<其乃四>


 翌早朝。
「…う……、」
 差し込む朝日が顔に当たって、へし切は目を覚ました。
 一瞬自分が何処にいるかわからず、陽光の眩しさに心で悪態をつきながら身を起こす。
 そしてすぐに、意識は完全に覚醒した。
 居室で操を奪った宗三を、果ては寝所に連れ込んで、宣言通り一晩中犯し抜いた。
 中途から宗三はへし切を拒むこともやめ、諦めたように、ただへし切に抱かれるままになっていた。
 自分が宗三に何を為したかを思い出して、へし切は胃の腑を掴まれたような心地に陥る。
 何故あんなことを仕出かしてしまったのか、自分でも理解できない。この屋敷に顔を出した当初は、二、三こと話をして、すぐに立ち去る予定でいたのだ。恋人を喪って心弱った宗三に手を出すつもりなど無論なく、まして、泣きながらやめてくれと懇願してくる宗三に情交を無理強いする気など微塵もなかった。
 主や燭台切光忠が宗三の身を自分に任せたのは、へし切こそが彼を適切に扱えると認識していたからの筈で、当然のこと自分はきちんと責を果たすつもりでその役を負ったのだ。なのに、誰あろう自分こそが、燭台切光忠言うところの「恰好のつかない」状況を真っ先に引き起こしてしまった。これでは主にも燭台切光忠にも面目が立たない。いやそれ以前に、宗三に全く申し訳が立たなかった。気の毒な境遇の宗三に更に追い打ちをかけるなど、あってはならぬことだ。謝罪はせねばならないが、しかし宗三に合わせる顔もない。宗三だって自分の顔は見たくもないだろう―――
 惑乱しながらそこまで考えたところで、へし切は、宗三の姿が視界に無いことに気がついた。ここは宗三の寝所なのに、本人の姿は寝床から消えている。慌てて周囲を見渡すと、寝室から縁へと続く雨戸が引き開けられているのが目に入った。縁は庭へと続いている。へし切を目覚めさせた朝日は、雨戸の隙間から部屋へと入り込んできたものだったようだ。
「宗三、」
 名を呼びながら立ち上がりかけて、へし切は、自分が全ての服を脱ぎ捨てた全裸なのを発見する。自己嫌悪を一層強めながら、とりあえず庭に立てる程度に衣服を羽織り、宗三を捜す為に雨戸の外へと急いだ。庭は枯山水でさほど広くは無く、かつては歌仙兼定が整えていたものだ。宗三はそこにいると踏んで、へし切は縁へと出た。
 外へ出ると光はより一層強さを増した。一晩をかけて吹き荒れた嵐は完全に去り、植栽と板塀の隙間から覗く空は、全くの青一色だった。
 縁の端に、こちらに背を向けて、宗三が立っていた。袈裟は纏わぬ僧衣姿で、風雨に晒された後の庭を眺めている。枝垂れ尾のような長い一房が寝乱れたままに、ほつれ絡まりながら細い肩を流れていて、そのことが、宗三もまた起き抜けであることを示していた。
「宗三」
 庭から外への出口は無い。宗三は自分から逃れることも叶わずに、ただ同じ場所に居たくなくて縁まで出てきたのであろう。へし切はそう判断して、如何様にも謝罪するつもりで、昨夜凌辱した男に声をかけた。
「すっかり晴れましたね」
 宗三がこちらを振り向かず背を向けたまま、天気について述べてきた。
「夕べは酷い嵐でしたが。でも良かったことに、少し葉が落ちたくらいで、あまり庭には被害が無いようですよ。……秋の暴風を京では『野分』と呼ぶとあなたは教えてくださいましたが、春の嵐にも呼び名はあるものなのですか?」
 高雅で平静な声が宗三から連続して放たれてくることに、強い違和感を感じて、へし切は怪訝な顔になった。天気や庭や嵐の名前がどうだと言うのだ。野分の話など、へし切は宗三としたことも無い。
 へし切がなんと返事をしたものかと迷っている間に、宗三が首を振り向けてこちらを見てきた。
 薄い唇には穏やかな笑みをはき、色違いの両の目は優美に細められている。だが口の端に、明らかにへし切の暴虐の跡が、紫斑の接吻痕となって残っていた。痣は赤、紫、灰茶と所々色を変えながら、口から顎、首、僧衣の襟から覗く胸元にまで広がっている。優しく垂れた目尻にさえ、泣き腫らした後でなければできないような赤みが差していて、へし切は、宗三を手酷く犯したのは夢でもなんでもなく現実であると思い知った。
 だがそれにしても宗三の様子は奇妙だった。
 昨夜のことなど忘れたように、宗三はへし切に向かって柔和に笑っている。
 それだけではなく、その表情は、宗三がへし切に向ける笑顔にしては、あまりにも親密に過ぎた。
「………」
 言葉を失って、胡乱げな顔で宗三を見ていることしか出来ないへし切を見つめて、宗三が不思議そうに首を傾げる。
「どうなさいましたか? ……こちらに来て、庭を見ませんか。あなたが植えた草花が倒れていないか、気になるでしょうに。歌仙兼定」
 まるで生きて歌仙兼定が其処に居るかのように。
 宗三が当然というようにその名を呼んだ。
 ぎくり、とへし切の身体が強張る。宗三の、疑いも無く歌仙兼定に向けて発せられたその声に、死んだ筈の歌仙兼定が近くにいるのかと思わず周囲を見渡したほどだ。だが宗三の視線の先には当然のこと、自分以外の刀剣男士がいよう筈もなかった。
 宗三の様子の異常さに、へし切は背筋に寒気を感じる。その寒気は、心霊めいた印象を空気から感じ取った故のものではない。宗三の狂気に触れて、理性が本能的な恐怖を感じた所為であった。
 燭台切光忠が過去、宗三について、自分になんと説明してきたかを、ようやくへし切は思い出す。
『宗三くんは、歌仙くんと背丈の似た打刀や太刀連中を、歌仙くんと勘違いして話しかける』―――そう言っていたはずだ。
「宗三……、」
 まさか自分を歌仙兼定と思い込んで語りかけてきている筈はあるまい。
 夕べは自分をへし切長谷部だと、宗三ははっきりと認識していた。
 だからこそ、昨夜の房事は、宗三にとって非常な過酷なものになっていたというのに。
 へし切は大股で宗三の傍に歩み寄り、右手でその肩を掴む。
「俺がわからんのか、宗三、」
 自分の声に苛立ちと鋭さが込められていることに、へし切は驚き、戦きを感じた。
 それは宗三のほうもそうだったようで、宗三の柔和な顔がやや強張る。
「……、あの、」
 宗三の肩を強く掴みすぎていることに気づき、へし切は力を緩めた。
「……………、」
 だが手は宗三を離すことは出来ず、戸惑ったようにこちらを見つめる宗三の顔を、へし切は必死の形相で見つめていた。
 宗三の心がどうなっているのかを知らねばならない。
「……夕べ、僕が……、あなたに好意的に応えなかったから、そんなに怒っているのですか、」
 宗三が頬を赤らめ、へし切から視線を外して、顔を俯けながら尋ねてきた。
 へし切の心の内に、苦い後悔が蘇る。
「…………いや。おまえは拒んで当然だった。責められるべきは俺のほうだ」
「…………、」
 俯いたままの宗三の薄い唇が、笑むとも嘆くともつかぬ形に歪んだ。
 僧衣の左肩に置かれたへし切の右手に、宗三の白い右の手が重ねられる。
「……どうしてか……夕べは、あなたを受け入れるのが難しくて……申し訳ありませんでした」
 へし切が何かを言う前に、宗三の手が、へし切の手を強く握り締めてきた。
 まるで縋るように。
「あなたが……戦場から帰って来ず、僕の傍からいなくなってしまったような夢を見て、それが現実のように錯覚してしまって。道理もわからず、惑乱してしまっていたのです」
 へし切の手に触れる宗三の右手は微かに震えている。
 宗三は己の手だけではなく、左頬をも、肩に置かれたへし切の右手に寄せてくる。
 へし切の背筋を、ぞわぞわと、這い虫めいた感触が駆け上がる。
 どう見ても、宗三の様子は尋常ではなかった。
 へし切は言葉を失い、身動きも瞬きもできずに宗三を凝視していた。
「僕から去らないでください……、歌仙兼定……。あなたがいなくなってしまったら、僕は、どうやって生きていったらいいのかもわからないんです」
「―――――」
 宗三の状況を理解して、へし切の喉がひくりと震えた。
 唐突な鋭い痛みがへし切を襲う。痛みは全身に広がっていくが、特に胸と腹のあたりが重く辛い。
 宗三はへし切の様子には気づかぬふうで、自分ひとりの世界の中の言葉を続けていた。
「もう……あなたを拒んだりしませんから……傍にいてください。歌仙兼定。お願いです」
 宗三の前髪に隠れた青い左目。半眼に閉ざした目尻から、一筋の涙が頬を伝い落ちた。
 涙は宗三の右手に滴り落ち、宗三の白い手の甲を濡らす。
 昨夜、宗三は同じように、手の甲に己の涙を落とした。
 どちらも同じく歌仙兼定を恋う涙だ。だがその精神は、決定的に違っていた。
 昨夜の宗三は気落ちはしていても正気ではあったのだ。
 だが――
 今の宗三は歌仙兼定が死んだことを理解できていない。
 目の前にいるのが歌仙兼定ではないことも理解できない。
 昨夜自分を抱いたのは歌仙兼定ではないことも。
 涙を流して今縋っている相手が一体誰であるのかも―――
 歌仙兼定恋しさのあまり、己の世界からへし切を完全に排除して、宗三は眼前に立つへし切に向けて「傍に居てくれ」と乞うてきていた。本来、歌仙兼定に乞うべき言葉を、へし切に向けて。
 身を冒す苦く鋭い痛み。
 痛いのは体ではなく心だと、今、へし切は思い至る。
「…歌仙兼定……、」
 涙が癒えぬまま、宗三が、肩に置かれたへし切の手に唇を寄せて、そっと口づけてくる。
 歌仙兼定に対してでなければ見せぬ笑み、言わぬ懇願、顕さぬ視線、零れぬ涙。それらをことごとくへし切の前で為していながら、宗三はそのことに気づきもしない。
「――――宗三」
 へし切の痛恨の中心部に、強い慚愧が宿る。
 宗三の心を完全に壊したのは紛れもなく自分だった。
 恋人を喪くした不安定な心。それゆえ幽閉の憂き目を見て、宗三は名実ともに籠の鳥となった。逃げられぬところまで彼を追い詰めて、身体を恣にした結果――籠に残ったのは、宗三の肉体だけとなった。
 心は負荷に耐えられず、歌仙兼定を恋うて遠くへ飛び去り、今へし切の傍に立つのは、かつて宗三だったものの形骸に過ぎぬ。
 抗う術を持たぬ宗三からの、これ以上の拒絶が他にあろうか。
 しかもそれでいて尚。宗三には、へし切にとって逆らいがたい磁力が存在していた。
 へし切の身体の芯は失意と悔恨で重く冷えている。だが、へし切の手の甲の、宗三の手と唇が触れる場所からは既に、新たな熱が生まれ出ていた。
 手を宗三の肩から離し、涙の筋を残すその頬に掌で触れる。手つきも肉質も歌仙とは違う筈だが、それに気づけぬ宗三は逃げず、へし切が触れるままになっている。
 掌から伝わる宗三の熱。
 へし切の眉根が歪み、目が辛そうに眇められる。
 事此処に至って尚、へし切は宗三を手放せなかった。宗三の心は歌仙を見たままだが、身体は、昨夜自分が宣言したとおり、へし切の差配のうちにあった。形骸ではあってもそれは紛れもなく宗三左文字で、燭台切光忠の態度から察するに、自分が見放したら宗三が刀解されてしまうのは明白だった。
 そして何よりへし切自身が。
 手に入れた宗三の、たとえ身体だけと言えども。
 彼を手放すことがどうしてもできなかった。
「――お前は俺のものだ」
 歯列の間から声を絞り出すようにしてへし切が宣告する。
 宗三の身がぴくりと震え、瞬きした色違いの両目に微かな動揺が顕れた。
「……ええ…わかっています……僕はあなたのものですよ……歌仙」
 そう返す宗三の声は震えている。
 心を病んだ宗三の、喪った恋人のふりをする。
 茶番だ。
 へし切は苦々しくそう思った。
 宗三にさえ、心の奥底では違和感があるのかも知れない。声や視線の揺らぎから、その気配を感じられる。
 だがそれでも。
 目の前に立つ宗三を、他の誰でもなく自分自身が独占できる。その状況を、へし切は失いたくなかった。
 宗三の項に手を回し、正面から宗三の傍に寄った上で、宗三の顔を引き寄せる。
「宗三」
「………、」
 宗三が面を上げて、へし切と視線を合わせた。
 潤んだ緑と青の瞳が、虚ろな慕情を湛えてへし切を見つめる。
 宗三が見ているのは当然のこと自分ではなく、
「かせん、」
 そう呼ばおうと開いた宗三の唇を、声より早くへし切が口で塞いだ。
「んッ……、ン……、」
 荒い接吻だったがもはや宗三は逆らわず、従順と言うより尚受容的にへし切の唇を受け入れた。
 招くように宗三の唇と歯列が開かれ、へし切の舌がその奥へ入り込む。
「ふぁ…、ン、ぁふ…っ」
 へし切が舐るばかりではなく、宗三からも舌が伸びてきて、へし切の硬い舌と絡み合う。
 受け入れられた、と悦ぶ一瞬の恍惚は、しかしすぐに嫉妬と怒りへ転化する。
 宗三にとってはこれはへし切との接吻ではなく、歌仙兼定との口づけだと思い込んでいるのだから、甘く応えてくるのは当然だ。
「ッ、ン、う」
 歌仙兼定ではないことを思い知らせるように一転して荒々しく宗三の舌を嬲り、口の端に歯を立てる。
「ンぐ……ぅっ…」
 宗三が眉を寄せて辛そうに呻き、だがへし切の口からはもう逃げなかった。嬲られるのみならず、恋人同士のように、ゆるゆると舌を絡ませ返してくる。
 犯すような接吻を続けながら、宗三の腰に手を回し、尻を掴んで引き寄せ、互いの下肢を押しつける。
「ッ……! ン、ぁう……っ!」
 腰の強ばりに気づいて宗三は身を捩ったが、理由は忌避ではなく羞恥によるのみのようだった。
「ふぁ……ぁ…、」
 へし切の腕の中で、宗三の身体が力を失う。
「感じるのか?」
 唇を離し、至近でへし切が宗三に囁くと、宗三は無言のままで、だが細い面が恥ずかしげに紅潮した。
「……抱いて欲しいか?」
「………、ぅ、」
 宗三の身体を掴みながら己の下肢を揺らがせて、服越しに局部を擦りつけながらへし切が問う。触れ合う場所は互いに強ばり、宗三のほうも情欲が高まってきていることがへし切にも見通せた。
「あ……ぁ、朝……ですよ……」
「それがどうした」
 へし切は構わず宗三の僧衣の裾を捲り上げ、太腿から尻までを外気に晒す。
「あ、や、こんな場所で、」
 宗三が抗議の声を上げた。
「構うか。俺たち以外には誰も居ない」
「ッ……、で、ですけれど……、こんなこと、今まで、一度も」
 体面を重んじた歌仙兼定は、宗三との情交やそれに類することを寝所の外には持ち出さなかったようだ、とへし切は見当をつける。
 宗三のほうでは、嫌がっているのは戸外での交わりだけで、朝に情を交わすこと自体を拒む気はなさそうだった。
 顎や首筋に食むような接吻を続け、剥き出しになった尻を撫で回すへし切の煽りに、宗三の身体は体熱を高めてくる。
「っ……、か、かせん……、服を、下ろしてください、これでは丸見えです」
「何を言ってる。おまえもその気のくせに」
「ッ、そ、そんな、ふぁッ」
 身を捩りながらも宗三の身体の中央は強ばりを強めてきている。
 へし切を歌仙兼定だと思い込んで淫靡を高めてくる宗三の反応。
 だがそれでも、羞恥と困惑は本物だ。
「俺は別にこの場所でも構わんが……寝所に行くか? それとも……このままここで、庭を見ながらまぐわいたいか?」
「! っ、や、やぁ……お願いです、から……寝室、に……、」
 赤く腫れた唇の端に唾液を滲ませ、情欲の息を喘がせながら、宗三が懇願してきた。
「わかった。寝所でよがりたいというならそれを果たさせてやる。来い」
「………、」
 へし切は宗三の手を掴み、引き摺るようにして縁から屋内へ帰る。
 二人が通った後も、雨戸は開け放たれたままだった。


 寝床に戻り、へし切が組み敷く宗三の身体には朝日が当たっていた。
 泣くとも官能ともつかぬ喘ぎが、やがて宗三の喉から漏れ始める。
 愉楽を恐れずに身を揺らす宗三の下肢を激しく突き上げながら、自らも愉悦と支配感に浸りつつも、へし切はふと頭を上げて外を見やった。
 雨戸の向こうに日を浴びて輝く春の庭。歌仙兼定が整えた場所。
 憎い仇がそこにいるとでも言うように、へし切は庭を睨みつける。
「はぁッ…、あ……、心地、いい、です、」
「ふ、そうだろう、」
 へし切の体の下から宗三の愉悦の声が上がる。
 へし切は唇を歪めて笑い、視線を落として、再び宗三との睦み合いに没頭していった。


                                            (了)



後書