは肉が柔らかくて食べやすいよ」 「左様ですか……」 話を聞きながらこんな大量の肉をどうやって保管するのか、と一期一振が不思議に思っているうちに、燭台切光忠は脚肉を手に取って、人目を隠すように土間に据え付けられた戸の内側へ、それらを運び入れ始めた。 「手伝いましょうか?」 「いや、別にいいよ。分類整理しながらしまいたいから、独りでやった方が都合がいいんだ」 一期一振の提案を燭台切光忠は柔やかに辞退して、てきぱきと肉を片付けていく。 「そこにお結びがあるから、一期くんはそれを食べていてくれ。冷めてるけど、薬罐にお茶も入ってるよ」 加州清光だけでなく、自分は燭台切光忠の役にも立てないのだ。 そう思うことはいっそう一期一振の心を消沈させたが、一方で空腹も強く感じ、燭台切光忠の勧めに従うことにした。 作業台の端に、手拭いで覆われた平たい笊が置いてあった。そこに並べられた握り飯を幾つか手に取って小上がりに腰を掛け、一期一振はようやく遅い食事にありついた。 |
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