<其乃三>


 数刻前。
 嫌な予感がして歌仙兼定は手入れ部屋に入るのを中止し、解いていた軍装を再度身につけた。
 手入れの済んだ者や比較的傷の浅い者たちを招集して、部隊を仕立てているところへ、城門から薬研藤四郎が飛び込んできた。
 彼の後ろに三々五々、宗三左文字と共に出陣していた短刀の子どもたちが逃げるように城に走り込んでくる。
 そして宗三左文字の姿はない。
 そうと知って歌仙兼定の全身の血が沸騰する。
「薬研藤四郎!」
 その場にへたり込み、走りすぎた所為で息を整えることもできぬ薬研藤四郎の腕を掴んで、引きずるように立たせる。
「宗三左文字どののところへ案内しろ!」
「……いや…待って…、大将に、報告……、」
 薬研藤四郎が切れ切れに言うところへ、
「主への報告なら他の者でも出来るだろう! 乱藤四郎!」
 傍で同じように座り込んでいる別の少年の名を、歌仙兼定は怒鳴った。
「息が整ってからでいいから本丸に行って、主に現状を報告するんだ! 僕は主への報告を待たずに部隊を連れて出陣する。薬研藤四郎は、案内人に連れて行くぞ。来るんだ!」
 有無を言わせぬ物言いでその場に指示を出し、馬に跨がって、薬研藤四郎を馬上に引きずり上げ、部隊をせき立てて城門を出た。
 間に合わないかも知れない。
 歌仙兼定の心を強い危惧が支配する。
 宗三左文字の出陣を許すのではなかった。
 生きる気力を強く持たぬ者は、不測の事態に容易に挫けてしまう。
 せめて自分が傍にいれば宗三左文字を守れた、と歌仙兼定は激しく後悔した。
 ようやく息を落ち着かせた薬研藤四郎の案内を受けながら、山道に馬を走らせていく。歌仙兼定と同時に出発した部隊の者たちは彼らに遅れていたが、歌仙兼定は振り返りもしなかった。
「戦場はこの先だ。まだ敵が散開してるかも知れないぜ」
 宗三左文字が生きていれば、当然敵もその場にいるに違いない。目立たぬようにする為、歌仙兼定は馬を下りる。いずれ山道は藪が深くなり、騎馬で速く進むのが難しくなってきていた。
「……声が聞こえるな」
 馬の手綱を預けられた薬研藤四郎が呟く間に、歌仙兼定はそれが誰の声であるかを完全に理解した。何人かの男たちの罵倒に混じって聞こえる、悲鳴に似た呻き。
「……………!」
 薬研藤四郎に合図もせずに歌仙兼定は走り出す。抜刀すらしなかった。
 峰を回り込む山道を走ると、眼前に、地に何かを押さえつけて取り囲んでいる複数の敵の姿が現れた。彼らは己の行為に夢中で、歌仙兼定には一切気がついていない。男たちの膝の下に、見覚えのある淡紅色の髪が乱れながら踏み敷かれている。宗三左文字の剥き出しの白い脚が持ち上げられて折りたたまれ、彼の股の間に、敵の男の一人が腰を埋め込んでいた。
 彼らが何をしているか、何をしようとしているかはあまりにも明白だった。
 歌仙兼定は逆上して走り寄る。
    慮外者どもが!!」
 叫ぶより早く、歌仙兼定の抜打が閃き、宗三左文字の腕を押さえつけていた手前の二人の敵兵の首が跳ね飛んだ。
「非礼を血で贖え!」
 戻す刀で奥の男の顔を、下顎だけを胴に残して横様に切り離す。刃先は更にその奥で宗三左文字の股の間に入り込んでいた男の肩をも裂き、驚いたその男が、宗三左文字の身体から手を離して後ろに退く。
 顔に痣を作ったその男は下半身は全裸で、腰からぶら下がった陰茎が勃起しているのが歌仙兼定の目に入った。
 怒りは頂点に達した。
「きさまの罪は重いぞ!」
 宗三左文字の身体を飛び越えてその男を追いかけ、袈裟懸けに斬り降ろす。歌仙兼定の刀は男の臓腑を裂き、陰茎は陰嚢から切り離されて、小さく回転しながら地に落ちた。遅れてその上に、絶命した男の胴体が重たく頽れる。
 周囲では叫び声や剣戟の音が聞こえる。歌仙兼定に率いられてきた部隊が薬研藤四郎に追いつき、敵を駆逐し始めているらしかった。
「宗三左文字どの!」
 血を払い刀を鞘に収める間ももどかしく、歌仙兼定は振り返って呼びかける。首を失った二つの胴体から伸びた腕に身体を押さえられたまま、宗三左文字の身体は敵の血の海に沈んでいて、身動きをしていない。
「宗三左文字どの…!」
 敵は死体ですら犯すような野蛮な連中だ。宗三左文字がまだ生きているかどうか、まずは確かめねばならない。
 屈み込んで敵の指を宗三左文字の身から一本ずつ剥がし、血の海の中から宗三左文字の身体を掬い上げる。
「…か、かせん、」
 か細い声が歌仙兼定の耳に届いて、まずは歌仙兼定を安堵させた。
 顔の血を拭い取りながら、宗三左文字の目を覗き込む。
「怪我は?」
「あ……足を……、右足…が……」
 震える声で宗三左文字が答える。宗三左文字の意識がしっかりしていることに、またひとつ歌仙兼定は安堵する。
 宗三左文字の右足を見ると、踝が打ち砕かれて骨が露出していた。人間の身に似ていても人間の身体そのものではないから、命さえあれば手入れで肉体は元通りにはなる。だが怪我により、激痛と、身体を支えて立つ力を失うことは、人の身に共通した、刀剣男士の肉体の負の部分だった。
「止血をして、添え木をしよう」
 己の服を裂いて包帯を作りながら歌仙兼定は言った。
「薬研藤四郎。枝を持ってきてくれ」
 後方からこちらに寄ってきていた薬研藤四郎に命じて、手頃な枝を捜させる。
 止血の為に包帯を巻き、枝を添えて更に固定する為の包帯を巻く。激痛を感じたはずだが、宗三左文字は歯を食いしばりながら時折呻くだけで、反抗したりはせずにじっとその痛みに耐えていた。
「他に、怪我は」
 右足の手当てを終え、宗三左文字の身体から再び敵の血を拭いながら、歌仙兼定は怪我が他にないか目で確認する。
「あ……ありません……打撲や、小さい傷はたくさんあると思いますけど、特に言うほどでは……」
「……身体の中は?」
 宗三左文字がひくりと身を震わせて歌仙兼定を見た。色違いの両の目に宿るのは怯えだ。宗三左文字にそんな表情をさせた敵の奴らはもっと苦しめてから殺すべきだった、と歌仙兼定は更に心中に怒りを溜める。
「い……いいえ…」
 宗三左文字はそれだけ言うのが精一杯のようだ。
 宗三左文字の鼻から血が滴っている。顔を打たれるかなにかして鼻血が出ているのだろう。それを丁寧に拭い取ってやりながら歌仙兼定は言い募る。
「できるだけ急いだが…、薬研藤四郎が退却してから僕がここへ来るまでに、結構な時間がかかった筈だ。その間ずっと、きみが奴らに捕らえられていたのなら……」
 歌仙兼定の脳裡に、押さえつけられた宗三左文字と、その股の間に腰を落としていた敵兵の姿が浮かび上がる。
「あ……あの」
 消え入りそうな声で宗三左文字が言う。
「長いこと逃げていたんです…藪の中を…潔くないことではありましたが……彼らに身を嬲りものにされるのは、どうしても嫌で……」
 宗三左文字の血に汚れた目尻から涙が零れている。
「………僕は間に合った?」
 歌仙兼定に聞かれて、意味が通じたのだろう。宗三左文字は泣きながら黙って頷いた。
「……………」
 深く息を吐いて、歌仙兼定は宗三左文字の血まみれの身体を抱き締めた。
「とりあえずは良かった。……すぐに城に戻って、手入れを主に手配させるよ」
 あらかた血が拭われれば、宗三左文字は肌着すら奪われたほぼ全裸の状態だった。歌仙兼定は己の外套を脱いで宗三左文字の肩に着せかけ、それで宗三左文字の全身を包み込む。今の宗三左文字の姿を、誰の目にも触れさせたくなかった。
 外套に包まれた宗三左文字の身体を膝の上に抱え上げて、歌仙兼定は立ち上がる。
 踝を砕かれて立つことが出来ないと自覚している宗三左文字は抗議の声を上げたりせず、黙って大人しく歌仙兼定に抱かれるままになっていた。
 乾きかけた血を白い肌にこびりつかせ、固く小さくなって、宗三左文字は歌仙兼定の腕の中で震えている。
 自分が抱えるこの鳥は僕のものだ。僕だけの。
 宗三左文字の命や操が他者に奪われたかけたことについて、歌仙兼定はあまりに強く憤っていた。気をつけていないと、宗三左文字の傷ついた身体を腕や指で強く締め上げかねないいきおいだ。
 今、こんなに肝が凍る思いをすることが過去にわかっていたなら、宗三左文字の同意を得ずに彼の身体を暴き、部屋に閉じ込めて、二度と戦場に出さずに済むよう、宗三左文字の心身を手中に捕らえることを自らに許していただろう。
 いつか見た淫夢のように。
 内面で荒れ狂う嵐を宗三左文字に悟られることの無いよう、歌仙兼定は歯を食いしばり、強く自制していた。己の内心を知られることは、それだけで、傷ついて怯えた宗三左文字を更に動揺させてしまう。
 薬研藤四郎に馬を引かせて、宗三左文字の身体を馬上に押し上げ、自分もその後ろに尻を落ち着ける。宗三左文字の身体を支える為に馬上で再び彼の身体を抱きかかえ、宗三左文字の身の負担にならぬよう、ゆっくりと、歌仙兼定は、馬を城に向けて歩かせ始めた。
 近隣では戦闘は既に勝敗が決していた。敵兵はあるいは倒れ、あるいは散り散りに逃げていく。薬研藤四郎を始めとする味方の者たちは、血塗れの宗三左文字と歌仙兼定を乗せた馬が城へ向けて歩いて行くのを、遠巻きに見守っていた。
 歌仙兼定は城に着くまでずっと、宗三左文字の身体を腕の中に抱えていた。
 それは外側からは、壊れやすい大切な宝物を抱いて護る幼い少年のようにも見えた。




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