<其乃二>


『二振目』と呼ばれた宗三左文字が顕現してから、半月ほどが経過した。
「戦国期の癖が抜けんな」
 修練場にて。
 宗三左文字の打ち筋を確認しながら、へし切長谷部がそう言ってきた。
「俺たちは平氏隆盛の頃から幕末動乱期まで、刀剣が使われた時代に遍く出陣する。行く先々で出遭う敵は、主として各時代の戦法を踏襲してくる。例外もあるにはあるが……戦国期の手法に馴染んでいるだけでは敵とまともに組めんぞ」
「……ええ…わかっているつもりですが……、」
 へし切長谷部の重い打ち込みを交わしながら、宗三左文字は肩で息をしつつ応答する。
 へし切長谷部との手合せは、正直なところ宗三左文字には荷が重すぎた。初陣を未だ果たしておらず、時間遡行先は未熟な短刀連中と組んでの軽い遠征ばかりで、宗三左文字には顕現後の戦闘経験が圧倒的に不足している。また刀剣男士としても、同じ魔王佩刀の打刀同士でありながら、どうやら、へし切長谷部と自分とでは、本来の膂力に大きな彼我の差があるようだった。
「もっともらしいこと言ってもよー、俺たち織田蔵刀じゃ戦国期以外の戦い方は教えてやれねーだろうよ。ひっく」
 修練場の端に座り込んで、脇からへし切長谷部に声をかける者があった。
 それは不動行光で、宗三左文字が初めて逢った日と同じように、今日も酒を呷っている。
「織田佩刀は戦国期までしか戦を経験してねーし、前世の刀が幕末どころか徳川期まで残ったのでさえ、宗三とへし切だけだもんよ」
「……そうなのですか」
 不動行光に向き直って宗三左文字が確認する。
 顕現して十数日が経った今も宗三左文字は他の刀剣男士の情報には疎く、不動行光の話は耳に新しい。
「そーだよ。ひっく。そもそも、俺たち織田勢の中じゃ、信長様に一番打ち筋が似てるのがへし切だぜぇ……、言ってる本人が戦国癖まるだし」
「……………」
 宗三左文字は思わずへし切長谷部を見た。彼の打ち筋が魔王に似ているとは気づきもしなかった。
 へし切長谷部のほうは眉根を寄せて不動行光を睨みつける。
「信長の話はするな。それに、『へし切』と呼ぶな、とも再三言っている筈だぞ」
 へし切長谷部は本気で怒っているように見受けられたが、酔った不動行光には伝わらず、赤ら顔の少年は酒の入った湯飲みを高々と掲げて機嫌良く言い募った。
「実際に信長様が使った、って証拠が名前にまで残ってるのはへし切だけだかんな。棚ン中に逃げこんだ茶坊主を信長様が追いかけて、強引に切り捨てたってのが名前の由来だからさァ……ひっく!」
「不動!」
 へし切長谷部の鋭い声が飛んだ。
 宗三左文字はその場に立ちすくむ。
 自分が何に衝撃を受けたのかは、宗三左文字にはまだ理解できなかった。だが、自分の怯えの感情とその理由は、へし切長谷部に先読みされていたようだった。
「構うな。不動の奴は酔いが過ぎて他人に気が使えんのだ。無論おまえが僧形だからといって俺を警戒する必要は無い。信長の奴が俺を使って為した狼藉を、俺が誇りに思うわけでは無いからな」
 宗三左文字を見て釈明してくるへし切長谷部の視線が、紅梅色の袈裟にちらと向けられた。
「………ええ……、わかっています……」
 緊張に似たものを孕んで視線を向け合う宗三左文字とへし切長谷部の脇で、不動行光が相変わらず酔いに任せてべらべらと喋り続ける。
「信長様の行動をその動きに遺してんのがへし切でぇ……、精神をカラダに遺してんのが宗三でぇ……、消滅した薬研の中に武人の心が遺っててぇ……、俺ときたら、愛された記憶以外は何にも持ってねぇときたもんだ…ははは! ……ひっく!」
「不動……! この酔っ払いが!」
 腹に据えかねたへし切長谷部が、木刀を脇に置いて不動行光にずかずかと歩み寄る。
「いい加減酒をやめて少しは酔いを醒ませ! 俺が手伝ってやる!」
「痛てて! 何すんだよぉ、」
 不動行光の襟首を掴み、へし切長谷部は彼の体を乱暴に引き摺り立たせて修練場の外へ連れ出してしまった。不動行光が居た場所には酒甕と、倒れた空の湯飲みが残された。織田佩刀二人が消えた戸口を、宗三左文字は呆然と見つめる。
 やがて、修練場の脇にある井戸を使ってへし切長谷部が不動行光を懲らしめたのだろう、大きな水音と、二人が喚く声が聞こえてきた。
「冷てーー!! 何で水掛けんだよ、酔いが醒めちまう!」
「それを手伝ってやると言っているんだ、少しは有り難がれ! 顕現間もない宗三の前で余計なことばかり喋るな! いつまでも信長の話ばかりしおって……、」
「ッんだよ、ムジュンしてんだろ! 俺たち信長様佩刀でダマんなってるのに、他に何のハナシするってんだよ!」
「この本丸におわす主の役に立つのが刀剣男士の存在意義だ! 天下を掴み損ねた粗暴な男の話などどうでもいいだろう!」
「その粗暴な男の縁で宗三に絡んでる癖に! ぶべッ! 冷てーっつーの! 口の中に水入った!」
「黙れ! それ以上喋ったら、頭から吊して井戸水の中に叩き込むぞ!」
 二人の言葉が耳の中にがんがんと響き、宗三左文字は、頭が痛くなってくる。
 右の掌の下で、心臓がドクドクと強く脈打つ。
 宗三左文字は、いつのまにか、己の左胸を右手で強く押さえつけていることに気がついた。
 心臓―――刀剣男士となって初めて得た、人間の身体の生命の証。
「……………、」
 深く息を吐き、宗三左文字は意識して、左胸から己の右手を外す。
 こめかみから心の臓と同じ拍動が鳴るのが聞こえている。
 修練場の外からはまだ二人の声が響いていたが、宗三左文字にはそれ以上、会話の内容を聞き取る余裕は無かった。
 魔王の刻印。
 心臓の真上にある皮膚に刻まれた、蝶の紋様。
 不動行光が言うところの、『宗三左文字の身体に遺った魔王の精神』とは、この刺青のことに相違あるまい。
 己の茎に何と刻まれているかはよく覚えている。
『織田尾張守信長/永禄三年五月十九日義元討刻彼所持刀』
 誤解しようもないほどにはっきりと、魔王が如何様に自分を手に入れたのかが、そこに高らかに宣言されていた。
 この自分が義元を討って略奪した、と。
「…………」
 刀剣男士として顕現した宗三左文字は、この刻印によって、織田の縁者としてへし切長谷部や不動行光と同じ織田佩刀の派閥に組み込まれている。
 小姓として身の回りの世話をしてくれる前田藤四郎を始め、大概の者達は、自分にその話ばかりをしてくる。今の不動行光のように、自分を義元から略奪した魔王の話ばかりを。
 自分が望んで魔王の所有となったわけではないのに。
 自分は正当な所有者、守護大名今川義元の手から奪われた刀なのに、誰も義元の話をしない。
 今川義元の所有刀だった過去を持つ刀剣男士は、本丸に只一人自分だけだった。
 魔王に奪われていなければ、磨上を受けて太刀から打刀に変わることもなく、豊臣や徳川の蔵に封じ込められることもなく、こうも弱々しい姿で顕現することもなかったかも知れない。
 徳川蔵刀の多くが火を被った江戸明暦の大火。再刃されはしたものの、かつての姿は喪い、もはや人の振るうべき刀では無くなってしまった。それなのに、茎に刻まれた魔王の銘は、焼け跡の付いたままに残された――その銘が、焼けた宗三左文字が世に留め置かれた唯一つの理由であるが故に。
 過去のことを思うと何故胸が苦しくなるのだろう。
 当時ただの刀だった自分が、どうにかできたことは何一つ無いのに。
 胸の刻印が焼けるように熱い。
 それは錯覚で、実際には、心の臓が激しく鳴っているだけなのだ、とは、宗三左文字にも理解できた。
「く……、」
 再び己の左胸を押さえ、宗三左文字は歯を食いしばる。
「大丈夫か。宗三」
 すぐ脇でへし切長谷部の声が聞こえ、宗三左文字はぎくりと身を震わせて面を上げた。
「顔色が悪いぞ。少し休め」
 へし切長谷部の灰色の目が自分を見つめてきていた。
 自分を気遣うはずのその瞳に冷酷を感じるのは、魔王の時代にへし切長谷部が切り捨てた人間と同じく自分が僧形だからだろうか。
 それともへし切長谷部が、義元を討った魔王手ずから振るった刀であるからだろうか。
「………大丈夫です」
 胸から手を離して両手に木刀を握り直し、宗三左文字はそう返事をした。
 織田佩刀の派閥に組み込まれながら、自分はどうにもそこに馴染めない。
 それを誰に告げることも出来ず、宗三左文字は溜め息を押し殺した。
 手合せを続けようと気を取り直して辺りを見回し、戻ってきたのがへし切長谷部のみであることに宗三左文字は気づく。
「不動行光はどうしたのです」
 宗三左文字に問われて、へし切長谷部は忌々しそうに唇を歪めて答えた。
「帰らせた。気が散って邪魔でかなわん。手合せ番でも無い奴が修練場に来たのは、おまえの姿を見たかっただけだからな」
 へし切長谷部の言葉の意味は、宗三左文字には理解し難かった。
「……? 僕…ですか……? 何故です」
 へし切は宗三左文字に視線をくれて、しかし面と向かってその問いに答えることは無かった。
「……鈍感なのは昔と変わらぬようだな」
「……………」
 独り言めいたへし切長谷部の呟きに、宗三左文字は開きかけた口を閉ざす。
『昔』とは、一振目の存命していた時を指すのであろう。
 二振目の自分は無論一振目ではない。何が似ていて何が違うのか、二振目の宗三左文字には知りようがない。
 へし切長谷部は暫く無言で宗三左文字を見つめた後、
「歌仙兼定はお前に何か言ってきたか」
 唐突にその問いを発してきた。
「……歌仙兼定……が………? ですか……?」
 淡紅色の睫毛を二度ほど瞬かせてからそう言った宗三左文字の反応で、へし切長谷部は既に答えを察したらしかった。
「いや。お前の元に奴が来てないというならそれはそれでいい」
 魔王のことと歌仙兼定のこと。顕現して後、宗三左文字が他者から聞かれるのはおもにこの二人のことだった。
 とはいえ近頃は、歌仙兼定の話題を振られる頻度はかなり少なくなっていた。その理由は単純である。一振目の宗三左文字と恋人同士だったという歌仙兼定は、徹底的に二振目の自分を避けている。そのことが、歌仙兼定自身の態度から明白に、城中の皆に知れ渡ってきたからだった。
 廊下や城中で歌仙兼定の姿を目にすることは無論ある。大抵の場合、傍に左文字派の末弟である小夜左文字を連れている。歌仙兼定は宗三左文字に向けて目礼はしてくるが、それ以上の接触は一切無かった。向こうが自分を拒否しているのを知っていれば、宗三左文字のほうでも彼に近づこうとは思わない。一振目が彼と如何に接したのか、興味が無いと言えば嘘にはなるが、そもそもそれを知ったところで、歌仙兼定と二振目である自分との関わりがどう変わるはずも無かった。
 歌仙兼定。
 遠目から見る分には、彼は不思議な雰囲気を持つ刀剣男士だった。荒んだ瞳は出逢った頃と変わらず、あの時以来彼の微笑を見たことも無いが、宗三左文字を取り囲む織田佩刀の連中と比べれば、歌仙兼定の纏う気配は瀟洒で洗練されており、歩く姿も男性的ながら優美が勝っていた。彼に目が行くのは無論『一振目の自分が恋をした男だから』という理由に依るのだろう。風に揺れる二藍の髪の下から、あの鮮やかな緑の目で、歌仙兼定はどのように一振目に微笑んだのだろうか、とは、二振目の宗三左文字である自分が、時折考える妄想でもある。
 歌仙兼定の傍につく小夜左文字は、一度だけ、宗三左文字の顔を見に、館を訪ねてきてくれた。それは昨夜のことだった。小夜左文字はあまり話上手ではなく、宗三左文字からも挨拶を交わし茶や菓子を出してもてなした程度で、情報交換もろくにはしなかった。無口な小夜左文字は、時折、沈黙したままで、何かを捜すような目で自分を見ていたが、それが歌仙兼定と関係があるのかどうかまでは、宗三左文字は踏み込んで尋ねたりはしなかった。
「今日の手合せはもう切り上げるぞ」
 へし切長谷部の声で、宗三左文字は思考を断たれる。
「……まだできます」
 安堵を感じつつも一応そう言いはしたが、へし切長谷部は首を横に振った。
「これ以上はおまえの身に障る。明日はおまえの出陣が決定している。もう帰って、体をよく休めておけ」
「……ええ…、わかりました」
 そうであった、と宗三左文字は、忘れていたかったことを思い出す。
 へし切長谷部は自分の小姓に指示を出して、さっさと引き上げの準備を始める。
 宗三左文字も、傍らに控えていた前田藤四郎に己の木刀を預けて、帰り支度を始めた。
 修練場の前でへし切長谷部と別れ、館への帰路を辿りながら、宗三左文字は溜め息をついた。
 心が重いのは明日の出陣の所為でもあるのだ。
 明日の時間遡行先は桶狭間、と。
 そう、主に命じられていた。
 本格的な戦場に駆り出されるのはこれが初めてだった。
 今川義元が生存し魔王に斃される時代に、自分が出陣する。
 気乗りはせぬが、命令とあらば拒否は出来ない。
 あの時代に出向いて自分がどんな心地になるのか。
 それは宗三左文字自身にさえ、まったく想像も覚悟もつかぬことであった。




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